五常訓 / 巻之三・仁之下
一およそ人、精力をつひやす者、時にあたりては、其損を知らざれども、時ありて盡きぬ。精力をやしなふものは、時にあたりては、其益を見ざれども、時ありてさかんなり。人の善惡を行ふも、亦かくの如し。德をつみ、行をかさぬれば、當時は其福を知らざれども、時ありて世に用ひらる。義をすて理にそむくは、當時は其禍を知らざれども、時ありて亡ぶ。易に、積善の家には必餘慶あり、積不善の家には、必餘殃ありといへるは、此意なり。善は積みかさねて後來るゆゑ、善を行ふ志はおこたるべからず。小善なりとも行ふべし。惡はつもれば必わざはひとなる。故に小惡なりとも行ふべからず。おそるべし。
新字:一およそ人、精力をつひやす者、時にあたりては、其損を知らざれども、時ありて尽きぬ。精力をやしなふものは、時にあたりては、其益を見ざれども、時ありてさかんなり。人の善悪を行ふも、亦かくの如し。徳をつみ、行をかさぬれば、当時は其福を知らざれども、時ありて世に用ひらる。義をすて理にそむくは、当時は其禍を知らざれども、時ありて亡ぶ。易に、積善の家には必余慶あり、積不善の家には、必余殃ありといへるは、此意なり。善は積みかさねて後来るゆゑ、善を行ふ志はおこたるべからず。小善なりとも行ふべし。悪はつもれば必わざはひとなる。故に小悪なりとも行ふべからず。おそるべし。
書き下し
一およそ人、精力をつひやす者、時にあたりては、其損を知らざれども、時ありて尽きぬ。精力をやしなふものは、時にあたりては、其益を見ざれども、時ありてさかんなり。人の善悪を行ふも、亦かくの如し。徳をつみ、行をかさぬれば、当時は其福を知らざれども、時ありて世に用ひらる。義をすて理にそむくは、当時は其禍を知らざれども、時ありて亡ぶ。易に、積善の家には必余慶あり、積不善の家には、必余殃ありといへるは、此意なり。善は積みかさねて後来るゆゑ、善を行ふ志はおこたるべからず。小善なりとも行ふべし。悪はつもれば必わざはひとなる。故に小悪なりとも行ふべからず。おそるべし。
現代語訳
およそ人は、精力を費やす者は、そのときにはその損を知らないけれども、やがて尽きてしまいます。精力を養う者は、そのときにはその益が見えないけれども、やがて盛んになります。人が善悪を行うのも、またこのようなものです。徳を積み、行いを重ねれば、そのときにはその福を知らないけれども、やがて世に用いられます。義を捨て理にそむけば、そのときにはその禍を知らないけれども、やがて滅びます。『易』に「善を積む家には必ず余慶がある。不善を積む家には必ず余殃がある」とあるのは、この意味です。善は積み重ねてから後に報いが来るので、善を行う志を怠ってはなりません。小さな善であっても行うべきです。悪は積もれば必ず禍となります。ゆえに小さな悪であっても行ってはなりません。恐るべきです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『初学訓』巻之五其験の必ず違はざること、聖人の教明らかなり。又は、古今天下の書に載せたる所、及び語り伝ふること限なし。疑ふべからず。小人は、一事善を行ひて、其報なければ、験なしとて、止めて行はず。凡そ善を行ふこと、久しく積みかさなれば、必ず其験あり。人したがひ、天喜び給ふ。又、小人は、悪を行ひて禍無ければ、害なしとて止めず。悪を行ふこと積み重れば、必ず其報あり。天道おそるべし。
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易経・文言善を積むの家には、必ず餘慶有り。不善を積むの家には、必ず餘殃有り。臣にして其の君を弒し、子にして其の父を弒するは、一朝一夕の故に非ず、其の由りて來る所の者漸なり。之を辯ずること早く辯ぜざるに由るなり。《易》に曰く「霜を履めば、堅冰至る」とは、蓋し順を言うなり。「直」は其れ正なり、「方」は其れ義なり。君子は敬にして以て内を直くし、義にして以て外を方にす。敬義立ちて德孤ならず。「直、方、大、習わずして利しからざる无し」とは、則ち其の行う所を疑わざるなり。
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『五常訓』巻之三・仁之下一人は貴き賤しき、唯つねに仁心を存して、日々に、人に利益あることを行ふべし。忿をこらへ、慾をおさへて、日々善行をなすべし。いかりと慾をこらへざれば、善を行ひがたし。唯いかりをおさへ、慾をこらゆる人、善をよく行ふ。わが身を利して、人に損ある事を行ふべからず。我が力にしたがひて、人を救ふべし。仁心をだにたもちなば、日々に善行多かるべし。少しは財をつひやし、少しは心をつかひ、少しは隙をつひやしても、人の利益になる事を行ふべし。人のために益ある事をせずして、我が身に利ある事のみするは、小人の心なり。日々善にならへば、善心日々にさかんになる。日々悪にならへば、悪心日々にさかんになる。善にならへば、日々に楽み、悪にならへば日々に苦む。善悪共にならひによれり。されども悪にはおもむき易し。故におそるべし。善には進みがたし。故につとむべし。
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『慎思録』巻之二人の善を作し不善を作す、苟も人報ゆること能はざれば、則ち天之に報ゆ。聖人謂ふ、積善の家には必ず余慶有り。積不善の家には必ず余殃有り、と。聖人の此の言、信ずべくして疑ふべからず。人の道徳有るや、天の君子に優厚する所以なり。此れ人の得難き所にして、之を得る者、古来寡し。何となれば則ち天の靳惜する所なればなり。富貴福禄は、天の常人に厚く賜ふ所なり。此れ人の得易き所にして、之を得る者、古来多し。何となれば則ち是れ天の靳惜せざる所なればなり。然らば則ち古来学びて得ること有る者は、其の福豊厚にして尊栄なりと謂ふべし。何ぞ之を官禄の崇高に比すべけんや。衆人は、其の志懾し。只だ富貴の栄幸為るを知りて、徳義の最も尊貴すべくして、富貴に超越するを知らず。是を以て徳を好まずして、富貴を貪るのみ。
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『慎思録』巻之二五常百行、総べて之を言へば、則ち皆善なり。是れ仁心の発する所なり。善を為すは、人物を愛養して天功を賛くる所以なり。是を以て善を為す者は、乃ち天に事へて徳に報ゆる所以の道なり。微賤の人と雖も、苟も心を善を為すに存すれば、則ち必ず済ふ所有り。故に一日善を為せば、則ち一日の好人と為る。日々之を行ひて、久しくして休まざれば、則ち積善窮まり無くして、其の楽しみも亦た極まり無し。若し夫れ富貴にして勢位有るの人、苟も誠に善を好むこと有らば、則ち其の施済する所広博にして、其の楽しみ豈に大ならざらんや。
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荀子・大略篇仁義礼善の人に於けるや、之を辟(たと)ふるに貨財粟米(かざいぞくべい)の家に於けるが若し。多く之を有する者は富み、少なく之を有する者は貧しく、至(すべ)て有ること無き者は窮す。故に大なる者は能はず、小なる者は為さず、是れ国を棄て身を捐(す)つるの道なり。
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