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荀子 / 大略篇

仁義禮善之於人也,辟之若貨財粟米之於家也,多有之者富,少有之者貧,至無有者窮。故大者不能,小者不為,是棄國捐身之道也。

新字:仁義礼善之於人也,辟之若貨財粟米之於家也,多有之者富,少有之者貧,至無有者窮。故大者不能,小者不為,是棄国捐身之道也。

書き下し

仁義礼善の人に於けるや、之を辟(たと)ふるに貨財粟米(かざいぞくべい)の家に於けるが若し。多く之を有する者は富み、少なく之を有する者は貧しく、至(すべ)て有ること無き者は窮す。故に大なる者は能はず、小なる者は為さず、是れ国を棄て身を捐(す)つるの道なり。

現代語訳

仁・義・礼・善が人にとって持つ意味は、たとえて言えば、財貨や穀物が家にとって持つ意味と同じである。それを多く持つ者は富み、少ししか持たない者は貧しく、まったく持たない者は行き詰まる。だから、大きなことは力が及ばずにできず、小さなことはやろうともしない——これこそ、国を失い、わが身を滅ぼす道である。

解説

徳を、家に蓄えられた米や財貨にたとえた分かりやすい一段です。仁義礼善という徳は、精神論ではなく、いわば実際の蓄えである。多く持つ人は豊かに生き、蓄えの薄い人は貧しく、まったく持たない人は行き詰まって身動きが取れなくなる、というのです。そして蓄えのない者はどうなるか。大きな仕事は力量が足りずに担えず、小さな仕事は自分がやることではないと見下してやらない。結果として何も積み上がらないまま、国も身も失っていきます。ここは耳が痛いところで、大きな仕事ができないと嘆く一方で、目の前の小さな仕事を軽んじていないか。徳も実力も、日々の小さな積み立ての残高です。今日の一つひとつを丁寧にこなすことが、そのまま蓄えを増やしていきます。

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

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