易経 / 文言
積善之家,必有餘慶;積不善之家,必有餘殃。臣弒其君,子弒其父,非一朝一夕之故,其所由來者漸矣,由辯之不早辯也。《易》曰「履霜、堅冰至」,蓋言順也。「直」其正也,「方」其義也。君子敬以直內,義以方外,敬義立而德不孤。「直、方、大、不習无不利」,則不疑其所行也。
新字:積善之家,必有余慶;積不善之家,必有余殃。臣弒其君,子弒其父,非一朝一夕之故,其所由来者漸矣,由弁之不早弁也。《易》曰「履霜、堅冰至」,蓋言順也。「直」其正也,「方」其義也。君子敬以直内,義以方外,敬義立而徳不孤。「直、方、大、不習无不利」,則不疑其所行也。
書き下し
善を積むの家には、必ず餘慶有り。不善を積むの家には、必ず餘殃有り。臣にして其の君を弒し、子にして其の父を弒するは、一朝一夕の故に非ず、其の由りて來る所の者漸なり。之を辯ずること早く辯ぜざるに由るなり。《易》に曰く「霜を履めば、堅冰至る」とは、蓋し順を言うなり。「直」は其れ正なり、「方」は其れ義なり。君子は敬にして以て内を直くし、義にして以て外を方にす。敬義立ちて德孤ならず。「直、方、大、習わずして利しからざる无し」とは、則ち其の行う所を疑わざるなり。
現代語訳
善を積み重ねた家には、必ず余りある喜びごとがある。不善を積み重ねた家には、必ず余りある災いがある。臣下がその君を弑し、子がその父を弑するというようなことは、一朝一夕の出来事ではなく、そこに至るまでの成り行きは少しずつ進んできたのである。それは早いうちに見分けて弁別しておかなかったからである。易に「霜を踏むようになれば、やがて堅い氷が張る」とあるのは、成り行きが順に進んでゆくことを言ったものである。「直」とはその正しさであり、「方」とはその義である。君子は敬によって内を真っすぐにし、義によって外を四角におさめる。敬と義とが立てば、徳は孤立しない。「直く、方しく、大きく、習い慣れなくても利あらざるはない」とは、その行うところに迷いがないということである。
解説
この章句が説くこと
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『五常訓』巻之三・仁之下一およそ人、精力をつひやす者、時にあたりては、其損を知らざれども、時ありて尽きぬ。精力をやしなふものは、時にあたりては、其益を見ざれども、時ありてさかんなり。人の善悪を行ふも、亦かくの如し。徳をつみ、行をかさぬれば、当時は其福を知らざれども、時ありて世に用ひらる。義をすて理にそむくは、当時は其禍を知らざれども、時ありて亡ぶ。易に、積善の家には必余慶あり、積不善の家には、必余殃ありといへるは、此意なり。善は積みかさねて後来るゆゑ、善を行ふ志はおこたるべからず。小善なりとも行ふべし。悪はつもれば必わざはひとなる。故に小悪なりとも行ふべからず。おそるべし。
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易経・繋辞下子曰く、「小人は不仁を恥じず、不義を畏れず、利を見ざれば勧まず、威さざれば懲りず。小しく懲らして大いに誡む、此れ小人の福なり。易に曰く、『校を履きて趾を滅す、咎无し』とは、此れを之れ謂うなり」と。「善積まざれば、以て名を成すに足らず。悪積まざれば、以て身を滅ぼすに足らず。小人は小善を以て益无しと為して、而も為さず、小悪を以て傷むこと无しと為して、而も去らず。故に悪積みて掩うべからず、罪大にして解くべからず。易に曰く、『校を何いて耳を滅す、凶』」と。
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易経・坤卦霜を履みて堅冰とは、陰始めて凝るなり。其の道を馴致すれば、堅冰に至るなり。六二の動は、直にして以て方なり。習はずして利あらざる无しとは、地道光(おほ)いなればなり。章を含みて貞にすべしとは、時を以て発するなり。或いは王事に従ふとは、知光大なればなり。嚢を括る咎无しとは、慎めば害あらざるなり。黄裳元いに吉とは、文中に在ればなり。龍野に戦ふとは、其の道窮まればなり。用六永く貞なるは、大を以て終ふるなり。文言に曰く、坤は至柔にして動くや剛なり、至静にして徳方なり。後るれば主を得て常有り、万物を含みて化光いなり。坤道は其れ順なるか。天を承けて時に行ふ。
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『慎思録』巻之二人の善を作し不善を作す、苟も人報ゆること能はざれば、則ち天之に報ゆ。聖人謂ふ、積善の家には必ず余慶有り。積不善の家には必ず余殃有り、と。聖人の此の言、信ずべくして疑ふべからず。人の道徳有るや、天の君子に優厚する所以なり。此れ人の得難き所にして、之を得る者、古来寡し。何となれば則ち天の靳惜する所なればなり。富貴福禄は、天の常人に厚く賜ふ所なり。此れ人の得易き所にして、之を得る者、古来多し。何となれば則ち是れ天の靳惜せざる所なればなり。然らば則ち古来学びて得ること有る者は、其の福豊厚にして尊栄なりと謂ふべし。何ぞ之を官禄の崇高に比すべけんや。衆人は、其の志懾し。只だ富貴の栄幸為るを知りて、徳義の最も尊貴すべくして、富貴に超越するを知らず。是を以て徳を好まずして、富貴を貪るのみ。
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