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五常訓 / 巻之三・仁之下

一陰德は、富貴なる人のみ行ふべきにあらず。貧賤の人といへど、其志あれば、行はれずと云ふ事なし。如何となれば、金銀米錢を多く妄に人にあたへ、無益の事をなして、財を多くつひやすを、陰德と云ふにあらず。たゞ我が分限にしたがひ、力の及ぶほど、施しめぐむべし。仁愛に心を用ふれば、誰も成りやすし。せめて我が身の奢と欲とに、財と心を用ふる十分が一の力を費さば、其救ひ施す事ひろかるべし。仁愛ふかくして、久しく陰德をつみ行へる人は、其惠をうくる人の喜ぶのみにあらず、天地神明の御心にかなひ、よろこび給ふ理なれば、必天道のむくいあつく、目に見えぬ鬼神のまもりありて、たびたび禍をのがれ、子孫もながく榮えたのしむこと、其理明かにして、古今和漢、ためし少なからず。

新字:一陰徳は、富貴なる人のみ行ふべきにあらず。貧賤の人といへど、其志あれば、行はれずと云ふ事なし。如何となれば、金銀米銭を多く妄に人にあたへ、無益の事をなして、財を多くつひやすを、陰徳と云ふにあらず。たゞ我が分限にしたがひ、力の及ぶほど、施しめぐむべし。仁愛に心を用ふれば、誰も成りやすし。せめて我が身の奢と欲とに、財と心を用ふる十分が一の力を費さば、其救ひ施す事ひろかるべし。仁愛ふかくして、久しく陰徳をつみ行へる人は、其恵をうくる人の喜ぶのみにあらず、天地神明の御心にかなひ、よろこび給ふ理なれば、必天道のむくいあつく、目に見えぬ鬼神のまもりありて、たびたび禍をのがれ、子孫もながく栄えたのしむこと、其理明かにして、古今和漢、ためし少なからず。

書き下し

一陰徳は、富貴なる人のみ行ふべきにあらず。貧賤の人といへど、其志あれば、行はれずと云ふ事なし。如何となれば、金銀米銭を多く妄に人にあたへ、無益の事をなして、財を多くつひやすを、陰徳と云ふにあらず。ただ我が分限にしたがひ、力の及ぶほど、施しめぐむべし。仁愛に心を用ふれば、誰も成りやすし。せめて我が身の奢と欲とに、財と心を用ふる十分が一の力を費さば、其救ひ施す事ひろかるべし。仁愛ふかくして、久しく陰徳をつみ行へる人は、其恵をうくる人の喜ぶのみにあらず、天地神明の御心にかなひ、よろこび給ふ理なれば、必天道のむくいあつく、目に見えぬ鬼神のまもりありて、たびたび禍をのがれ、子孫もながく栄えたのしむこと、其理明かにして、古今和漢、ためし少なからず。

現代語訳

陰徳は、富貴な人だけが行うべきものではありません。貧賤の人でも、その志があれば行えないということはありません。なぜなら、金銀や米や銭を多くむやみに人に与え、無益なことをして、財を多く費やすのを陰徳というのではありません。ただ自分の分限にしたがい、力の及ぶほど施し恵むべきです。仁愛に心を用いれば、誰でもしやすいものです。せめて自分の身のぜいたくと欲とに財と心を用いる、その十分の一の力を費やせば、その救い施すことは広いでしょう。仁愛が深く、久しく陰徳を積み行ってきた人は、その恵みを受ける人が喜ぶだけでなく、天地神明の御心にかない、お喜びになる理なので、必ず天の道の報いが厚く、目に見えない鬼神の守りがあって、たびたび禍を逃れ、子孫も長く栄えて楽しむことは、その理は明らかで、昔も今も日本も中国も、ためしは少なくありません。

解説

陰徳は富者だけのものではなく、分限に応じ力の及ぶ範囲で行えばよいと説いています。自分のぜいたくや欲に使うお金と心の十分の一を人のために使えば、多くの人を救えるという具体的な目安は実践的です。陰徳を積む人には天地神明の守りがあり、子孫も栄えるというのは、江戸時代に広く信じられた因果の考えで、益軒も和漢の例を挙げて勧めています。収入の一部を寄付や人助けに回す習慣は、豊かさに関係なく誰でも始められる陰徳です。

この章句が説くこと

陰徳施し仁愛分限天道

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