五行大義 / 第二十四論禽虫・第一者論五霊
失仁則龍麟不舞。失禮則鸞鳳不翔。失智則黃龍不見。失義則白虎不出。失信則元龜不見。禮記曰。麟鳳龜龍。謂之四靈。左傳云。麟鳳五靈。王者之嘉瑞。禮云。麟鳳龜龍。不見有虎。於金行稱虎。義則不足。前朱雀。後玄武。是同。其餘三虫。竝有差異。元命苞云。離爲鳳。又言。鳳火精。靈龜生水。玄武。主北方。此同。禮說唯龍麟虎三者。不同。左青龍。右白虎。舊說不疑。衍孔圖以麟爲木精。龍則非木。大戴禮以麟爲毛虫。麟復成金。麟若爲金。虎則無用。公羊高以麟爲木精。木生於火。夫子脩春秋。至麟而止。豈知爲漢之瑞。今所不埶。案蔡邕月令章句言。天官五獸。左蒼龍。大辰之貌。右白虎。大梁之文。前朱雀。鶉火之體。後玄武。龜蛇之質。中有大角軒轅。麒麟之信。亦龍生於水。遊於木。鳥生於木。遊於火。麟生於火。遊於土。虎生於土。遊於金。龜生於金。遊於水。修其母。致其子。五行之情也。故貌恭體仁。則鳳凰來儀。言從和義。則神龜至。視明禮修。則麒麟臻。智聽故事。則黃龍見。思叡信立。則白虎擾。此言當矣。
新字:失仁則竜麟不舞。失礼則鸞鳳不翔。失智則黄竜不見。失義則白虎不出。失信則元亀不見。礼記曰。麟鳳亀竜。謂之四霊。左伝云。麟鳳五霊。王者之嘉瑞。礼云。麟鳳亀竜。不見有虎。於金行称虎。義則不足。前朱雀。後玄武。是同。其余三虫。並有差異。元命苞云。離為鳳。又言。鳳火精。霊亀生水。玄武。主北方。此同。礼説唯竜麟虎三者。不同。左青竜。右白虎。旧説不疑。衍孔図以麟為木精。竜則非木。大戴礼以麟為毛虫。麟復成金。麟若為金。虎則無用。公羊高以麟為木精。木生於火。夫子脩春秋。至麟而止。豈知為漢之瑞。今所不埶。案蔡邕月令章句言。天官五獣。左蒼竜。大辰之貌。右白虎。大梁之文。前朱雀。鶉火之体。後玄武。亀蛇之質。中有大角軒轅。麒麟之信。亦竜生於水。遊於木。鳥生於木。遊於火。麟生於火。遊於土。虎生於土。遊於金。亀生於金。遊於水。修其母。致其子。五行之情也。故貌恭体仁。則鳳凰来儀。言従和義。則神亀至。視明礼修。則麒麟臻。智聴故事。則黄竜見。思叡信立。則白虎擾。此言当矣。
書き下し
仁を失えば則ち竜麟舞わず、礼を失えば則ち鸞鳳(らんぽう)翔らず、智を失えば則ち黄竜見(あら)われず、義を失えば則ち白虎出でず、信を失えば則ち元亀見われず、と。『礼記』に曰く、麟・鳳・亀・竜、之を四霊と謂う、と。『左伝』に云う、麟・鳳は五霊にして、王者の嘉瑞なり、と。礼に麟・鳳・亀・竜を云いて、虎有るを見ず。金行に於いて虎と称するは、義則ち足らず。前の朱雀、後の玄武は、是れ同じ。その余の三虫は、並びに差異有り。『元命苞』に云う、離を鳳と為す、と。又た言う、鳳は火の精、霊亀は水に生ず、と。玄武の北方を主るは、此れ同じ。礼の説は唯だ竜・麟・虎の三者のみ同じからず。左の青竜、右の白虎は、旧説疑わず。『衍孔図』は麟を以て木精と為し、竜は則ち木に非ず。『大戴礼』は麟を以て毛虫と為し、麟は復た金と成る。麟若し金たらば、虎は則ち用無し。公羊高は麟を以て木精と為す。木は火を生ず。夫子春秋を修め、麟に至りて止む。豈に漢の瑞たるを知らんや。今埶(と)らざる所なり。案ずるに蔡邕(さいよう)の『月令章句』に言う、天官の五獣は、左は蒼竜、大辰の貌。右は白虎、大梁の文。前は朱雀、鶉火(じゅんか)の体。後は玄武、亀蛇の質。中に大角・軒轅有り、麒麟の信なり、と。亦た、竜は水に生じて木に遊び、鳥は木に生じて火に遊び、麟は火に生じて土に遊び、虎は土に生じて金に遊び、亀は金に生じて水に遊ぶ。その母を修めて、その子を致す、五行の情なり。故に貌恭しく体仁なれば、則ち鳳凰来儀し、言従いて義に和すれば、則ち神亀至り、視明らかにして礼修まれば、則ち麒麟臻(いた)り、智聴きて事を故(ふる)くすれば、則ち黄竜見われ、思叡(えい)にして信立てば、則ち白虎擾(なら)う。此の言当たれり。
現代語訳
(『鉤命決』の続き)仁を失えば竜や麒麟は舞わず、礼を失えば鸞や鳳凰は飛ばず、智を失えば黄竜は現れず、義を失えば白虎は出てこず、信を失えば玄亀は現れない、と。『礼記』は、麒麟・鳳凰・亀・竜、これを四霊という、と言う。『左伝』(杜預の『春秋左氏伝』序)は、麒麟・鳳凰など五霊は王者のめでたいしるしである、と言う。『礼記』は麒麟・鳳凰・亀・竜を挙げていて、虎は見えない。金行に虎をあてるのは、根拠が十分ではない。前の朱雀、後ろの玄武については諸説が同じである。そのほかの三つの生き物については、みな違いがある。『元命苞』(『春秋元命苞』。漢代の緯書)は、離(南方の卦)を鳳凰とする、と言う。また、鳳凰は火の精であり、霊亀は水から生まれる、と言う。玄武が北方をつかさどる点はこれと同じである。『礼記』の説では、竜・麒麟・虎の三つだけが食い違う。左の青竜、右の白虎については、古い説は疑っていない。『衍孔図』(『春秋演孔図』。緯書)は麒麟を木の精とするが、そうすると竜が木でなくなる。『大戴礼記』は麒麟を毛の虫とするので、麒麟はまた金となる。麒麟がもし金なら、虎は役割がなくなる。公羊高(『春秋公羊伝』の祖)は麒麟を木の精とする。木は火を生じる。孔子が『春秋』を編み、麒麟が捕らえられたところで筆を止めたのは、それが(火徳の)漢のめでたいしるしであることを知っていたからだろうか、そうとは言えまい。いまはこの説を採らない。考えてみると、蔡邕(後漢の学者)の『月令章句』にこうある。天の星官の五獣は、左は蒼竜で大辰(東方の房・心・尾の星々)の姿、右は白虎で大梁(西方の昴・畢の辺り)の模様、前は朱雀で鶉火(南方の柳・星・張の辺り)の体、後ろは玄武で亀と蛇の姿である。中央には大角と軒轅の星があり、麒麟の信にあたる、と。またこうもある。竜は水に生まれて木に遊び、鳥は木に生まれて火に遊び、麒麟は火に生まれて土に遊び、虎は土に生まれて金に遊び、亀は金に生まれて水に遊ぶ。母を修めれば子を招き寄せる、これが五行の本性である。だから、姿が恭しく身に仁があれば鳳凰が来て舞い、言葉が道理に従い義に和していれば神亀が来り、見ることが明らかで礼が修まっていれば麒麟がやってき、聞くことが聡く物事に通じていれば黄竜が現れ、思いが深く信が立っていれば白虎がなつく、と。この説は当を得ている。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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五行大義・第二十四論禽虫・第一者論五霊『礼斗威儀』に云う、金に乗じて王たれば、麒麟郊に在り、と。『保乾図』に又た言う、歳星を麟と為す、と。『考異郵』に言う、麟は陰精なり、と。此れ並びに同じからず。今解するに、木は触なり、触冒の義有り。麟には肉角有りて、抵触する所無し。竜の角は端に肉無く、抵触の義有り。易の象に震を竜と為す、故に木の義は竜を扶(たす)く。天官に軒轅・黄竜有り、麒麟の信なり。信は土を主る。母を修めて子応ず、此の意も亦た同じ。漢の為に出づる者は、漢は是れ火徳なり、故に子応ずるなり。是れ土の義は麟を扶く。『易通卦験』に言う、立秋に虎始めて嘯(うそぶ)く、と。『衍孔図』に云う、虎は金精なり、と。『大戴礼』に言う、虎は七月にして生まれ、陽数に応ず、と。『考異郵』に亦た言う、虎の斑文なる者は、陰陽の雑なり、と。虎は毛虫たり、定めて是れ金獣なり。『考異郵』に云う、参(しん)は虎の徳に代わり、義は斬刈を主る、と。所以に学門、之を虎門と謂い、乃ち虎を門に画く者は、兌は西方に居り、兌は是れ説言にして、講説を主るが故なり。又た、金に殺伐の威有り、虎に毒害の猛有り、故に金の義は虎を扶く。問う、寅の位は東に在り、何ぞ忽ち白虎西に居る、と。答えて曰く、凡そ五行は相雑わり、独り一方に在るの義無し。東方は自ら是れ木行相次ぐ。白虎の西に居るは、是れ殺戮の威なり。震の東方に在りて、正に竜を主るが如し。乾の六爻は、并びに是れ竜の象なり。震はその運動を取り、乾は聖人に譬え、自ら竜の飛潜の徳有るを取る。象を為すこと各おの異なる、故に定準無きなり。
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五行大義・第二十四論禽虫・第一者論五霊禽の名は獣に通じ、獣の名は禽に通ぜず。故に知る、禽には地に趨(はし)る能有り、獣には空を飛ぶ用無きを。然れども此の三等は、名例甚だ多く、具さに釈すべからず。今且く先ず五霊を論じ、次に卦及び三十六禽に配す。『家語』に云う、羽虫三百六十、鳳之が長たり。毛虫三百六十、麟之が長たり。甲虫三百六十、亀之が長たり。鱗虫三百六十、竜之が長たり。倮虫(らちゅう)三百六十、人之が長たり、と。又た曰く、毛虫の精を麒麟と曰い、羽虫の精を鳳と曰い、介虫の精を亀と曰い、鱗虫の精を竜と曰い、倮虫の精を聖人と曰う、と。毛虫は西方、羽虫は南方、甲虫は北方、鱗虫は東方、倮虫は中央。此れ則ち皆虫と称す。五霊は総べて諸虫の首たり。今止だその四を言うは、人を以て中央に処らしむる者なり。性情有るの物、人最も主たるを謂うが故なり。霊とは、神霊の義なり。五禽は虫獣の中に於いて最も霊なり、故に五霊と曰う。『礼記』月令に云う、春、その虫は鱗、と。鄭元(ていげん)の注に云う、竜蛇の属なり、と。夏、その虫は羽、飛鳥の属なり。中央、その虫は倮、虎豹の浅毛の属なり。秋、その虫は毛、狐貉(こかく)の属なり。冬、その虫は介、亀鼈(きべつ)の属なり。又た云う、国君行くときは、前は朱雀、後は玄武、左は蒼竜、右は白虎、と。『尚書』の『刑徳放』に言う、東方は春、蒼竜、その智は仁。南方は夏、朱鳥、礼を好む。西方は秋、白虎、義を執る。北方は冬、元亀(げんき)、信を主る、と。中央土の精を会(あつ)む。礼運は則ち五徳を論ぜず、止だ四霊を弁ずるのみ。『鉤命決』に云う、
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五行大義・第二十四論禽虫・第一者論五霊『考異郵』に、陰陽相雑わるも、分かれて東方に在るを妨げずと云うが如し。此れ並びに霊通にして、隠顕定まり無し。寧(なん)ぞ一執すべけんや。『史蘇亀経』に云う、木神は蒼竜、歳星の精なり。火神は朱雀、熒惑(けいこく)の精なり。灰土の神は、名を騰蛇(とうだ)と曰う。土神は勾陳(こうちん)、鎮星の精なり。金神は白虎、太白の精なり。水神は玄武、辰星の精なり。蒼竜は頭を主り、朱雀は唇頸を主り、騰蛇は胸脇を主り、勾陳は腰腹を主り、白虎は股膝を主り、玄武は脚脛を主る、と。案ずるに此の六神は、朱雀・玄武・蒼竜・白虎は経緯の説と同じ。唯だ勾陳の神は、その語異なる有り。而して天官に勾陳の星有りて、紫微の内に在り、故に土神と為す。此れ即ち蔡邕の云う所の麒麟の信なり。騰蛇は火の末に居り、土の初に在りて、灰神と為る。蛇を以て亀に配し、共に玄武と為す。正方有ること無し、故に灰神と為す。その頭足等に配するは、東を以て首と為す、故に竜は頭に配するなり。次を以て南に転ず、故に玄武は足に配す。禽獣の八卦に属する者は、『易』に云う、乾を馬と為し、坤を牛と為し、震を竜と為し、巽を雞と為し、坎を豕と為し、離を雉と為し、艮を狗と為し、兌を羊と為す、と。乾は健なり、馬はその健を取るなり。坤は順なり、牛はその順を取る。震は動なり、竜はその動を取る。巽は風なり、雞はその号令を取りて、以て風の行くに象る。坎は陰なり、豕はその陰を取る。離は陽なり、雉はその飛揚を取る。艮は門なり、
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説苑・辨物凡そ六経は帝王の著す所、四霊を致さざる莫し。徳盛んなれば則ち以て畜と為し、治平らかなれば則ち時気至る。故に麒麟は身牛尾、円頂一角、仁を合し義を懐き、音は律呂に中り、行歩は規に中り、折旋は矩に中り、土を択びて践み、位平らかにして然る後に処り、群居せず、旅行せず、紛として其れ質文有るなり、幽閒なれば則ち循循如たり、動けば則ち儀容有り。黄帝位に即くに、惟れ聖恩天を承け、道を明らかにして一脩め、惟れ仁のみ是れ行い、宇内和平なるも、未だ鳳凰を見ず、維(こ)れ影像を思い、夙夜晨(あした)に興く。是に於いて乃ち天老に問いて曰わく、「鳳の儀は如何。」天老曰わく、「夫れ鳳は、鴻前にして麟後、蛇頸にして魚尾、鶴植(た)ちて鴛鴦のごとく、麗を思い枯を化して志す所を折り、龍文にして亀身、燕喙にして鶏噣、翼を駢(なら)べて中に注(あつ)まり、首は徳を戴き、頂は義を掲げ、背は仁を負い、心は志を信じ、食らえば則ち質有り、飲めば則ち儀有り、往けば則ち文有り、来たれば則ち嘉有り。晨に鳴くを発明と曰い、昼に鳴くを保長と曰い、飛びて鳴くを上翔と曰い、集まりて鳴くを帰昌と曰う。翼は義を挟み、衷は忠を抱き、足は正を履み、尾は武を繋ぎ、小声は金に合い、大音は鼓に合う。頸を延べ翼を奮い、五先備わり挙がれば、光は八風を興し、気は時雨を降す。此を鳳の像と謂う。夫れ惟だ鳳のみ能く万物を究め、天祉に通じ、百状に象り、道に達す。去れば則ち災有り、見わるれば則ち福有り、九州を覧、八極を観、文武を備え、王国を正し、四方を厳かに照らし、仁聖皆伏す。故に鳳の像一を得る者には鳳之を過ぎ、二を得る者には鳳之に下り、三を得る者には春秋之に下り、四を得る者には四時之に下り、五を得る者には終身之に居る。」黄帝曰わく、「於戯(ああ)盛んなるかな。」是に於いて乃ち黄冕を備え、黄紳を帯び、中宮に斉(ものい)みすれば、鳳乃ち日を蔽いて降る。黄帝東階に降り至り、西面して首を啓きて曰わく、「皇天茲を降す、敢えて命を承けざらんや。」是に於いて鳳乃ち遂に東囿に集まり、帝の竹実を食らい、帝の梧樹に棲み、終身去らず。詩に云う、「鳳凰鳴く、彼の高岡に。梧桐生ず、彼の朝陽に。菶菶萋萋(ほうほうせいせい)、雍雍喈喈(ようようかいかい)」と。此を之れ謂うなり。霊亀は文五色、玉に似て金に似る。陰を背にして陽に向かい、上は隆くして天に象り、下は平らにして地に法り、槃衍(ばんえん)として山に象り、四趾転運して四時に応じ、文著れて二十八宿に象る。蛇頭龍翅、左精は日に象り、右精は月に象り、千歳の化、下気は上に通じ、能く吉凶存亡の変を知る。寧(やす)ければ則ち信信如たり、動けば則ち著る。神龍は能く高と為り、能く下と為り、能く大と為り、能く小と為り、能く幽と為り、能く明と為り、能く短と為り、能く長と為る。昭たるかな其の高きや、淵たるかな其の下れるや、天光に薄(せま)り、高くして其れ著る。一に有り一に亡ぶこと忽微なるかな、斐然として章を成し、虚無なれば則ち精以て知り、動作すれば則ち霊以て化す。於戯允(まこと)なるかな。君子の神を辟(さ)くるや、彼の威儀を観、幽間に遊燕す、鳳に似たる有るなり。書に曰わく、「鳥獣鶬鶬(そうそう)、鳳凰来儀す」と。此を之れ謂うなり。
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五行大義・第二十四論禽虫・第二者論三十六禽狢は狐なり、狐・狢相類するなり。『本生経』に鶴と言うは、此れ音同じくして字誤れるなり。辰の竜・鮫・魚たるは、申は水の源たり、子は中流たり、辰は水の末たり。百川東に注ぎて、皆海に帰するが如し。竜は能く雲を興し雨を致し、水虫の長たり、海に非ざれば苞容すること能わず、故にその神にして大なり。鮫魚も亦た是れ水虫の長なる者なり、故に並びに辰に在り。巳の蛇・蟮・蚯蚓たるは、拭経に云う、巳に騰蛇の将有り、と。因りて之に配す。蛇は陽なり、本南に在り。亀は陰なり、本北に在り。蛇を以て亀に配し、玄武と為す。二虫共に一神と為り、陰偶を以て、故に数に従いて北方に在り。蟮及び蚯蚓は、皆形同じなり。『礼記』に云う、小満の節、蚯蚓出で見(あら)わる、と。慎子云う、騰蛇霧に遊ぶも、蚯蚓と同じ、と。黄帝に大螟(たいめい)有り蚯の如し、以て土徳に応ず。巳に寄生の土有り、故に並びに之に配す。『本生経』に土と言うは、火相合して土を生ずるを以てなり。衆書を検ずるに、蟮は或いは鼉(だ)と為し、鼉の字は復た蟬と作る。『本生経』に蟬を解して云う、常に水に蔵れ、羅網を畏れ、悲吟して言わず、且つ歌わんと欲す、と。その悲吟を言えば、蟬と相類す。その水蔵を論ずれば、鼉と相類す。その形状及び土気は、巳の蛇・蟮・蚯蚓と相類す。鼉と蟬と並ぶは、此れ非なり。又た『射覆経』に云う、蟬に遇う者は水虫なり、当に是れ蜆(けん)なるを知るべし、と。午の鹿・馬・麞たるは、午は太陽たり、馬に員蹄有り、陽に象るなり。
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五行大義・第二十四論禽虫・第二者論三十六禽豺は狼の属なり、と。故に並びに戌に居る。一に曰く、暮を死金と為すは、金は戌に至りて衰敗するが故なり。『禽変』に云う、暮を死火と為すは、戌は火の墓なればなり。亥の猪・豕・猚たるは、拭経に云う、亥は雑水たり、穢濁廁溷(しこん)の象なり、と。猪の居る所なり。猪の色玄なるは、水の色に象るなり。その蹄の分かるるは、陰の象なり。五更に必ず起きて、その常を失わざるは、水に潮有りて期に違わざるが如し。『家語』に云う、六九五十四、四は時を主り、時は豕を主る、豕は四月にして生まる、と。巳を衝く、故に亥に在り。豕は猪の小なる者なり。猚も亦たその類を取り、而して好んで夜行く、陰性なるを以てなり。故に並びに亥に在り。一に云う、旦を生木と為すは、木は亥に生ずればなり。暮を蛦蝓と為すは、㺄は応(まさ)に是れ𤠾なるべし、恐らくは字の誤りならん。又た云う、旦を㹠(とん)と為す、と。㹠と豕とは同じなり。一に云う、暮を朽木と為すは、木始めて生じ敷くも、水に因りて淹没す、故に腐朽するなり。問いて曰く、禽虫の例は数多し。何の故に麟・鳳を取りて属と為さず、乃ち蚯蚓・蛇・鼠の小虫を取る、と。答えて曰く、十二属を取るは、皆その時を知り気を候い、或いは色、或いは形、並びに陰陽に応ずるを以ての故なり。麟鳳は已に五霊に配す、是れ虚にして用いざるに非ず、と。又た問いて曰く、麟鳳は已に五霊に配するを以て更に取らずとせば、竜虎も亦た配す、何為(なんす)れぞ復た用うる、と。答えて曰く、竜動けば雲興り、虎嘯けば風起こる。此れ是れ陰陽の気に応ず、所以に須らく取るべし。麟鳳は霊なりと雖も、作動する所無し、故に重ねて用いず、と。その十二属は、並びに是れ斗星の気、散じて人の命と為り、北斗に係る。是の故に用いて以て属と為す。『春秋運斗枢』に曰く、枢星は散じて竜・馬と為り、旋星は散じて虎と為り、機星は散じて狗と為り、摧星は散じて蛇と為り、玉衡は散じて雞・兎・鼠と為り、闔陽は散じて羊・牛と為り、揺光は散じて猴・猿と為る、と。此れ等は皆上は天星に応じ、下は年命に属するなり。三十六禽は、各おの方位を作し、禽虫の長と為り、三百六十を領す。十にして之を倍し、三千六百に至る。並びに五行に配し、皆相貫領す。既に占候の用に非ず、復た具さには釈せず。
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