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五行大義 / 第二十三論諸人・第二者論人遊年年立

八則在巽。巽不受八。進而就離。離則是八。坤卽九。兌卽十。以次而數。一若至坤。坤不受一。還退就離。故至十數。皆在政方也。女年一。從坎右行。亦如離法。艮不受八。乾不受一。皆歸於坎。所以巽不受八。坤不受一者。坤巽依位。竝夾離宮。巽是陽位。有進義而無終義。八是卦之終數。故不受之。前以付離。坤是陰位。陰有退而無進。退則須滅。不敢當其陽始之數。故退讓就離。乾不受一。艮不受八者。乾是陽也。又爲天也。自在其始。始是一義。重則數偶。數偶則成陰。故以付坎。艮是陰也。艮又爲山。山則是終。遊年歷行八卦。卦數於八。終卽止也。自有其終。理不重受。故付坎。或問云。天一之行。以坎爲一宮。離爲九宮。八卦遊年。乃以離爲一宮者。何。荅曰。天一於天下。九州之事。故從始一而行。遊年於人。年命之事。故以終九而起命。女遊年從坎。男以德苞終始。故九一竝數。起太陽之位。女以陰生陽。故從其創始陰位而行。坎位本一。受數一起。共爲二。陰數也。

新字:八則在巽。巽不受八。進而就離。離則是八。坤即九。兌即十。以次而数。一若至坤。坤不受一。還退就離。故至十数。皆在政方也。女年一。従坎右行。亦如離法。艮不受八。乾不受一。皆帰於坎。所以巽不受八。坤不受一者。坤巽依位。並夾離宮。巽是陽位。有進義而無終義。八是卦之終数。故不受之。前以付離。坤是陰位。陰有退而無進。退則須滅。不敢当其陽始之数。故退譲就離。乾不受一。艮不受八者。乾是陽也。又為天也。自在其始。始是一義。重則数偶。数偶則成陰。故以付坎。艮是陰也。艮又為山。山則是終。遊年歴行八卦。卦数於八。終即止也。自有其終。理不重受。故付坎。或問云。天一之行。以坎為一宮。離為九宮。八卦遊年。乃以離為一宮者。何。荅曰。天一於天下。九州之事。故従始一而行。遊年於人。年命之事。故以終九而起命。女遊年従坎。男以徳苞終始。故九一並数。起太陽之位。女以陰生陽。故従其創始陰位而行。坎位本一。受数一起。共為二。陰数也。

書き下し

八なれば則ち巽に在るも、巽は八を受けず、進みて離に就く、離は則ち是れ八なり。坤は即ち九、兌は即ち十。次を以て数え、一若し坤に至れば、坤は一を受けず、還り退きて離に就く。故に十数に至るまで、皆政方に在るなり。女の年一は、坎より右行し、亦た離の法の如し。艮は八を受けず、乾は一を受けず、皆坎に帰す。巽の八を受けず、坤の一を受けざる所以は、坤・巽は位に依りて並びに離宮を夾(はさ)む。巽は是れ陽位にして、進む義有りて終わる義無し。八は是れ卦の終数なり、故に之を受けず、前(すす)めて以て離に付す。坤は是れ陰位にして、陰は退く有りて進む無し。退けば則ち須らく滅すべし。敢えてその陽始の数に当たらず、故に退き譲りて離に就く。乾の一を受けず、艮の八を受けざるは、乾は是れ陽なり、又た天たり、自らその始に在り。始は是れ一の義なり。重ぬれば則ち数偶なり、数偶なれば則ち陰と成る。故に以て坎に付す。艮は是れ陰なり、艮は又た山たり、山は則ち是れ終わりなり。遊年は八卦を歴行し、卦は八に数う、終われば即ち止む。自らその終わり有れば、理として重ねて受けず、故に坎に付す。或るひと問いて云う、天一の行は、坎を以て一宮と為し、離を九宮と為す。八卦の遊年は、乃ち離を以て一宮と為すは、何ぞや、と。答えて曰く、天一は天下に於いて九州の事なり、故に始めの一より行く。遊年は人に於いて年命の事なり、故に終わりの九を以て命を起こす。女の遊年は坎よりす。男は徳を以て終始を苞(つつ)む、故に九・一並び数え、太陽の位に起こる。女は陰を以て陽を生ず、故にその創始の陰位より行く。坎の位は本一なり、数を受くること一より起こり、共に二と為る、陰数なり。

現代語訳

八歳なら巽にあたるが、巽は八を受けないので、進んで離に移る。離がすなわち八となる。坤が九、兌が十となる。このように順に数えていき、一のつく年がもし坤にあたれば、坤は一を受けないので、退いて離に移る。だから十の位の数に至るまで、みな正しい方位に落ち着くのである。女の一歳は坎から右回りに進み、やはり離の場合の法と同じである。艮は八を受けず、乾は一を受けず、いずれも坎に回される。巽が八を受けず、坤が一を受けないわけは、坤と巽はその位置からいって、ともに離の宮を両側から挟んでいる。巽は陽の位であって、進む意味はあるが終わる意味はない。八は八卦の終わりの数であるから、巽はこれを受けず、先へ送って離に託す。坤は陰の位であって、陰には退くことはあっても進むことはない。退けば消えるほかはない。あえて陽の始まりの数(一)にあたろうとはしないので、退き譲って離に移る。乾が一を受けず、艮が八を受けないわけは、乾は陽であり、また天であって、もともと始まりの位置にある。始まりとは一の意味である。一を重ねれば偶数となり、偶数となれば陰になってしまう。だから坎に回す。艮は陰であり、また山であって、山は終わりを意味する。遊年は八卦を順にめぐり、卦は八で数え終わり、終われば止まる。艮にはもともと終わりの意味があるので、理として終わりの数を重ねて受けず、坎に回す。ある人が尋ねた。天一(九宮をめぐる神)の運行では、坎を一宮とし、離を九宮とする。ところが八卦の遊年では離を一宮とするのはなぜか、と。答えて言う。天一は天下においては九州(国土全体)にかかわるので、始まりの一から進む。遊年は人においては寿命と運命にかかわるので、終わりの九から命を起こすのである。女の遊年は坎から始まる。男は徳によって終わりと始まりを包むので、九と一とを並べて数え、太陽の位置(離)から起こす。女は陰でありながら陽を生むので、その最初の陰の位置から進む。坎の位置はもともと一であり、そこで受ける数も一から起こるので、合わせて二となり、陰の数となるのである。

解説

遊年の数え方の細則と、その理由づけを述べる節である。男は離から八卦を順に巡るが、巽は八を受けず、坤は一のつく年を受けずに、どちらも離に回される。女は坎から逆に巡り、艮は八、乾は一を受けずに坎に回される。なぜそうなるかを、巽は陽で進む性質を持ち終わりの数を嫌う、坤は陰で退く性質を持ち陽の始まりの数を避ける、乾は天で始まりそのものだから一を重ねない、艮は山で終わりそのものだから八を重ねない、と卦の性質から説明していく。後半の問答では、九宮の運行では坎を一宮とするのに、遊年ではなぜ離から起こすのかが問われ、国土を治める天一は始めの一から、人の命にかかわる遊年は終わりの九から起こす、と答えられる。細部にまで陰陽の意味を見出す姿勢は、この書全体の特徴である。煩瑣に見えるが、例外にも筋道を与えて体系を守ろうとする手つきに、一つの理論で世界を説明し尽くそうとした古代の知の執念が表れている。

この章句が説くこと

五行大義遊年八卦九宮陰陽

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