五行大義 / 第十二論害
子與丑合。丑破於未。丑又是土。子與丑合。欲引外君。共害其主。此則臣有逃亡之象也。申亥相害者。亥與寅合。寅衝於申。申與巳合。巳衝於亥。亦是父子相害義也。夫相生不必相生。相害不必相害。猶如火能燒物。遂有炎洲之火。而不能燒物。水能潤長。洪潦暴至。亦使草樹芸黃。此是相生反相害。相害反相生者。鑽木出火。而雲雨掣電。相因而有。此是相害反相生也。水本害火。膏油漬注。燈火益明。亦是相害反相生也。陰陽五行。萬物所存。吉凶之應。各以其類言之。或吉中有凶。凶中有吉。凶則視其所救。吉則觀其所害。凶而有救。不至於禍。吉而有害。不及於慶。純凶則禍大。純吉則福深。如丑午相害。以子衝破午。子有王水。此爲純凶。未破於丑。丑有欲相之木。能制未土。爲有救也。未子相害。午衝破於子。子是王水。水制午火。爲凶中有吉。子與丑合。丑土反制子水。卽是吉中有凶。生害之義例皆如斯。
新字:子与丑合。丑破於未。丑又是土。子与丑合。欲引外君。共害其主。此則臣有逃亡之象也。申亥相害者。亥与寅合。寅衝於申。申与巳合。巳衝於亥。亦是父子相害義也。夫相生不必相生。相害不必相害。猶如火能焼物。遂有炎洲之火。而不能焼物。水能潤長。洪潦暴至。亦使草樹芸黄。此是相生反相害。相害反相生者。鑽木出火。而雲雨掣電。相因而有。此是相害反相生也。水本害火。膏油漬注。灯火益明。亦是相害反相生也。陰陽五行。万物所存。吉凶之応。各以其類言之。或吉中有凶。凶中有吉。凶則視其所救。吉則観其所害。凶而有救。不至於禍。吉而有害。不及於慶。純凶則禍大。純吉則福深。如丑午相害。以子衝破午。子有王水。此為純凶。未破於丑。丑有欲相之木。能制未土。為有救也。未子相害。午衝破於子。子是王水。水制午火。為凶中有吉。子与丑合。丑土反制子水。即是吉中有凶。生害之義例皆如斯。
書き下し
子は丑と合し、丑は未に破らる。丑も又是れ土なり。子は丑と合し、外君を引きて、共に其の主を害せんと欲す。此れ則ち臣に逃亡の象有るなり。申亥の相害とは、亥は寅と合し、寅は申を衝く。申は巳と合し、巳は亥を衝く。亦是れ父子相害の義なり。夫れ相生は必ずしも相生ぜず、相害は必ずしも相害せず。猶お火は能く物を焼くも、遂に炎洲の火有りて、物を焼くこと能わず、水は能く潤長するも、洪潦(こうろう)暴かに至れば、亦草樹をして芸黄(うんこう)ならしむるがごとし。此れは是れ相生反って相害するなり。相害反って相生ずとは、木を鑽(き)りて火を出だし、而して雲雨電を掣(ひ)く、相因りて有り。此れは是れ相害反って相生ずるなり。水は本火を害するも、膏油漬注すれば、灯火益々明らかなり。亦是れ相害反って相生ずるなり。陰陽五行は、万物の存する所にして、吉凶の応、各々其の類を以て之を言う。或いは吉中に凶有り、凶中に吉有り。凶なれば則ち其の救う所を視、吉なれば則ち其の害する所を観る。凶にして救い有らば、禍に至らず。吉にして害有らば、慶に及ばず。純凶なれば則ち禍大いに、純吉なれば則ち福深し。丑午の相害の如きは、子を以て午を衝破す。子に王水有り、此れを純凶と為す。未の丑を破るは、丑に相たらんと欲するの木有りて、能く未土を制す、救い有りと為す。未子の相害は、午子を衝破す。子は是れ王水にして、水は午火を制す、凶中に吉有りと為す。子は丑と合し、丑土反って子水を制す、即ち是れ吉中に凶有り。生害の義、例皆斯の如し。
現代語訳
(未と子の害の続き。)子は丑と合するが、丑は未に破られる。丑もまた土である。子が丑と合するのは、外の君を引き入れて、一緒に自分の主君を害しようとすることである。これは臣に逃亡の象があるということである。申と亥が害し合うのは、亥は寅と合するが、寅は申を衝き、申は巳と合するが、巳は亥を衝くからである。これもまた父子が害し合うという意味である。そもそも相生だからといって必ず生かし合うわけではなく、相害だからといって必ず害し合うわけではない。火は物を焼くことができるが、炎洲(南方の伝説の地)の火のように、物を焼くことのできない火もある。水は物を潤し育てることができるが、大水が突然押し寄せれば、草木を黄色く枯らしてしまう。これは相生がかえって相害となる例である。相害がかえって相生となる例とは、木をきりもみして火を起こすこと、また雲や雨と稲妻とが互いに因って生じることである。これは相害がかえって相生となるのである。水はもともと火を害するものだが、油を注ぎ満たせば、灯火はいっそう明るくなる。これもまた相害がかえって相生となる例である。陰陽五行は万物の拠り所であって、吉凶の応じ方は、それぞれその類によって言うのである。吉の中に凶があることもあれば、凶の中に吉があることもある。凶であれば救いとなるものがあるかを見、吉であれば害となるものがあるかを見る。凶であっても救いがあれば、禍にまでは至らない。吉であっても害があれば、喜びにまでは及ばない。純粋な凶であれば禍は大きく、純粋な吉であれば福は深い。たとえば丑と午の相害では、子が午を衝き破る。子には盛んな水があるので、これを純粋な凶とする。未が丑を破る場合、丑には次に盛んになろうとする木(の気)があって未の土を制することができるので、救いがあるとする。未と子の相害では、午が子を衝き破るが、子は盛んな水であり、水は午の火を制するので、凶の中に吉があるとする。子が丑と合する場合、丑の土がかえって子の水を制するので、これは吉の中に凶があるということである。生かすことと害することの意味は、例がみなこのようである。
解説
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