五行大義 / 第二十三論諸人・第一論人配五行
禮人者。分別尊卑。廉讓謙謹。爲上恭敬。爲下思敬。此禮人也。信人者。誠實不欺。片言折獄。達不肆意。窮不易操。此信人也。義人者。決斷分了。一度順理。從善屏惡。事無礙滯。此義人也。智人者。識達謀慮。鑒察物情。能知萌兆。豫覩善惡。此智人也。次五士人者。孔子曰。知不舉多。必審其所由。言不務多。必審其所謂。心有所定。計有所守。雖不能盡道術之本。必有從行也。雖不能遍百善之美。必有所慮也。行既由之。智既知之。言既得之。則性命形骸之不易也。富貴不足以益。貧賤不足以損。此士人也。庶人者。未入仕位。猶居壟畝之閒。或始解褐。未沾品命。周禮云。庶人。在官者始入秩也。此謂庶人也。農人者。用天之道。因地之利。春耕秋收。常在稼穡。此曰農人也。商人者。負販市𨞬。隨時鬵貨。貴賤相易。以資產業。此商人也。亦曰賈人也。工人者。雕斵伎巧。備諸器用。造新脩故。以力貨財。此曰工人。下五衆人者。凡雜云衆人。豫讓曰。范中行氏以衆人遇我也。
新字:礼人者。分別尊卑。廉譲謙謹。為上恭敬。為下思敬。此礼人也。信人者。誠実不欺。片言折獄。達不肆意。窮不易操。此信人也。義人者。決断分了。一度順理。従善屏悪。事無礙滞。此義人也。智人者。識達謀慮。鑒察物情。能知萌兆。予睹善悪。此智人也。次五士人者。孔子曰。知不舉多。必審其所由。言不務多。必審其所謂。心有所定。計有所守。雖不能尽道術之本。必有従行也。雖不能遍百善之美。必有所慮也。行既由之。智既知之。言既得之。則性命形骸之不易也。富貴不足以益。貧賤不足以損。此士人也。庶人者。未入仕位。猶居壟畝之閒。或始解褐。未沾品命。周礼云。庶人。在官者始入秩也。此謂庶人也。農人者。用天之道。因地之利。春耕秋収。常在稼穡。此曰農人也。商人者。負販市𨞬。随時鬵貨。貴賤相易。以資産業。此商人也。亦曰賈人也。工人者。雕斵伎巧。備諸器用。造新脩故。以力貨財。此曰工人。下五衆人者。凡雑云衆人。予譲曰。范中行氏以衆人遇我也。
書き下し
礼人は、尊卑を分別し、廉譲謙謹にして、上と為りては恭敬し、下と為りては敬を思う。此れ礼人なり。信人は、誠実にして欺かず、片言にして獄を折(さだ)め、達して意を肆(ほしいまま)にせず、窮して操を易(か)えず。此れ信人なり。義人は、決断分了にして、一度理に順い、善に従い悪を屏(しりぞ)け、事礙滞無し。此れ義人なり。智人は、識達し謀慮し、物情を鑒察(かんさつ)し、能く萌兆を知り、豫(あらかじ)め善悪を覩る。此れ智人なり。次五の士人は、孔子曰く、知は多を挙げず、必ずその由る所を審らかにす。言は多を務めず、必ずその謂う所を審らかにす。心に定まる所有り、計に守る所有り。道術の本を尽くすこと能わずと雖も、必ず従い行う有るなり。百善の美を遍くすること能わずと雖も、必ず慮る所有るなり。行い既に之に由り、智既に之を知り、言既に之を得れば、則ち性命形骸の易えざるがごとし。富貴も以て益すに足らず、貧賤も以て損なうに足らず。此れ士人なり、と。庶人は、未だ仕位に入らず、猶お壟畝(ろうほ)の間に居り、或いは始めて褐(かつ)を解くも、未だ品命に沾(うるお)わざるものなり。『周礼』に云う、庶人の官に在る者は始めて秩に入る、と。此れを庶人と謂うなり。農人は、天の道を用い、地の利に因り、春に耕し秋に収め、常に稼穡(かしょく)に在り。此れを農人と曰うなり。商人は、市𨞬(しかん)に負販し、時に随いて貨を鬵(ひさ)ぎ、貴賤相易えて、以て産業を資(たす)く。此れ商人なり。亦た賈人(こじん)と曰うなり。工人は、雕斵(ちょうたく)伎巧して、諸もろの器用を備え、新しきを造り故(ふる)きを修め、力を以て財に貨(か)う。此れを工人と曰う。下五の衆人は、凡そ雑なるを衆人と云う。予譲曰く、范・中行氏は衆人を以て我を遇す、と。
現代語訳
礼人とは、身分の上下をわきまえ、清廉で譲り合い、へりくだって慎み深く、上に立っては人をうやまい、下にあっては敬うことを心がける者である。これが礼人である。信人とは、誠実で人を欺かず、ひとことで訴訟を裁くことができ、栄達しても思うままにふるまわず、困窮しても節操を変えない者である。これが信人である。義人とは、決断がはっきりしていて、ひとたび理に従えば揺るがず、善に従って悪を退け、事にあたって滞ることがない者である。これが義人である。智人とは、見識が行き届き、はかりごとをよく考え、物事の実情を見抜き、兆しのうちに知り、前もって善し悪しを見通す者である。これが智人である。次の五のうち士人とは、孔子の言うように、知っていることは多くを並べ立てず、必ずその根拠を確かめる。言葉は多くを語ろうとせず、必ず言おうとすることを確かめる。心には定まったところがあり、はかりごとには守るところがある。道の根本を究め尽くすことはできなくても、必ず従って行うものがある。あらゆる善の美点を備えることはできなくても、必ず心にかけるところがある。行いがそれに基づき、知恵がそれを知り、言葉がそれをつかんでいれば、それは生まれつきの性や身体のように変わらない。富貴もそれに何かを加えることはできず、貧賤もそれを損なうことはできない。これが士人である、と。庶人とは、まだ官職に就かず、田畑の間で暮らしている者、あるいは初めて粗末な衣を脱いで仕えたものの、まだ位階を授かっていない者である。『周礼』に、庶人で役所にいる者は、はじめて俸禄の等級に入る、とある。これを庶人という。農人とは、天の道を用い、地の利に従い、春に耕して秋に収め、常に農作業に携わる者である。これを農人という。商人とは、市場で物を担いで売り歩き、時期に応じて品物を売り、高いものと安いものを交換して生業の元手とする者である。これが商人であり、賈人ともいう。工人とは、彫り削る技にたけ、さまざまな器物をそろえ、新しいものを造り古いものを直し、自分の力を財に換える者である。これを工人という。下の五のうち衆人とは、おおよそ雑多な人々を衆人という。予譲(戦国時代初めの刺客)は、范氏・中行氏は自分を並の人(衆人)として扱った、と言った。
解説
この章句が説くこと
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五行大義・第二十三論諸人・第一論人配五行『荘子』に曰く、天を以て宗と為し、徳を以て本と為し、道を以て門と為し、変に明らかなる、之を聖人と謂う、と。次五の徳人は、徳物に被(およ)び、百姓をして各おのその欲する所を得しめ、日に用いて知らず、兼ねて利して択ぶ無く、天地と合す。『易』に曰く、大人は天地とその徳を合わせ、日月とその明を合わせ、鬼神とその吉凶を合わす、と。此れを徳と謂うなり。賢人は、智万物に周(あまね)く、動静理に合う。孔子曰く、好悪は民と情を同じくし、取捨は民と統を同じくし、行いは規矩に中(あた)り、言は法則とすべし。匹夫と為りて怨みず、諸侯に在りて驕らず。道は百姓を化するに足りて、身を傷つけず。財を天下に施して貧しからず。此れ賢人なり、と。善人は、善を見ては及ばざるが如くし、言天下に満ちて口過無し。孔子曰く、躬(み)ずから忠信を行いて心怨みず、仁義を置かず、志意広博にして色伐(ほこ)らず、思慮明達にして辞争わず、篤く行い道を信じ、自ら強めて息(や)まず、猶然として将に越ゆべきが如くにして及ぶべからず。此れ君子人なり、と。又た善人と謂う。中人は、一心以て主に事え、進んでは忠を尽くさんことを思い、退いては過ちを補わんことを思い、美に順い悪を匡(ただ)し、犯して隠すこと無く、公を先にして私を後にし、その労を伐らず。此れ中人なり。辨人は、智思窮まり無く、情は善悪を鑒(かんが)み、問うに礙滞(がいたい)無く、巧言流るるが如く、邪を去りて正に従い、匿(かく)すべき有ること無し。此れ辨人なり。中五の仁人は、上と為りてはその功を侈(おご)らず、下と為りてはその陋を羞じず、慈施惻隠(そくいん)して、終わりまで衰えず。此れ仁人なり。
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五行大義・第二十三論諸人・第一論人配五行小人は、卑鄙(ひひ)にして悪を行う。此れを小人と曰う。孔子曰く、桀紂(けっちゅう)は帝王と雖も、其れ猶お小人のごときなり、と。文子曰く、縄に中(あた)る、之を君子と謂い、縄に中らざる、之を小人と謂う。君子は死すと雖もその名滅びず、小人は勢を得と雖もその罪除かれず、と。駑人は、駑は鈍なり。亦た罪隷を名と為す。古は罪有れば奴と為す。『尚書』に曰く、予(われ)則ち汝を奴戮せん、と。之を罪するなり。紂は箕子を以て奴と為す、亦た戮辱なり。馬に駑なる者有るは、その鈍なるを以てなり。愚人は、嚚闇(ぎんあん)にして知無く、菽麦(しゅくばく)をも弁ぜず、之を愚人と謂う。孔子曰く、その知は及ぶべきも、その愚は及ぶべからず、とは、その昏濁の気を稟けて生まるるを以てにして、学びて得る所に非ざるなり。亦た庸人と曰う。孔子曰く、心に始終の規を存せず、口に訓格の言を吐かず、又た賢を択びて以て身を託せず、力行して以て自ら定めず、小を見て大に闇く、傷つく所を知らず、物に従うこと流るるが如くして、仇とする所を知らず。此れ庸人なり、と。肉人は、狂癡にして識無く、痛痒も分かつ莫し。能く動静すと雖も、完と異ならず。是を肉人と謂う。此の二十五等の人は、五行の気を稟くるに由りて、各おの優劣有り、故に多等有りて、善悪同じからず。今且(しばら)く分かちて四品と為す。その神・真・道・至・聖・徳・賢の七者は、王気を受けて生まるるなり。善・中・辨・仁・礼・信・義・智の八者は、相気にして生まるるなり。士・庶・農・商・工の五者は、休気にして生まるるなり。衆・小・駑・愚・完の五者は、囚気にして生まるるなり。
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五行大義・第二十三論諸人・第一論人配五行聖人は、目を以て視、耳を以て聴き、口を以て言い、足を以て行く。真人は、視ずして明らかに、聴かずして聡(さと)く、言わずして云い、行かずして従う。故に聖人の天下を動かす所の者は、真人未だ嘗て遇わず。賢人の世俗を矯(た)むる所の者は、聖人未だ嘗て観ず。所謂道人は、前無く後無く、左無く右無く、万物玄同して、非無く是無し、と。文子は二十五人を発言するも、論ずるは止(た)だ四有るのみにして、未だ具(つぶさ)に釈すと為さず。今諸経書に依りて略解す。上五に神人と謂う有るは、孔子曰く、陰陽測られざる、之を神と謂う、と。曾子曰く、陽の精気を神と為す、と。神は霊智を以て義と為す。霊智その照らすこと神の如きを謂う、故に神人と曰うなり。孔子曰く、堯の智は神の如し、と。真人は、性道に合い、有れども無きが若く、実つれども虚しきが若く、明白太素にして、至極弊然として無為なり。故に真人と曰う。道人は、孔子曰く、その徳は天地より大に、その量は日月を総(す)ぶ、之を能く測る莫き者なり、と。此の徳量有り、故に道人と曰う。至人は、真直を素と為し、一を守りて移らず、善悪もその慮(おもんぱか)りを迴(めぐ)らすこと能わず、栄辱もその心を動かすこと能わず。故に至人と曰う。聖人は、『家語』に曰く、徳天地に合い、変通方無く、万事の終始を窮め、万品の自然に協(かな)い、その大道を敷きて、遂に情性を成す。明日月に並び、化行わるること神の若し。民人その徳を知らず、覩(み)る者その善を識らず。此れを聖人と謂うなり、と。
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五行大義・第十四論雑配・第五論五常五常とは、仁・義・礼・智・信なり。これを行うこと終久にして、恒に闕くべからず、故に名づけて常と為す。亦五徳と云う。此れを以て常に行えば、能くその徳を成す、故に五徳と云う。而して此の五徳は、五行に配す。鄭玄、『礼記』中庸篇に注して云う、木神は則ち仁、金神は則ち義、火神は則ち礼、水神は則ち信、土神は則ち智、と。『詩緯』等の説も亦同じ。毛公の伝の説及び京房(けいぼう)等の説は、皆土を以て信と為し、水を智と為す。『漢書』天文志に云う、歳星は人に於いて、五常は仁なり、五事は貌なり。仁虧(か)け貌失すれば、春令に逆らい、木気を傷り、罰は歳星に見(あらわ)る。熒惑(けいこく)は人に於いて、五常は礼なり、五事は視なり。礼虧け視失すれば、夏令に逆らい、火気を傷り、罰は熒惑に見る。太白は人に於いて、五常は義なり、五事は言なり。義虧け言失すれば、秋令に逆らい、金気を傷り、罰は太白に見る。辰星は人に於いて、五常は智なり、五事は聴なり。智虧け聴失すれば、冬令に逆らい、水気を傷り、罰は辰星に見る。鎮星は人に於いて、五常は信なり、五事は思なり。仁義礼智は、信を以て主と為し、貌言視聴は、思を以て正と為す。四事皆失すれば、鎮星乃ちこれが為に動く、と。按ずるに毛公及び京房・漢史は、皆土を以て信と為す。その当を謂うべし。然る所以の者は、夫れ五常の義は、仁は惻隠を以て体と為し、博施を以て用と為す。礼は分別を以て体と為し、践法を以て用と為す。智は了智を以て体と為し、明叡を以て用と為す。義は合義を以て体と為し、裁断を以て用と為す。信は不欺を以て体と為し、附実を以て用と為す。その五行に於けるや、則ち木に覆冒滋繁有り、是れその惻隠博施なり。
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五行大義・第二十三論諸人・第一論人配五行第二十三、諸人を論ず。此に就きて分かちて二段と為す。一は人の五行に配するを論じ、二は人の遊年年立を論ず。 礼記礼運篇に云う、人は天地の徳、陰陽の交わり、鬼神の会、五行の秀気なり、と。文子に曰く、人は天地の心、五行の端なり、と。是を以て天地五行の気を稟けて生じ、万物の主と為り、二儀に配して以て三才と為る。然れども気を受くるに各々多少有り。木気を受くること多き者は、その性勁直にして仁を懐く。火気を受くること多き者は、その性猛烈にして礼を尚ぶ。土気を受くること多き者は、その性寛和にして信有り。金気を受くること多き者は、その性剛断にして義を含む。水気を受くること多き者は、その性沈隠にして智多し。五気湊合(そうごう)して、共にその身を成す。気若し清叡なれば、則ちその人は精俊にして爽如たり。昏濁なれば、則ちその人は愚頑なり。老子に云う、陰陽の精気は人と為る。気に厚薄有り。中和の滋液を得れば、則ち賢智の人を生じ、錯乱濁辱を得れば、則ち貪淫の人を生ず、と。禄命書に云う、金人は剛強にして自ら用い、木人は華多くして雅なり、水人は開通にして智慧あり、火人は自ら貴びて性急なり、土人は忠信にして直なり、と。周書に云う、人は十に感じて生ず。天の五行、地の五行、合わせて十と為す。天の五行は五常と為り、地の五行は五蔵と為る、と。故に易に曰く、天に在りては象を成し、地に在りては形を成す者なり、と。家語に曰く、天は一、地は二、人は三。三三にして九、九九八十一。一は日を主り、日の数は十、故に人は十月にして生まる、と。文子に云う、
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五行大義・第二十三論諸人・第一論人配五行王気はその盛んなる時に当たる、故に最も霊聖なり。相気は王に微(すこ)しく劣る、故に善・忠より已下(いか)は王政に伏す。休気は已に衰う、故に仕・庶の例に当たる。囚気は最も劣る、故に衆・小の流に当たる。文子の上を以て下に返し、人を喩えて畜に比するも、亦た之に近し。然れども此の五気は、清有り濁有り、正有り邪有り、初有り末有り。若し正気を得れば、卑劣に在りと雖も、方(まさ)に大善と為る。若し卑気を受くれば、尊勝に居ると雖も、衆(おお)く大悪を興す。桀の夏宗を覆し、紂の殷族を亡ぼし、周の幽・厲に衰え、漢の桓・霊に滅ぶが如きに至りては、此れ則ち尊に処りて悪を興す者なり。鼎を殷廟に負い、釣を磻渓(はんけい)に垂れ、南陽に商賈し、車下に牛を飼う。此の時に当たりては、その善未だ見(あら)われず。師輔に登るに及びて、仁聖並び彰(あら)わる。此れ豈に卑下にして能く宏済(こうさい)するに非ずや。その賢徳已上は、気正しくして邪無し、故に最上に居る。然れども気の初なるは、齢歯終に長く、気の末なるは、命相短促なり。此の四気に又た四別有り。若し上にして清秀なれば、霊智愈いよ高し。上にして濁汚なれば、乃ち須らく修飭(しゅうちょく)すべし。下にして清秀なれば、琢磨して方に以て器と為る。之に昏濁を加うれば、朽木は復た雕るべからず。貴賤・富貧・好醜・善悪・性情・年命を兼ぬれば、乃ち万途有り、並びに五行の気の感ずる所の致すなり。今且く文子に就きてその二十五等を論じ、以て階差と為す。自外(これよりほか)の諸徒は、具さに弁じ難し。人を知るは則ち哲なり、惟(こ)れ帝も其れ之を難しとす。明聖なる者に非ざれば、孰(たれ)か能く弁識せん。『禄命決』に云う、
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