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五行大義 / 第十八論情性

木亦動。觸地而出。箕星。東方之宿。主風。又。巽爲木。爲風也。雨作金者。雨。水也。水性銷釋。金性亦可銷釋。畢星。西方之宿也。主雨。故詩云。月離于畢。俾滂沲矣。故雨作金也。晦作水者。晦。闇也。晦闇則水生。闇。黑。爲水之色也。明作火者。明照於物。故爲火也。皆從其類以之。鄭玄注禮記云。木爲雨。金爲陽。火爲燠。土爲風。水爲寒。震主春分。春分穀雨得天兌。則萬物畢生。兌。西方之卦。是時。日在昴。昴。西方之宿也。以日在西方。故謂天兌。貌順木得。則天兌爲和。故木爲雨。詩云。習習谷風。以陰以雨也。金爲陽者。秋時日行東方。房星之宿。得天震之氣。言順金得。則天震爲和。震爲陽也。秋時物成。所以𤍜物。是其和也。逆金氣。則爲旱罰。故金爲陽也。土爲風者。傳云。思心有失。厥罰常風。言風者。土之氣也。莊子曰。大塊噫氣。其名曰風。土者。爲君。君立教令。故爲風。土立四季。故令失則風爲災也。鄭以木爲雨。服以木爲風。服以金爲雨。鄭以金爲陽。鄭以土爲風。服以土爲陰。兩說相反。各有其意。今就五行而辨。服近之矣。

新字:木亦動。触地而出。箕星。東方之宿。主風。又。巽為木。為風也。雨作金者。雨。水也。水性銷釈。金性亦可銷釈。畢星。西方之宿也。主雨。故詩云。月離于畢。俾滂沲矣。故雨作金也。晦作水者。晦。闇也。晦闇則水生。闇。黒。為水之色也。明作火者。明照於物。故為火也。皆従其類以之。鄭玄注礼記云。木為雨。金為陽。火為燠。土為風。水為寒。震主春分。春分穀雨得天兌。則万物畢生。兌。西方之卦。是時。日在昴。昴。西方之宿也。以日在西方。故謂天兌。貌順木得。則天兌為和。故木為雨。詩云。習習谷風。以陰以雨也。金為陽者。秋時日行東方。房星之宿。得天震之気。言順金得。則天震為和。震為陽也。秋時物成。所以𤍜物。是其和也。逆金気。則為旱罰。故金為陽也。土為風者。伝云。思心有失。厥罰常風。言風者。土之気也。荘子曰。大塊噫気。其名曰風。土者。為君。君立教令。故為風。土立四季。故令失則風為災也。鄭以木為雨。服以木為風。服以金為雨。鄭以金為陽。鄭以土為風。服以土為陰。両説相反。各有其意。今就五行而弁。服近之矣。

書き下し

木も亦た動き、地に触れて出づ。箕星は東方の宿にして、風を主る。又、巽は木たり、風たるなり。雨の金と作るは、雨は水なり。水の性は銷釈し、金の性も亦た銷釈すべし。畢星は西方の宿なり、雨を主る。故に『詩』に云う、「月畢に離(かか)りて、滂沲(ぼうだ)たらしむ」と。故に雨は金と作るなり。晦の水と作るは、晦は闇なり。晦闇なれば則ち水生ず。闇は黒にして、水の色たるなり。明の火と作るは、明は物を照らす、故に火と為るなり。皆その類に従いて以てす。鄭玄の『礼記』に注して云う、「木は雨たり、金は陽たり、火は燠(いく)たり、土は風たり、水は寒たり」と。震は春分を主る。春分・穀雨に天兌を得れば、則ち万物畢(ことごと)く生ず。兌は西方の卦にして、是の時、日は昴に在り。昴は西方の宿なり。日の西方に在るを以て、故に天兌と謂う。貌順いて木得れば、則ち天兌和と為る。故に木は雨たり。『詩』に云う、「習習たる谷風、以て陰(くも)り以て雨ふる」と。金の陽たるは、秋の時、日は東方の房星の宿を行き、天震の気を得。言順いて金得れば、則ち天震和と為る。震は陽たるなり。秋の時は物成り、物を𤍜(かわ)かす所以、是れその和なり。金の気に逆らえば、則ち旱の罰と為る、故に金は陽たるなり。土の風たるは、伝に云う、「思心に失有れば、厥(そ)の罰は常風なり」と。言うこころは、風は土の気なり。『荘子』に曰く、「大塊(たいかい)気を噫(は)く、その名を風と曰う」と。土は君たり、君は教令を立つ、故に風たり。土は四季に立つ、故に令失すれば則ち風災いを為すなり。鄭は木を以て雨と為し、服は木を以て風と為す。服は金を以て雨と為し、鄭は金を以て陽と為す。鄭は土を以て風と為し、服は土を以て陰と為す。両説相反し、各々その意有り。今五行に就きて弁ずれば、服これに近し。

現代語訳

木もまた動き、地を突き破って出てくる。箕星は東方の宿で、風をつかさどる。また、巽の卦は木であり、風でもある。雨が金となるのは、雨は水であり、水の性質は溶けてほどけるもので、金の性質もまた溶かしてほどくことができるからである。畢星は西方の宿で、雨をつかさどる。だから『詩経』に「月が畢の宿にかかると、雨がざあざあと降る」とある。だから雨は金となる。晦が水となるのは、晦とは暗いことだからである。暗ければ水が生じる。暗さは黒であり、黒は水の色である。明が火となるのは、明るさは物を照らすので、火となるのである。いずれもその類に従って配したのである。鄭玄(後漢の大学者)は『礼記』の注でこう言う。「木は雨、金は陽(晴れ)、火は燠(暑さ)、土は風、水は寒である」。震は春分をつかさどる。春分から穀雨のころに天兌の気を得れば、万物はことごとく生まれる。兌は西方の卦であり、この時期、日は昴の宿にある。昴は西方の宿である。日が西方の宿にあるので天兌という。君主の容貌が正しく木の気がそのあるべき状態を得ていれば、天兌は和やかさをもたらす。だから木は雨となる。『詩経』に「そよそよと吹く谷の風、曇ってはまた雨が降る」とある。金が陽(晴れ)となるのは、秋には日が東方の房星の宿をめぐり、天震の気を得るからである。君主の言葉が正しく金の気がそのあるべき状態を得ていれば、天震は和やかさをもたらす。震は陽である。秋には作物が実り、それを乾かすのが秋の和やかさである。金の気に逆らえば日照りの罰となる。だから金は陽となる。土が風となるのは、『尚書大伝』に「思慮が正しさを失えば、その罰は長い風である」とある。つまり風は土の気だということである。『荘子』はこう言う。「大地が息を吐く、その名を風という」。土は君主であり、君主は教えと命令を立てるので、風となる。土は四季それぞれにまたがって立つので、命令が道を失えば風が災いとなるのである。鄭玄は木を雨とし、服虔は木を風とする。服虔は金を雨とし、鄭玄は金を陽とする。鄭玄は土を風とし、服虔は土を陰とする。二つの説は相反し、それぞれに理由がある。いま五行に即して判断すれば、服虔の説のほうが近い。

解説

六気を五行にどう割り当てるかについて、服虔と鄭玄という後漢の二大注釈家の説を比べる段である。服虔は『左伝』の六気(陰・陽・風・雨・晦・明)を、陰を土、風を木、雨を金、晦を水、明を火とする。風が木なのは風も木も動くもので、東方の箕宿が風をつかさどり、巽の卦が木であり風でもあるから、雨が金なのは西方の畢宿が雨をつかさどるから、と星と卦を根拠に挙げる。一方、鄭玄は『尚書』洪範の五事の考えにもとづき、木を雨、金を晴れ、土を風とする。蕭吉は両説にそれぞれ理があると認めつつ、五行の性質に照らせば服虔の説がより近いと判断する。このように、同じ対象について異なる学説を並べ、根拠を確かめたうえで自分の判断を示すのが、この書の学問的な姿勢である。「月、畢に離りて滂沱たらしむ」という『詩経』の句は、畢宿に月がかかると雨になるという古い天気の言い伝えを伝えている。権威ある学者の説でも比べて吟味するという態度は、今の情報の読み方にもそのまま役立つ。

この章句が説くこと

五行大義六気鄭玄服虔風雨

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