導師導古典を学びたいすべての人に

五行大義 / 第十四論雑配・第三論配気味

若依蔡邕解。直云。食味相宜。則無復疑。若依鄭解。則誠未盡。今廣鄭言。少陽。太陽。其氣舒散。少陰。太陰。其氣斂閉。故河上公解老子言。躁氣在上。陽氣伏於下。所以故寒。靜氣在上。陰氣伏於下。所以故熱。人體陰陽。義亦如是。春夏舒散。陽氣開發。宜以溫食。用和陰氣。秋冬閉斂。陽氣在內。宜用寒食。以調陽氣。冬兼水火。又異於秋。正以藏閉之時。事甚於秋。故均以水火也。今又取甲乙。以竝鄭義。微有乖張。甲乙以羊麥俱苦。皆是火味。鄭玄云。羊火畜。同以麥屬木。此是取其孚甲之形。用溫還同。甲乙以菽醎雞辛。鄭玄云。菽合水同。雞屬木異。此取其將旦而鳴。近寅木故。又。振羽翼。有陽性也。則是酉鳥屬金爲實。甲乙以麻犬俱酸。鄭以麻犬俱金。酸是木味。用調金氣。以少陽之氣味。調少陰之氣。理則可通。金還調金。恐乖和適。甲乙以黍辛彘醎。鄭玄云。彘合水同。黍屬火異。此言黍色赤性熱。故以爲火。若依鄭意。以如前解。若以甲乙明堂月令之意。夏食合冷者。欲令調炎暑鬱毒之氣。冬食亦寒者。去藏中伏熱。春寒用溫。二意不殊。秋以少陽和於少陰。爲有殺氣。故以生味相補。鄭全乖越。周禮。

新字:若依蔡邕解。直云。食味相宜。則無復疑。若依鄭解。則誠未尽。今広鄭言。少陽。太陽。其気舒散。少陰。太陰。其気斂閉。故河上公解老子言。躁気在上。陽気伏於下。所以故寒。静気在上。陰気伏於下。所以故熱。人体陰陽。義亦如是。春夏舒散。陽気開発。宜以温食。用和陰気。秋冬閉斂。陽気在内。宜用寒食。以調陽気。冬兼水火。又異於秋。正以蔵閉之時。事甚於秋。故均以水火也。今又取甲乙。以並鄭義。微有乖張。甲乙以羊麦倶苦。皆是火味。鄭玄云。羊火畜。同以麦属木。此是取其孚甲之形。用温還同。甲乙以菽醎鶏辛。鄭玄云。菽合水同。鶏属木異。此取其将旦而鳴。近寅木故。又。振羽翼。有陽性也。則是酉鳥属金為実。甲乙以麻犬倶酸。鄭以麻犬倶金。酸是木味。用調金気。以少陽之気味。調少陰之気。理則可通。金還調金。恐乖和適。甲乙以黍辛彘醎。鄭玄云。彘合水同。黍属火異。此言黍色赤性熱。故以為火。若依鄭意。以如前解。若以甲乙明堂月令之意。夏食合冷者。欲令調炎暑鬱毒之気。冬食亦寒者。去蔵中伏熱。春寒用温。二意不殊。秋以少陽和於少陰。為有殺気。故以生味相補。鄭全乖越。周礼。

書き下し

若し蔡邕(さいよう)の解に依らば、直だ食味相宜しと云う、則ち復た疑い無し。若し鄭の解に依らば、則ち誠に未だ尽くさず。今鄭の言を広めん。少陽・太陽は、其の気舒散し、少陰・太陰は、其の気斂閉(れんぺい)す。故に河上公(かじょうこう)老子を解して言う、躁気上に在れば、陽気下に伏す、所以に故に寒し。静気上に在れば、陰気下に伏す、所以に故に熱し、と。人体の陰陽も、義亦是の如し。春夏は舒散して、陽気開発す、宜しく温食を以て、用て陰気を和すべし。秋冬は閉斂して、陽気内に在り、宜しく寒食を用いて、以て陽気を調うべし。冬に水火を兼ぬるは、又秋に異なる。正に蔵閉の時、事秋より甚だしきを以て、故に均しくするに水火を以てす。今又甲乙を取りて、以て鄭の義に並ぶるに、微(すこ)しく乖張有り。甲乙は羊麦を以て倶に苦とす、皆是れ火の味なり。鄭玄は羊は火の畜と云う、同じ。麦を以て木に属すは、此れ是れ其の孚甲の形を取る。温を用うるは還りて同じ。甲乙は菽を以て醎、雞を辛とす。鄭玄は菽は水に合すと云う、同じ。雞は木に属すとす、異なり。此れ其の将に旦(あした)ならんとして鳴き、寅木に近きが故なるを取る。又、羽翼を振るい、陽性有るなり。則ち是れ酉鳥にして金に属するを実と為す。甲乙は麻犬を以て倶に酸とす。鄭は麻犬を以て倶に金とす。酸は是れ木の味、用て金気を調う。少陽の気味を以て、少陰の気を調うるは、理則ち通ずべし。金還りて金を調うるは、恐らくは和適に乖(そむ)かん。甲乙は黍を辛、彘を醎とす。鄭玄は彘は水に合すと云う、同じ。黍は火に属すとす、異なり。此れ黍の色赤く性熱きを言う、故に以て火と為す。若し鄭の意に依らば、以て前の解の如し。若し甲乙・明堂月令の意を以てせば、夏食の冷に合するは、炎暑鬱毒の気を調えしめんと欲するなり。冬食の亦寒なるは、蔵中の伏熱を去るなり。春寒くして温を用うるは、二意殊ならず。秋は少陽を以て少陰を和す、殺気有りと為す、故に生味を以て相補う。鄭は全く乖越す。周礼の

現代語訳

もし蔡邕(後漢の学者)の解釈に従えば、ただ「食べ物の味がその時期に適している」と言うだけなので、もう疑問はない。もし鄭玄の解釈に従えば、まことに説明が尽くされていない。そこでいま、鄭玄の説を押し広げてみよう。少陽と太陽は、その気がのびやかに散り、少陰と太陰は、その気が引き締まって閉じる。だから河上公(『老子』の注釈者)は『老子』を解釈して、「騒がしい気が上にあれば、陽の気は下に伏している。だから寒いのである。静かな気が上にあれば、陰の気は下に伏している。だから熱いのである」と言っている。人の体の陰陽も、道理はこれと同じである。春と夏はのびやかに散って、陽の気が外に開き出るので、温かい物を食べて陰の気を和らげるのがよい。秋と冬は閉じて引き締まり、陽の気が内にあるので、冷たい物を食べて陽の気を調えるのがよい。冬に水と火を兼ねるのは、秋とはまた異なる。まさにしまい込み閉ざす時期であって、その度合いが秋よりも甚だしいので、水と火で釣り合いをとるのである。さて、また『甲乙経』を取り上げて鄭玄の説と並べてみると、少し食い違いがある。『甲乙経』は羊と麦をともに苦とし、どちらも火の味である。鄭玄は羊は火の家畜と言っており、これは同じである。麦を木に属させるのは、その殻の形を取ったものであり、温める物として用いる点ではやはり同じである。『甲乙経』は豆を塩辛い、鶏を辛いとする。鄭玄は豆は水に合うと言い、これは同じである。鶏を木に属させるのは異なる。これは鶏が夜明け前に鳴いて、寅の木に近いことを取ったものである。また翼を振るうので陽の性質があるともいう。しかし鶏は酉の鳥であって、金に属するのが本当である。『甲乙経』は麻の実と犬をともに酸っぱいとする。鄭玄は麻の実と犬をともに金とする。酸っぱさは木の味であって、それで金の気を調えるのである。少陽の気と味で少陰の気を調えるのは、道理として通る。金でさらに金を調えるのは、おそらく調和にそむくであろう。『甲乙経』は黍を辛い、豚を塩辛いとする。鄭玄は豚は水に合うと言い、これは同じである。黍を火に属させるのは異なる。これは黍の色が赤く、性質が熱いことを言っているので、火とするのである。もし鄭玄の意図に従うなら、先に述べた解釈のとおりである。もし『甲乙経』や『明堂月令』の意図に従うなら、夏の食べ物が冷たい物に合うのは、焼けつく暑さのこもった毒気を調えようとするのである。冬の食べ物もまた冷たいのは、体の内に伏した熱を取り去るためである。春は寒いので温かい物を用いるのは、どちらの解釈でも変わらない。秋は少陽で少陰を和らげる。殺す気があるので、生かす味で補うのである。鄭玄の説はまったく外れている。『周礼』の

解説

前の部分で立てた、秋冬になぜ温める食べ物をとらないのか、という問いへの答えである。著者は鄭玄の注を補うかたちで、陰陽の気の開閉から説明する。春夏は陽気が外に開いて内が冷えるから温かい物を、秋冬は陽気が内にこもって内が熱いから冷たい物をとる、というのである。河上公の『老子』注から、上が騒がしければ下に陽が伏して寒い、という句を引いて裏づけるのは、表と裏の気が逆になるという考え方である。後半では、医書『甲乙経』の味の配当と、鄭玄の五行の配当を一つずつ突き合わせ、一致点と相違点を検討する。鶏を木とする鄭玄に対し、酉の鳥だから金が本当だと指摘し、最後には鄭玄はまったく外れていると言い切る。大儒の説でも理屈が合わなければ退ける姿勢である。季節によって体の内と外の状態が逆になりうるという視点は、東洋医学の養生論の基本となり、夏に冷やしすぎないといった今の健康法にも通じている。

この章句が説くこと

五行大義食養生鄭玄甲乙経陰陽

関連する章句

古典の入門書『人生の教科書』の表紙

人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。

古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。

本の中身を見る
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)+師導1か月=700円 本を見る