五行大義 / 第三明数・第五論九宮数
冀州者。釋名云。冀州取地爲名。有險易。帝王所都。太康地記曰。冀。近。其氣相近也。其地自太行東至碣石。王屋。底柱。禹貢云。冀州既載。呂氏春秋云。兩河之間爲冀州。正北方。荆州者。釋名云。荆。警也。南蠻數爲寇逆。州道先強。當警備之也。其地北據荆山。南及衡山之陽。禹貢云。荆及衡陽惟荆州。爾雅云。漢南曰荆州。呂氏曰。荆。楚也。青州者。釋名云。青。在東生也。太康地記曰。少陽色青。歲始事首。卽以爲名。其地東北據海。西距岱。禹貢云。海岱惟青州。呂氏云。東方海隅青州。齊也。徐州者。釋名曰。徐。舒也。土氣舒緩也。其地東至海。北至岱。南及淮。禹貢云。海岱及淮惟徐州。呂氏云。泗上爲徐州。魯也。爾雅云。濟東曰徐州。豫州者。釋名曰。豫。在九州之中安豫也。太康地記云。稟中和之氣。性理安舒。其地南據荆。北距河。禹貢云。荆河惟豫州。呂氏云。河漢之間爲豫州。爾雅云。河南曰豫州。雍州者。太康地記云。
新字:冀州者。釈名云。冀州取地為名。有険易。帝王所都。太康地記曰。冀。近。其気相近也。其地自太行東至碣石。王屋。底柱。禹貢云。冀州既載。呂氏春秋云。両河之間為冀州。正北方。荆州者。釈名云。荆。警也。南蠻数為寇逆。州道先強。当警備之也。其地北拠荆山。南及衡山之陽。禹貢云。荆及衡陽惟荆州。爾雅云。漢南曰荆州。呂氏曰。荆。楚也。青州者。釈名云。青。在東生也。太康地記曰。少陽色青。歳始事首。即以為名。其地東北拠海。西距岱。禹貢云。海岱惟青州。呂氏云。東方海隅青州。斉也。徐州者。釈名曰。徐。舒也。土気舒緩也。其地東至海。北至岱。南及淮。禹貢云。海岱及淮惟徐州。呂氏云。泗上為徐州。魯也。爾雅云。済東曰徐州。予州者。釈名曰。予。在九州之中安予也。太康地記云。稟中和之気。性理安舒。其地南拠荆。北距河。禹貢云。荆河惟予州。呂氏云。河漢之間為予州。爾雅云。河南曰予州。雍州者。太康地記云。
書き下し
冀州とは、釈名に云う、冀州は地を取りて名と為す。険易有り、帝王の都する所なり、と。太康地記に曰く、冀は近なり、其の気相近きなり、と。其の地は太行より東、碣石・王屋・底柱に至る。禹貢に云う、冀州既に載(はじ)む、と。呂氏春秋に云う、両河の間を冀州と為す、と。正北方なり。荆州とは、釈名に云う、荆は警なり。南蛮数(しばしば)寇逆を為す。州の道先ず強し、当に之を警備すべきなり、と。其の地は北は荆山に拠り、南は衡山の陽に及ぶ。禹貢に云う、荆及び衡陽は惟れ荆州、と。爾雅に云う、漢南を荆州と曰う、と。呂氏に曰く、荆は楚なり、と。青州とは、釈名に云う、青は東に在りて生ずるなり、と。太康地記に曰く、少陽の色は青、歳の始め、事の首、即ち以て名と為す、と。其の地は東北は海に拠り、西は岱に距(いた)る。禹貢に云う、海岱は惟れ青州、と。呂氏に云う、東方の海隅は青州、斉なり、と。徐州とは、釈名に曰く、徐は舒なり、土気舒緩なるなり、と。其の地は東は海に至り、北は岱に至り、南は淮に及ぶ。禹貢に云う、海岱及び淮は惟れ徐州、と。呂氏に云う、泗上を徐州と為す、魯なり、と。爾雅に云う、済東を徐州と曰う、と。豫州とは、釈名に曰く、豫は九州の中に在りて安豫なるなり、と。太康地記に云う、中和の気を稟け、性理安舒なり、と。其の地は南は荆に拠り、北は河に距る。禹貢に云う、荆河は惟れ豫州、と。呂氏に云う、河漢の間を豫州と為す、と。爾雅に云う、河南を豫州と曰う、と。雍州とは、太康地記に云う、
現代語訳
冀州については、『釈名』(後漢の劉熙の辞書。語源を音で説く)に「冀州は土地の性質をとって名とした。険しい所と平らな所があり、帝王が都を置く所である」とある。『太康地記』(晋の太康年間の地理書)には「冀は近いという意味で、その気が互いに近いのである」とある。その地は太行山から東、碣石・王屋・底柱に至る。『尚書』禹貢には「冀州で治水が始まった」とある。『呂氏春秋』には「二つの黄河にはさまれた間が冀州である」とある。真北の方角である。荊州については、『釈名』に「荊は警(いましめる)である。南蛮がしばしば侵入して反逆する。この州の道筋はまず強くしなければならず、警備すべきである」とある。その地は北は荊山によって、南は衡山の南側に及ぶ。禹貢には「荊山から衡山の南までが荊州である」とある。『爾雅』(古い字書)には「漢水の南を荊州という」とある。『呂氏春秋』には「荊は楚である」とある。青州については、『釈名』に「青は東にあって物が生じることである」とある。『太康地記』には「少陽の色は青で、年の始め、事の初めであり、それで名とした」とある。その地は東北は海によって、西は泰山に至る。禹貢には「海と泰山の間が青州である」とある。『呂氏春秋』には「東方の海の隅が青州で、斉である」とある。徐州については、『釈名』に「徐は舒(のびやか)である。土地の気がのびやかでゆるやかなのである」とある。その地は東は海に至り、北は泰山に至り、南は淮水に及ぶ。禹貢には「海と泰山と淮水の間が徐州である」とある。『呂氏春秋』には「泗水のほとりが徐州で、魯である」とある。『爾雅』には「済水の東を徐州という」とある。豫州については、『釈名』に「豫は九州の中央にあって安らかでゆったりしているのである」とある。『太康地記』には「中ほどの和やかな気を受けて、性質が安らかでのびやかである」とある。その地は南は荊山によって、北は黄河に至る。禹貢には「荊山と黄河の間が豫州である」とある。『呂氏春秋』には「黄河と漢水の間が豫州である」とある。『爾雅』には「黄河の南を豫州という」とある。雍州については、『太康地記』にこうある。
解説
この章句が説くこと
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五行大義・第三明数・第五論九宮数雍は西北の位に居り、陽の至らざる所、陰気壅閼(ようあつ)す、取りて以て名と為す、と。其の地は西は黒水に拠り、東は西河に距る。禹貢に云う、黒水西河は惟れ雍州、と。呂氏に云う、雍州は秦なり、と。爾雅に云う、河西を雍州と曰う、と。梁州とは、太康地記に云う、梁は剛なり。西方金剛の気を取り、剛強を以て名と為すなり、と。其の地は東は華山に拠り、西は黒水に距る。禹貢に曰く、華陽黒水は惟れ梁州、と。兗州とは、釈名に云う、兗水を取りて名と為す、と。太康地記に曰く、其の信を履み貞正を稟くるの意を辨ずるなり、と。其の地は東南は済に拠り、西北は河に距る。禹貢に曰く、済河は惟れ兗州、と。揚州とは、釈名に云う、揚州は水多く、水波揚がるなり、と。其の地は北は淮に拠り、東は海に距る。禹貢に云う、淮海は惟れ揚州、と。呂氏に曰く、揚州は越なり、と。爾雅に曰く、江南を揚州と曰う、と。今、九宮の位に依れば、冀州は正北、坎宮に在り。荆州は西南、坤宮に在り。青州は正東、震宮に在り。徐州は東南、巽宮に在り。豫州は中央、中宮に在り。雍州は西北、乾宮に在り。梁州は正西、兌宮に在り。兗州は東北、艮宮に在り。揚州は正南、離宮に在り。其の位、此の解と相似たり。太一は兗州を以て正北、坎の位に在りとし、青州は東北、艮の位に在り、徐州は正東、震の位に在り、揚州は東南、巽の位に在り、荆州は正南、離の位に在り、梁州は西南、坤の位に在り、雍州は正西、兌の位に在り、冀州は西北、乾の位に在りとす。此れ竝びに五行本始の気に従う。西北は亥の地、故に坎水之に居る。東北は寅の地、故に震木之に居る。東南は巳の地、故に離火之に居る。西南は申の地、故に兌金之に居る。乾は金たり、故に本の金の位に従う。巽は木たり、故に本の木の位に従う。
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呂氏春秋・有始④何をか九州と曰う。河・漢の間を豫州と為す、周なり。兩河の間を冀州と為す、晉なり。河・濟の間を兗州と為す、衛なり。東方を青州と為す、齊なり。泗上を徐州と為す、魯なり。東南を揚州と為す、越なり。南方を荊州と為す、楚なり。西方を雍州と為す、秦なり。北方を幽州と為す、燕なり。
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五行大義・第三明数・第五論九宮数疾とは、榜笞(ぼうち)殴撃し、疾臥して養視するなり。憂は、論じて望と作す、朝日を兢(おそ)るるなり。悪は、髡𨱫(こんけん)赭剥(しゃはく)し、戮辱錮棄(りくじょくこき)するなり。貧は、贓賦を償い、財産を没するなり。弱は、邑里を離れ、辺地に徙(うつ)し、以て後を戒むるなり。此れ罪罰の理、後に居る、故に数は九なり。又云う、離(り)既に午に在り、以て子の衝と為す。極まれば則ち還り反る、故に離は最も其の末にして、以て九宮の数と為す。離は明たり。人君南面して以て政を聴くは、離の明に象る。刑罰は須らく明なるべし、故に南方に在り。故に云う、万物率(おおむ)ね盈実するなり、と。宮唯だ九有りて十ならざるは、八方と中央とにて、数九に終わる。上は九天・九星・二十八宿に配し、下は五岳・四瀆(しとく)・九州に配するなり。九宮経に言う、一は恒山を主り、二は三江を主り、三は太山を主り、四は淮を主り、五は嵩高を主り、六は河を主り、七は華山を主り、八は済を主り、九は霍山を主る、と。又、一は冀州たり、二は荆州たり、三は青州たり、四は徐州たり、五は豫州たり、六は雍州たり、七は梁州たり、八は兗州たり、九は揚州たり。九州の名、互いに改変有り。禹貢の九州、即ち此の配なり。唐の時の名同じきは、堯、禹に命じて洪水を治めしめ、九州を分かつを以て、因りて易えず。故に周・虞に十二州有り、幽・并・営を加う。舜は青州の海を越ゆるを以て、斉を分かちて営州と為す。冀州は南北太だ遠し、衛を分かちて并州と為す。燕以北を分かちて幽州を置く。殷の時の九州は、幽・営有りて青・梁無し。周官の九州は、幽・并有りて徐・梁無し。漢は十二州を立て、交・益を増す。
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五行大義・第三明数・第五論九宮数坤艮は俱に土なり、故に地の経を取りて、正南・正北に居る。此れ竝びに周礼職方の始めの位に依る。宮位微しく移ると雖も、五行の気は一なり。此の九州は上、九天の分に対し、二十八宿之に属す。淮南子に云う、中央は鈞天(きんてん)、数は五、其の星は角・亢・氐(かく・こう・てい)、韓・鄭の分なり。鈞は極なり。四方に布極す、亦極天と曰う。四行の主たり。中宮豫州に対す。東方は蒼天、数は三、其の星は房・心・尾、房・心は宋の分、尾は燕の分。東方は色青きなり。震宮青州に対す。東北は変天、数は八、其の星は箕・斗・牛、箕は燕の分、斗は呉の分、牛は岱の分。水の季、陰気尽き、陽始めて作(おこ)り、万物将に変ぜんとす。艮宮兗州に対す。北方は玄天、数は一、其の星は女・虚・危・室、女は越の分、虚・危は斉の分、室は衛の分。水の色は黒、故に玄天と云う。坎宮冀州に対す。西北は幽天、数は六、其の星は壁・奎・婁(へき・けい・ろう)、壁は衛の分、奎・婁は魯の分。金の季、即ち太陰にして幽闇なり。乾宮雍州に対す。西方は昊天(こうてん)、数は七、其の星は胃・昴・畢(い・ぼう・ひつ)、胃は魯の分、畢・昴は趙の分。金の色は白、故に昊天と曰う。兌宮梁州に対す。西南は朱天、数は二、其の星は觜・参・井(し・しん・せい)、觜・参は晋の分、井は秦の分。火の季に居り、陽の色は朱なり。坤宮荆州に対す。南方は炎天、数は九、其の星は鬼・柳・星、鬼は秦の分なり、柳・星は周の分なり。火の性は炎上す、故に炎天と曰うなり。
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説苑・辨物八荒の内に四海有り、四海の内に九州有り。天子は中州に処りて八方を制するのみ。両河の間を冀州と曰い、河南を豫州と曰い、河西を雍州と曰い、漢南を荊州と曰い、江南を揚州と曰い、済南の間を兗州と曰い、済東を徐州と曰い、燕を幽州と曰い、斉を青州と曰う。山川・汙沢・陵陸・丘阜、五土の宜しき、聖王は其の勢いに就き、其の便に因りて、其の性を失わず。高き者には黍、中なる者には稷、下なる者には稲、蒲葦菅蒯の用乏しからず、麻麦黍粱も亦尽きず、山林の禽獣、川沢の魚鱉滋殖し、王者は京師にして四方に通じて之を致す。
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尚書・禹貢禹土を敷(わか)ち、山に随ひて木を刊(き)り、高山大川を奠(さだ)む。冀州(きしう)。既に壺口(ここう)を載(はじ)め、梁及び岐を治む。既に太原を修め、岳陽に至る。覃懐(たんくわい)績を厎(いた)し、衡漳(かうしやう)に至る。厥(そ)の土は惟れ白壌、厥の賦は惟れ上上にして錯(まじ)り、厥の田は惟れ中中。恒・衛既に従ひ、大陸既に作(たがや)す。鳥夷は皮服す。右に碣石を夾(はさ)みて河に入る。済・河は惟れ兗州(えんしう)。九河既に道(みちび)かれ、雷夏既に沢となり、灉(よう)・沮(しよ)会同す。桑土既に蚕し、是(ここ)に丘を降りて土に宅(を)る。厥の土は黒墳(こくふん)。厥の草は惟れ繇(しげ)り、厥の木は惟れ条(なが)し。厥の田は惟れ中下、厥の賦は貞(ただ)し。作(たがや)すこと十有三載にして、乃ち同じ。厥の貢は漆・糸、厥の篚(ひ)は織文。済・漯(たふ)に浮かび、河に達す。海・岱は惟れ青州。嵎夷(ぐうい)既に略(をさ)まり、濰(ゐ)・淄(し)其れ道かる。厥の土は白墳、海浜は広斥(くわうせき)。厥の田は惟れ上下、厥の賦は中上。厥の貢は塩・絺(ち)、海物惟れ錯(まじ)り、岱畎(たいけん)の糸・枲(し)・鉛・松・怪石。萊夷(らいい)は牧を作す。厥の篚は檿糸(えんし)。汶に浮かび、済に達す。海・岱及び淮は惟れ徐州。淮・沂(き)其れ乂(をさ)まり、蒙・羽其れ藝(う)う。大野既に豬(ちよ)し、東原平らかなるを厎す。厥の土は赤埴墳(せきしよくふん)。草木漸包(ぜんはう)す。厥の田は惟れ上中、厥の賦は中中。厥の貢は惟れ土の五色、羽畎の夏翟(かてき)、嶧陽(えきやう)の孤桐、泗浜の浮磬(ふけい)、淮夷の蠙珠(ひんしゆ)暨(およ)び魚。厥の篚は玄・纖・縞。淮・泗に浮かび、菏(か)に達す。淮・海は惟れ揚州。彭蠡(ほうれい)既に豬し、陽鳥の居る攸(ところ)なり。三江既に入り、震沢定まるを厎す。篠簜(せうたう)既に敷く。厥の草は惟れ夭(わか)く、厥の木は惟れ喬(たか)し。厥の土は惟れ塗泥。厥の田は惟れ下下、厥の賦は下上にして上錯す。厥の貢は惟れ金三品、瑤・琨(こん)・篠簜、歯・革・羽・毛惟れ木。島夷は卉服(きふく)す。厥の篚は織貝。厥の包は橘・柚、錫貢(しこう)す。江・海に沿ひ、淮・泗に達す。荊及び衡陽は惟れ荊州。江・漢海に朝宗し、九江孔(はなは)だ殷(ただ)し。沱(た)・潜既に道かれ、雲土夢(うんどぼう)乂(をさ)まることを作す。厥の土は惟れ塗泥。
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