説苑 / 辨物
八荒之內有四海,四海之內有九州,天子處中州而制八方耳。兩河間曰冀州,河南曰豫州,河西曰雍州,漢南曰荊州,江南曰揚州,濟南間曰兗州,濟東曰徐州,燕曰幽州,齊曰青州。山川汙澤,陵陸丘阜,五土之宜,聖王就其勢,因其便,不失其性。高者黍,中者稷,下者,蒲葦菅蒯之用不乏,麻麥黍梁亦不盡,山林禽獸川澤魚鱉滋殖,王者京師四通而致之。
新字:八荒之内有四海,四海之内有九州,天子処中州而制八方耳。両河間曰冀州,河南曰予州,河西曰雍州,漢南曰荊州,江南曰揚州,済南間曰兗州,済東曰徐州,燕曰幽州,斉曰青州。山川汚沢,陵陸丘阜,五土之宜,聖王就其勢,因其便,不失其性。高者黍,中者稷,下者,蒲葦菅蒯之用不乏,麻麦黍梁亦不尽,山林禽獣川沢魚鱉滋殖,王者京師四通而致之。
書き下し
八荒の内に四海有り、四海の内に九州有り。天子は中州に処りて八方を制するのみ。両河の間を冀州と曰い、河南を豫州と曰い、河西を雍州と曰い、漢南を荊州と曰い、江南を揚州と曰い、済南の間を兗州と曰い、済東を徐州と曰い、燕を幽州と曰い、斉を青州と曰う。山川・汙沢・陵陸・丘阜、五土の宜しき、聖王は其の勢いに就き、其の便に因りて、其の性を失わず。高き者には黍、中なる者には稷、下なる者には稲、蒲葦菅蒯の用乏しからず、麻麦黍粱も亦尽きず、山林の禽獣、川沢の魚鱉滋殖し、王者は京師にして四方に通じて之を致す。
現代語訳
八方の果ての内側に四つの海があり、四海の内側に九つの州がある。天子は中央の州に居して八方を統治するのみである。両河の間を冀州といい、黄河の南を豫州といい、黄河の西を雍州といい、漢水の南を荊州といい、長江の南を揚州といい、済水の南方を兗州といい、済水の東を徐州といい、燕の地を幽州といい、斉の地を青州という。山川・湿地・丘陵・平地など、それぞれの土地に適した五種の土壌があり、聖王はその地勢に従い、その便益に応じて、その土地本来の性質を損なわないようにした。高地には黍を、中位の地には稷を、低地には稲を植えさせ、蒲・葦・菅・蒯といった資材も不足させず、麻・麦・黍・粱も尽きることなく、山林の鳥獣、川沢の魚鼈も繁殖し、王者は都にいながら四方に通じてこれらを手に入れることができた。
解説

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呂氏春秋・有始④何をか九州と曰う。河・漢の間を豫州と為す、周なり。兩河の間を冀州と為す、晉なり。河・濟の間を兗州と為す、衛なり。東方を青州と為す、齊なり。泗上を徐州と為す、魯なり。東南を揚州と為す、越なり。南方を荊州と為す、楚なり。西方を雍州と為す、秦なり。北方を幽州と為す、燕なり。
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『淮南子』墜形訓墬形の載する所、六合の間、四極の内、之を照らすに日月を以てし、之を經するに星辰を以てし、之を紀するに四時を以てし、之を要するに太歲を以てす。天地の間、九州八極、土に九山有り、山に九塞有り、澤に九藪有り、風に八等有り、水に六品有り。何をか九州と謂う。東南の神州を農土と曰い、正南の次州を沃土と曰い、西南の戎州を滔土と曰い、正西の弇州を並土と曰い、正中の冀州を中土と曰い、西北の台州を肥土と曰い、正北の泲州を成土と曰い、東北の薄州を隱土と曰い、正東の陽州を申土と曰う。
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五行大義・第三明数・第五論九宮数雍は西北の位に居り、陽の至らざる所、陰気壅閼(ようあつ)す、取りて以て名と為す、と。其の地は西は黒水に拠り、東は西河に距る。禹貢に云う、黒水西河は惟れ雍州、と。呂氏に云う、雍州は秦なり、と。爾雅に云う、河西を雍州と曰う、と。梁州とは、太康地記に云う、梁は剛なり。西方金剛の気を取り、剛強を以て名と為すなり、と。其の地は東は華山に拠り、西は黒水に距る。禹貢に曰く、華陽黒水は惟れ梁州、と。兗州とは、釈名に云う、兗水を取りて名と為す、と。太康地記に曰く、其の信を履み貞正を稟くるの意を辨ずるなり、と。其の地は東南は済に拠り、西北は河に距る。禹貢に曰く、済河は惟れ兗州、と。揚州とは、釈名に云う、揚州は水多く、水波揚がるなり、と。其の地は北は淮に拠り、東は海に距る。禹貢に云う、淮海は惟れ揚州、と。呂氏に曰く、揚州は越なり、と。爾雅に曰く、江南を揚州と曰う、と。今、九宮の位に依れば、冀州は正北、坎宮に在り。荆州は西南、坤宮に在り。青州は正東、震宮に在り。徐州は東南、巽宮に在り。豫州は中央、中宮に在り。雍州は西北、乾宮に在り。梁州は正西、兌宮に在り。兗州は東北、艮宮に在り。揚州は正南、離宮に在り。其の位、此の解と相似たり。太一は兗州を以て正北、坎の位に在りとし、青州は東北、艮の位に在り、徐州は正東、震の位に在り、揚州は東南、巽の位に在り、荆州は正南、離の位に在り、梁州は西南、坤の位に在り、雍州は正西、兌の位に在り、冀州は西北、乾の位に在りとす。此れ竝びに五行本始の気に従う。西北は亥の地、故に坎水之に居る。東北は寅の地、故に震木之に居る。東南は巳の地、故に離火之に居る。西南は申の地、故に兌金之に居る。乾は金たり、故に本の金の位に従う。巽は木たり、故に本の木の位に従う。
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礼記・王制凡そ四海の内は九州、州は方千里。州ごとに、百里の国三十、七十里の国六十、五十里の国百有二十を建て、凡そ二百一十国。名山大沢は以て封ぜず、其の余は以て附庸・間田(かんでん)と為す。八州、州ごとに二百一十国。
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