言志四録 / 言志耋録 第二百八十七条 養生の訣は敬に帰す
道理無往不然。敬一字。固修身工夫。養生之訣。亦歸於一箇敬。
新字:道理無往不然。敬一字。固修身工夫。養生之訣。亦帰於一箇敬。
書き下し
道理は往くとして然らざる無し。敬の一字は、固より修身の工夫なり。養生の訣も、亦一箇の敬に帰す。
現代語訳
道理というものは、どこに行ってもそのとおりでないところはない。「敬」の一字は、もとより身を修める工夫である。養生の秘訣もまた、この一つの敬に帰着する。
解説
道理は何事にも通じるもので、「敬」の一字はもともと身を修めるための工夫だが、養生の秘訣もまたこの敬に帰する、と一斎は言います。朱子学では「持敬」、心を一つに集めて散らさず慎むことを修養の根本に置きます。一斎はそれを倫理の領域だけでなく、身体を養うことにまで広げました。心が慎み深く整っていれば、飲食も起居も度を越さず、自然と身体も守られるということでしょう。前条の「敬は終身の孝」を受け、ここから数条にわたり養生論が展開されます。健康管理をテクニックの問題としてだけでなく、日々の心の持ちようとつながったものとして捉え直すと、生活の整え方も違って見えてくるかもしれません。
この章句が説くこと
敬養生修身持敬心身一如
関連する章句
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『呻吟語』内篇・談道・敬は人を擇ばず、事を擇ばず、時を擇ばず或ひと敬の道を問ふ。曰く、「外面整齊嚴肅、内面齊莊中正なるは、是れ靜時涵養底の敬なり。書を讀めば則ち心讀む所に在り、事を治むれば則ち心治むる所に在るは、是れ主一無適底の敬なり。門を出づれば大賓を見るがごとく、民を使ふには大祭を承くるがごとくなるは、是れ隨事小心底の敬なり」と。或ひと曰く、「若し笑談歌詠、宴息造次の時ならば、恐らくは是くのごとくんば則ち矜持して泰然ならざらん」と。曰く、「敬は端嚴を以て體と為し、虛活を以て用と為し、正を離れざるを以て主と為す。齋日に衣冠して寢ぬるは、祭る所の者を夢寐すればなり。齋せざるの寢は、則ち衣を解き冕を脫ぐ。未だ衣冕を釋きて敬を持する者有らず。然り而して心邪僻に流れず、事道義に詭らざれば、則ち其の敬為るを害せず。君若し專ら端嚴の上に去きて敬を求めば、則ち鋤を荷ひ畚を負ひ、轡を執り車を御し、鄙事賤役、古の聖賢も皆之を為せり。豈に能く日日手容恭しく足容重からんや。又孔子の肱を曲げ掌を指し、及び居るに容らざる、點の沂に浴するがごときも、何ぞ其の敬為るを害せんや。大端心と正と依り、事と道と合へば、端嚴に拘拘たらずと雖も、其の敬為るを害せず。苟くも心千里に游び、意百欲を逐ひて、此の身は卻つて兀然として端嚴に此に在らば、這れは敬なりや否や。譬へば謹んで避け深く藏れ、燭を秉り珮を鳴らし、緩やかに步み輕く聲するは、女教の『内則』原と是くのごとし。貞信を養ふ所以なり。若し饁婦汲妻及び顛沛奔走の際に當たらば、自ら是れ迴避し得ず。然り而して貞信の守は深藏謹避する者と同じ。是れ何ぞ其の女教為るを害せんや。是の故に敬は人を擇ばず、敬は事を擇ばず、敬は時を擇ばず、敬は地を擇ばず。只だ個の心と正と依り、事と道と合ふを要するのみ」と。
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『呻吟語』内篇・修身・苟を反して敬と為す敬なる者は、苟せざるの謂ひなり。故に苟を反して敬と為す。
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