言志四録 / 言志耋録 第百三条 夢は心の画図
感。是心之影子。夢。是心之畫圖。
新字:感。是心之影子。夢。是心之画図。
書き下し
感は、是れ心の影子なり。夢は、是れ心の画図なり。
現代語訳
何かを感じることは、心が落とす影である。夢は、心が描き出した絵である。
解説
夢を論じる一連の条の中の、ごく短い一条です。外のものに触れて何かを感じるのは、心がそこに影を落とすことであり、夢は心が自ら描き出した絵だと一斎は言います。「影子」は影、「画図」は絵のことです。感じることも夢みることも、心の外にあるものではなく、心そのものが形をとって現れたものだという見方でしょう。前条では、夢が繰り返されるのは念慮が滞っているからだと述べていました。ここではそれを一般化して、感覚や夢を手がかりに心の状態を知ることができると示しています。自分が何に反応し、何を夢に見ているのかに目を向けることが、自分を知る入口になるのかもしれません。
この章句が説くこと
心夢感情自己認識
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