言志四録 / 言志晩録 第二百八十五条 生生之を易と謂ふ
生。是死之始。死是生之終。不生則不死。不死則不生。生固生。死亦生。生生之謂易。即此。
書き下し
生は、是れ死の始め、死は是れ生の終り。生ぜざれば則ち死せず、死せざれば則ち生ぜず。生も固より生、死も亦生。「生生之を易と謂ふ」とは、即ち此れなり。
現代語訳
生は死の始まりであり、死は生の終わりである。生まれなければ死ぬことはなく、死ななければ生まれることもない。生はもとより生であるが、死もまた生である。『易経』に「生み生みてやまないことを易という」とあるのは、まさにこのことである。
解説
生と死を対立するものではなく、一つの流れの両端として捉えた一条です。生まれたから死があり、死があるから新たな生がある。さらに一斎は「死も亦生」と言い切ります。個々の死は、天地が絶えず生み出していく大きな働きの一部だからです。引かれる「生生之を易と謂ふ」は『易経』繋辞上伝の言葉で、万物が生まれては変じ、変じてはまた生まれる、その絶えざる生成こそが易の本質だという意味です。晩年の一斎は、死を恐れる対象ではなく、天地の生々の中に位置づけて見ようとしていました。終わりを単なる喪失でなく次の生成の始まりと見る視点は、事業や組織の終わりと始まりを考えるときにも一つの手がかりになります。
この章句が説くこと
死生観易生生循環
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