言志四録 / 言志晩録 第百十三条 備へ有れば患無し
英傑非常人物。固爲不世出。然屈於下位不得志。則不能肆其能。幸得地位。則或圖遠略。古今往往有之。不知當今諸蕃君長人物果何如。葢有備無患。我惟當致警於無事之日耳。
新字:英傑非常人物。固為不世出。然屈於下位不得志。則不能肆其能。幸得地位。則或図遠略。古今往往有之。不知当今諸蕃君長人物果何如。葢有備無患。我惟当致警於無事之日耳。
書き下し
英傑非常の人物は、固より不世出為り。然れども下位に屈して志を得ざれば、則ち其の能を肆にする能はず。幸に地位を得れば、則ち或は遠略を図る。古今往往にして之有り。知らず、当今諸蕃の君長の人物果して何如。蓋し備へ有れば患無し。我は惟だ当に警を無事の日に致すべきのみ。
現代語訳
並外れた英雄豪傑は、もとより世にめったに現れない。しかしそうした人物も、低い地位に押さえつけられて志を得られなければ、その能力を存分に発揮することはできない。幸いに地位を得れば、あるいは遠方への侵略を企てる。古今にしばしばあることである。今の外国諸国の君主や指導者がどのような人物なのかはわからない。思うに、備えがあれば憂いはない。わが国はただ、何事もない日にこそ警戒を尽くすべきである。
解説
外国の脅威を論じた条で、晩録が書かれたころの対外的な緊張がうかがえます。一斎は、非凡な英雄は稀だが、地位を得ると遠方への経略を企てることがあると歴史から述べ、今の諸外国の指導者がどんな人物かはわからないと言います。相手の出方が読めない以上、頼れるのは自分の備えだけです。そこで『書経』の「備へ有れば患無し」を引き、何事もない日にこそ警戒を尽くせと結びます。危機が起こってから慌てるのではなく、平穏なときに備える。先の条で治世に身を慎む難しさを述べたこととも重なります。業績が好調なときにこそ次のリスクに手を打てているか、自分の組織に引きつけて考える材料になります。
この章句が説くこと
有備無患海防危機管理平時の備え警戒
関連する章句
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史記 項羽本紀今関に入りて、財物取る所無く、婦女幸する所無し、此れ其の志小に在らず。吾人をして其の気を望ましむるに、皆龍虎を為し、五采を成す、此れ天子の気なり。急ぎ撃ちて失ふ勿かれ。」と。楚の左尹項伯は、項羽の季父なり、素より留侯張良に善し。張良是の時沛公に従ふ、項伯乃ち夜馳せて沛公の軍に之き、私かに張良に見え、具に告ぐるに事を以てし、張良を呼びて与に倶に去らんと欲す。曰く、「倶に死する毋かれ。」と。張良曰く、「臣韓王の為に沛公を送る、沛公今事急有り、亡げ去るは不義なり、語らざるべからず。」と。良乃ち入りて、具に沛公に告ぐ。沛公大いに驚きて、曰く、「之を為すこと柰何(いかん)。」と。張良曰く、「誰か大王の為に此の計を為せし者ぞ。」と。曰く、「鯫生(そうせい)我に説きて曰く『関を距(ふせ)ぎ、諸侯を内(い)るる毋くんば、秦の地尽く王たるべし』と。故に之を聴く。」と。良曰く、「大王の士卒を料るに以て項王に当たるに足るか。」と。沛公默然として、曰く、「固より如かず、且つ之を為すこと柰何。」と。張良曰く、「請ふ往きて項伯に謂ひ、沛公敢へて項王に背かざるを言はん。」と。沛公曰く、「君安んぞ項伯と故有る。」と。張良曰く、「秦の時臣と游ぶ、項伯人を殺す、臣之を活かす。今事急有り、故に幸ひに来りて良に告ぐ。」と。沛公曰く、「君と孰れか少長なる。」と。良曰く、「臣より長なり。」と。沛公曰く、「君我が為に呼び入れよ、吾兄として之に事ふるを得ん。」と。張良出でて、項伯を要(むか)ふ。項伯即ち入りて沛公に見ゆ。沛公巵酒を奉じて寿を為し、約して婚姻を為し、曰く、「吾関に入りて、秋豪も敢へて近づく所有らず、吏民を籍し、府庫を封じて、将軍を待つ。将を遣はして関を守らしむる所以の者は、他盗の出入と非常とに備ふるなり。日夜将軍の至るを望む、豈に敢へて反かんや。願はくは伯具に臣の敢へて徳に倍(そむ)かざるを言へ。」と。項伯許諾す。沛公に謂ひて曰く、「旦日蚤く自ら来りて項王に謝せざるべからず。」と。沛公曰く、「諾。」と。是に於て項伯復た夜去り、軍中に至り、具に沛公の言を以て項王に報ず。
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史記 孝景本紀三月丁酉、天下に赦し、爵一級を賜ひ、中二千石・諸侯の相に爵右庶長を賜ふ。四月、大いに酺す。五月丙戌、地動く、其の蚤食の時復た動く。上庸地動くこと二十二日、城垣を壊す。七月乙巳、日食す。丞相劉舎免ぜらる。八月壬辰、御史大夫綰を以て丞相と為し、建陵侯に封ず。後二年正月、地一日に三たび動く。郅将軍匈奴を撃つ。酺すること五日。内史の郡をして馬に粟を食ましむるを得ず、県官に没入せしむ。徒隷をして七緵の布を衣しむ。馬舂を止む。歳の登らざるが為に、天下の歳を造らざるに食するを禁ず。列侯を省きて之を国に遣る。三月、匈奴雁門に入る。十月、長陵の田を租す。大いに旱す。衡山国・河東・雲中郡の民疫す。後三年十月、日月皆(食)赤きこと五日。十二月晦、雷あり。日紫の如し。五星逆行して太微を守る。月天廷の中を貫く。
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