言志四録 / 言志後録 第二百二十二条 財を運らすに道有り
運財有道。在不欺人。不欺人在不自欺。
書き下し
財を運らすに道有り。人を欺かざるに在り。人を欺かざるは自ら欺かざるに在り。
現代語訳
財をやりくりするには道がある。それは人を欺かないことにある。人を欺かないことは、自分を欺かないことにある。
解説
財の運用の道を、人を欺かないこと、さらに自分を欺かないことへと掘り下げた条です。「自ら欺く毋かれ」は『大学』の誠意の章の言葉で、心の中で善を好み悪を憎む思いに偽りがないことを言います。帳簿をごまかしたり取引相手をだましたりすることは、その前に「これくらいは構わない」と自分に言い訳をするところから始まる、と一斎は見ています。一斎は岩村藩の財政にも意見を述べた人で、理財を単なる計算ではなく心の問題としてとらえていました。会計の不正や数字の粉飾は、多くの場合小さな自己正当化の積み重ねです。数字を扱う仕事の根に誠実さがあることを示す条です。
この章句が説くこと
理財誠自欺信用
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