学論抄録 / 争わずに勝つ決疑の秘訣と柔よく剛を制す
亦只敎其閑四體運用之設而已矣、其要則非以息喘體疲爲好矣、別有不爭而勝之秘訣焉、雖有力能拔山扛鼎者、亦不足懼焉耳、此是一道之蘊奧、號曰決疑、解勝敗不恃力之疑也、但自非講習之久、則豈能遽領會之、是故不敢以示人、今爲子少泄其秘、乃命屛人、獨柳情子與近侍某行之、其爲業也、與前件手段迥異矣、從容和平、一接便勝、面如不知、而應手功成、敵失其所爭、所謂柳枝隨風、無作而作者也、先生乃親自起而相向、直拔出其所佩眞刀而接之、把住轉展、以刃或當其咽、或廻其項、紛紜交錯、恰如糾纏、寒光閃々、座上風生、而不有毫所傷、嗚呼、不亦奇耶、愚觀畢歎曰、熟練之妙其如此、實是公侯干城、國家爪牙矣哉、孫子曰、全國爲上、破國次之、又曰、全爭於天下、小大雖異、理則同矣、已而延別室、而賜座、張飮盡歡、卒賦一詩、以伸謝、時已逮昏、辭而出矣、還家思上事、世嗜武技者、多切齒怒目、張膽激氣、類以爲常、而知溫柔無敵者殆希矣、嘗周亞父下營於柳下、陶淵明卜居於柳陰、亦有潛聽□愛者也歟、若夫美人細腰歌舞聲音之引、亦有以比之、而愛焉者、溺焉者、其情頓異也、柳乎柳乎、武技而取之、至矣、竟記以告同好云、
新字:亦只教其閑四体運用之設而已矣、其要則非以息喘体疲為好矣、別有不争而勝之秘訣焉、雖有力能抜山扛鼎者、亦不足懼焉耳、此是一道之蘊奥、号曰決疑、解勝敗不恃力之疑也、但自非講習之久、則豈能遽領会之、是故不敢以示人、今為子少泄其秘、乃命屛人、独柳情子与近侍某行之、其為業也、与前件手段迥異矣、従容和平、一接便勝、面如不知、而応手功成、敵失其所争、所謂柳枝随風、無作而作者也、先生乃親自起而相向、直抜出其所佩真刀而接之、把住転展、以刃或当其咽、或廻其項、紛紜交錯、恰如糾纏、寒光閃々、座上風生、而不有毫所傷、嗚呼、不亦奇耶、愚観畢嘆曰、熟練之妙其如此、実是公侯干城、国家爪牙矣哉、孫子曰、全国為上、破国次之、又曰、全争於天下、小大雖異、理則同矣、已而延別室、而賜座、張飲尽歓、卒賦一詩、以伸謝、時已逮昏、辞而出矣、還家思上事、世嗜武技者、多切歯怒目、張胆激気、類以為常、而知温柔無敵者殆希矣、嘗周亜父下営於柳下、陶淵明卜居於柳陰、亦有潜聴□愛者也歟、若夫美人細腰歌舞声音之引、亦有以比之、而愛焉者、溺焉者、其情頓異也、柳乎柳乎、武技而取之、至矣、竟記以告同好云、
書き下し
亦た只だ其の四体運用の設を閑ふを教ふるのみ。其の要は則ち息喘ぎ体疲るるを以て好しと為すに非ず。別に争はずして勝つの秘訣有り。力の能く山を抜き鼎を扛ぐる者有りと雖も、亦た懼るるに足らざるのみ。此れ是れ一道の蘊奥にして、号して決疑と曰ふ。勝敗は力を恃まざるの疑ひを解くなり。但だ講習の久しきに非ざれば、則ち豈に能く遽かに之を領会せん。是の故に敢へて人に示さず。今子の為に少しく其の秘を泄らさんと、乃ち人を屏け、独り柳情子と近侍某をして之を行はしむ。其の業たるや、前件の手段と迥かに異なり。従容和平にして、一たび接すれば便ち勝つ。面は知らざるが如くして、手に応じて功成る。敵は其の争ふ所を失ふ。所謂柳枝の風に随ひ、作す無くして作す者なり。先生乃ち親ら起ちて相向かひ、直ちに其の佩ぶる所の真刀を抜き出して之に接し、把住転展し、刃を以て或いは其の咽に当て、或いは其の項を廻らし、紛紜交錯し、恰も糾纏するが如し。寒光閃々として、座上風生ず。而るに毫も傷つく所有らず。嗚呼、亦た奇ならずや。愚観畢りて歎じて曰く、熟練の妙其れ此くの如し、実に是れ公侯の干城、国家の爪牙なるかな、と。孫子曰く、国を全うするを上と為し、国を破るは之に次ぐ、と。又た曰く、天下に全争す、と。小大異なると雖も、理は則ち同じ。已にして別室に延き、座を賜ひ、張飲して歓を尽くす。卒に一詩を賦して、以て謝を伸ぶ。時に已に昏に逮ぶ。辞して出づ。家に還りて上の事を思ふに、世の武技を嗜む者は、多く切歯怒目し、胆を張り気を激するを、類ね以て常と為し、温柔にして敵無きを知る者は殆ど希なり。嘗て周亜父、柳下に営を下し、陶淵明、柳陰に居を卜す。亦た□を潜聴し愛する者有るか。若し夫れ美人の細腰、歌舞声音の引、亦た以て之に比して愛する者、溺るる者有るも、其の情は頓に異なる。柳よ柳よ、武技にして之を取るは、至れり。竟に記して以て同好に告ぐと云ふ。
現代語訳
ただ四肢を運用する設けを習熟させるのを教えているだけです。その要は、息が上がり体が疲れるのをよしとするものではありません。別に、争わずして勝つ秘訣があります。山を抜き鼎を持ち上げるほどの力のある者がいても、恐れるに足りません。これは一道の奥義で、「決疑」と名づけます。勝敗は力を恃まないという疑いを解くものです。ただ、長く講習した者でなければ、すぐに会得できるものではありません。だから、敢えて人に示しません。今、あなたのために少しその秘を明かしましょう」。そこで人を遠ざけ、ただ柳情子と近侍の某にこれを行わせました。その業は、前に見た手段とは大いに異なり、ゆったりとして穏やかで、一たび接すればすぐに勝ち、顔は知らないふりのようで手に応じて功が成り、敵はその争うところを失います。いわゆる柳の枝が風に従うように、作為なくして作す、というものです。先生はついに自ら起って向かい合い、佩いていた真剣をそのまま抜き出して相手に接し、握ったまま転じ、刃を喉に当て、あるいは首筋に回し、入り乱れ交錯して、まるで絡み合うようでした。冷たい光がきらめき、座上に風が生じるほどなのに、少しも傷つくことがありません。ああ、不思議ではありませんか。私は観終わって嘆いて言いました。「熟練の妙はこのとおりです。まことに公侯の干城、国家の爪牙です」と。孫子は「国を全うするのを上とし、国を破るのはこれに次ぐ」と言い、また「天下に全く争う」と言います。大小は異なっても、理は同じです。やがて別室に招かれ、座を賜り、宴を張って歓を尽くし、ついに一詩を作って謝意を述べました。時はすでに夕暮れに及び、辞して出ました。家に帰って先のことを思うに、世の武技を好む者は、多く歯を食いしばり目を怒らせ、胆を張り気を激することを常とし、穏やかでやわらかくて敵がないことを知る者はほとんどまれです。かつて周亜父は柳の下に陣を置き、陶淵明は柳の陰に居を卜しました。これも(底本で判読できない字)を潜かに聴いて愛した者がいたのでしょうか。美人の細い腰や、歌舞や声音の誘いも、これに比べて愛する者、溺れる者はいますが、その情はまったく異なります。柳よ、柳よ。武技としてこれを取るのは、至れりです。ついに記して同好の者に告げます。
解説
この章句が説くこと
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