学論抄録 / 楊心流の技と門下の稽古を見た記録
試使數十人一齊圍之、則飛騰躱閃、窈焉冥焉、恍乎忽乎、未曾有一人知所下手者矣、加之適遇蕃客、傳得殺活廿五勢神術、於是乎益進、遂震奇一時、所謂殺活者、一拳輒殺人、數十人應手而仆、又一拳輒活人、數十人應手而起、方其仆也、息絶色變、無毫生氣、方其起也、神色自若、起居如常、而問前事都不知之、殆如夢覺、實是司命之手、豈不神耶、術成而甚秘惜之、故雖徒弟盡力、然極其蘊者殆希矣、關左崛起續其統者、秀先生一人而已耳、兒俊英(號柳條)遇其陶冶、而得頗覷秘蘊、先生因聽愚觀一塲之業、乃卜日而訪焉、先生豫命會高弟數輩、待以破格隆禮、到則左右迎延而就座、先生自內出、敍喧涼、畢、茶菓供進、頃之命開敎塲、乃令嗣柳情生、及伊柳苗、石柳絮、三柳英、鈴柳水、兒柳條等、局曹分布、兩兩相當、數十番而止、愚觀其所作、其正立疾走、如山峙波崩、其腰戾足蹴、如弓開機駭、勢似沈而反浮、如水上葫蘆、狀似止而仍轉、如盤面玉顆、或披甲揮木劔、以逞其威、或張拳發喊聲、以奪其氣、虎豹之勇猛、犀兕之牴觸、猿猴之輕捷、熊羆之拏攫、乍合乍散、更進更休、變態百出、不可端倪也、先生曰、一塲作業種々雖異、
新字:試使数十人一斉囲之、則飛騰躱閃、窈焉冥焉、恍乎忽乎、未曽有一人知所下手者矣、加之適遇蕃客、伝得殺活廿五勢神術、於是乎益進、遂震奇一時、所謂殺活者、一拳輒殺人、数十人応手而仆、又一拳輒活人、数十人応手而起、方其仆也、息絶色変、無毫生気、方其起也、神色自若、起居如常、而問前事都不知之、殆如夢覚、実是司命之手、豈不神耶、術成而甚秘惜之、故雖徒弟尽力、然極其蘊者殆希矣、関左崛起続其統者、秀先生一人而已耳、児俊英(号柳条)遇其陶冶、而得頗覷秘蘊、先生因聴愚観一塲之業、乃卜日而訪焉、先生予命会高弟数輩、待以破格隆礼、到則左右迎延而就座、先生自内出、叙喧涼、畢、茶菓供進、頃之命開教塲、乃令嗣柳情生、及伊柳苗、石柳絮、三柳英、鈴柳水、児柳条等、局曹分布、両両相当、数十番而止、愚観其所作、其正立疾走、如山峙波崩、其腰戻足蹴、如弓開機駭、勢似沈而反浮、如水上葫蘆、状似止而仍転、如盤面玉顆、或披甲揮木剣、以逞其威、或張拳発喊声、以奪其気、虎豹之勇猛、犀兕之牴触、猿猴之軽捷、熊羆之拏攫、乍合乍散、更進更休、変態百出、不可端倪也、先生曰、一塲作業種々雖異、
書き下し
試みに数十人をして一斉に之を囲ましむれば、則ち飛騰躱閃し、窈焉冥焉、恍乎忽乎として、未だ曽て一人の手を下す所を知る者有らず。加之、適ま蕃客に遇ひ、殺活廿五勢の神術を伝へ得たり。是に於いて益々進み、遂に一時に震奇す。所謂殺活とは、一拳にして輒ち人を殺し、数十人手に応じて仆る。又た一拳にして輒ち人を活かし、数十人手に応じて起つ。其の仆るるに方りては、息絶え色変じ、毫も生気無し。其の起つに方りては、神色自若として、起居常の如し。而して前の事を問へば都て之を知らず、殆ど夢の覚むるが如し。実に是れ司命の手、豈に神ならずや。術成りて甚だ之を秘惜す。故に徒弟力を尽くすと雖も、其の蘊を極むる者は殆ど希なり。関左に崛起して其の統を続ぐ者は、秀先生一人のみ。児俊英(号は柳条)其の陶冶に遇ひ、頗る秘蘊を覷ふを得たり。先生愚に一場の業を観ることを聴し、乃ち日を卜して訪ふ。先生予め高弟数輩に会ふを命じ、待つに破格の隆礼を以てす。到れば則ち左右迎延して座に就く。先生内より出で、喧涼を叙べ、畢りて、茶菓供進す。頃之して教場を開くを命じ、乃ち令嗣柳情生、及び伊柳苗、石柳絮、三柳英、鈴柳水、児柳条等をして、局曹分布し、両々相当たらしむ。数十番にして止む。愚其の作す所を観るに、其の正立疾走は、山の峙ち波の崩るるが如し。其の腰戻足蹴は、弓の開き機の駭くが如し。勢沈むに似て反って浮かぶこと、水上の葫蘆の如く、状止まるに似て仍ち転ずること、盤面の玉顆の如し。或いは甲を披て木剣を揮ひ、以て其の威を逞しくし、或いは拳を張り喊声を発し、以て其の気を奪ふ。虎豹の勇猛、犀兕の牴触、猿猴の軽捷、熊羆の拏攫、乍ち合し乍ち散じ、更も進み更も休み、変態百出して端倪すべからず。先生曰く、一場の作業種々異なると雖も、
現代語訳
試しに数十人に一斉にこれを囲ませても、飛び跳ね身をかわし、奥深く暗く、とらえどころなく、誰ひとり手を下すところを知る者がいませんでした。そのうえ、たまたま外国の客に会って、殺活二十五勢の神術を伝え得ました。そこでますます進歩し、ついに一時世を震わせました。いわゆる殺活とは、一拳で人を殺し、数十人が手に応じて倒れ、また一拳で人を活かし、数十人が手に応じて起きる、というものです。倒れるときは、息が絶え顔色が変わり、少しの生気もありません。起きるときは、顔つきは平然として、起き居るさまは常のとおりで、前のことを問えば何も知らず、まるで夢から覚めたようです。まことに命を司る手で、神妙ではありませんか。術が成ってから、これを深く秘め惜しみました。そのため弟子が力を尽くしても、その奥義を極めた者はほとんどまれです。関東に抜きんでてその系統を継いだ者は、秀先生ひとりだけです。わが子の俊英(号は柳条)がその指導に遇い、かなり秘奥をうかがうことができました。先生は私が一場の業を観ることを聞き入れ、日を卜して訪ねました。先生はあらかじめ高弟数人に集まるよう命じ、格別に手厚い礼で待遇しました。到着すると、左右が迎え入れて座に就かせ、先生が奥から出てきて、時候の挨拶を述べ、終わって茶菓が供されました。しばらくして教場を開くよう命じ、令嗣の柳情生、および伊柳苗、石柳絮、三柳英、鈴柳水、わが子の柳条らに、局ごとに分かれて、二人ずつ相対させました。数十番で止みました。私がその所作を観ると、まっすぐ立つのも疾走するのも、山が聳え波が崩れるようで、腰をひねり足で蹴るのは、弓が開き仕掛けが驚くように発するようです。勢いは沈むようで反って浮かび、水上の瓢箪のようで、姿は止まるようでやはり転じ、盤上の玉のようでした。あるいは甲を着けて木剣を揮い、威を逞しくし、あるいは拳を張って喊声を発し、気を奪います。虎や豹の勇猛、犀や兕の突き、猿の軽捷、熊や羆の掴みかかり、たちまち合いたちまち散じ、かわるがわる進みかわるがわる休み、変化の姿は百出して見極められません。先生は言いました。「一場の作業は種々異なりますが、
解説
この章句が説くこと
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『学論抄録』・争わずに勝つ決疑の秘訣と柔よく剛を制す亦た只だ其の四体運用の設を閑ふを教ふるのみ。其の要は則ち息喘ぎ体疲るるを以て好しと為すに非ず。別に争はずして勝つの秘訣有り。力の能く山を抜き鼎を扛ぐる者有りと雖も、亦た懼るるに足らざるのみ。此れ是れ一道の蘊奥にして、号して決疑と曰ふ。勝敗は力を恃まざるの疑ひを解くなり。但だ講習の久しきに非ざれば、則ち豈に能く遽かに之を領会せん。是の故に敢へて人に示さず。今子の為に少しく其の秘を泄らさんと、乃ち人を屏け、独り柳情子と近侍某をして之を行はしむ。其の業たるや、前件の手段と迥かに異なり。従容和平にして、一たび接すれば便ち勝つ。面は知らざるが如くして、手に応じて功成る。敵は其の争ふ所を失ふ。所謂柳枝の風に随ひ、作す無くして作す者なり。先生乃ち親ら起ちて相向かひ、直ちに其の佩ぶる所の真刀を抜き出して之に接し、把住転展し、刃を以て或いは其の咽に当て、或いは其の項を廻らし、紛紜交錯し、恰も糾纏するが如し。寒光閃々として、座上風生ず。而るに毫も傷つく所有らず。嗚呼、亦た奇ならずや。愚観畢りて歎じて曰く、熟練の妙其れ此くの如し、実に是れ公侯の干城、国家の爪牙なるかな、と。孫子曰く、国を全うするを上と為し、国を破るは之に次ぐ、と。又た曰く、天下に全争す、と。小大異なると雖も、理は則ち同じ。已にして別室に延き、座を賜ひ、張飲して歓を尽くす。卒に一詩を賦して、以て謝を伸ぶ。時に已に昏に逮ぶ。辞して出づ。家に還りて上の事を思ふに、世の武技を嗜む者は、多く切歯怒目し、胆を張り気を激するを、類ね以て常と為し、温柔にして敵無きを知る者は殆ど希なり。嘗て周亜父、柳下に営を下し、陶淵明、柳陰に居を卜す。亦た□を潜聴し愛する者有るか。若し夫れ美人の細腰、歌舞声音の引、亦た以て之に比して愛する者、溺るる者有るも、其の情は頓に異なる。柳よ柳よ、武技にして之を取るは、至れり。竟に記して以て同好に告ぐと云ふ。
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