学論抄録 / 叙・道を学ぶ順序と学論を著す志
道也者。天下公共之理。何有憎愛耶。知率性而不可離之爲道者。則不惑矣。先王之所立。即是也已。故學道必師古。復何求其他。但學者不得其所入則惑。故曰。可與學。未可與適道。蓋知至道在聖人。聖人歿而道在經典者。方向已定矣。可與適道。夫聖經者。斯道之鑑衡也。而文理未察。則微言不折。猶鏡未明衡未平。其所道何以得正。故未可與立。立如民無信不立之立。夫子曰。立於禮。禮是先王繼天立極之所制。人所以立也。而應變。非常禮之所能盡也。故未可與權。蓋精義入神。推通天下之物。而應用自在。左右逢原。乃接萬變。輕重稱宜。夷險一節。隨境自安。故曰。君子莫入而不自得焉。其然。是以不改其樂。德之所以成也。方今爲童蒙粗論之。命曰學論。若夫博雅君子惡乎敢。寶曆五年乙亥季春中澣 觀山自叙
新字:道也者。天下公共之理。何有憎愛耶。知率性而不可離之為道者。則不惑矣。先王之所立。即是也已。故学道必師古。復何求其他。但学者不得其所入則惑。故曰。可与学。未可与適道。蓋知至道在聖人。聖人歿而道在経典者。方向已定矣。可与適道。夫聖経者。斯道之鑑衡也。而文理未察。則微言不折。猶鏡未明衡未平。其所道何以得正。故未可与立。立如民無信不立之立。夫子曰。立於礼。礼是先王継天立極之所制。人所以立也。而応変。非常礼之所能尽也。故未可与権。蓋精義入神。推通天下之物。而応用自在。左右逢原。乃接万変。軽重称宜。夷険一節。随境自安。故曰。君子莫入而不自得焉。其然。是以不改其楽。徳之所以成也。方今為童蒙粗論之。命曰学論。若夫博雅君子悪乎敢。宝暦五年乙亥季春中澣 観山自叙
書き下し
道なる者は、天下公共の理なり。何ぞ憎愛有らんや。性に率ひて離るべからざるを之れ道と為すを知る者は、則ち惑はず。先王の立つる所は、即ち是れのみ。故に道を学ぶには必ず古に師とし、復た何ぞ其の他を求めん。但だ学者其の入る所を得ざれば則ち惑ふ。故に曰く、与に学ぶべし、未だ与に道に適くべからず、と。蓋し至道は聖人に在り、聖人歿して道は経典に在るを知れば、方向已に定まれり。与に道に適くべし。夫れ聖経は、斯の道の鑑衡なり。而るに文理未だ察せざれば、則ち微言折らず。猶ほ鏡未だ明らかならず衡未だ平らかならざるがごとし。其の道ふ所何を以て正しきを得ん。故に未だ与に立つべからず。立つは民信無くんば立たずの立つが如し。夫子曰く、礼に立つ、と。礼は是れ先王天を継ぎ極を立つるの制する所にして、人の立つ所以なり。而れども変に応ずるは、常礼の能く尽くす所に非ず。故に未だ与に権るべからず。蓋し義を精にして神に入り、推して天下の物に通ずれば、応用自在にして、左右原に逢ふ。乃ち万変に接し、軽重宜しきに称ひ、夷険一節、境に随ひて自ら安んず。故に曰く、君子入りて自得せざる無し、と。其れ然り。是を以て其の楽しみを改めず、徳の成る所以なり。方今童蒙の為に粗ぼ之を論じ、命けて学論と曰ふ。博雅の君子の若きは、惡くんぞ敢へてせん。宝暦五年乙亥季春中澣、観山自ら叙す。
現代語訳
道というものは、天下に公共の理です。そこに憎しみや愛着などあるでしょうか。本性に従って離れてはならないものを道とする、と知っている者は迷いません。先王が立てられたものが、まさにこれです。だから道を学ぶには必ず古を師とすべきで、ほかに何を求めましょう。ただ、学ぶ者がその入り口を得なければ迷います。そこで(孔子は)「ともに学ぶことはできても、まだともに道に進むことはできない」と言いました。思うに、至高の道は聖人にあり、聖人が亡くなってからは道は経典にあると知れば、方向はすでに定まっています。そうなればともに道に進めます。聖人の経典は、この道の鑑(かがみ)であり秤です。ところが文章の筋道をまだ明らかにしていなければ、奥深い言葉の意味を見分けられません。鏡がまだ明るくなく、秤がまだ平らでないようなもので、語るところがどうして正しくなりえましょう。だから「ともに立つことはまだできない」のです。この「立つ」は「民は信がなければ立たない」の立つと同じです。孔子は「礼に立つ」と言いました。礼は先王が天を継いで(人の)極を立てて定めたもので、人が立つ根拠です。しかし変事に応じることは、通常の礼で尽くせるものではありません。だから「ともに権(はか)ることはまだできない」のです。思うに、義を精密に究めて神妙の域に入り、推し広げて天下の物事に通じれば、応用は自在で、左右どちらでも根源に出会います。そうして万変に接し、軽重を適切に量り、平穏でも険難でも同じ節度を保ち、どんな境遇でも自ら安んじます。だから「君子はどこに入っても自得しないところがない」と言うのです。そうであるから、その楽しみを改めず、これが徳の成る理由となります。いま、童蒙(初学の者)のためにおおまかにこれを論じ、『学論』と名づけました。博識で雅やかな君子に示すなど、どうして敢えてできましょう。宝暦五年乙亥、晩春(三月)の中旬、観山が自ら序を記します。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『五常訓』巻之四・礼本立てば末は是より出づる理なり。末のみ修りて、本なきは、誠なくして、礼の道たたず。喪の礼は、ことさら真実ならでは行はれざるものなれば、既に礼の本を説きて、又其内より、喪の礼の本をかかげ出して説き給ふ。
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『五常訓』巻之四・礼一朱子曰、礼は即理の節文なり。いふ意は、万の行、道理にかなひて、過不及なく、程よきを云ふ。飲食の一事をいはば、うゑかわく時に飲み食ふは理なり。されども、飲み食ふべき理なりとて、みだりに多く飲み食へば、放逸にして、みだりがはしく、又必病を生ず。飲み食ふべき理にあたりて、過不及なく、よき程なるが、理の節文なり。万の事、是を以て知るべし。
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『五常訓』巻之四・礼一礼記に、子曰、敬ひて礼にあたらざる、これを野と云ふ。敬ふは誠によけれど、礼にかなはざれば、これ野きなり。敬によき程の法あり。過不及ありて、其法にかなはざるは、是礼にあたらざるなり。況やおごりて理にかなはざるは、ことに礼にそむけり。野きより、其害甚し。
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『弁名』禮礼は道の名なり。先王の制作する所の四教・六芸、是れ其の一に居る。所謂経礼三百、威儀三千、是れ其の物なり。六芸は、書・数は庶人の官に在る者、府・史・胥・徒の専ら務むる所と為す。御も亦た士の職とする所なり。射は諸侯に通ずと雖も、其の所謂射は、礼楽を以て之を行ふ、民の射の皮を主とする者の比に非ず。唯だ礼楽のみ乃ち芸の大なる者にして、君子の務むる所なり。而して楽は伶官に掌られ、君子以て徳を養ふのみ。礼に至りては則ち君子此を以て顕業と為す。是を以て孔子少くして礼を知るを以て称せられ、周に之きて礼を老聃に問ひ、杞に之き宋に之き、唯だ礼を之れ求む。子夏の記す所、曾子の問ふ所、七十子皆礼に断断たり。檀弓の諸篇に見ゆ。三代の君子の礼を務むる、以て見るべきのみ。
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『五常訓』巻之四・礼一威儀をつつしみ、衣冠を正しくし、視ること、聴くこと、言ふこと、動くことの四事につきて、各過不及なく、よき程の法あり。又親につかへ、君につかふるに、各さだまれる法あり。兄弟、夫婦に対し、賓客にまじはり、臣下に対し、民をつかひ、先祖鬼神をまつるも法あり。是礼は、皆天理のよき程なる節文にして、人事の定まれる作法なり。仁義皆理なりといへども、とりわき礼を理といへるに子細あり。理とは行ふべきすぢめなり。万事を行ふに、皆定まりたる作法あり。是人の行ふべきすぢめなり。是即礼なり。ここを以て聖人の説き給へる礼の字は、理の字にあたれり。然れども理といはずして礼といへるに、子細あり。理といへば形と事にあらはれたる迹なくして、虚なり。
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『弁名』禮是の礼楽の教は、黙して之を識るに在りと雖も、然れども人の知、至る有り、至らざる有り。故に孔子時有りてか、一隅を挙げて以て其の義を語る。義とは先王の礼を制する所以の義、戴記に載する所皆是れのみ。祇だ人の知、至る有り、至らざる有り。故に七十子の先王を信ずる、孔子の先王を信ずるに及ばず。其の人の七十子を信ずるも、亦た七十子の孔子を信ずるに及ばず。故に其の人に喩さんと欲するの急なる、其の義を論説して已まず。日に以て蔓衍し、以て戦国の時に至りて、義遂に礼を離れて孤行し、復た礼に就きて其の義を言はず。孟子の書を観て見るべきのみ。此れより其の後、古を去ること益〻遠く、義理の説益〻盛んに、囂然として以て天下を乱し、先王・孔子の教、蕩乎として尽く。悲しいかな。

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