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福沢諭吉小品集 / 日本男子論・第31段

前年外国よりある貴賓の来遊したるとき、東京の紳士と称する連中が頻りに周旋奔走して、礼遇至らざる所なきその饗応の一として、府下の芸妓を集め、大いに歌舞を催して一覧に供し、来賓も興に入りて満足したりとの事なりしが、実をいえばその芸妓なる者は大抵不倫の女子にして、歌舞の芸を演ずるの傍ら、往々言うべからざる醜行に身を汚し、ほとんど娼妓に等しき輩なれば、固より貴人の前に面すべき身分にあらず。西洋諸国の上流社会にてこの種の女子を賤しむは勿論、我が日本国においても、仮に封建時代の諸侯を饗するに今日の如き芸妓の歌舞を以てせんとしたらば、必ず不都合を訴うることならん。されば、かの貴賓もその芸妓の何ものたるを知らざりしこそ幸いなれ、もしも内実の事情を聞くこともありしならんには、饗応の満足に引替えて、失敬無状を憤りしことなるべし。これとてもさきの紳士連中は無礼と知りて行うたるにあらず、その平生において、男女品行上のことをば至って手軽に心得、ただ芸妓の容姿を悦び、美なること花の如しなどとて、徳義上の死物たる醜行不倫の女子も、潔清上品なる良家の令嬢も大同小異の観をなして、さては右の如き大間違いに陥りたるものならんのみ。我輩は直ちにその人を咎めずして、我が習俗の不取締にして人心の穎敏ならざるを歎息する者なり。これを要するに、今の紳士も学者も不学者も、全体の言行の高尚なるにかかわらず、品行の一点においては、不釣合に下等なる者多くして、俗言これを評すれば、御座に出されぬ下郎と称して可なるが如し。花柳の間に奔々して青楼の酒に酔い、別荘妾宅の会宴に出入の芸妓を召すが如きは通常の人事にして、甚だしきは大切なる用談も、酒を飲み妓に戯るるの傍らにあらざれば、談者相互の歓心を結ぶに由なしという。醜極まりて奇と称すべし。

新字:前年外国よりある貴賓の来遊したるとき、東京の紳士と称する連中が頻りに周旋奔走して、礼遇至らざる所なきその饗応の一として、府下の芸妓を集め、大いに歌舞を催して一覧に供し、来賓も興に入りて満足したりとの事なりしが、実をいえばその芸妓なる者は大抵不倫の女子にして、歌舞の芸を演ずるの傍ら、往々言うべからざる醜行に身を汚し、ほとんど娼妓に等しき輩なれば、固より貴人の前に面すべき身分にあらず。西洋諸国の上流社会にてこの種の女子を賤しむは勿論、我が日本国においても、仮に封建時代の諸侯を饗するに今日の如き芸妓の歌舞を以てせんとしたらば、必ず不都合を訴うることならん。されば、かの貴賓もその芸妓の何ものたるを知らざりしこそ幸いなれ、もしも内実の事情を聞くこともありしならんには、饗応の満足に引替えて、失敬無状を憤りしことなるべし。これとてもさきの紳士連中は無礼と知りて行うたるにあらず、その平生において、男女品行上のことをば至って手軽に心得、ただ芸妓の容姿を悦び、美なること花の如しなどとて、徳義上の死物たる醜行不倫の女子も、潔清上品なる良家の令嬢も大同小異の観をなして、さては右の如き大間違いに陥りたるものならんのみ。我輩は直ちにその人を咎めずして、我が習俗の不取締にして人心の穎敏ならざるを嘆息する者なり。これを要するに、今の紳士も学者も不学者も、全体の言行の高尚なるにかかわらず、品行の一点においては、不釣合に下等なる者多くして、俗言これを評すれば、御座に出されぬ下郎と称して可なるが如し。花柳の間に奔々して青楼の酒に酔い、別荘妾宅の会宴に出入の芸妓を召すが如きは通常の人事にして、甚だしきは大切なる用談も、酒を飲み妓に戯るるの傍らにあらざれば、談者相互の歓心を結ぶに由なしという。醜極まりて奇と称すべし。

書き下し

前年外国よりある貴賓の来遊したるとき、東京の紳士と称する連中が頻りに周旋奔走して、礼遇至らざる所なきその饗応の一として、府下の芸妓を集め、大いに歌舞を催して一覧に供し、来賓も興に入りて満足したりとの事なりしが、実をいえばその芸妓なる者は大抵不倫の女子にして、歌舞の芸を演ずるの傍ら、往々言うべからざる醜行に身を汚し、ほとんど娼妓に等しき輩なれば、固より貴人の前に面すべき身分にあらず。西洋諸国の上流社会にてこの種の女子を賤しむは勿論、我が日本国においても、仮に封建時代の諸侯を饗するに今日の如き芸妓の歌舞を以てせんとしたらば、必ず不都合を訴うることならん。されば、かの貴賓もその芸妓の何ものたるを知らざりしこそ幸いなれ、もしも内実の事情を聞くこともありしならんには、饗応の満足に引替えて、失敬無状を憤りしことなるべし。これとてもさきの紳士連中は無礼と知りて行うたるにあらず、その平生において、男女品行上のことをば至って手軽に心得、ただ芸妓の容姿を悦び、美なること花の如しなどとて、徳義上の死物たる醜行不倫の女子も、潔清上品なる良家の令嬢も大同小異の観をなして、さては右の如き大間違いに陥りたるものならんのみ。我輩は直ちにその人を咎めずして、我が習俗の不取締にして人心の穎敏ならざるを嘆息する者なり。これを要するに、今の紳士も学者も不学者も、全体の言行の高尚なるにかかわらず、品行の一点においては、不釣合に下等なる者多くして、俗言これを評すれば、御座に出されぬ下郎と称して可なるが如し。花柳の間に奔々して青楼の酒に酔い、別荘妾宅の会宴に出入の芸妓を召すが如きは通常の人事にして、甚だしきは大切なる用談も、酒を飲み妓に戯るるの傍らにあらざれば、談者相互の歓心を結ぶに由なしという。醜極まりて奇と称すべし。

現代語訳

先年、外国からある貴賓が来遊したとき、東京の紳士を称する連中がしきりに世話をして奔走し、礼遇の限りを尽くしました。その饗応の一つとして、市内の芸妓を集めて大いに歌舞を催し、鑑賞に供し、貴賓も興に入って満足したと聞きます。ところが実際には、その芸妓の大半は不倫の女性で、歌舞の芸を演じるかたわら、しばしば口にできない醜行に身を汚し、ほとんど娼妓と同じような者たちなので、もとより貴人の前に出る身分ではありません。西洋諸国の上流社会ではこの種の女性を卑しむのはもちろん、我が日本国でも、仮に封建時代の大名をもてなすのに今日のような芸妓の歌舞を用いたとしたら、必ず不都合だと訴える者が出たでしょう。ですから、あの貴賓がその芸妓が何者かを知らなかったことこそ幸いで、もし内実の事情を聞くことがあれば、饗応の満足とは裏腹に、礼を失した無礼を憤ったことでしょう。もっとも、さきほどの紳士連中も無礼と知って行ったわけではなく、その平生において、男女の品行上のことをきわめて軽く心得、ただ芸妓の容姿を喜び、花のように美しいなどと言って、徳義上は死んだも同然の不倫な女性も、清らかで上品な良家の令嬢も大同小異だと思って、こうした大間違いに陥ったのでしょう。私はただちにその人を咎めず、わが国の習俗に取り締まりがなく、人々の心が鋭敏でないことを嘆く者です。要するに、今の紳士も学者も学のない者も、全体の言行が高尚であるにもかかわらず、品行の一点では不釣り合いに下等な者が多く、俗な言葉で評すれば「お座敷に出せない下郎」といってよいでしょう。花柳界に熱中し、青楼の酒に酔い、別荘や妾宅での宴会に出入りの芸妓を呼ぶのは通常のことで、甚だしくは大切な用談も、酒を飲み妓と戯れるかたわらでなければ、談者同士が歓心を結ぶ方法がないといいます。醜さの極みで、珍しいというべきです。

解説

貴賓の饗応に芸妓の歌舞を催した逸話から、福沢は、紳士たちが男女の品行を軽く考えて悪気なく失礼を犯す様子を描きます。個人を咎めるより、習俗の鈍感さを嘆く姿勢が特徴です。接待の場で重要な商談が行われる慣行への批判は、取引や意思決定を飲食や遊興の場に頼る文化を見直す手がかりにもなります。なお『賤』『妾』など、当時の用語・女性観を含み、今日の感覚と異なります。

この章句が説くこと

貴賓芸妓饗応習俗下郎花柳

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