福沢諭吉小品集 / 日本男子論・第18段
近来世間にいわゆる文明開化の進歩と共に学術技芸もまた進歩して、後進の社会に人物を出し、また故老の部分においても随分開明説を悦んで、その主義を事に施さんとする者あるは祝すべきに似たれども、開明の進歩と共に内行の不取締もまた同時に進歩し、この輩が不文野蛮と称して常に愍笑する所の封建時代にありても、決して許されざりし不品行を今日に犯し、恬として愧ずるを知らざるものなきにあらず。文明進歩して罪を野蛮人に得る者というべし。学術技芸果たして何の効あるべきや。我輩は我が社会を維持して国を立てんとするに、むしろ無学無術の人と事を共にするも、有智の妖怪と共にするを欲せざる者なり。そもそも我が日本国の独立して既に数千年の社会を維持し、また今後万々歳に伝えんとするは、自ずからその然る所以の元素あるが故なり。即ち社会の公徳にして、その公徳の本は家の私徳にあり。何者の軽薄児か、敢えて文明を口に藉りて立国の大本を害せんとするや。我が道徳は数千年に由来してその根本固し。豈汝らをして容易にこれを動揺せしめんや。天下広し、我輩徳友に乏しからず。常に汝らの挙動に注目して一毫も仮さず、鼓を鳴らしてその罪を責めんと欲する者なり。
書き下し
近来世間にいわゆる文明開化の進歩と共に学術技芸もまた進歩して、後進の社会に人物を出し、また故老の部分においても随分開明説を悦んで、その主義を事に施さんとする者あるは祝すべきに似たれども、開明の進歩と共に内行の不取締もまた同時に進歩し、この輩が不文野蛮と称して常に愍笑する所の封建時代にありても、決して許されざりし不品行を今日に犯し、恬として愧ずるを知らざるものなきにあらず。文明進歩して罪を野蛮人に得る者というべし。学術技芸果たして何の効あるべきや。我輩は我が社会を維持して国を立てんとするに、むしろ無学無術の人と事を共にするも、有智の妖怪と共にするを欲せざる者なり。そもそも我が日本国の独立して既に数千年の社会を維持し、また今後万々歳に伝えんとするは、自ずからその然る所以の元素あるが故なり。即ち社会の公徳にして、その公徳の本は家の私徳にあり。何者の軽薄児か、敢えて文明を口に藉りて立国の大本を害せんとするや。我が道徳は数千年に由来してその根本固し。豈汝らをして容易にこれを動揺せしめんや。天下広し、我輩徳友に乏しからず。常に汝らの挙動に注目して一毫も仮さず、鼓を鳴らしてその罪を責めんと欲する者なり。
現代語訳
近ごろ世間でいう文明開化の進歩とともに、学術や技芸も進み、若い世代から優れた人物が出ています。また年配の人々のなかにも、開明の説を喜んでその主義を実行しようとする者がいるのは、喜ぶべきことのように見えます。ところが、開明が進むのと同時に、家庭内での振る舞いの乱れもまた進み、この連中が「無教養で野蛮だ」と常に哀れんで笑う封建時代でさえ決して許されなかった不品行を、今日になって犯し、平気で恥じることを知らない者がいないわけではありません。文明が進んで、野蛮人に対して申し開きのできない罪を負う者、というべきです。そのような学術や技芸に、いったいどんな効果があるのでしょうか。私は、この社会を維持して国を立てようとするとき、むしろ学も技もない人と事を共にしても、知恵のある化け物と共にすることは望みません。そもそも我が日本国が独立して、すでに数千年の社会を保ち、また今後も永く伝えていこうとするのは、おのずとそうなるだけの根本の要素があるからです。それは社会の公徳であり、その公徳の本は家庭の私徳にあります。どこの軽薄な若者が、文明を口実にして、国を立てる大本を害しようとするのですか。わが国の道徳は数千年に由来し、その根本は固いものです。どうしてお前たちに簡単に揺るがせられるでしょうか。天下は広く、私には徳を同じくする友が乏しくありません。常にお前たちの行動を注視し、少しも容赦せず、太鼓を鳴らしてその罪を責めようとする者です。
解説
この章句が説くこと
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福沢諭吉小品集・日本男子論・第7段然るに我輩が古今和漢の道徳論者に向かって不平なるは、その教えの主義として第一に私徳公徳の区別を立てざるにあり。第二には、仮令え不言の間に自ずから区別する所ありとするも、その教えの方法に前後本末を明言せずして、時としては私徳を説き、また時としては公徳を勧め、いずれか前、いずれか後なるを明らかにせざるがために、後進の学者をして方向を誤らしむるにあり。然かのみならず、その教えの主義たるや、ややもすれば政治論に混同して重きを政治に置き、これに関する徳義は固より公徳なるが故に、かえって私徳を後にして公徳を先にするものさえなきにあらず。例えば忠義正直というが如き、政治上の美徳にして、甚だ大切なるものなれども、人に教うるに先ずこの公徳を以てして、居家の私徳を等閑にするにおいては、あたかも根本の浅き公徳にして、我輩は時にその動揺なきを保証する能わざるものなり。 そもそも一国の社会を維持して繁栄幸福を求めんとするには、その社会の公衆に公徳なかるべからず。その公徳をして堅固ならしめんとするには、根本を私徳の発育に取らざるべからず。即ち国の本は家にあり。良家の集まる者は良国にして、国力の由って以て発生する源は、単に家にあって存すること、更に疑うべきにあらず。然り而してその家の私徳なるものは、親子・兄弟姉妹、団欒として相親しみ、父母は慈愛厚くして子は孝心深く、兄弟姉妹相助けて以て父母の心身の労を軽くする等の箇条にして、能くこの私徳を発達せしむるその原因は、家族の起源たる夫婦の間に薫ずる親愛恭敬の美にあらざるはなし。
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福沢諭吉小品集・日本男子論・第20段窃かに世情を視るに、近来は政治の議論漸く喧しくして、社会の公権即ち政権の受授につき、これを守らんとする者もまた取らんとする者も、頻りに熱心して相争うが如くなるは至極当然の次第にして、文明の国民たる者は国政に関すべき権利あるが故に、これを争うも可なりといえども、前にいえる如く、この公共の政権を守り、またこれを得んとするには、先ず一身の私権を固くすること肝要にして、その私権を固くせんとするには私徳を脩めざるべからざるの道理も、既に明白なりとして、さて今日の実際において、我が日本国の政治家はいかなる種族の人にして、その私徳の位は如何と尋ぬるに、外面より見て人品はいずれも皆中等以上の種族なれども、特別に有徳の君子のみにあらず。その智識聞見は、あるいは西洋流の文明に近き人あるも、徳教の一段に至り特に出色の美なきは、我輩の遺憾に堪えざる所なり。文明の士人心匠巧みにして、自家の便利のためには、時に文林儒流の磊落を学び、軽躁浮薄、法外なる不品行を犯しながら、君子は細行を顧みずなど揚言して、以てその不品行を瞞着するの口実に用いんとする者なきにあらず。けだし支那流にいう磊落とはいかなる意味か、その吟味はしばらく擱き、今日の処にては、磊落と不品行と、字を異にして義を同じうし、磊々落々は政治家の徳義なりとて、長老その例を示して少壮これに傚い、遂に政治社会一般の風を成し、不品行は人の体面を汚すに足らざるのみならず、最も磊落、最も不品行にして始めて能く他を圧倒するに足るものの如し。
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福沢諭吉小品集・日本男子論・第36段今その然る所以の理由を述べんに、婦人の地位の低きとは、男子に対して低きことなれば、これを引上げて高き処に置かんとするに当たり、第一着に心頭に浮ぶものは、とにかくに、今の婦人をして今の男子の如くならしめんとするの思想なるべし。然り而してその男子の如くなるや、知識気力の深浅強弱如何の辺に止まり、専ら精神を練るの教えを主として、当局の婦人においても、その範囲を脱せざれば甚だ佳しといえども、文明の事は有形の門より入るもの多きの例なれば、婦人の教育についてもその形を先にし、先ず衣裳を改めて文明の風を装い、交際を開いて文明の盛事を学び、只管外国婦人の所業に傚うて活溌を気取り、外面の虚飾を張りてかえって裏面の実を忘れ、活溌は漸く不作法に変じ、虚飾は遂に家計を寒からしめ、未だ西洋文明の精神を得ずして、早く既に自家遺伝の美徳美風を失うことなきを期すべからず。これらの弊害は事物の新旧交代の際に多少免るべからざるものとしてこれを忍ぶも、ここに忍ぶべからざるは、その弊害の極度に至り、今の婦人が男子の挙動に傚わんとして、今の日本男子の品行を学ぶが如きあらばこれを如何すべきや。日本国人の品行美ならずといえども、なお今日までにこれを維持してその醜を蔽い、時として潔清義烈の光を放って我が社会の栄誉を地に落つることなからしめたるものは何ぞや。ただ良家の婦人女子あるのみ。現に今日にあっても私徳品行の一点に至り、我が日本の婦人と西洋諸国の婦人と相対するときは、我に愧ずる所なきのみならず、往々上乗に位して、かの婦人の能くせざる所を能くし、その堪えざる所に堪え、彼をして慚死せしむるものさえ少なからず。内外人の共に許す所にして、即ち我が大日本の国光として誇るべきものなり。もしも年来日本男子をしてその醜行を恣にせしめて、一方に良家婦徳の凜然たるものなからしめなば、我が社会はほとんど暗黒世界たるべきはずなるに、幸いにしてその然らざるは、これを良婦人の賜といわざるを得ず。
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福沢諭吉小品集・日本男子論・第21段そもそも内行の不取締は法律上における破廉恥などとは趣を異にして、直ちに咎むべき性質のものにあらず。また人の口にし耳にするを好まざる所のものなれば、ややもすれば不知不識の際にその習俗を成しやすく、一世を過ぎ二世を経るのその間には、習俗遂にあたかもその時代の人の性となり、また挽回すべからざるに至るべし。往古、我が王朝の次第に衰勢に傾きたるも、在朝の群臣、その内行を慎まずして私徳を軽んじ、内にこれを軽んじて外に公徳の大義を忘れ、その終局は一身の私権、戸外の公権をも併せて失い尽したるものならんのみ。されば今日の政治家が政事に熱心するも、単に自身一時の富貴のためにあらず、天下後世のために、国民の私権を張り公権を伸ばすの道を開かんとするの趣意にこそあれば、後の世の政治社会に宜しからざる先例を遺すは、必ず不本意なることならん。もしもその本心に問うて慊からざることあらば、仮令え法律上に問うものなきも、何ぞ自ら省みて、これを今日に慎まざるや。金玉もただならざる貴重の身にして自らこれを汚し、一点の汚穢は終身の弱点となり、もはや諸々の私徳に注意するの穎敏を失い、あたかも精神の痲痺を催してまた私権を衛るの気力もなく、漫然世と推移りて、道理上よりいえば人事の末とも名づくべき政事政談に熱するが如き、我輩は失敬ながら本を知らずして末に走るの人と評せざるを得ざるなり。
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福沢諭吉小品集・日本男子論・第26段然り而して日本国中その責に任ずる者は誰ぞや、内行を慎まざる軽薄男子あるのみ。この一点より考うれば、外国人の見る目如何などとて、その来訪のときに家内の体裁を取り繕い、あるいは外にして都鄙の外観を飾り、または交際の法に華美を装うが如き、誠に無益の沙汰にして、軽侮を来す所以の大本をば擱き、徒に末に走りて労するものというべきのみ。これを喩えば、大廈高楼の盛宴に山海の珍味を列ね、酒池肉林の豪、糸竹管絃の興、善尽し美尽して客を饗応するその中に、主人は独り袒裼裸体なるが如し。客たる者は礼の厚きを以てこの家に重きを置くべきや。饗礼は鄭重にして謝すべきに似たれども、何分にも主人の身こそ気の毒なる有様なれば、賓主の礼儀において陽に発言せざるも、陰に冷笑して軽侮の念を生ずることならん。労して功なく費やして益なきものというべし。されば今我が日本国が文明の諸外国に対して、その交際の公私に論なく、ややもすれば意の如くならざるは、原因のある所、一にして足らずといえども、我が男子が徳義上に軽侮を蒙るの一事は、その原因中の大箇条なるが故に、いやしくもこれに心付きたる者は、片時も猶予せずしてその過ちを改めざるべからず。今の世界に居て人生誰か自国を愛せざる者あらんや。国のためとあれば荊に坐し胆を嘗むるも憚らざるは人情の常なり。内行を慎むが如き、非常の辛苦にあらず。在昔はこれを戒むるの趣意、単にその人の一身にありしことなれども、今は則ち一国の栄辱に関して、更に重大の事とはなりたり。身を思い国を思う者は、深く自ら省みる所なかるべからざるなり。
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福沢諭吉小品集・日本男子論・第17段されば私徳を大切にするその中についても、両性の交際を厳にして徹頭徹尾潔清の節を守り、俯仰天地に愧ずることなからんとするには、人生甚だ長くしてその間に千種万様の事情あるにもかかわらず、自ら血気を抑えて時としては人の顔色をも犯し、世を挙って皆酔うの最中、独り自ら醒め、独行勇進して左右を顧みざることなれば、随分容易なる脩業にあらず。即ち木石ならざる人生の難業ともいうべきものにして、既にこの業を脩めて顧みて凡俗世界を見れば、腐敗の空気充満して醜に堪えず。無知無徳の下等社会はともかくも、上流の富貴または学者と称する部分においても、言うに忍びざるもの多し。人間の大事、社会の体面のためと思えばこそ、敢えてこれを明言する者なけれども、その実は万物の霊たるを忘れて単に獣慾の奴隷たる者さえなきにあらず。 いやしくも潔清無垢の位に居り、この腐敗したる醜世界を臨み見て、自ら自身を区別するの心を生ぜざるものあらんや。僅かに資産の厚薄、才学の深浅を以てなおかつ他と伍をなすを屑しとせず。いわんや人倫の大本、百徳の源たる男女の関係につき、潔不潔を殊にするにおいてをや。他の醜物を眼下に視ることなからんと欲するも得べからず。即ち我が精神を自信自重の高処に進めたるものにして、精神一度び定まるときは、その働きはただ人倫の区域のみに止まらず、発しては社会交際の運動となり、言語応対の風采となり、浩然の気外に溢れて、身外の万物恐るるに足るものなし。談笑洒落・進退自由にして縦横憚る所なきが如くなれども、その間に一点の汚痕を留めず、余裕綽々然として人の情を痛ましむることなし。けだし潔清無垢の極はかえって無量の寛大となり、浮世の百汚穢を容れて妨げなきものならんのみ。これを、かの世間の醜行男子が、社会の陰処に独り醜を恣にするにあらざれば同類一場の交際を開き、豪遊と名づけ愉快と称し、沈湎冒色勝手次第に飛揚して得々たるも、不幸にして君子の耳目に触るるときは、疵持つ身の忽ち萎縮して顔色を失い、人の後に瞠若として卑屈慚愧の状を呈すること、日光に当てられたる土鼠の如くなるものに比すれば、また同日の論にあらざるなり。
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