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福沢諭吉小品集 / 成学即身実業の説、学生諸氏に告ぐ・第4段

されば余が弱冠の時より今日にいたるまでの生活は、悉皆偶然に出でたる僥倖にして、その然るゆえんは必ずしも余が暗愚、先見の明なきがために非ず。時勢の変遷、これを前知する能わざるは、誰れ人も一様なるその中に、余が志し、また企てたる事は、あたかもその変遷の勢に背くこと少なかりしがゆえに、今日なお未だ貧乏もせざることならん。然りといえども、他の僥倖は決して学ぶべき事柄にあらず。一身にしても僥倖はふたたびすべからず。いわんや他を学ぶにおいてをや。余はとくにこれを諸氏に警めざるをえず。ただ諸氏に向って然るのみならず、現在、余が実子等へ警しむるところも、この旨より外ならず。 余をもって今の第二世の後進生を見れば、余が三十余年前に異なり、社会の事物はすでに文明開進の方向を定めて変化あるべからず。時勢の方向に変化なければ、身の方向を定むるもまた、はなはだ易し。学業を勤むるにも、これを勤めてその行く先は、所得の芸能を人事のいずれの辺に活用して如何なる生計を営むべしと、おおよそその胸算を立つることも難からず。かつ今日は、世禄の家なくして労働の身あるのみ。労すればもって食うべし、逸すればもって飢ゆべし。いわんや金力独尊の時勢に推し移るの時にあたり、貧は士の常などいう陳腐至極の考をかかえて、ひとり自から得意ならんとするも、誰かこれを許す者あらんや。 むかしの学問は学問が目的にして、ただその難きを悦び、千辛万苦すなわち千快万楽にして余念なかりしものなれども、今の学問は目的にあらずして生計を求むるの方便なり。生計に縁なき学問は、封建士族の事なりといわざるをえず。すなわち余が如きは前年士族流の学問したる者なれども、今の後進生は決してかかる無謀の挙動を再演すべからず。封建の制度、すでに廃して、士族無経済の気風、なお学生の中に存するは、今日天下の通弊なり。これすなわち余が本塾の学生諸氏に向い、余が経歴にならわずして、よく今日の時勢に応じ、成学即身実業の人たらんことを勧告するゆえんなり。

書き下し

されば余が弱冠の時より今日にいたるまでの生活は、悉皆偶然に出でたる僥倖にして、その然るゆえんは必ずしも余が暗愚、先見の明なきがために非ず。時勢の変遷、これを前知する能わざるは、誰れ人も一様なるその中に、余が志し、また企てたる事は、あたかもその変遷の勢に背くこと少なかりしがゆえに、今日なお未だ貧乏もせざることならん。然りといえども、他の僥倖は決して学ぶべき事柄にあらず。一身にしても僥倖はふたたびすべからず。いわんや他を学ぶにおいてをや。余はとくにこれを諸氏に警めざるをえず。ただ諸氏に向って然るのみならず、現在、余が実子等へ警しむるところも、この旨より外ならず。 余をもって今の第二世の後進生を見れば、余が三十余年前に異なり、社会の事物はすでに文明開進の方向を定めて変化あるべからず。時勢の方向に変化なければ、身の方向を定むるもまた、はなはだ易し。学業を勤むるにも、これを勤めてその行く先は、所得の芸能を人事のいずれの辺に活用して如何なる生計を営むべしと、おおよそその胸算を立つることも難からず。かつ今日は、世禄の家なくして労働の身あるのみ。労すればもって食うべし、逸すればもって飢ゆべし。いわんや金力独尊の時勢に推し移るの時にあたり、貧は士の常などいう陳腐至極の考をかかえて、ひとり自から得意ならんとするも、誰かこれを許す者あらんや。 むかしの学問は学問が目的にして、ただその難きを悦び、千辛万苦すなわち千快万楽にして余念なかりしものなれども、今の学問は目的にあらずして生計を求むるの方便なり。生計に縁なき学問は、封建士族の事なりといわざるをえず。すなわち余が如きは前年士族流の学問したる者なれども、今の後進生は決してかかる無謀の挙動を再演すべからず。封建の制度、すでに廃して、士族無経済の気風、なお学生の中に存するは、今日天下の通弊なり。これすなわち余が本塾の学生諸氏に向い、余が経歴にならわずして、よく今日の時勢に応じ、成学即身実業の人たらんことを勧告するゆえんなり。

現代語訳

そうであれば、私が若いころから今日に至るまでの生活は、すべて偶然に出た僥倖であり、そうなった理由は、必ずしも私が愚かで先見の明がなかったためではありません。時勢の変遷を前もって知ることができないのは誰もが同じことですが、そのなかで私が志し、また企てたことは、たまたまその変遷の勢いに背くことが少なかったので、今日なおまだ貧乏もしていないのでしょう。とはいえ、他人の僥倖は決して学ぶべきことではありません。自分一身にしても僥倖は二度とはありません。ましてや他人が学ぶにおいてはなおさらです。私はとくにこれを諸君に戒めざるをえません。ただ諸君に向かってそうするだけでなく、現に私が実の子らに戒めているところも、この趣旨にほかなりません。 私の目で今の第二世の後進生を見れば、私の三十余年前とは異なり、社会の事物はすでに文明開化の方向を定めて、変化するはずがありません。時勢の方向に変化がなければ、身の方向を定めることもきわめて易しいことです。学業に励むにも、励んだ行き先は、身につけた芸能を人事のどの辺に活用してどのような生計を営もうと、おおよその見積もりを立てることも難しくありません。そのうえ今日は、世襲の禄のある家はなく、労働する身があるだけです。働けば食べられ、怠ければ飢えます。ましてや金力が独り尊ばれる時勢に移り変わりつつあるときに、貧は士の常などという陳腐至極の考えを抱いて、一人得意になっていても、誰がそれを許すでしょうか。 昔の学問は学問が目的で、ただその難しさを喜び、千辛万苦がそのまま千快万楽で、余念のないものでしたが、今の学問は目的ではなく生計を求める方便です。生計に縁のない学問は、封建士族のことと言わざるをえません。つまり私などは先年、士族流の学問をした者ですが、今の後進生は決してこのような無謀な行動を再演してはなりません。封建の制度がすでに廃止されたのに、士族の無経済の気風がなお学生の中に残っているのは、今日天下の通弊です。これがすなわち私が本塾の学生諸君に向かい、私の経歴にならわず、よく今日の時勢に応じて、成学即身実業の人となることを勧告するゆえんです。

解説

福沢は自分の成功を僥倖と言い、後進に真似るなと戒めます。時勢が定まった今は、学んだ芸能をどう生計に結ぶか見通しを立てやすく、貧は士の常という気風は通用しないと説きます。学問を生計の方便と言い切る点は、学問の価値を狭く見たとの批判もありえます。そうした限界を踏まえても、学びと稼ぎを結ぶ視点は、現代のキャリア形成にも通じます。成功談をそのまま真似ず、条件の違いを見極める姿勢を、自分の学びをどこで活かすかという問いとともに考えてみてください。

この章句が説くこと

僥倖成学即身実業時勢生計の方便金力士族無経済

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