福沢諭吉小品集 / 成学即身実業の説、学生諸氏に告ぐ・第3段
これより余は著述に従事し、もっぱら西洋の事情を日本人に示して、古学流の根底よりこれを顛覆せんことを企てたる、その最中に、王政維新の事あり。兵馬匆卒の際、言論も自由なれば、思うがままに筆を揮うてはばかるところなく、有形の物については物理原則のあざむくべからざるを説き、無形の事に関しては人権の重きを論じ、ことに独立の品行、自尊自重の旨を勧告して(ただし政権参与等の事については、余が著書中に切論したるもの少なし。これにはおのずから説あり。ここに略す。)その著書も少なからず、これがために当時の古学者流ははなはだ不平の様子なりしかども、その書の流行は非常にして、利益を得たることもまた、少なからず。 今日にいたるまで、余が衣食住に苦しまずして独立勝手次第の生活をなし、なおその上に私塾維持のためにも、社員とともに多少の金を費したるその出処を尋ぬれば、商売に儲けたるに非ず、月給に貰うたるに非ず、いわんや祖先の遺産においてをや。本来無一物の一書生が、一本の筆の先きにてかき集めたる財産なり。これまた偶然の僥倖なりといわざるをえず。いかんとなれば、当初、余が著述は、かつて身に経験あるに非ず、ただ西洋の事をたやすく世人に知らせんものをと思う一心よりこれを出版して、存外によく売れたるにつき、これは面白しとて、また出版すれば、また売れ、ついに図らざる利益を得たることにして、あるいはこれに反対して利益なかりしとても、さまで心事の齟齬したるものにあらざればなり。
書き下し
これより余は著述に従事し、もっぱら西洋の事情を日本人に示して、古学流の根底よりこれを顛覆せんことを企てたる、その最中に、王政維新の事あり。兵馬匆卒の際、言論も自由なれば、思うがままに筆を揮うてはばかるところなく、有形の物については物理原則のあざむくべからざるを説き、無形の事に関しては人権の重きを論じ、ことに独立の品行、自尊自重の旨を勧告して(ただし政権参与等の事については、余が著書中に切論したるもの少なし。これにはおのずから説あり。ここに略す。)その著書も少なからず、これがために当時の古学者流ははなはだ不平の様子なりしかども、その書の流行は非常にして、利益を得たることもまた、少なからず。 今日にいたるまで、余が衣食住に苦しまずして独立勝手次第の生活をなし、なおその上に私塾維持のためにも、社員とともに多少の金を費したるその出処を尋ぬれば、商売に儲けたるに非ず、月給に貰うたるに非ず、いわんや祖先の遺産においてをや。本来無一物の一書生が、一本の筆の先きにてかき集めたる財産なり。これまた偶然の僥倖なりといわざるをえず。いかんとなれば、当初、余が著述は、かつて身に経験あるに非ず、ただ西洋の事をたやすく世人に知らせんものをと思う一心よりこれを出版して、存外によく売れたるにつき、これは面白しとて、また出版すれば、また売れ、ついに図らざる利益を得たることにして、あるいはこれに反対して利益なかりしとても、さまで心事の齟齬したるものにあらざればなり。
現代語訳
これより私は著述に従事し、ひたすら西洋の事情を日本人に示して、古学流の根底からこれを覆そうと企てた、その最中に、王政維新のことがありました。戦乱で慌ただしい際で、言論も自由でしたので、思いのままに筆を揮って遠慮するところがなく、有形の物については物理の原則の欺くべからざることを説き、無形の事に関しては人権の重さを論じ、とくに独立の品行、自尊自重の旨を勧告して(ただし政権への参与などの事については、私の著書の中で切に論じたものは少ない。これにはおのずから理由がある。ここでは略す。)その著書も少なくなく、これによって当時の古学者流ははなはだ不満の様子でしたが、その書の流行は非常なもので、利益を得たこともまた少なくありませんでした。 今日に至るまで、私が衣食住に苦しまず、独立して勝手次第の生活を送り、そのうえ私塾の維持のためにも、社員とともに多少の金を費やしてきた、その出どころを尋ねれば、商売で儲けたのでもなく、月給でもらったのでもなく、ましてや祖先の遺産でもありません。もともと無一物の一書生が、一本の筆の先で書き集めた財産です。これもまた偶然の僥倖と言わざるをえません。というのは、当初、私の著述は、これまで身に経験があるわけではなく、ただ西洋の事を世人にたやすく知らせたいと思う一心から出版したところ、思いのほかよく売れたので、これは面白いとまた出版すれば、また売れ、ついに思いがけない利益を得たのであり、仮にそれに反して利益がなかったとしても、さほど心の目的が食い違うものではなかったからです。
解説
この章句が説くこと
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福沢諭吉小品集・成学即身実業の説、学生諸氏に告ぐ・第2段ひっきょう余が洋学は一時の偶然に出でて、その修業の辛苦なりしがゆえに、これに入りたるものなりと、自から信ずるの外あるべからず。すでにこの学に志してようやくこれを勤むる間には、ようやく真理原則の佳境に入り、苦学すなわち精神を楽しましむるの具となりて、いかにしてもこの楽境を脱すべからず。かえりみて我が身の出処たる古学社会を見れば、その愚鈍暗黒なる、ともに語るに足るべき者なく、ひそかにこれを目下に見下して愍笑するのみ。その状、あたかも田舎漢が都会の住居に慣れて、故郷の事物を笑うものに異ならず。ますます洋学に固着してますます心志の高尚なりしもゆえんなきに非ざるなり。 右の如く、ただ気位のみ高くなりて、さて、その生計はいかんというに、かつて目的あることなし。これまた、士族の気風にして、祖先以来、些少にても家禄あれば、とうてい飢渇の憂なく、もとより貧寒の小士族なれども、貧は士の常なりと自から信じて疑わざれば、さまで苦しくもなく、また他人に対しても、貧乏のために侮りをこうむることとてはなき世の風俗なりしがゆえに、学問には勉強すれども、生計の一点においてはただ飄然として日月を消する中に、政府は外国と条約を結び、貿易の道も開らけて、世間の風景、何となく文明開化の春をもよおし、洋学者の輩も人に悪まれ人に忌まるるその中に、時勢やむをえざるよりして、俗世界のために器として用いらるるの場合となり、余が如きも、すなわちその器の一人にして、幕府に雇われ横文書翰翻訳の仕事を得たり。 もとよりこれがために栄誉を博したるにあらず、人情一般、西洋の事物を穢なく思う世の中に、この穢なき事を吟味するは洋学者に限るとして利用せられたるその趣は、皮細工に限りてえたに御用をこうむりたるの情に異ならざりしといえども、えたにても非人にても、生計の道にありつきたるは実に図らざりしことにして、偶然に我が所得の芸能をもって銭を得たるものなり。
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福翁自伝・雑記・独立敢て新事例を開く(1)私の考は塾に少年を集めて原書を読ませる計りが目的ではない。如何様にもしてこの鎖国の日本を開て西洋流の文明に導き、富国強兵以て世界中に後れを取らぬようにしたい。左りとて唯これを口に言うばかりでなく、近く自分の身より始めて、仮初めにも言行齟齬しては済まぬ事だと、先ず一身の私を慎しみ、一家の生活法を謀り、他人の世話にならぬようにと心掛けて、扨一方に世の中を見て文明改進の為めに施して見たいと思う事があれば、世論に頓着せず思切て試みました。例えば前にも申した通り、学生から授業料の金を取立てる事なり、武士の魂と云う双刀を棄てゝ丸腰になる事なり、演説の新法を人に説て之を実地に施す事なり、又は著訳書に古来の文章法を破て平易なる通俗文を用うる事なり、凡そ是等は当時の古風家に嫌われる事であるが、幸に私の著訳は世間の人気に役じて渇する者に水を与え、大旱に夕立のしたようなもので、その売れたことは実に驚く程の数でした。時節の悪いときに、ドンな文章家ドンな学者が何を著述したって何を飜訳したって、私の出版書のように売れよう訳けはない。畢竟私の才力がエライと云うよりも、時節柄がエラかったのである。又その時代の学者達が筆不調法であったか、馬鹿に青雲熱に浮かされて身の程を知らず時勢を見ることを知らなかったか、マアそのくらいの事だと思われる。兎にも角にも著訳書が私の身を立て家を成す唯一の基本になって、ソレで私塾を開ても、生徒から僅ばかりの授業料を掻集めて私の身に着けるようなケチな事をせずに、全く教師等の所得にすることが出来たその上に、折々私の財嚢から金を出して塾用を弁ずることも出来ました。 所で私の性質は全体放任主義と云おうか、又は小慾にして大無慾とでも云おうか、塾の事に就て朝夕心を用いて一生懸命、些細の事まで種々無量に心配しながら、又一方ではこの塾にブラサガッて居る身ではない、是非とも慶應義塾を永久に遺して置かなければならぬと云う義務もなければ名誉心もないと、初めから安心決定して居るから、随て世の中に怖いものがない。同志の後進生と相談して思う通りに事を行えば、塾中自から独立の気風を生じて世間の反りに合わぬことも多いのと、又一つには私が政治社会に出ることを好まずに在野の身でありながら、口もあれば筆もあるから颯々と言論して、時としてはその言論が政府の癪に障ることもあろう。実を云えば私は政府に対して不平はない、役人達の以前が、無鉄砲な攘夷家であろうとも、人を困らせた奴であろうとも、一切既往を云わず、唯今日の文明主義に変化して開国一偏に国事を経営して呉れゝば遺憾なしと思えども、何かの気まぐれに官民とか朝野とか忌に区別を立てゝ、私塾を疏外し邪魔にして、甚だしきは之を妨げんなんとケチな事をされたのには少々困りました。今これを云えば話も長し言葉も穢くなるから抜きにして、近年帝国議会の開設以来は官辺の風も大に改まりて、余り酷い事はない。何れ遠からぬ中に双方打解けるように成るでしょう。
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福翁自伝・王政維新・著書飜訳一切独立又維新前後は私が著書飜訳を勉めた時代で、その著訳書の由来は福澤全集の緒言に記してあるから之を略しますが、元来私の著訳は真実私一人の発意で、他人の差図も受けねば他人に相談もせず、自分の思う通りに執筆して、時の漢学者は無論、朋友たる洋学者へ草稿を見せたこともなければ、況して序文題字など頼んだこともない。是れも余り殺風景で、実は当時の故老先生とか云う人に序文でも書かせた方が宜かったか知れないが、私は夫れが嫌いだ。ソンな事かた/″\で、私の著訳書は事実の如何に拘わらず古風な人の気に入る筈はない。ソレでもその書が殊更らに大に流行したのは、文明開国の勢に乗じたことでありましょう。
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福沢諭吉小品集・成学即身実業の説、学生諸氏に告ぐ・第4段されば余が弱冠の時より今日にいたるまでの生活は、悉皆偶然に出でたる僥倖にして、その然るゆえんは必ずしも余が暗愚、先見の明なきがために非ず。時勢の変遷、これを前知する能わざるは、誰れ人も一様なるその中に、余が志し、また企てたる事は、あたかもその変遷の勢に背くこと少なかりしがゆえに、今日なお未だ貧乏もせざることならん。然りといえども、他の僥倖は決して学ぶべき事柄にあらず。一身にしても僥倖はふたたびすべからず。いわんや他を学ぶにおいてをや。余はとくにこれを諸氏に警めざるをえず。ただ諸氏に向って然るのみならず、現在、余が実子等へ警しむるところも、この旨より外ならず。 余をもって今の第二世の後進生を見れば、余が三十余年前に異なり、社会の事物はすでに文明開進の方向を定めて変化あるべからず。時勢の方向に変化なければ、身の方向を定むるもまた、はなはだ易し。学業を勤むるにも、これを勤めてその行く先は、所得の芸能を人事のいずれの辺に活用して如何なる生計を営むべしと、おおよそその胸算を立つることも難からず。かつ今日は、世禄の家なくして労働の身あるのみ。労すればもって食うべし、逸すればもって飢ゆべし。いわんや金力独尊の時勢に推し移るの時にあたり、貧は士の常などいう陳腐至極の考をかかえて、ひとり自から得意ならんとするも、誰かこれを許す者あらんや。 むかしの学問は学問が目的にして、ただその難きを悦び、千辛万苦すなわち千快万楽にして余念なかりしものなれども、今の学問は目的にあらずして生計を求むるの方便なり。生計に縁なき学問は、封建士族の事なりといわざるをえず。すなわち余が如きは前年士族流の学問したる者なれども、今の後進生は決してかかる無謀の挙動を再演すべからず。封建の制度、すでに廃して、士族無経済の気風、なお学生の中に存するは、今日天下の通弊なり。これすなわち余が本塾の学生諸氏に向い、余が経歴にならわずして、よく今日の時勢に応じ、成学即身実業の人たらんことを勧告するゆえんなり。
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福沢諭吉小品集・成学即身実業の説、学生諸氏に告ぐ・第1段左の一篇は、去る一三日、東京芝区三田二丁目慶応義塾邸内演説館において、福沢先生が同塾学生に向て演説の筆記なり。 学問に志して業を卒りたらば、その身そのまま即身実業の人たるべしとは、余が毎に諸氏に勧告するところにして、毎度の説法、聴くもわずらわしなど思う人もあるべけれども、余が身に経歴したる時勢の変遷を想回えして、近く第二世の事を案ずれば、他人のためならで、自身の情に自から禁ずること能わざるものあれば、これを諸氏に説き明らかにして、かねてまた諸氏の父兄にもこの意を通達せしめんと欲するものなり。 そもそも余は旧中津藩の士族にして、少小の時より藩士同様に漢書を学び、年二十歳ばかりにして始めて洋学に志したるは、今を去ることおよそ三十余年前なり。この時に洋書を読みはじめたるは、何の目的をもってしたるか、今において自から解すること能わず。 当時、世に洋学者なきにあらざれども、たいてい皆、医術研究のためにする者にして、前途の目的もあることなれども、余が如きはもと医家の子にあらず、また自分に医師たらんと欲する志もなし。ただわけもなく医学塾にいて、医学生とともに荷蘭の医書を講じ、物理を研究したるのみにして、かつこの洋学を勉むればこれによりて誉れを郷党朋友に得るかというに、決して然らざるのみならず、かえって公衆の怒に触るるくらいの時勢にして、はなはだ楽しからず。あるいはこれによりて身に利することあるやというに、これまた思いも寄らず。すでに誉れなく、また利益なし、何のために辛苦勤学したるやと尋ねらるれば、ただ今にても返答に困る次第なれども、一歩を進めて考うれば説なきにあらず。 すなわち余は日本の士族の子にして、士族一般先天遺伝の教育に浴し、一種の気風を具えたるは疑もなき事実にして、その気風とはただ出来難き事を好んでこれを勤むるの心、これなり。当時横文読むの業はきわめてむつかしきことにして、容易に出来難き学問なりしがゆえに、これを勤めたることならん。あるいは洋学ならで、ほかに何か困難なる事業もありて、偶然に思いつきたらば、その方に身を委ねたるやも知るべからず。
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福翁自伝・老余の半生・行路変化多し(1)回顧すれば六十何年、人生既往を想えば恍として夢の如しとは毎度聞く所であるが、私の夢は至極変化の多い賑かな夢でした。旧小藩の小士族、窮屈な小さい箱の中に詰込まれて、藩政の楊枝を以て重箱の隅をほじくるその楊枝の先きに掛た少年が、ヒョイと外に飛出して故郷を見捨るのみか、生来教育された漢学流の教をも打遣て西洋学の門に入り、以前に変た書を読み、以前に変った人に交わり、自由自在に運動して、二度も三度も外国に往来すれば考は段々広くなって、旧藩は扨置き日本が挟く見えるようになって来たのは、何と賑かな事で大きな変化ではあるまいか。或はその間に艱難辛苦など述立てれば大造のようだが、咽元通れば熱さ忘れると云うその通りで、艱難辛苦も過ぎて仕舞えば何ともない。貧乏は苦しいに違いないが、その貧乏が過ぎ去た後で昔の貧苦を思出して何が苦しいか、却て面白いくらいだから、私は洋学を修めて、その後ドウやら斯うやら人に不義理をせず頭を下げぬようにして、衣食さえ出来れば大願成就と思て居た処に、又図らずも王政維新、いよ/\日本国を開て本当の開国となったのは難有い。幕府時代に私の著わした西洋事情なんぞ、出版の時の考には、天下にコンなものを読む人が有るか無いか夫れも分らず、仮令い読んだからとて之を日本の実際に試みるなんて固より思いも寄らぬことで、一口に申せば西洋の小説、夢物語の戯作くらいに自から認めて居たものが、世間に流行して実際の役に立つのみか、新政府の勇気は西洋事情の類でない、一段も二段も先きに進んで思切た事を断行して、アベコベに著述者を驚かす程のことも折々見えるから、ソコで私も亦以前の大願成就に安んじて居られない。
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