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福沢諭吉小品集 / 学問の独立・第21段

帝室はすでに日本私立学校の保護者たり。なおこの上に望むところは、天下の学者を撰びて、これに特別の栄誉と年金とをあたえて、その好むところの学芸を脩めしむることなり。近年、西洋において学芸の進歩はことに迅速にして、物理の発明に富むのみならず、その発明したるものを、人事の実際に施して実益を取るの工風、日に新たにして、およそ工場または農作等に用うる機関の類はむろん、日常の手業と名づくべき灌水・割烹・煎茶・点燈の細事にいたるまでも、悉皆学問上の主義にもとづきて天然の原則を利用することを勉めざるはなし。これを要するに、近年の西洋は、すでに学理研究の時代を経過して、方今は学理実施の時代といいて可ならんか。これを形容していえば、軍人が兵学校を卒業して正に戦場に向いたる者の如し。 これに反して我が日本の学芸は、十数年来大いに進歩したりというといえども、未だ卒業せざるのみならず、あたかも他国の調練を調練するものにして、未だ戦場の実地に臨まず。物理、新たに発明するを得ず、その実施の時代にいたるには前途なお遥かなりというべし。たとえば医学の如きは、日本にてその由来も久しく、したがってその術も他の諸科に超越するものなれども、今日の有様を見れば、西洋の日新を逐うて、つねに及ばざるの嘆をまぬかれず。数百年の久しき、日本にて医学上の新発明ありしを聞かざるのみならず、我が国に固有の難病と称する脚気の病理さえ、なお未だ詳明するを得ず。ひっきょう我が医学士の不智なるに非ず、自家の学術を研究せんとして、その時と資金とを得ざるがためなり。 わずかに医学の初歩を学び得るときは、あるいは官途に奉職し、あるいは開業して病家に奔走し、奉職、開業、必ずしも医士の本意に非ざるも、糊口の道なきをいかんせん。口を糊せんとすれば、学を脩むるの閑なし、学を脩めんとすれば、口を糊するを得ず。一年三百六十日、脩学、半日の閑を得ずして身を終るもの多し。道のために遺憾なりというべし。

新字:帝室はすでに日本私立学校の保護者たり。なおこの上に望むところは、天下の学者を撰びて、これに特別の栄誉と年金とをあたえて、その好むところの学芸を脩めしむることなり。近年、西洋において学芸の進歩はことに迅速にして、物理の発明に富むのみならず、その発明したるものを、人事の実際に施して実益を取るの工風、日に新たにして、およそ工場または農作等に用うる機関の類はむろん、日常の手業と名づくべき灌水・割烹・煎茶・点灯の細事にいたるまでも、悉皆学問上の主義にもとづきて天然の原則を利用することを勉めざるはなし。これを要するに、近年の西洋は、すでに学理研究の時代を経過して、方今は学理実施の時代といいて可ならんか。これを形容していえば、軍人が兵学校を卒業して正に戦場に向いたる者の如し。 これに反して我が日本の学芸は、十数年来大いに進歩したりというといえども、未だ卒業せざるのみならず、あたかも他国の調練を調練するものにして、未だ戦場の実地に臨まず。物理、新たに発明するを得ず、その実施の時代にいたるには前途なお遥かなりというべし。たとえば医学の如きは、日本にてその由来も久しく、したがってその術も他の諸科に超越するものなれども、今日の有様を見れば、西洋の日新を逐うて、つねに及ばざるの嘆をまぬかれず。数百年の久しき、日本にて医学上の新発明ありしを聞かざるのみならず、我が国に固有の難病と称する脚気の病理さえ、なお未だ詳明するを得ず。ひっきょう我が医学士の不智なるに非ず、自家の学術を研究せんとして、その時と資金とを得ざるがためなり。 わずかに医学の初歩を学び得るときは、あるいは官途に奉職し、あるいは開業して病家に奔走し、奉職、開業、必ずしも医士の本意に非ざるも、糊口の道なきをいかんせん。口を糊せんとすれば、学を脩むるの閑なし、学を脩めんとすれば、口を糊するを得ず。一年三百六十日、脩学、半日の閑を得ずして身を終るもの多し。道のために遺憾なりというべし。

書き下し

帝室はすでに日本私立学校の保護者たり。なおこの上に望むところは、天下の学者を撰びて、これに特別の栄誉と年金とをあたえて、その好むところの学芸を脩めしむることなり。近年、西洋において学芸の進歩はことに迅速にして、物理の発明に富むのみならず、その発明したるものを、人事の実際に施して実益を取るの工風、日に新たにして、およそ工場または農作等に用うる機関の類はむろん、日常の手業と名づくべき灌水・割烹・煎茶・点灯の細事にいたるまでも、悉皆学問上の主義にもとづきて天然の原則を利用することを勉めざるはなし。これを要するに、近年の西洋は、すでに学理研究の時代を経過して、方今は学理実施の時代といいて可ならんか。これを形容していえば、軍人が兵学校を卒業して正に戦場に向いたる者の如し。 これに反して我が日本の学芸は、十数年来大いに進歩したりというといえども、未だ卒業せざるのみならず、あたかも他国の調練を調練するものにして、未だ戦場の実地に臨まず。物理、新たに発明するを得ず、その実施の時代にいたるには前途なお遥かなりというべし。たとえば医学の如きは、日本にてその由来も久しく、したがってその術も他の諸科に超越するものなれども、今日の有様を見れば、西洋の日新を逐うて、つねに及ばざるの嘆をまぬかれず。数百年の久しき、日本にて医学上の新発明ありしを聞かざるのみならず、我が国に固有の難病と称する脚気の病理さえ、なお未だ詳明するを得ず。ひっきょう我が医学士の不智なるに非ず、自家の学術を研究せんとして、その時と資金とを得ざるがためなり。 わずかに医学の初歩を学び得るときは、あるいは官途に奉職し、あるいは開業して病家に奔走し、奉職、開業、必ずしも医士の本意に非ざるも、糊口の道なきをいかんせん。口を糊せんとすれば、学を脩むるの閑なし、学を脩めんとすれば、口を糊するを得ず。一年三百六十日、脩学、半日の閑を得ずして身を終るもの多し。道のために遺憾なりというべし。

現代語訳

帝室はすでに日本の私立学校の保護者です。さらにこの上に望むのは、天下の学者を選んで、特別の栄誉と年金を与え、好む学芸を修めさせることです。近年、西洋では学芸の進歩がとりわけ迅速で、物理の発明が豊富なだけでなく、その発明したものを人間の実際の営みに適用して実益を得る工夫も日に新たです。工場や農作などで使う機械の類はもちろん、日常の手仕事と呼ぶべき水まき・料理・煎茶・点灯といった細事に至るまで、すべて学問上の主義に基づき、自然の原則を利用することに努めないものはありません。要するに、近年の西洋は、すでに学理を研究する時代を過ぎて、いまは学理を実施する時代と言ってよいでしょうか。これをたとえて言えば、軍人が兵学校を卒業して、まさに戦場に向かう者のようなものです。 これに対して日本の学芸は、十数年来大いに進歩したとはいっても、まだ卒業していないばかりか、あたかも他国の調練を調練しているようなもので、まだ戦場の実地に臨んでいません。物理の新発明を得られず、実施の時代に至るにはなお前途遥かと言うべきです。たとえば医学などは、日本でその由来も久しく、したがってその術も他の諸科より優れていますが、今日の様子を見ると、西洋の日々の進歩を追って、いつも及ばないという嘆きを免れません。数百年の長きにわたり、日本で医学上の新発明があったと聞かないばかりか、わが国固有の難病と称する脚気の病理さえ、いまだ詳しく解明できていません。結局、わが医学士が愚かなのではなく、自分の学術を研究しようにも、その時間と資金を得られないからです。 わずかに医学の初歩を学び得たなら、官途に就くか、あるいは開業して病家に走り回り、官職も開業も必ずしも医者の本意ではないのに、生計の道がないのだからどうしようもありません。生計を立てようとすれば学を修める暇がなく、学を修めようとすれば生計を立てられません。一年三百六十日、半日の暇も得られないまま生涯を終える者が多いのです。学問のために遺憾なことと言うべきです。

解説

福沢は、西洋が学理を実地に用いる段階へ進んだのに、日本はまだ学ぶ段階にとどまると比べます。原因は能力ではなく、研究に充てる時間と資金の不足、つまり学者が生計に追われる構造だと言います。医学の例は、現場で働きながら研究を深める難しさをよく表しています。現代の組織でも、目先の業務で手一杯になり、学び直しや新しい取り組みの余白が残らないことがあります。人の怠慢を責める前に、余白を生む仕組みが用意されているかを考えるきっかけになります。

この章句が説くこと

学理の実施医学時間と資金脚気生計

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