福沢諭吉小品集 / 学問の独立・第19段
一国文明のために学問の貴重なること、すでに明らかなれば、その学問社会の人を尊敬してこれに位階勲章をあたうるは、まことに尋常の法にして、さらに天下の耳目を驚かすほどの事に非ず。すなわち学問社会上流の人物は、政事社会上流の人物と、正しく同等の地位に立ちて毫も軽重あるべからず。ただ、相互にその事業を干渉せざるのみ。 朝廷には位を貴び、郷党には齢を貴ぶというは、政府の官職貴きも、これをもって郷党民間の交際を軽重するに足らずとの意味ならん。いわんや学問社会に対するにおいてをや。政府の官途に奉職すればとて、その尊卑は毫も効なきものと知るべし。仏蘭西の大学校にて、第一世ナポレオンはその学事会員たるを得たれども、第三世ナポレオンはついにこれを許されざりしという。同国にて学権の強大なること、もって証すべし。 我が日本国にても、政府の官職はただ在職中の等級のみにて、このほかに位階勲章の制を立てず、尊卑はただ政府中、官吏相互の等級にして、かつて政府外に通用せざるものなれば、私の会社中に役員の等級あるが如くにして、他に影響すること少なからんといえども、いやしくもその人の事業にかかわらずして、その身を軽重するの法あるからには、その法は須らく全国人民に及ぼして、政府の内と外とに差別するところあるべからざるなり。官吏も日本政治社会の官吏なり、学者も日本学問社会の学者なり。その事業こそ異なれども、その人物の軽重にいたりては、毫も異なることなくして、ただ偶然にこの人物が学問に志して学者の業に安んずるがゆえに、その身の栄誉を表するの方便を得ず。かの人物が偶然に仕官に志して官吏の業につきたるがために、利禄にかねて栄誉を得るとは、人事の公平なるものというべからず。
書き下し
一国文明のために学問の貴重なること、すでに明らかなれば、その学問社会の人を尊敬してこれに位階勲章をあたうるは、まことに尋常の法にして、さらに天下の耳目を驚かすほどの事に非ず。すなわち学問社会上流の人物は、政事社会上流の人物と、正しく同等の地位に立ちて毫も軽重あるべからず。ただ、相互にその事業を干渉せざるのみ。 朝廷には位を貴び、郷党には齢を貴ぶというは、政府の官職貴きも、これをもって郷党民間の交際を軽重するに足らずとの意味ならん。いわんや学問社会に対するにおいてをや。政府の官途に奉職すればとて、その尊卑は毫も効なきものと知るべし。仏蘭西の大学校にて、第一世ナポレオンはその学事会員たるを得たれども、第三世ナポレオンはついにこれを許されざりしという。同国にて学権の強大なること、もって証すべし。 我が日本国にても、政府の官職はただ在職中の等級のみにて、このほかに位階勲章の制を立てず、尊卑はただ政府中、官吏相互の等級にして、かつて政府外に通用せざるものなれば、私の会社中に役員の等級あるが如くにして、他に影響すること少なからんといえども、いやしくもその人の事業にかかわらずして、その身を軽重するの法あるからには、その法は須らく全国人民に及ぼして、政府の内と外とに差別するところあるべからざるなり。官吏も日本政治社会の官吏なり、学者も日本学問社会の学者なり。その事業こそ異なれども、その人物の軽重にいたりては、毫も異なることなくして、ただ偶然にこの人物が学問に志して学者の業に安んずるがゆえに、その身の栄誉を表するの方便を得ず。かの人物が偶然に仕官に志して官吏の業につきたるがために、利禄にかねて栄誉を得るとは、人事の公平なるものというべからず。
現代語訳
一国の文明のために学問が貴重であることはすでに明らかですから、その学問社会の人を尊敬して位階や勲章を与えることは、ごく普通の法であって、世間の耳目を驚かすほどのことではありません。つまり学問社会の上流の人物は、政治社会の上流の人物とまったく同等の地位に立ち、少しも軽重があってはなりません。ただ、互いにその事業に干渉しないだけです。 朝廷では位を貴び、郷里では年齢を貴ぶと言いますが、これは、政府の官職が貴くても、それで郷里や民間での交際の軽重を決めるには足りないという意味でしょう。ましてや学問社会に対してはなおさらです。政府の官職に就いているからといって、その尊卑は少しも効力がないと知るべきです。フランスの大学では、第一世ナポレオンは学士院の会員になることができたが、第三世ナポレオンはついに許されなかったと言います。同国で学問の権威が強大であることの証拠とすべきでしょう。 わが日本でも、政府の官職は在職中の等級にとどまり、このほかに位階勲章の制度を立てていません。尊卑は政府の中の官吏どうしの等級にすぎず、政府の外では通用しないもので、私の会社の中に役員の等級があるようなものですから、他への影響は少ないでしょう。しかし、本人の事業に関わらずその身を軽重する法がある以上、その法は全国の人民に及ぼし、政府の内と外で差別があってはなりません。官吏も日本の政治社会の官吏であり、学者も日本の学問社会の学者です。その事業こそ異なりますが、人物の軽重においては少しも異なることがなく、ただたまたまこの人物が学問に志して学者の業に安んじているために、その身の栄誉を表す手段を得られません。あの人物がたまたま仕官に志して官吏の業に就いたために、俸禄に加えて栄誉を得るというのは、人事の公平といえるものではありません。
解説
この章句が説くこと
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福沢諭吉小品集・学問の独立・第16段我が輩ひと通りの考にては、この言はまったく俗吏論にして、学者の心事を知らざるものなりと一抹し去らんとしたれども、また退いて再考すれば、学者先生の中にもずいぶん俗なる者なきに非ず、あるいは稀には何官・何等出仕の栄をもって得々たる者もあらん。然りといえども、学者中たといこの臭気の人物ありとするも、これを処することまた、はなはだ易し。まず利禄をもっていえば、学校の官私を問わず、俸給はいぜんとして旧の如くなるべし。また、利禄をさりて身分の一段にいたりては、帝室より天下の学者を網羅してこれに位階勲章を賜わらば、それにて十分なるべし。 そもそも位階勲章なるものは、ただ政府中に限るべきものに非ず。官吏の辞職するは政府を去るものなれども、その去るときに位階勲章を失わず、あるいは華族の如き、かつて政府の官途に入らざるも必ず位階を賜わるは、その家の栄誉を表せらるるの意ならん。されば位階勲章は、官吏が政府の職を勤むるの労に酬いるに非ずして、ただ普通なる日本人の資格をもって、政府の官職をも勤むるほどの才徳を備え、日本国人の中にて抜群の人物なりとて、その人物を表するの意ならん。官吏の内にても、一等官の如きはもっとも易からざる官職にして、尋常の才徳にては任に堪え難きものなるに、よくその職を奉じて過失もなきは、日本国中稀有の人物にして、その天稟の才徳、生来の教育、ともに第一流なりとて、一等勲章を賜わりて貴き位階を授くることならん。
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福沢諭吉小品集・学問の独立・第20段もとより高尚なる理論上よりいえば、位階勲章の如き、まことに俗中の俗なるものにして、歯牙にとどむべきに非ずというといえども、これはただ学者普通の公言にして、その実は必ずしも然らず。真実に脱俗して栄華の外に逍遥し、天下の高処におりて天下の俗を睥睨するが如き人物は、学者中、百に十を見ず、千万中に一、二を得るも難きことならん。いわんや日本国中栄誉の得べきものなければ、すなわち止まんといえども、等しく国民の得べきものにして、かれはこれを得て、これは得ずとあれば、ことさらに辱しめらるるの念慮なきを得ず。これをも忍びて塵俗の外に悠々たるべしとは、今の学者に向って望むべからざることならんのみ。 右の次第にて、学者の栄誉を表するがために位階勲章を賜わるは、まことに尋常の事にして、政府の官吏にのみこれを賜わるの多きこそ、かえって人の耳目を驚かすべきほどの次第なれば、今回幸にして行政官直轄の諸学校を私立の体に改革せられたらば、その教員の輩はもとより無官の人民なれども、いずれも皆少小の時より学に志して、自身を研き他を教育するの技倆ある人物にして、日本国中、学問の社会においては、長者先進と称すべき者なるがゆえに、その人物に相当すべき位階勲章を賜わるは事の当然にして、本人等の満足すべきのみならず、またもって帝室の無偏・無党にして、日本国の全面を通覧せられ、政治も学問も同一視し給うとの盛意を示すに足るべきことと信ずるなり。
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福沢諭吉小品集・学問の独立・第17段されば官吏が職を勤むるの労に酬いるには月給をもってし、数をもっていえば、百の労と百の俸給とまさしく相対して、その有様はほとんど売買の主義に異ならず。この点より論ずるときは、仕官もまた営業渡世の一種なれども、俸給の他に位階勲章をあたうるは、その労力の大小にかかわらず、あたかも日本国中の人物を排列してその段等を区別するものにして、官途にはおのずから抜群の人物多きがゆえに、位階勲章を得る者の数も官途に多きゆえんなり。政府の故意にして、ことさらに官途の人のみにこれをあたうるに非ず、官職の働はあたかも人物の高低をはかるの測量器なるがゆえに、ひとたび測量してこれを表するに位階勲章をもってして、その地位すでに定まるときは、本人の働は何様にてもこれに関することなく、地位は生涯その身につきて離れざるものなり。すなわち、辞職の官吏も、その位階勲章をば生涯失うことなきを見て、これを知るべし。 位階勲章はただちに帝室より出ずるものにして、政府吏人の毫もあずかり知るべきものに非ず。而してその帝室は日本国全体の帝室にして、政府一局部の帝室に非ず。帝室もとより政府に私せず。政府もとより帝室を私せず。無偏・無党の帝室は、帝国の全面を照らして、そのいずれに厚からず、またいずれに薄からず、帝室より降臨すれば、政治の社会も学問の社会も、宗旨も道徳も技芸も農商も、一切万事、要用ならざるものなし。いやしくもこれらの事項について抜群の人物あれば、すなわちこれを賞してその抜群なるを表す。位階勲章の精神は、けだしここにあって存するものならん。
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福沢諭吉小品集・学問の独立・第18段人間社会の事は千緒万端にして、ただ政治のみをもって組織すべきものに非ず。人の働もまた、千緒万端に分別してこれに応ぜざるべからず。すなわち人事の分業分任なり。すでにこれを分てこれに任ずるときは、おのおの長ずるところあるべきは自然の理にして、農商の事に長ずるものあり、工芸技術に長ずるものあり、あるいは学問に長じ、あるいは政治に長ずる等、相互に争うべからざるものあるがゆえに、この事に長ずるものは、この事の長者としてこれを貴び、その業に長ずる者は、その業の長者としてこれに最上の栄誉をあたうるもまた、自然の理において許すべきものなり。たとえば大関が相撲最上の長者なれば、九段は碁将棋最上の長者にして、その長者たるや、一等官が政事の長者たるに異ならざるなり。 されば、生れながらにして学に志し、畢生の精神を自身の研究と他人の教導とに用いて、その一方に長ずる者は、学問社会の長者にして、これまた一等官が政事の長者たるに異ならざるや、もとより明白なり。而してその相撲の大関または碁将棋の九段なる者が、太政大臣と同一様の栄誉を得ざるは何ぞや。相撲と碁将棋とは、その事柄において、これを政事に比して軽重の別あるがゆえに、その軽重の差にしたがいて、双方の長と長と比肩するを得ざるものなりといえども、今一国文明の進歩を目的に定めて、政事と学事と相互に比較したらば、いずれを重しとし、いずれを軽しとするは、判断においてはなはだ難き事ならん。 学者をして学問の貴きを説かしめたらば、政事の如きは小児の戯にして論ずるに足らざるものなりといい、政事家もまた学問を蔑視して、実用に足らざる老朽の空論なりとすることならんといえども、これはいわゆる双方の偏頗論にして、公平にいえば、政事も学問もともに人事の至要にして、双方ともに一日も空しゅうすべからず。政事は実際の衝にあたって大切なり。学問は永遠の大計を期して大切なり。政事は目下の安寧を保護して学者の業を安からしめ、学問は人を教育して政事家をも陶冶し出だす。双方ともに毫も軽重あることなしとの裁判にて、双方に不平なかるべし。
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『学問のすゝめ』初編・人の貴きにあらず国法の貴きなりされば今より後は日本国中の人民に、生まれながらその身につきたる位などと申すはまずなき姿にて、ただその人の才徳とその居処とによりて位もあるものなり。たとえば政府の官吏を粗略にせざるは当然のことなれども、こはその人の身の貴きにあらず、その人の才徳をもってその役儀を勤め、国民のために貴き国法を取り扱うがゆえにこれを貴ぶのみ。人の貴きにあらず、国法の貴きなり。旧幕府の時代、東海道にお茶壺の通行せしは、みな人の知るところなり。そのほか御用の鷹は人よりも貴く、御用の馬には往来の旅人も路を避くる等、すべて御用の二字を付くれば、石にても瓦にても恐ろしく貴きもののように見え、世の中の人も数千百年の古よりこれを嫌いながら、また自然にその仕来りに慣れ、上下互いに見苦しき風俗を成せしことなれども、畢竟これらはみな法の貴きにもあらず、品物の貴きにもあらず、ただいたずらに政府の威光を張り、人を畏して人の自由を妨げんとする卑怯なる仕方にて、実なき虚威というものなり。
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福沢諭吉小品集・中津留別の書・第4段人の心の同じからざる、その面の相異なるが如し。世の開るにしたがい、不善の輩もしたがって増し、平民一人ずつの力にては、その身を安くし、その身代を護るに足らず。ここにおいて一国衆人の名代なる者を設け、一般の便不便を謀て政律を立て、勧善懲悪の法、はじめて世に行わる。この名代を名づけて政府という。その首長を国君といい、附属の人を官吏という。国の安全を保ち、他の軽侮を防ぐためには、欠くべからざるものなり。 およそ世の中に仕事の種類多しといえども、国の政事を取扱うほど難きものはなし。骨折る者はその報を取るべき天の道なれば、仕事の難きほど報も大なるはずなり。ゆえに政府の下にいて政事の恩沢を蒙る者は、国君・官吏の給料多しとてこれをうらやむべからず。政府の法正しければその給金は安きものなり。ただにこれをうらやまざるのみならず、また、したがってその人を尊敬せざるべからず。ただし国君官吏たる者も、自から労して自から食うの大義を失わずして、その所労の力とその所得の給料と軽重いかんを考えざるべからず。これすなわち君臣の義というものか。 右は人間の交の大略なり。その詳なるは二、三枚の紙につくすべからず、必ず書を読ざるべからず。書を読むとは、ひとり日本の書のみならず、支那の書も読み、天竺の書も読み、西洋諸国の書も読ざるべからず。このごろ世間に、皇学・漢学・洋学などいい、おのおの自家の学流を立て、たがいに相誹謗するよし。もってのほかの事なり。学問とはただ紙に記したる字を読むことにて、あまりむつかしき事にあらず。学流得失の論は、まず字を知りて後の沙汰なれば、あらかじめ空論に時日をついやすは益なき事なり。人間の智恵をもって、日本・支那・英仏等、わずか二、三ヶ国の語を学ぶになにほどの骨折あるや。鄙怯らしくもその字を知らずしてかえって己が知らざる学問のことを誹謗するは、男子の恥ずべきことにあらずや。学問をするには、まず学流の得失よりも、我が本国の利害を考えざるべからず。
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