学問のすゝめ / 初編・人の貴きにあらず国法の貴きなり
されば今より後は日本国中の人民に、生まれながらその身につきたる位などと申すはまずなき姿にて、ただその人の才徳とその居処とによりて位もあるものなり。たとえば政府の官吏を粗略にせざるは当然のことなれども、こはその人の身の貴きにあらず、その人の才徳をもってその役儀を勤め、国民のために貴き国法を取り扱うがゆえにこれを貴ぶのみ。人の貴きにあらず、国法の貴きなり。旧幕府の時代、東海道にお茶壺の通行せしは、みな人の知るところなり。そのほか御用の鷹は人よりも貴く、御用の馬には往来の旅人も路を避くる等、すべて御用の二字を付くれば、石にても瓦にても恐ろしく貴きもののように見え、世の中の人も数千百年の古よりこれを嫌いながらまた自然にその仕来りに慣れ、上下互いに見苦しき風俗を成せしことなれども、畢竟これらはみな法の貴きにもあらず、品物の貴きにもあらず、ただいたずらに政府の威光を張り人を畏して人の自由を妨げんとする卑怯なる仕方にて、実なき虚威というものなり。
書き下し
されば今より後は日本国中の人民に、生まれながらその身につきたる位などと申すはまずなき姿にて、ただその人の才徳とその居処とによりて位もあるものなり。たとえば政府の官吏を粗略にせざるは当然のことなれども、こはその人の身の貴きにあらず、その人の才徳をもってその役儀を勤め、国民のために貴き国法を取り扱うがゆえにこれを貴ぶのみ。人の貴きにあらず、国法の貴きなり。旧幕府の時代、東海道にお茶壺の通行せしは、みな人の知るところなり。そのほか御用の鷹は人よりも貴く、御用の馬には往来の旅人も路を避くる等、すべて御用の二字を付くれば、石にても瓦にても恐ろしく貴きもののように見え、世の中の人も数千百年の古よりこれを嫌いながら、また自然にその仕来りに慣れ、上下互いに見苦しき風俗を成せしことなれども、畢竟これらはみな法の貴きにもあらず、品物の貴きにもあらず、ただいたずらに政府の威光を張り、人を畏して人の自由を妨げんとする卑怯なる仕方にて、実なき虚威というものなり。
現代語訳
ですから今より後は、日本中の人民に、生まれながら身についた位などというものはまずなく、ただその人の才能と徳、そしてその地位によって位があるだけです。たとえば政府の役人を粗略に扱わないのは当然のことですが、これはその人の身が貴いからではなく、その人が才と徳をもってその職務を務め、国民のために貴い国法を取り扱うからこそ貴ぶのです。人が貴いのではなく、国法が貴いのです。旧幕府の時代、東海道にお茶壺が通行したことは誰もが知るところです。そのほか御用の鷹は人より貴く、御用の馬には道行く旅人も道を避けるなど、すべて御用の二字を付ければ、石でも瓦でも恐ろしく貴いもののように見え、世の中の人も長い昔からこれを嫌いながら、自然とその仕来りに慣れ、上下互いに見苦しい風俗を作ってきました。しかし結局これらは法が貴いのでもなく、品物が貴いのでもなく、ただいたずらに政府の威光を張り、人を畏れさせて自由を妨げようとする卑怯なやり方であって、中身のない虚しい威です。
解説
この章句が説くこと
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『墨子』節葬下今、昔者の三代の聖王の既に沒せしに逮び至りて、天下、義を失う。後世の君子、或いは厚葬久喪を以て仁と為し、義と為し、孝子の事と為す。或いは厚葬久喪を以て仁義に非ず、孝子の事に非ずと為す。曰く、二子なる者は、言は則ち相い非とし、行いは即ち相い反す。皆な曰く、「吾れ上は堯舜禹湯文武の道を祖述する者なり」と。而も言は即ち相い非とし、行いは即ち相い反す。此に於て後世の君子、皆な二子なる者の言に疑惑す。
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『甲陽軍鑑』品第十三去る程に鎌倉の公方を守護し奉る国々は相摸·武蔵·上野·下野·安房·上総·出羽·奥州·佐渡·越後·信濃·飛弾此国々の侍衆、大身·小身ともに悉く守護豊饒の様子なり、併公方世が世にてましますときより、上杉諸侍の棟梁と有る上意を承はつて推量候へば、諸国の侍大小皆此管領一人のさいはいを守る、両上杉とは申せども先山内殿を肝要に用ゆる故、結句後には公方をわきへなし奉り、十人は七人山内殿二人、扇谷へと申て、公方様へは漸々一人も出仕いたさずしてゐたるにより、公方の御仕合せ如此に候へども、山内殿に楯をつく侍一人としてなき故、少しも子細なく治る、
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『墨子』法儀然らば則ち奚を以て治法を為して可ならんか。當に皆な其の父母に法らば奚若ん。天下の父母為る者は衆けれども、仁なる者は寡し。若し皆な其の父母に法らば、此の法は不仁なり。法、不仁なれば、以て法と為す可からず。當に皆な其の學に法らば奚若ん。天下の學を為す者は衆けれども、仁なる者は寡し。若し皆な其の學に法らば、此の法は不仁なり。法、不仁なれば、以て法と為す可からず。當に皆な其の君に法らば奚若ん。天下の君為る者は衆けれども、仁なる者は寡し。若し皆な其の君に法らば、此の法は不仁なり。法、不仁なれば、以て法と為す可からず。故に父母・學・君の三者は、以て治法と為す可き莫し。
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『墨子』非命中今、夫れ有命者、言いて曰く、「我れ之を後世に作すに非ざるなり。昔三代より若き言有りて以て傳流せり」と。今、故に先王、之に對せんか。曰く、夫れ有命者は、昔の三代の聖善の人を志さざるか。意うに亡くば昔の三代の暴不肖の人か。何を以て之を知る。初めの列士・卿大夫は、言を慎み行を知り、此れ上は以て其の君長を規諌する有り、下は以て其の百姓を教順する有り。故に上は以て其の君長を規諌する有り、下は以て其の百姓を教順する有り。故に上は其の君長の賞を得、下は其の百姓の譽を得。列士・卿大夫の聲聞、廢れず、傳流して今に至る。而して天下、皆な其の力なりと曰う。一
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二宮翁夜話・巻之五老中某侯(ぼうこう)の家臣、市中にて云々の横行あり、横山平太之を誹(そし)る、翁(おきな)曰(いわ)く、執政は政事(まつりごと)の出る処、国家を正(ただ)しうして、不正無からしむるの職(しょく)なるに其家僕(かぼく)其威(い)をかりて、不正を行ふ者往々あり、譬(たと)へば町奉行の奴僕(ぬぼく)等、両国浅草等に出る、予が法皮(はっぴ)を見よなどゝ罵(ののし)るに同じ、国を正しうする者、家を正しうする事能(あた)はざるが如しといへども、是家政の届(とど)かざるにあらず、勢(いきおい)の然らしむる物なり、彼(か)の河水を見よ、水の卑(ひ)きに下るの勢、政事の国家に行はれて置郵伝命(ちゆうでんめい)より速(すみやか)なるが如し、而(しか)て水流急にして、或は岩石に当り、石倉に当る処、急流変(へん)じて逆流となる物なり、夫(それ)老中の権威(けんい)は、譬へば急流の水勢防(ふせ)ぐべからざるに同じ、家僕等法を犯す者あるは、急流の当る処逆流となるが如し、是自然に然(しか)らざるを得ざる物なり、咎(とが)むる事勿(なか)れ。
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