福沢諭吉小品集 / 学問の独立・第13段
右の如くして、文部省はまったく廃するに非ず、文部省は行政官にして、全国の学事を管理するに行政の権力を要するもの、はなはだ少なからず。たとえば、各地方に令して就学適齢の人員を調査し、就学者の多寡をかぞえ、人口と就学者との割合を比例し、または諸学校の地位・履歴、その資本の出処・保存の方法を具申せしめ、時としては吏人を地方に派出して諸件を監督せしむる等、すべて学校の管理に関する部分の事は、文部省の政権に非ざれば、よくすべからず。いわんや強迫教育法の如き、必ず政府の権威によりてはじめて行わるべきのみ。 ただし我が輩はもとより強迫法を賛成する者にして、全国の男女生れて何歳にいたれば必ず学につくべし、学につかざるをえずと強いてこれに迫るは、今日の日本においてはなはだ緊要なりと信ずれども、その学問の風をかくの如くして、その教授の書籍は何を用いて何を読むべからずなどと、教場の教授法にまで命令を下すが如きは、また事のよろしからざるものと信ず。これを要するに、学問上の事は一切学者の集会たる学事会に任し、学校の監督報告等の事は文部省に任して、いわば学事と俗事と相互に分離し、また相互に依頼して、はじめて事の全面に美をいたすべきなり。 たとえば海陸軍においても、軍艦に乗りて海上に戦い、馬に跨て兵隊を指揮するは、真に軍人の事にして、身みずから軍法に明らかにして実地の経験ある者に非ざれば、この任に堪えず。されども海陸軍、必ずしも軍人のみをもって支配すべからず。軍律の裁判には、法学士なかるべからず。患者のためには、医学士なかるべからず。行軍の時に、輜重・兵粮の事あり。平時にも、もとより会計簿記の事あり。その事務、千緒万端、いずれも皆、戦隊外の庶務にして、その大切なるは戦務の大切なるに異ならず、庶務と戦務と相互に助けて、はじめて海陸軍の全面を維持するは、あまねく人の知るところならん。
書き下し
右の如くして、文部省はまったく廃するに非ず、文部省は行政官にして、全国の学事を管理するに行政の権力を要するもの、はなはだ少なからず。たとえば、各地方に令して就学適齢の人員を調査し、就学者の多寡をかぞえ、人口と就学者との割合を比例し、または諸学校の地位・履歴、その資本の出処・保存の方法を具申せしめ、時としては吏人を地方に派出して諸件を監督せしむる等、すべて学校の管理に関する部分の事は、文部省の政権に非ざれば、よくすべからず。いわんや強迫教育法の如き、必ず政府の権威によりてはじめて行わるべきのみ。 ただし我が輩はもとより強迫法を賛成する者にして、全国の男女生れて何歳にいたれば必ず学につくべし、学につかざるをえずと強いてこれに迫るは、今日の日本においてはなはだ緊要なりと信ずれども、その学問の風をかくの如くして、その教授の書籍は何を用いて何を読むべからずなどと、教場の教授法にまで命令を下すが如きは、また事のよろしからざるものと信ず。これを要するに、学問上の事は一切学者の集会たる学事会に任し、学校の監督報告等の事は文部省に任して、いわば学事と俗事と相互に分離し、また相互に依頼して、はじめて事の全面に美をいたすべきなり。 たとえば海陸軍においても、軍艦に乗りて海上に戦い、馬に跨て兵隊を指揮するは、真に軍人の事にして、身みずから軍法に明らかにして実地の経験ある者に非ざれば、この任に堪えず。されども海陸軍、必ずしも軍人のみをもって支配すべからず。軍律の裁判には、法学士なかるべからず。患者のためには、医学士なかるべからず。行軍の時に、輜重・兵粮の事あり。平時にも、もとより会計簿記の事あり。その事務、千緒万端、いずれも皆、戦隊外の庶務にして、その大切なるは戦務の大切なるに異ならず、庶務と戦務と相互に助けて、はじめて海陸軍の全面を維持するは、あまねく人の知るところならん。
現代語訳
こうした仕組みにしても、文部省を完全に廃止するのではありません。文部省は行政官庁であり、全国の学事を管理するのに、行政の権力を要する事柄は少なくありません。たとえば、各地方に命じて就学年齢の人数を調べ、就学者の多少を数え、人口と就学者の割合を比べ、また諸学校の所在や沿革、その資本の出所や維持の方法を報告させ、時には役人を地方に派遣して諸事を監督させる等、すべて学校の管理に関する部分は、文部省の政権でなければできません。まして強制教育の法のようなものは、必ず政府の権威によってはじめて行われるでしょう。 ただし私はもとより強制の法に賛成する者で、全国の男女が何歳になれば必ず学校に就くべきで、就かないわけにはいかないと強いて迫ることは、今日の日本においてたいへん重要だと信じていますが、その学問の風をこのようにして、その教授の書物は何を用いて何を読んではならないなどと、教場の教授法にまで命令を下すようなことは、また事柄としてよくないと信じます。要するに、学問上のことは一切、学者の集会である学事会に任せ、学校の監督や報告などは文部省に任せて、いわば学事と俗事とを互いに分離し、また互いに頼り合って、はじめて事の全面を完全にできるのです。 たとえば海軍や陸軍においても、軍艦に乗って海上で戦い、馬に乗って兵隊を指揮するのは、本物の軍人の仕事で、自ら軍法に明るく実地の経験のある者でなければ、この任に堪えません。しかし海陸軍は、必ずしも軍人だけで運営すべきではありません。軍律の裁判には法学者がいなければならず、患者のためには医学者がいなければならず、行軍の時には輜重や兵糧の事があり、平時にももとより会計や簿記の事があります。その事務は千緒万端で、いずれもみな戦闘部隊外の庶務ですが、その大切さは戦務の大切さと変わりません。庶務と戦務とが互いに助け合って、はじめて海陸軍の全体を維持できることは、広く人の知るところでしょう。
解説
この章句が説くこと
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福沢諭吉小品集・学問の独立・第14段然らばすなわち全国学問の事においても、教育の針路を定めて後進の学生を導き、文を教え芸学を授くる者は、必ず少年の時より身みずから教育を受けて、また他人を教育し、教場実際の経験ある者にして、はじめてその任にあたるべし。すなわち学者をして学問教育の事を司らしむべきゆえんなれども、また一方より見れば、全国の教育事務はひとり学者のみに任すべからず。これを管理してその事を整斉せしむるには、行政の権力を用いて、いわゆる事務家の働に依頼せざるをえず。 学者が政権によりて学問を人に強いんとし、事務家が学問の味を知らずして漫にこれを支配せんとするは、軍人が海陸軍の庶務をかねて、庶務の吏人が戦陣の事を差図せんとするに異ならず。両ながら労して効なきのみならず、かえって全国の成跡を妨ぐるに足るべきのみ。海陸軍の医士、法学士、または会計官が、戦士を指揮して操練せしめ、または戦場の時機進退を令するの難きは、人皆これを知りながら、政治の事務家が教育の法方を議し、その書籍を撰定し、または教場の時間、生徒の進退を指令するの難きを知らざる者あらんや。我が輩の開陳するところ、必ずしも妄漫ならざるを許す者あるべしと、あえて自からこれを信ずるなり。 帝室より私学校を保護せらるるの事については、その資金をいかんするやとの問題もあれども、この一条はもっとも容易なることにして、心を労するに足らず。我が輩の持論は、今の帝室費をはなはだ不十分なるものと思い、大いにこれを増すか、または帝室御有の不動産にても定められたきとのことは、毎度陳述するところにして、もしも幸にして我が輩の意見の如くなることもあらば、私学校の保護の如き、全国わずかに幾十万円をもって足るべし。 あるいは一時巨額の資本を附与せらるるとて、また、ただ幾百万円の金を無利足にして永代貸下ぐるの姿に異ならず。決して帝室の大事と称すべきほどのものに非ず。あるいは今の政府の財政困難にして、帝室費をも増すにいとまあらずといわんか。極度の場合においては、国庫の出納を毫も増減せずして、実際の事は挙行すべし。
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福沢諭吉小品集・学問の独立・第3段もとより学問の事なれば、行政官の学校に学ぶも、またいずれの学問所に学ぶも同様なるべきに似たれども、政治社会の実際において然らざるものあり。けだし国の政事は、前にもいえる如く、今日の人事にあたりて臨機応変の処分あるべきものにして、たとえば饑饉には救恤の備えをなし、外患には兵馬を用意し、紙幣下落すれば金銀貨を求め、貿易の盛衰をみては関税を上下する等、俗言これを評すれば掛引の忙わしきものなるがゆえに、もしも国の学校を行政の部内に入るるときは、その学風もまた、おのずからこの掛引のために左右せらるるなきを期すべからず。掛引は日夜の臨機応変にして、政略上にもっとも大切なる部分なれば、政治家の常に怠るべからざる事なれども、学問は一日一夜の学問に非ず、容易に変易すべからざるなり。 もとより今の文部省の学制とても、決して政治に関係するに非ず。その学校の教則の如き、我が輩の見るところにおいて大なる異論あるなし。徳育を重んじ智育を貴び、その術学、たいがい皆、西洋文明の元素にとりて、体育養生の法にいたるまでも遺すところなきは、美なりというべしといえども、いかんせん、この美なる学制を施行する者が、行政官の吏人たるのみならず、ただちに生徒に接して教授する者もまた吏人にして、かつ学校教場の細事務と一般の気風とは学則中に記すべきにも非ざれば、その気風精神のよりて生ずる源は、これを目下の行政上にとらざるをえず。而してその行政なるものは、全体の性質において遠年に持続すべきものに非ず。また、持続してよろしからざるものなれば、政治の針路の変化するにしたがいて、学校の気風精神もまた変化せざるをえず。学問の本色に背くものというべし。
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福沢諭吉小品集・学問の独立・第2段過日、『時事新報』の社説にもいえる如く(一月一一日社説)、我が開国の初め攘夷論の盛なる時にあたりても、洋学者流が平生より西洋諸国の事情を説きて、あたかも日本人に開国の養生法を授けたるに非ずんば、我が日本は鎖国攘夷病に斃れたるやも計るべからず。学問の効力、その洪大なることかくの如しといえども、その学者をしてただちに今日の事にあたらしめんとするも、あるいは実際の用をなさざること、世界古今の例に少なからず。摂生学専門の医師にして当病の治療に活溌ならざるものと一様の道理ならん。 されば、学問と政治とはまったくこれを分離して相互に混同するを得せしめざること、社会全面の便利にして、その双方の本人のためにもまた幸福ならん。西洋諸国にても、執政の人が文学の差図して世の害をなし、有名なる碩学が政壇に上りて人に笑われたるの例もあり。また、我が封建の諸藩において、老儒先生を重役に登用して何等の用もなさず、かえって藩土のために不都合を起して、その先生もついに身を喪したるもの少なからず。ひっきょう、摂生法と治療法と相混じたるの罪というべきものなり。 学問と政治と分離すること、国のためにはたして大切なるものなりとせば、我が輩は、今の日本の政治より今の日本の学問を分離せしめんことを祈る者なり。すなわち文部省及び工部省直轄の学校を、本省より離別することなり。そもそも維新の初には百事皆創業にかかり、これは官に支配すべき事、それは私に属すべきものと、明らかに分界を論ずる者さえなくして、新規の事業は一切政府に帰し、工商の細事にいたるまでも政府より手を出だすの有様なれば、学校の政府に属すべきはむろんにして、すなわち文部・工部にも学校を設立したるゆえんなれども、今や十六年間の政事、次第に整頓するの日にあたりて、内外の事情を照し合せ、欧米文明国の事実を参考すれば、我が日本国において、政府がただちに学校を開設して生徒を集め、行政の官省にてただちにこれを支配して、その官省の吏人たる学者がこれを教授するとは、外国の例にもはなはだ稀にして、今日の時勢に少しく不都合なるが如し。
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福沢諭吉小品集・学問の独立・第11段されば今日この禍を未然に防ぐは、実に焦眉の急にして、決して怠るべからざるものならん。その法いかにして可ならんというに、我が輩の持論は、今の文部省または工部省の学校を、本省より分離して一旦帝室の御有となし、さらにこれを民間の有志有識者に附与して、共同私有私立学校の体をなさしめ、帝室より一時巨額の金円を下附せられて永世保存の基本を立るか、また、年々帝室の御分量中より、学事保護のためにとて定額を賜わるか、二様の内いかようにもすべきなれども、一時下附の法もはなはだ難事に非ず。 たとえば、目今、本省にてその直轄学校のために費すところ、毎年五十万円なれば、資金五百万円を一時に下附してその共同の私有金となし、この金をもって実価五百万円の公債証書を買うて、これを政府に預け、年々およそ五十万円の利子を収領すべし。名は五百万円を下附すというも、その実は現金を受授するに非ず、大蔵省中貯蓄の公債証書に記名を改るのみ。また、この大金を人民に下附するとはいえども、その人の私に恵与するに非ざるはむろんにして、私の字に冠するに共同の字をもってすれば、もとより一個人の私すべからざるや明らかなり。 私立学校はすでに五百万円の資金を得て、維持の法はなはだやすし。ここにおいてなお、全国の碩学にして才識徳望ある人物を集めて、つねに学事の会議を開き、学問社会の中央局と定めて、文書学芸の全権を授け、教育の方法を議し、著書の良否を審査し、古事を探索し、新説を研究し、語法を定め、辞書を編成する等、百般の文事を一手に統轄し、いっさい政府の干渉を許さずして、あたかも文権の本局たるべし。
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福沢諭吉小品集・学問の独立・第10段右等は維新前後の大事変なれども、大変の時勢はしばらくさしおき、平時といえども、世の政談の熱度、次第に増進すれば、その気はおのずから学校に波及して、校中多少の熱を催おすべきは、自然の勢においてまぬかれ難きことならん。全国の学校を行政官に支配し、また行政官の手をもってその教授を司どり、かえりみて各地方の政治家を見れば、時の政府と意見を殊にして、これに反対する者あるの場合においては、その反対の働は、単に政治の事項にとどまらずして、行政部内にある諸学校にまで及ぼして、本来無辜の学問に対して無縁の政敵を出現するにいたるべし。 すでに今日にありても、学校の教員等を採用するに、その政治の主義いかんを問うて、何々政党に縁ある者は用い難しと、きわめて窮窟なることをいう者あれば、また一方には小学の教員を雇うに、何某はいずれの政談演説会に聴衆の喝采を得たる人物なれば、少しくその給料を豊にしてこれを遇すべしとて、学識の深浅を問わずして、小政談の巧拙をもって品評を下す者あり。双方ともに政治の熱心をもって学校を弄ぶものというべし、双方ともに学問のために敵を求むるものというべし。 元来学問は、他の武芸または美術等にひとしく、まったく政治に関係を持たず、如何なる主義の者にても、ただその学術を教授するの技倆ある者にさえあれば、教員として妨なきはずなるに、これを用うるに、その政治上の主義如何を問い、またその政談の巧拙を評するが如きは、今日こそ世人の軽々看過するところならんといえども、その実は恐るべき禍乱の徴候にして、我が輩は天下後日の世相を臆測し、日本の学問は不幸にして政治に附着して、その惨状の極度はかの趙末、旧水戸藩の覆轍に陥ることはなかるべきやと、憂苦に堪えざるなり。
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福沢諭吉小品集・学問の独立・第12段在昔、徳川政府勘定所の例に、旗下の士が廩米を受取るとき、米何石何斗と書く米の字は、その竪棒を上に通さずして俗様に※と記すべき法なるを、ある時、林大学頭より出したる受取書に、楷書をもって尋常に米と記しければ、勘定所の俗吏輩、いかでこれを許すべきや、成規に背くとて却下したるに、林家においてもこれに服せず、同家の用人と勘定所の俗吏と一場の争論となりて、ついに勘定奉行と大学頭と直談の大事件に及びたるときに、大学頭の申し分に、日本国中文字のことは拙者一人の心得にあり、米は米の字にてよろしとの一言にて、政府中の全権と称する勘定奉行も、これがために失敗したりとの一話あり。右は事実か、あるいは好事家の作りたる奇話か、これを知るべからずといえども、林家に文権の帰したる事情は、推察するに足るべし。 今日は時勢もちがい、かかる奇話あるべきようもなしといえども、もしも幸にして学事会の設立もあらば、その権力は昔日の林家の如くならんこと、我が輩の祈るところなり。また、学事会なるものが、かく文事の一方について全権を有するその代りには、これをして断じて政事に関するを得せしめず、如何なる場合においても、学校教育の事務に関する者をして、かねて政事の権をとらしむるが如きは、ほとんどこれを禁制として、政権より見れば、学者はいわゆる長袖の身分たらんこと、これまた我が輩の祈るところにして、これを要するに、学問をもって政事の針路に干渉せず、政事をもって学問の方向を妨げず、政事と学権と両立して、両ながら、その処を得せしめなば、政を施すにも易く、学を勉むるにも易くして、双方の便利、これより大なるものなかるべしと信ずるものなり。
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