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福翁自伝 / 老余の半生・独立の手本を示さんとす(1)

第四には、勤王佐幕など云う喧しい議論は差置き、維新政府の基礎が定まると、日本国中の士族は無論、百姓の子も町人の弟も、少しばかり文字でも分る奴は皆役人になりたいと云う。仮令い役人にならぬでも、兎に角に政府に近づいて何か金儲でもしようと云う熱心で、その有様は臭い物に蠅のたかるようだ。全国の人民、政府に依らねば身を立てる処のないように思うて、一身独立と云う考は少しもない。偶ま外国修業の書生などが帰て来て、僕は畢生独立の覚悟で政府仕官は思いも寄らぬ、なんかんと鹿爪らしく私方へ来て満腹の気焔を吐く者は幾らもある。私は最初から当てにせずに宜い加減に聞流して居ると、その独立先生が久しく見えぬ。スルと後に聞けばその男はチャンと何省の書記官に為り、運の好い奴は地方官になって居ると云うような風で、何も之を咎めるではない、人々の進退はその人の自由自在なれども、全国の人が唯政府の一方を目的にして外に立身の道なしと思込んで居るのは、畢竟漢学教育の余弊で、所謂宿昔青雲の志と云うことが先祖以来の遺伝に存して居る一種の迷である。今この迷を醒まして文明独立の本義を知らせようとするには、天下一人でもその真実の手本を見せたい、亦自からその方針に向う者もあるだろう、一国の独立は国民の独立心から湧て出てることだ、国中を挙げて古風の奴隷根性では迚も国が持てない、出来ることか出来ないことかソンな事に躊躇せず、自分がその手本になって見ようと思付き、人間万事無頓着と覚悟を定めて、唯独立独歩と安心決定したから、政府に依りすがる気もない、役人達に頼む気もない。貧乏すれば金を使わない、金が出来れば自分の勝手に使う。人に交わるには出来る丈けの誠を尽して交わる、ソレでも忌と云えば交わって呉れなくても宜しい。客を招待すれば此方の家風の通りに心を用いて饗応する、その風が嫌いなら来て呉れなくても苦しうない。此方の身に叶う丈けを尽して、ソレから上は先方の領分だ。誉めるなり譏るなり喜ぶなり怒るなり勝手次第にしろ、誉められて左まで歓びもせず、譏られて左まで腹も立てず、いよ/\気が合わねば遠くに離れて附合わぬ計りだ。一切万事、人にも物にもぶら下らずに、云わば捨身になって世の中を渡るとチャンと説を定めて居るから、何としても政府へ仕官などは出来ない。この流儀が果して世の中の手本になって宜い事か、悪い事か、ソレも無頓着だ、宜ければ甚だ宜しい、悪るければソレまでの事だ、その先きまで責任を脊負い込もうとは思いません。

書き下し

第四には、勤王佐幕など云う喧しい議論は差置き、維新政府の基礎が定まると、日本国中の士族は無論、百姓の子も町人の弟も、少しばかり文字でも分る奴は皆役人になりたいと云う。仮令い役人にならぬでも、兎に角に政府に近づいて何か金儲でもしようと云う熱心で、その有様は臭い物に蠅のたかるようだ。全国の人民、政府に依らねば身を立てる処のないように思うて、一身独立と云う考は少しもない。偶ま外国修業の書生などが帰て来て、僕は畢生独立の覚悟で政府仕官は思いも寄らぬ、なんかんと鹿爪らしく私方へ来て満腹の気焔を吐く者は幾らもある。私は最初から当てにせずに宜い加減に聞流して居ると、その独立先生が久しく見えぬ。スルと後に聞けばその男はチャンと何省の書記官に為り、運の好い奴は地方官になって居ると云うような風で、何も之を咎めるではない、人々の進退はその人の自由自在なれども、全国の人が唯政府の一方を目的にして外に立身の道なしと思込んで居るのは、畢竟漢学教育の余弊で、所謂宿昔青雲の志と云うことが先祖以来の遺伝に存して居る一種の迷である。今この迷を醒まして文明独立の本義を知らせようとするには、天下一人でもその真実の手本を見せたい、亦自からその方針に向う者もあるだろう、一国の独立は国民の独立心から湧て出てることだ、国中を挙げて古風の奴隷根性では迚も国が持てない、出来ることか出来ないことかソンな事に躊躇せず、自分がその手本になって見ようと思付き、人間万事無頓着と覚悟を定めて、唯独立独歩と安心決定したから、政府に依りすがる気もない、役人達に頼む気もない。貧乏すれば金を使わない、金が出来れば自分の勝手に使う。人に交わるには出来る丈けの誠を尽して交わる、ソレでも忌と云えば交わって呉れなくても宜しい。客を招待すれば此方の家風の通りに心を用いて饗応する、その風が嫌いなら来て呉れなくても苦しうない。此方の身に叶う丈けを尽して、ソレから上は先方の領分だ。誉めるなり譏るなり喜ぶなり怒るなり勝手次第にしろ、誉められて左まで歓びもせず、譏られて左まで腹も立てず、いよ/\気が合わねば遠くに離れて附合わぬ計りだ。一切万事、人にも物にもぶら下らずに、云わば捨身になって世の中を渡るとチャンと説を定めて居るから、何としても政府へ仕官などは出来ない。この流儀が果して世の中の手本になって宜い事か、悪い事か、ソレも無頓着だ、宜ければ甚だ宜しい、悪るければソレまでの事だ、その先きまで責任を脊負い込もうとは思いません。

現代語訳

第四には、勤王だ佐幕だというやかましい議論はさておき、維新政府の基礎が定まると、日本国中の士族はもちろん、百姓の子も町人の弟も、少しばかり文字の分かる奴はみな役人になりたいと言います。たとえ役人にならなくても、とにかく政府に近づいて何か金儲けをしようという熱心さで、その有様は臭い物に蠅がたかるようです。全国の人民が、政府に頼らなければ身を立てるところがないように思い込んで、一身独立という考えは少しもありません。たまたま外国で修業した書生などが帰ってきて、僕は生涯独立の覚悟で、政府に仕官するなど思いもよらないと、もったいぶって私のところへ来て、満腹の気炎を吐く者はいくらもいます。私は最初から当てにせず、いい加減に聞き流していると、その独立先生がしばらく見えません。すると後で聞けば、その男はちゃんとどこかの省の書記官になり、運のよい奴は地方官になっているというありさまです。これをとがめるわけではありません。人々の進退はその人の自由ですが、全国の人がただ政府の一方だけを目的にして、ほかに立身の道はないと思い込んでいるのは、結局漢学教育の悪い影響で、いわゆる昔からの青雲の志ということが、先祖以来の遺伝として存している一種の迷いです。 今この迷いを覚まして、文明独立の本義を知らせようとするには、天下に一人でもその真実の手本を見せたい、自然とその方針に向かう者もいるだろう、一国の独立は国民の独立心から湧いて出るものだ、国中を挙げて古風な奴隷根性では、とても国は持たない、できることかできないことか、そんなことにためらわず、自分がその手本になってみようと思いつき、人間万事無頓着と覚悟を決めて、ただ独立独歩と心を定めたので、政府に頼りつく気もなく、役人たちに頼む気もありません。貧乏すれば金を使わず、金ができれば自分の勝手に使う。人と交わるにはできるだけの誠を尽くして交わる、それでも嫌だというなら、交わってくれなくてもよい。客を招待すれば、こちらの家風のとおりに心を用いてもてなす、その風が嫌いなら来てくれなくても構わない。こちらの身に叶うだけを尽くして、それから先は相手の領分だ。ほめるなり、そしるなり、喜ぶなり、怒るなり、勝手次第にしろ。ほめられてもそれほど喜ばず、そしられてもそれほど腹も立てず、いよいよ気が合わなければ、遠く離れて付き合わないだけだ。一切万事、人にも物にもぶら下がらず、いわば捨て身になって世の中を渡るとちゃんと方針を定めているので、どうしても政府への仕官などはできません。この流儀が果たして世の中の手本になってよいことか、悪いことか、それも無頓着です。よければまことによろしい、悪ければそれまでのこと、その先まで責任を背負い込もうとは思いません。

解説

第四の理由が、福沢の核心です。誰もが政府に群がり、独立を唱えた書生も結局は書記官になる。この迷いは漢学教育の青雲の志が遺伝のように残ったものだと見ます。だから自分が一人でも独立の手本になろうと決めた。貧乏すれば使わず、人には誠を尽くし、あとは相手の領分と割り切る。一身独立なくして一国独立なし、という持論を、自分の生き方で実証しようとした宣言です。他人の評価に左右されない線引きは、今の働き方にも示唆があります。

この章句が説くこと

一身独立官途青雲の志独立独歩捨て身手本

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