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福翁自伝 / 王政維新・教育の方針は数理と独立(1)

畢竟私がこの日本に洋学を盛にして、如何でもして西洋流の文明富強国にしたいと云う熱心で、その趣は慶應義塾を西洋文明の案内者にして、恰も東道の主人と為り、西洋流の一手販売、特別エゼントとでも云うような役を勤めて、外国人に頼まれもせぬ事を遣て居たから、古風な頑固な日本人に嫌われたのも無理はない。元来私の教育主義は自然の原則に重きを置て、数と理とこの二つのものを本にして、人間万事有形の経営は都てソレから割出して行きたい。又一方の道徳論に於ては、人生を万物中の至尊至霊のものなりと認め、自尊自重苟も卑劣な事は出来ない、不品行な事は出来ない、不仁不義、不忠不孝ソンな浅ましい事は誰に頼まれても、何事に切迫しても出来ないと、一身を高尚至極にし所謂独立の点に安心するようにしたいものだと、先ず土台を定めて、一心不乱に唯この主義にのみ心を用いたと云うその訳けは、古来東洋西洋相対してその進歩の前後遅速を見れば、実に大造な相違である。双方共々に道徳の教もあり、経済の議論もあり、文に武におの/\長所短所ありながら、扨国勢の大体より見れば富国強兵、最大多数、最大幸福の一段に至れば、東洋国は西洋国の下に居らればならぬ。国勢の如何は果して国民の教育より来るものとすれば、双方の教育法に相違がなくてはならぬ。ソコで東洋の儒教主義と西洋の文明主義と比較して見るに、東洋になきものは、有形に於て数理学と、無形に於て独立心と、この二点である。彼の政治家が国事を料理するも、実業家が商売工業を働くも、国民が報国の念に富み、家族が団欒の情に濃なるも、その大本を尋れば自から由来する所が分る。近く論ずれば今の所謂立国の有らん限り、遠く思えば人類のあらん限り、人間万事、数理の外に逸することは叶わず、独立の外に依る所なしと云うべきこの大切なる一義を、我日本国に於ては軽く視て居る。是れでは差向き国を開て西洋諸強国と肩を並べることは出来そうにもしない。全く漢学教育の罪であると深く自から信じて、資本もない不完全な私塾に専門科を設けるなどは迚も及ばぬ事ながら、出来る限りは数理を本にして教育の方針を定め、一方には独立論の主義を唱えて、朝夕一寸した話の端にもその必要を語り、或は演説に説き或は筆記に記しなどしてその方針に導き、又自分にも様々工風して躬行実践を勉め、ます/\漢学が不信仰になりました。今日にても本塾の旧生徒が社会の実地に乗出して、その身分職業の如何に拘らず物の数理に迂闊ならず、気品高尚にして能く独立の趣意を全うする者ありと聞けば、是れが老余の一大楽事です。

新字:畢竟私がこの日本に洋学を盛にして、如何でもして西洋流の文明富強国にしたいと云う熱心で、その趣は慶応義塾を西洋文明の案内者にして、恰も東道の主人と為り、西洋流の一手販売、特別エゼントとでも云うような役を勤めて、外国人に頼まれもせぬ事を遣て居たから、古風な頑固な日本人に嫌われたのも無理はない。元来私の教育主義は自然の原則に重きを置て、数と理とこの二つのものを本にして、人間万事有形の経営は都てソレから割出して行きたい。又一方の道徳論に於ては、人生を万物中の至尊至霊のものなりと認め、自尊自重苟も卑劣な事は出来ない、不品行な事は出来ない、不仁不義、不忠不孝ソンな浅ましい事は誰に頼まれても、何事に切迫しても出来ないと、一身を高尚至極にし所謂独立の点に安心するようにしたいものだと、先ず土台を定めて、一心不乱に唯この主義にのみ心を用いたと云うその訳けは、古来東洋西洋相対してその進歩の前後遅速を見れば、実に大造な相違である。双方共々に道徳の教もあり、経済の議論もあり、文に武におの/\長所短所ありながら、扨国勢の大体より見れば富国強兵、最大多数、最大幸福の一段に至れば、東洋国は西洋国の下に居らればならぬ。国勢の如何は果して国民の教育より来るものとすれば、双方の教育法に相違がなくてはならぬ。ソコで東洋の儒教主義と西洋の文明主義と比較して見るに、東洋になきものは、有形に於て数理学と、無形に於て独立心と、この二点である。彼の政治家が国事を料理するも、実業家が商売工業を働くも、国民が報国の念に富み、家族が団欒の情に濃なるも、その大本を尋れば自から由来する所が分る。近く論ずれば今の所謂立国の有らん限り、遠く思えば人類のあらん限り、人間万事、数理の外に逸することは叶わず、独立の外に依る所なしと云うべきこの大切なる一義を、我日本国に於ては軽く視て居る。是れでは差向き国を開て西洋諸強国と肩を並べることは出来そうにもしない。全く漢学教育の罪であると深く自から信じて、資本もない不完全な私塾に専門科を設けるなどは迚も及ばぬ事ながら、出来る限りは数理を本にして教育の方針を定め、一方には独立論の主義を唱えて、朝夕一寸した話の端にもその必要を語り、或は演説に説き或は筆記に記しなどしてその方針に導き、又自分にも様々工風して躬行実践を勉め、ます/\漢学が不信仰になりました。今日にても本塾の旧生徒が社会の実地に乗出して、その身分職業の如何に拘らず物の数理に迂闊ならず、気品高尚にして能く独立の趣意を全うする者ありと聞けば、是れが老余の一大楽事です。

書き下し

畢竟私がこの日本に洋学を盛にして、如何でもして西洋流の文明富強国にしたいと云う熱心で、その趣は慶應義塾を西洋文明の案内者にして、恰も東道の主人と為り、西洋流の一手販売、特別エゼントとでも云うような役を勤めて、外国人に頼まれもせぬ事を遣て居たから、古風な頑固な日本人に嫌われたのも無理はない。元来私の教育主義は自然の原則に重きを置て、数と理とこの二つのものを本にして、人間万事有形の経営は都てソレから割出して行きたい。又一方の道徳論に於ては、人生を万物中の至尊至霊のものなりと認め、自尊自重苟も卑劣な事は出来ない、不品行な事は出来ない、不仁不義、不忠不孝ソンな浅ましい事は誰に頼まれても、何事に切迫しても出来ないと、一身を高尚至極にし所謂独立の点に安心するようにしたいものだと、先ず土台を定めて、一心不乱に唯この主義にのみ心を用いたと云うその訳けは、古来東洋西洋相対してその進歩の前後遅速を見れば、実に大造な相違である。双方共々に道徳の教もあり、経済の議論もあり、文に武におの/\長所短所ありながら、扨国勢の大体より見れば富国強兵、最大多数、最大幸福の一段に至れば、東洋国は西洋国の下に居らればならぬ。国勢の如何は果して国民の教育より来るものとすれば、双方の教育法に相違がなくてはならぬ。ソコで東洋の儒教主義と西洋の文明主義と比較して見るに、東洋になきものは、有形に於て数理学と、無形に於て独立心と、この二点である。彼の政治家が国事を料理するも、実業家が商売工業を働くも、国民が報国の念に富み、家族が団欒の情に濃なるも、その大本を尋れば自から由来する所が分る。近く論ずれば今の所謂立国の有らん限り、遠く思えば人類のあらん限り、人間万事、数理の外に逸することは叶わず、独立の外に依る所なしと云うべきこの大切なる一義を、我日本国に於ては軽く視て居る。是れでは差向き国を開て西洋諸強国と肩を並べることは出来そうにもしない。全く漢学教育の罪であると深く自から信じて、資本もない不完全な私塾に専門科を設けるなどは迚も及ばぬ事ながら、出来る限りは数理を本にして教育の方針を定め、一方には独立論の主義を唱えて、朝夕一寸した話の端にもその必要を語り、或は演説に説き或は筆記に記しなどしてその方針に導き、又自分にも様々工風して躬行実践を勉め、ます/\漢学が不信仰になりました。今日にても本塾の旧生徒が社会の実地に乗出して、その身分職業の如何に拘らず物の数理に迂闊ならず、気品高尚にして能く独立の趣意を全うする者ありと聞けば、是れが老余の一大楽事です。

現代語訳

つまり私がこの日本に洋学を盛んにして、どうにかして西洋流の文明富強国にしたいという熱心から、その趣旨は慶應義塾を西洋文明の案内者とし、いわば東道の主人となって、西洋流の一手販売、特別エージェントとでもいうような役を務め、外国人に頼まれもしないことをやっていたのですから、古風で頑固な日本人に嫌われたのも無理はありません。 もともと私の教育主義は自然の原則に重きを置き、数と理、この二つのものを本にして、人間万事の有形の経営はすべてそこから割り出していきたい。また一方の道徳論においては、人生を万物の中で至尊至霊のものと認め、自尊自重、いやしくも卑劣なことはできない、不品行なことはできない、不仁不義、不忠不孝、そんな浅ましいことは誰に頼まれても、何事に切迫しても、できないと、一身を高尚至極にし、いわゆる独立の点に安心するようにしたいものだ、と、まず土台を定めて、一心不乱にただこの主義にだけ心を用いました。そのわけは、古来、東洋と西洋とを相対して、その進歩の前後や遅速を見れば、実に大きな相違があります。双方ともに道徳の教えもあり、経済の議論もあり、文にも武にもそれぞれ長所短所がありながら、さて国勢の大体から見れば、富国強兵、最大多数の最大幸福の段になると、東洋の国は西洋の国の下にいなければなりません。国勢の如何が国民の教育から来るものとすれば、双方の教育法に相違があるはずです。 そこで東洋の儒教主義と西洋の文明主義とを比較してみると、東洋にないものは、有形では数理学、無形では独立心、この二点です。あの政治家が国事を料理するのも、実業家が商売や工業を働かせるのも、国民が報国の念に富み、家族が団欒の情に厚いのも、その大本を尋ねればおのずから由来するところが分かります。近く論ずれば今のいわゆる立国のある限り、遠く思えば人類のある限り、人間万事、数理の外に逸することはできず、独立の外に頼るところがないと言うべきこの大切な一義を、わが日本国では軽く見ています。これでは、差し当たり国を開いて西洋の強国と肩を並べることはできそうにありません。全く漢学教育の罪であると、深く自ら信じて、資本もない不完全な私塾に専門科を設けるなどはとても及ばないことながら、できる限りは数理を本にして教育の方針を定め、一方では独立論の主義を唱え、朝夕ちょっとした話の端にもその必要を語り、あるいは演説で説き、あるいは筆記に記すなどしてその方針に導き、また自分でもさまざまに工夫して実践に努め、ますます漢学を信用しなくなりました。今日でも、本塾の旧生徒が社会の実地に乗り出して、その身分職業のいかんにかかわらず、物の数理に疎くなく、気品高く、よく独立の趣意を全うする者があると聞けば、これが老後の一大楽事です。

解説

福沢は自分の教育方針を二つの柱にまとめています。有形では数理、無形では独立心で、これが東洋にはなく、西洋の強さの根にあると見ました。道徳でも経済でも、文武の長所短所でも、東西に大差はないが、この二点が国勢の差を生んだというのが彼の診断です。漢学を全面否定する言い方には議論の余地がありますが、根拠のある数字と、誰にも頼らない自分の判断を、仕事の土台に据えよという主張は、今も通じます。数字で考える力と、自分で決める力を、あなたの組織ではどう育てていますか。

この章句が説くこと

数理独立心教育方針東洋と西洋自尊自重慶応義塾

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