福翁自伝 / 品行家風・西洋流の遺言法に感服せず
近来遺言も書きました。遺言の事に就ては、能く西洋の話にある主人の死んだ後で遺言書を明けて見てワッと驚いたなんて云う事は毎度聞てるが、私は甚だ感服しない。死後に見せることを生前に言うことが出来ないとは可笑しい。畢竟西洋人が習慣に迷うて馬鹿をして居るのだ、乃公はソンな馬鹿の真似はしないぞと云て、家内子供に遺言の書付を見せて、この遺言書は箪笥のこの抽斗に這入て居るから皆能く見て置け、又説が変れば又書替えて又見せるから、能く見て置て、乃父の死んだ後で争うような卑劣な事をするなよと申して笑て居ます。
書き下し
近来遺言も書きました。遺言の事に就ては、能く西洋の話にある主人の死んだ後で遺言書を明けて見てワッと驚いたなんて云う事は毎度聞てるが、私は甚だ感服しない。死後に見せることを生前に言うことが出来ないとは可笑しい。畢竟西洋人が習慣に迷うて馬鹿をして居るのだ、乃公はソンな馬鹿の真似はしないぞと云て、家内子供に遺言の書付を見せて、この遺言書は箪笥のこの抽斗に這入て居るから皆能く見て置け、又説が変れば又書替えて又見せるから、能く見て置て、乃父の死んだ後で争うような卑劣な事をするなよと申して笑て居ます。
現代語訳
近ごろ遺言も書きました。遺言のことについては、よく西洋の話にある、主人の死んだ後で遺言書を開けてみて、わっと驚いたなどという話をたびたび聞いていますが、私はたいへん感服しません。死後に見せることを生前に言うことができないとはおかしい。結局、西洋人が習慣に迷って馬鹿をしているのだ、俺はそんな馬鹿の真似はしないぞ、と言って、家内や子供に遺言の書付を見せて、この遺言書は箪笥のこの引き出しに入っているから、みなよく見ておけ、また考えが変わればまた書き替えてまた見せるから、よく見ておいて、親父が死んだ後に争うような卑劣なことをするなよと申して、笑っています。
解説
この章句が説くこと
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福翁自伝・品行家風・家に秘密事なし・礼儀足らざるが如し又家の中に秘密事なしと云うのが私方の家風で夫婦親子の間に隠す事はない、ドンな事でも云われないことはない。子供が段々成長して、是れは彼の子に話して此の子には内証なんて、ソンな事は絶えてない。親が子供の不行届を咎めて遣れば、子供も亦親の失策を笑うと云うような次第で、古風な目を以て見ると一寸と尊卑の礼儀がないように見えましょう。 その礼儀の事に就て申せば、家の主人が出入するとき家内の者が玄関まで送迎して御辞儀をすると云うような事が能く世間にあるが、私の処では絶えてソンな事がない。私の外出するには玄関からも出れば台所からも出る。帰るときもその通りで唯足の向た方に這入て来る。或は車に乗て帰て来た時に、車夫又別当共へ、玄関の処で御帰りなんて余計な事を云て呉れるな、と云う訳けであるから、幾ら玄関で怒鳴ても出て来る人はない。その一点になると世間の人じゃない近くは内の御祖母さんが怪んで居ましょう。この老人は土岐家の後室、本年七十七歳、むかしは奥平藩士の奥様で、武家の礼儀作法を大事に勤めた身であるから、今日の福澤の家風を見て、何分不作法で善くない、左ればとて是れが悪いと云う箇条もない、妙な事だと思て居るだろうと、私は窃に推察します。
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福翁自伝・品行家風・一身の品行、亦自から効力あり又私の内が夫婦親子睦じくて私の行状が正しいからと云て、特に誉める程の事でもない。世の中に品行方正の君子は幾らもある。私も亦、これが人間唯一の目的で一身の品行修まりて能事終るなんて自慢をするような馬鹿でもないと自から信じて居るが、扨又これが妙なもので、社会の交際に関係する所は甚だ広くて、意外の辺に力を及ぼすことがあるその一例を申せば、旧藩の奥平家に対して私は如何なる者ぞと尋ぬるに、見る影もなき貧小士族が、洋学など修業して異様な説を唱え、或は外国に行き、又或は外国の書を飜訳して大言を吐散らし、剰さえ儒流を軽蔑して憚る所を知らずと云えば、是れは所謂異端外道に違いない。同藩一般の見る所でこの通りなれば、藩主の奥なんぞにはドンな報告が這入て居るか知れない。兎に角に福澤諭吉は大変な奴だと折紙が付て居たに違いない。所が物換り星移り、段々時勢が変遷して王政維新の世の中になって見れば、藩論も自から面目を改め、世間一般西洋流の喧ましい今日、福澤もマンザラでなし、或は之を近づけて何かの役に立つこともあろうと云うような説がチラホラと涌て来たその時に、嶋津祐太郎と云う奥平家の元老は、頗る事の能く分る、云わば卓識の君子で、時勢の緩急を視察して、コリャ福澤を疏外するは不利であると云うことに着眼して居る折柄、奥平家の大奥に芳蓮院様と云う女隠居がある、この貴婦人は一橋家から奥平家に下て来た由緒ある身分で、最早や余程の老年でもあり、一家無上の御方様と崇められて居る。ソコで嶋津が先ずその御隠居様に対して色々西洋の話をする中に、彼の国には文学武備、富国強兵、医術も精しく航海術も巧なり、その中には随分日本の風俗習慣に違た事も数々ありますが、爰に西洋流義に不思議なるは男女の間柄で、男女相互に軽重なく、如何なる身分の人でも一夫一婦に限て居ます、是れ丈けは西洋の特色で御座ると云う所を持込んだ所が、その御隠居様も若い時には直接に身に覚えがある。この話を聞て心を動かさずには居られない。恰も豁然発明した様子で、ソレから福澤を近づける気になって、次第々々に奥向の方に出入の道が開けて、御隠居様を始め所謂御上通りの人に逢うて見れば、福澤の外道も唯の人間で、角も生えて居なければ尻尾のある者でもない、至極穏かな人間だと云う所からして、段々懇親になったと云うその話は、程経て後に内々嶋津から聞きました。シテ見ると一夫一婦の説も隠然の中には随分勢力のあるもので、就ては今の世に多妻の悪弊を除て文明風にするなんと論ずるは野暮だと云うような説があるけれども、畢竟負借みの苦しい遁げ口上で取るに足らない。一夫一婦の正論決して野暮でない、世間の多数は同主義で、殊に上流の婦人は悉く此方の味方であるから、私の身がこの先き何時まで生きて居るか知れぬけれども、有らん限りの力を尽して、前後左右を顧みずドンな奴を敵にしても構わぬ、多妻法を取締めて、少しでもこの人間社会の表面だけでも見られるような風にして遣ろうと思て居ます。
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福翁自伝・品行家風・子女幼時の記事又私の考に、人間は成長して後に自分の幼年の時の有様を知りたいもので、他人はイザ知らず私が自分で左様思うから、筆まめな事だが私は小供の生立の模様を書て置きました。この子は何年何月何日何分に産れ、産の難易は云々、幼少の時の健康は斯く/\、気質の強弱、生付きの癖など、ザッと荒増し記してあれば、幼少の時の写真を見ると同様、この書たものを見れば成長の後、第一面白いに違いない、自から又心得になる事もありましょう。私などは不幸にして実父の面も知らず、画像に写したものもなし、又私がドンな子供であったか母に聞たばかりで書たものはない。少年の時から長老の人がソンな話をすると耳を傾けて聞て、唯残念にばかり思うて、独り身の不幸を悲んで居たから、今度は私の番になってこの通りに自分の伝を記して子供の為めにし、又先年小供の生立の事をも認めて置たから先ず遺憾はない積りです。
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福翁自伝・品行家風・不風流の由来元来私は生れ付き殺風景でもあるまい、人間の天性に必ず無芸殺風景と約束があるでもなかろうと思うが、何分私の性質と云うよりも少年の時から様々の事情がコンな男にして仕舞たのでしょう。先ず第一に私は幼少の時から教育の世話をして呉れる者がないので、ロクに手習をせずに成長したから、今でも書が出来ない。成長の後でも自分で手本を習たら宜さそうなものだが、その時は既に洋学の門に入て天下の儒者流を目の敵にして、儒者のすることなら一から十まで皆気に入らぬ、就中その行状が好かない。口に仁義忠孝など饒舌りながら、サアと云うときには夫れ程に意気地はない。殊に不品行で酒を飲で詩を作て書が旨いと云えば評判が宜い。都て気に喰わぬ。よし/\洋学流の吾々は反対に出掛けて遣ろうと云う気になって、恰も江戸の剣術全盛の時代に刀剣を売払て仕舞い、兼て嗜きな居合も罷めて知らぬ風をして居たような塩梅式に、儒者の奴等が詩を作ると云えば此方は態と作らずに見せよう、奴等が書を善くすると云えば此方は殊更らに等閑にして善く書かずに見せようと、飛だ処に力身込で手習をしなかったのが生涯の失策。私の家の遺伝を云えば、父も兄も文人で、殊に兄は書も善くし、画も出来、篆刻も出来る程の多芸な人に、その弟はこの通りな無芸無能、書画は扨置き骨董も美術品も一切無頓着、住居の家も大工任せ、庭園の木石も植木屋次第、衣服の流行など何が何やら少しも知らず又知ろうとも思わず、唯人の着せて呉れるものを着て居る。或時家内の留守に急用が出来て外出のとき、着物を着替えようと思い、箪笥の引出しを明けて一番上にある着物を着て出て、帰宅の上、家内の者が私の着て居るのを見て、ソレは下着だと云て大に笑われたことがある。殺風景も些と念入の殺風景で、決して誉めた話でない。畢竟少年の時から種々様々の事情に逐われてコンな事に成行き、生涯これで終るのでしょう。兎角世間の人の悦んで居るような事は、私には楽みにならぬ、誠に損な性分です。ダカラ近来は芝居を見物したり、又は宅に芸人など呼ぶこともあるが、是れとて無上の快楽事とも思われず、マア/\児孫を集めて共に戯れ、色々な芸をさせたり嗜きな物を馳走したりして、一家内の長少睦しく互に打解けて談り笑うその談笑の声を一種の音楽として、老余の楽みにして居ます。
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福翁自伝・一身一家経済の由来・金を預けるも面倒なりソレで私は今でも多少の財産を持て居る、持て居たけれども私ところの会計と云うものは至極簡単で、少しも入込んだことはない。この金を誰に返えさなければならぬ、之を此方に振向けなければならぬと云うような事は絶えてない。ソレで僅かばかり二百円とか三百円とか云う金が、手元にあってもなくても構わない、ソレを銀行に預けて、必要のとき小切手で払いをすれば利息が徳になると云う、ソレは私も能く知て居て、世間一体そう云う風になりたいとは思えども、扨自分には小面倒臭い、ソンな事にドタバタするよりか、金は金で仕舞て置て、払うときにはその紙幣を計えて渡して遣ると、斯う云う趣向にして、私も家内もその通りな考えで、真実封建武士の机の抽斗の会計と云うことになって、その話になると丸で別世界のようで、文明流の金融法は私の家に這入りません。
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福翁自伝・一身一家経済の由来・他人に私事を語らず私が経済上に堅固を守て臆病で大胆な事の出来ないのは、先天の性質であるか、抑も亦身の境遇に駈られて遂に堅く凝り固まったものでしょう。本年六十五歳になりますが、二十一歳のとき家を去て以来、自から一身の謀を為し、二十三歳、家兄を喪いしより後は、老母と姪と二人の身の上を引受け、二十八歳にして妻を娶り子を生み、一家の責任を自分一身に担うて、今年に至るまで四十五年のその間、二十三歳の冬大阪緒方先生に身の貧困を訴えて大恩に浴したるのみ、その他は仮初にも身事家事の私を他人に相談したこともなければ又依頼したこともない。人の智恵を借りようとも思わず、人の差図を受けようとも思わず、人間万事天運に在りと覚悟して、勉めることは飽くまでも根気能く勉めて、種々様々の方便を運らし、交際を広くして愛憎の念を絶ち、人に勧め又人の同意を求めるなどは十人並に遣りながら、ソレでも思う事の叶わぬときは、尚おそれ以上に進んで哀願はしない、唯元に立戻て独り静に思止るのみ。詰る所、他人の熱に依らぬと云うのが私の本願で、この一義は私が何時発起したやら、自分にも是れと云う覚えはないが、少年の時からソンな心掛け、イヤ心掛けと云うよりもソンな癖があったと思われます。
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