福翁自伝 / 一身一家経済の由来・按摩を学ぶ
中津に居て十六、七歳のとき、白石と云う漢学先生の塾に修業中、同塾生の医者か坊主か二人、至極の貧生で、二人とも按摩をして凌いで居る者がある。その時、私は如何でもして国を飛出そうと思て居るから、之を見て大に心を動かし、コリャ面白い、一文なしに国を出て、罷り違えば按摩をしても喰うことは出来ると思て、ソレから二人の者に按摩の法を習い、頻りに稽古して随分上達しました。幸にその後按摩の芸が身を助ける程の不仕合もなしに済みましたが、習うた芸は忘れぬもので、今でも普通の田舎按摩よりかエライ。湯治などに行て家内子供を揉んで遣て笑わせる事があります。こんな事がマア私の常に云う自力自活の姿とでも云うべきものか、是れが故人の伝を書くとか何とか云えば、何々氏夙に独立の大志あり、年何歳その学塾に在るや按摩法を学んで云々なんと、鹿爪らしく文字を並べるであろうが、私などは十六、七のとき大志も何もありはせぬ、唯貧乏でその癖、学問修業はしたい、人に話しても世話をして呉れる気遣いなし、しょうことなしに自分で按摩と思付た事です。凡そ人の志はその身の成行次第に由て大きくもなり又小さくもなるもので、子供の時に何を言おうと何を行おうと、その言行が必ずしも生涯の抵当になるものではない、唯先天の遺伝、現在の教育に従て、根気能く勉めて迷わぬ者が勝を占めることでしょう。
書き下し
中津に居て十六、七歳のとき、白石と云う漢学先生の塾に修業中、同塾生の医者か坊主か二人、至極の貧生で、二人とも按摩をして凌いで居る者がある。その時、私は如何でもして国を飛出そうと思て居るから、之を見て大に心を動かし、コリャ面白い、一文なしに国を出て、罷り違えば按摩をしても喰うことは出来ると思て、ソレから二人の者に按摩の法を習い、頻りに稽古して随分上達しました。幸にその後按摩の芸が身を助ける程の不仕合もなしに済みましたが、習うた芸は忘れぬもので、今でも普通の田舎按摩よりかエライ。湯治などに行て家内子供を揉んで遣て笑わせる事があります。こんな事がマア私の常に云う自力自活の姿とでも云うべきものか、是れが故人の伝を書くとか何とか云えば、何々氏夙に独立の大志あり、年何歳その学塾に在るや按摩法を学んで云々なんと、鹿爪らしく文字を並べるであろうが、私などは十六、七のとき大志も何もありはせぬ、唯貧乏でその癖、学問修業はしたい、人に話しても世話をして呉れる気遣いなし、しょうことなしに自分で按摩と思付た事です。凡そ人の志はその身の成行次第に由て大きくもなり又小さくもなるもので、子供の時に何を言おうと何を行おうと、その言行が必ずしも生涯の抵当になるものではない、唯先天の遺伝、現在の教育に従て、根気能く勉めて迷わぬ者が勝を占めることでしょう。
現代語訳
中津にいて十六、七歳のとき、白石という漢学先生の塾で修業中、同じ塾生に医者の子か坊主か二人、ごく貧しい書生がいて、二人とも按摩をして生計を立てている者がありました。その時、私はどうにかして国を飛び出そうと思っていたから、これを見て大いに心を動かし、これは面白い、一文なしで国を出て、いざとなれば按摩をしても食うことはできると思い、それから二人の者に按摩の法を習い、しきりに稽古してずいぶん上達しました。幸いにその後、按摩の芸が身を助けるほどの不運もなしに済みましたが、習った芸は忘れないもので、今でも普通の田舎按摩よりは上手です。湯治などに行って家内や子供を揉んでやって笑わせることがあります。こんなことがまあ私がいつも言う自力自活の姿とでも言うべきものでしょうか。これが故人の伝記を書くといえば、何々氏は早くから独立の大志あり、年何歳その学塾にあるや按摩法を学んで云々などと、もっともらしく文字を並べるでしょうが、私などは十六、七のとき大志も何もありはしない。ただ貧乏でそのくせ学問修業はしたい、人に話しても世話をしてくれる気遣いもなく、しょうことなしに自分で按摩と思いついたことです。およそ人の志はその身の成り行き次第で大きくもなり小さくもなるもので、子供の時に何を言おうと何を行おうと、その言行が必ずしも生涯の保証になるものではありません。ただ先天の遺伝、現在の教育に従って、根気よく努めて迷わない者が勝ちを占めることでしょう。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『大和俗訓』巻之一・為学上されども芸は末なり、道義の学は本なり。芸をひたすら好めば、必学の志をうばはれて失ふものなり。いはんや私欲のなぐさみ好みにまかするをや。いましむべし。志を立つれば、たとへば西国の人のあづまへ行かんとおもひ立ちて、日々に行くに、其間昼夜あづまへ行かんと思ふ心は、念々つねにやまず。是あづまへ行く志たつなり。かくの如くなれば、つひに志す所に行きとどかずといふ事なし。道に志すも亦かくの如くなるべし。
-
『慎思録』巻之一史を看て経を専らにせざれば、則ち其の蔽や、流蕩して返ることを忘る。詞章に耽嗜すれば、則ち心之が為に累はさる。物を玩びて志を喪ふと謂ふべし。夫れ詞章の学は、之を史を看るに比すれば、則ち心を用ふること過多にして、其の蔽為るや大なり。蓋し学者義理に専一ならざれば、則ち其の志荒れて、道に進むこと能はず。程子曰く、専一ならざれば、則ち直遂すること能はずと。故に学を為すの工夫は、精専を貴ぶ。
-
『墨子』魯問魯君、子墨子に謂いて曰く、「我れに二子有り。一人なる者は學を好み、一人なる者は人に財を分かつを好む。孰れを以て太子と為して可ならんか」と。子墨子曰く、「未だ知る可からざるなり。或いは賞を為す所、是を為すに興らんなり。釣る者の恭なるは、魚に賜うが為に非ざるなり。䑕に蟲を以てするは、之を愛するに非ざるなり。吾れ願わくは主君の其の志と功とを合わせて觀んことを」と。
-
『呻吟語』外篇・聖賢・萬物を遂げんと欲して志自ら遂ぐ萬物の情は、各おの自ら遂げんことを求むる者なり。惟だ聖人の心のみ、則ち萬物を遂げんと欲して志自ら遂ぐ。
-
『正法眼蔵随聞記』巻五亦云く、仙人ありき、或人問て云く、如何がして仙を得ん、仙人の云く、仙を得んと思はゞ仙道を好むへしと、然れば学人も仏祖の道を得んと思はゞ、須く仏祖の道を好むへし、
-
論語・先進篇子路・曾皙・冉有・公西華侍坐す。子曰く、「吾が一日爾より長ずるを以て、吾を以てすること毋かれ。居れば則ち曰く、『吾を知らざるなり』と。如し或るひと爾を知らば、則ち何を以てせんや。」子路率爾として対えて曰く、「千乗の国、大国の間に摂まり、之に加うるに師旅を以てし、之に因るに饑饉を以てす。由や之を為さば、三年に比び及ぶに、勇有りて且つ方を知らしむ可し。」夫子之を哂う。「求、爾は何如。」対えて曰く、「方六七十、如しくは五六十、求や之を為さば、三年に比び及ぶに、民を足らしむ可し。其の礼楽の如きは、以て君子を俟たん。」「赤、爾は何如。」対えて曰く、「之を能くすと曰うに非ず、学ばんことを願う。宗廟の事、如しくは会同に、端章甫して、小相たらんことを願う。」「点、爾は何如。」瑟を鼓すこと希なり。鏗爾として、瑟を舍きて作つ。対えて曰く、「三子者の撰に異なり。」子曰く、「何ぞ傷まんや。亦た各々其の志を言うなり。」曰く、「莫春には、春服既に成る。冠者五六人、童子六七人、沂に浴し、舞雩に風し、詠じて帰らん。」夫子喟然として歎じて曰く、「吾は点に与せん。」三子者出づ。曾皙後る。曾皙曰く、「夫の三子者の言は何如。」子曰く、「亦た各々其の志を言えるのみ。」曰く、「夫子何ぞ由を哂えるか。」曰く、「国を為むるには礼を以てす。其の言譲らず、是の故に之を哂えり。」「唯だ求は則ち邦に非ざるか。」「安んぞ方六七十、如しくは五六十にして、邦に非ざる者を見んや。」「唯だ赤は則ち邦に非ざるか。」「宗廟会同は、諸侯に非ずして何ぞ。赤や之が小たらば、孰か能く之が大たらん。」
人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る