福翁自伝 / 一身一家経済の由来・本藩に対してはその卑劣朝鮮人の如し
斯う云えば私が如何にも高尚廉潔の君子のように見えるが、この君子の前後を丸出しにすると実は大笑いの話だ。是れは私一人でない、同藩士も同じことだ。イヤ同藩士ばかりでない、日本国中の大名の家来は大抵皆同じことであろう。藩主から物を貰えば拝領と云て、之に返礼する気はない。馳走になれば御酒下されなんと云て、気の毒にも思わず唯難有いと御辞儀をするばかりで、その実は人間相互いの附合いと思わぬから、金銭の事に就ても亦その通りでなければならぬ。私が中津藩に対する筆法は、金の辞退どころか唯取ること計り考えて、何でも構わぬ、取れる丈け取れと云う気で、一両でも十両でも旨く取出せば、何だか猟に行て獲物のあったような心持がする。拝借と云て金を借りた以上は此方のもので、返すと云う念は万々ない。仮初にも自分の手に握れば、借りた金も貰た金も同じことで、後の事は少しも思わず、義理も廉恥もないその有様は、今の朝鮮人が金を貪ると何にも変たことはない。嘘も吐けば媚も献じ、散々なことをして、藩の物を只取ろう/\とばかり考えて居たのは可笑しい。
書き下し
斯う云えば私が如何にも高尚廉潔の君子のように見えるが、この君子の前後を丸出しにすると実は大笑いの話だ。是れは私一人でない、同藩士も同じことだ。イヤ同藩士ばかりでない、日本国中の大名の家来は大抵皆同じことであろう。藩主から物を貰えば拝領と云て、之に返礼する気はない。馳走になれば御酒下されなんと云て、気の毒にも思わず唯難有いと御辞儀をするばかりで、その実は人間相互いの附合いと思わぬから、金銭の事に就ても亦その通りでなければならぬ。私が中津藩に対する筆法は、金の辞退どころか唯取ること計り考えて、何でも構わぬ、取れる丈け取れと云う気で、一両でも十両でも旨く取出せば、何だか猟に行て獲物のあったような心持がする。拝借と云て金を借りた以上は此方のもので、返すと云う念は万々ない。仮初にも自分の手に握れば、借りた金も貰た金も同じことで、後の事は少しも思わず、義理も廉恥もないその有様は、今の朝鮮人が金を貪ると何にも変たことはない。嘘も吐けば媚も献じ、散々なことをして、藩の物を只取ろう/\とばかり考えて居たのは可笑しい。
現代語訳
こう言うと、私がいかにも高尚で廉潔な君子のように見えますが、この君子の前後を丸出しにすれば、実は大笑いの話です。これは私ひとりではなく、同藩士も同じことです。いや同藩士ばかりでなく、日本国中の大名の家来は、おおむね皆同じことでしょう。藩主から物をもらえば拝領といって、これに返礼する気はありません。ご馳走になれば御酒下されなどと言って、気の毒にも思わず、ただありがたいとお辞儀をするばかりで、実は人間相互の付き合いと思わないので、金銭のことについてもまたその通りです。私が中津藩に対する筆法は、金の辞退どころか、ただ取ることばかり考えて、何でも構わない、取れるだけ取れ、という気持ちで、一両でも十両でもうまく取り出せば、何だか猟に行って獲物があったような心持ちがします。拝借といって金を借りた以上はこちらのもので、返すという気持ちは万々ありません。かりそめにも自分の手に握れば、借りた金ももらった金も同じことで、後のことは少しも思わず、義理も廉恥もないその有様は、今の朝鮮人が金を貪るのと何も変わりません。嘘もつけば媚も献じ、散々なことをして、藩の物をただ取ろう取ろうとばかり考えていたのは、おかしなことです。
解説
この章句が説くこと
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福翁自伝・一身一家経済の由来・人間は社会の虫なりと云うような次第で、ソレはソレは卑劣とも何とも実に云いようのない悪い事をして一寸とも愧じない。仮初にも是れはドウも有間敷事だなんと思たことがない。取らないのは損だとばかり、猟に行けば雀を撃たより雁を取た方がエライと云う位の了簡で、旨く大金を掠め取れば心窃に誇て居るとは、実に浅ましい事であるのみならず、本来私の性質がソレ程卑劣とも思わない、随分家風の悪くない家に生れて、幼少の時から心正しき母に育てられて、苟も人に交て貪ることはしないと説を立てゝ居る者が、何故に藩庁に対してばかり斯くまでに破廉恥なりしや、頓と訳けが分らぬ。シテ見ると人間と云う者はコリャ社会の虫に違いない。社会の時候が有りのまゝに続けば、その虫が虫を産んで際限のない所に、この蛆虫即ち習慣の奴隷が、不図面目を改めると云うには、社会全体に大なる変革激動がなければならぬと思われる。ソコで三百年の幕府が潰れたと云えば、是れは日本社会の大変革で、随分私の一身も始めて夢が醒めて、藩庁に対する挙動も改まらなければならぬ。是れまで自分が藩庁に向て愧ずべき事を犯したのは、畢竟藩の殿様など云う者を崇め奉って、その極度はその人を人間以上の人と思い、その財産を天然の公共物と思い、知らず識らず自から鄙劣に陥りしことなるが、是れからは藩主も平等の人間なりと一念こゝに発起して、この平等の主義からして物を貪るは男子の事に非ずと云う考えが浮かんだのだろうと思われる。その時には特に考えたこともない、説を付けたこともないが、私の心の変化は恐ろしい。何故に以前藩に対してあれほど卑劣な男が後に至ては折角呉れようと云う扶持方をも一酷に辞退したか、辞退しなくっても世間に笑う者もないのに、打て変た人物になって、この間まで丸で朝鮮人見たような奴が、恐ろしい権幕を以て呉れる物を刎返して、伯夷、叔斉のような高潔の士人に変化したとは、何と激変ではあるまいか。他人の話ではない、私が自分で自分を怪しむことであるが、畢竟封建制度の中央政府を倒してその倒るゝと共に個人の奴隷心を一掃したと云わなければならぬ。
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福翁自伝・一身一家経済の由来・頼母子の金弐朱を返す是れから私が一身一家の経済の事を陳べましょう。凡そ世の中に何が怖いと云ても、暗殺は別にして、借金ぐらい怖いものはない。他人に対して金銭の不義理は相済まぬ事と決定すれば、借金はます/\怖くなります。私共の兄弟姉妹は幼少の時から貧乏の味を嘗め尽して、母の苦労した様子を見ても生涯忘れられません。貧小士族の衣食住その艱難の中に、母の精神を以て自から私共を感化した事の数々あるその一例を申せば、私が十三、四歳のとき母に云付けられて金子返済の使をしたことがあります。その次第柄は斯う云うことです。天保七年、大阪に於て私共が亡父の不幸で母に従て故郷の中津に帰りましたとき、家の普請をするとか何とか云うに、勝手向は勿論不如意ですから、人の世話で頼母子講を拵えて一口金二朱ずつで何両とやら纏まった金が出来て一時の用を弁じて、その後、毎年幾度か講中が二朱ずつの金を持寄り、鬮引にて満座に至りて皆済になる仕組であるが、大家の人は二朱計りの金の為めに何年もこんな事に関係して居るのは面倒だと云う所から、一時二朱の掛金を出したまゝに手を引く者がある。之を掛棄と云います。その実は講主が人に金を唯貰うような事なれども、一般の風俗で左まで世間に怪しむ者もない。所が福澤の頼母子に大阪屋五郎兵衛と云う廻船屋が一口二朱を掛棄にしたそうです。勿論私の三、四歳頃か幼少の時の事で何も知りませんでしたが、十三、四歳のとき或日母が私に申すに、「お前は何も知らぬ事だが、十年前に斯う/\云う事があって大阪屋が掛棄にして、福澤の家は大阪屋に金二朱を貰うたようなものだ。誠に気に済まぬ。武家が町人から金を恵まれて夫れを唯貰うて黙て居ることは出来ません。疾うから返したい/\と思ては居たがドウも爾う行かずに、ヤッと今年は少し融通が付いたから、この二朱のお金を大阪屋に持て行て厚う礼を述べて返して来いと申して、その金を紙に包んで私に渡しました。ソレから私は大阪屋に参て金の包みを出すと、先方では意外に思うたか、「御返済など却て痛入ります。最早や古い事です。決してそんな御心配には及びませんと云て頻りに辞退すれども、私は母の云うことを聞て居るから、是非渡さねばならぬと、互に押し返して口喧嘩のように争うて、金を置て帰たことがあります。今はハヤ五十二、三年も過ぎてむかし/\の事であるが、そのとき母に云付けられた口上も、先方の大阪屋の事も、チャンと記憶に存して忘れません。年月日は覚えないが何でも朝のことゝ思う、豊前中津下小路の西南の角屋敷、大阪屋五郎兵衛の家に行て主人五郎兵衛は留守で、弟の源七に金を渡したと云うことまで覚えて居ます。こんなことが少年の時から私の脳中に遺て居るから、金銭の事に就ては何としても大胆な横着な挙動は出来られません。
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