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福翁自伝 / 雑記・独立敢て新事例を開く(9)

所で人は誰か忘れたが、或日その書を私方に持参して、何の書だか分らぬがこの蘭文を飜訳して貰いたいと云うから、之を見れば兼て噂に聞た榎本の講義筆記に違いない。是れは面白いと思い、蘭文飜訳は易いことであるのを、私は先方に気を揉ませる積りで態と手を着けない。初めの方四、五枚だけ丁寧に分るように飜訳して、原本に添えて返して遣て、是れは如何にも航海にはなくてはならぬ有益な書に違いない、巻初の四、五枚を見ても分る、所が版本の原書なれば飜訳も出来るが、講義筆記であるからその講義を聴聞した本人でなければ何分にも分り兼ねる、誠に可惜い宝書で御座ると云て、私は榎本の筆記と知りながら知らぬ風をして唯飜訳の云々で気を揉まして、自然に榎本の命の助かるように、云わば伏線の計略を運らした積りである。又その時代には黒田も私方に来れば、私も黒田の家に行たこともある。何時か何処か時も処も忘れましたが、払が黒田に写真を贈たことがあるその写真は、亜米利加の南北戦争、南部敗北のとき、南部の大統領か大将か何でも有名の人が婦人の着物を着て逃げ掛けて居る写真で、私がその前年、亜米利加から持て帰て一枚あったから黒田に贈て、是れは亜米利加の南部の何と云う人で、逃げる時に斯う云う姿で逃げたと云う、敢て命を惜むでもなかろうけれども、又一方から云えば命は大切な者だ、何としても助かろうと思えば斯く見苦しい姿をしても逃げるのが当然の道である。人間と云うものは一度び命を取れば後で幾ら後悔しても取返しが付かない。ドウも榎本は大変な騒ぎをした男であるが、命だけは取らぬようにした方が得じゃないか、何しろこの写真を進上するから御覧なさいと云て、濃に話したこともある。爾うした所で、ドウやら斯うやらする間にいよ/\助かることになった、けれどもその助かると云うのは固より私の周旋したばかりで助かったと云う訳けではない、その時の真実内情の噂を聞けば長州勢はドウも榎本等を殺すような勢があった、ソコで薩州の藩士がソレを助けようと云う意味があったと云うから、長州勢に任かせたら或は殺されたかも知れぬ。何れ大西郷などがリキンでとう/\助かるようになったのでしょう。是れは私の為めには大童信太夫よりか余程骨の折れた仕事でした。彼れ此れする中に私が煩い付て、その事は病後まで引張て居て、病気全快に及ぶと云うときだから、明治三年にいよ/\放免になりましたが、唯残念で気の毒なのは、阿母さんは愛子の出獄前に病死しました。

新字:所で人は誰か忘れたが、或日その書を私方に持参して、何の書だか分らぬがこの蘭文を翻訳して貰いたいと云うから、之を見れば兼て噂に聞た榎本の講義筆記に違いない。是れは面白いと思い、蘭文翻訳は易いことであるのを、私は先方に気を揉ませる積りで態と手を着けない。初めの方四、五枚だけ丁寧に分るように翻訳して、原本に添えて返して遣て、是れは如何にも航海にはなくてはならぬ有益な書に違いない、巻初の四、五枚を見ても分る、所が版本の原書なれば翻訳も出来るが、講義筆記であるからその講義を聴聞した本人でなければ何分にも分り兼ねる、誠に可惜い宝書で御座ると云て、私は榎本の筆記と知りながら知らぬ風をして唯翻訳の云々で気を揉まして、自然に榎本の命の助かるように、云わば伏線の計略を運らした積りである。又その時代には黒田も私方に来れば、私も黒田の家に行たこともある。何時か何処か時も処も忘れましたが、払が黒田に写真を贈たことがあるその写真は、亜米利加の南北戦争、南部敗北のとき、南部の大統領か大将か何でも有名の人が婦人の着物を着て逃げ掛けて居る写真で、私がその前年、亜米利加から持て帰て一枚あったから黒田に贈て、是れは亜米利加の南部の何と云う人で、逃げる時に斯う云う姿で逃げたと云う、敢て命を惜むでもなかろうけれども、又一方から云えば命は大切な者だ、何としても助かろうと思えば斯く見苦しい姿をしても逃げるのが当然の道である。人間と云うものは一度び命を取れば後で幾ら後悔しても取返しが付かない。ドウも榎本は大変な騒ぎをした男であるが、命だけは取らぬようにした方が得じゃないか、何しろこの写真を進上するから御覧なさいと云て、濃に話したこともある。爾うした所で、ドウやら斯うやらする間にいよ/\助かることになった、けれどもその助かると云うのは固より私の周旋したばかりで助かったと云う訳けではない、その時の真実内情の噂を聞けば長州勢はドウも榎本等を殺すような勢があった、ソコで薩州の藩士がソレを助けようと云う意味があったと云うから、長州勢に任かせたら或は殺されたかも知れぬ。何れ大西郷などがリキンでとう/\助かるようになったのでしょう。是れは私の為めには大童信太夫よりか余程骨の折れた仕事でした。彼れ此れする中に私が煩い付て、その事は病後まで引張て居て、病気全快に及ぶと云うときだから、明治三年にいよ/\放免になりましたが、唯残念で気の毒なのは、阿母さんは愛子の出獄前に病死しました。

書き下し

所で人は誰か忘れたが、或日その書を私方に持参して、何の書だか分らぬがこの蘭文を飜訳して貰いたいと云うから、之を見れば兼て噂に聞た榎本の講義筆記に違いない。是れは面白いと思い、蘭文飜訳は易いことであるのを、私は先方に気を揉ませる積りで態と手を着けない。初めの方四、五枚だけ丁寧に分るように飜訳して、原本に添えて返して遣て、是れは如何にも航海にはなくてはならぬ有益な書に違いない、巻初の四、五枚を見ても分る、所が版本の原書なれば飜訳も出来るが、講義筆記であるからその講義を聴聞した本人でなければ何分にも分り兼ねる、誠に可惜い宝書で御座ると云て、私は榎本の筆記と知りながら知らぬ風をして唯飜訳の云々で気を揉まして、自然に榎本の命の助かるように、云わば伏線の計略を運らした積りである。又その時代には黒田も私方に来れば、私も黒田の家に行たこともある。何時か何処か時も処も忘れましたが、払が黒田に写真を贈たことがあるその写真は、亜米利加の南北戦争、南部敗北のとき、南部の大統領か大将か何でも有名の人が婦人の着物を着て逃げ掛けて居る写真で、私がその前年、亜米利加から持て帰て一枚あったから黒田に贈て、是れは亜米利加の南部の何と云う人で、逃げる時に斯う云う姿で逃げたと云う、敢て命を惜むでもなかろうけれども、又一方から云えば命は大切な者だ、何としても助かろうと思えば斯く見苦しい姿をしても逃げるのが当然の道である。人間と云うものは一度び命を取れば後で幾ら後悔しても取返しが付かない。ドウも榎本は大変な騒ぎをした男であるが、命だけは取らぬようにした方が得じゃないか、何しろこの写真を進上するから御覧なさいと云て、濃に話したこともある。爾うした所で、ドウやら斯うやらする間にいよ/\助かることになった、けれどもその助かると云うのは固より私の周旋したばかりで助かったと云う訳けではない、その時の真実内情の噂を聞けば長州勢はドウも榎本等を殺すような勢があった、ソコで薩州の藩士がソレを助けようと云う意味があったと云うから、長州勢に任かせたら或は殺されたかも知れぬ。何れ大西郷などがリキンでとう/\助かるようになったのでしょう。是れは私の為めには大童信太夫よりか余程骨の折れた仕事でした。彼れ此れする中に私が煩い付て、その事は病後まで引張て居て、病気全快に及ぶと云うときだから、明治三年にいよ/\放免になりましたが、唯残念で気の毒なのは、阿母さんは愛子の出獄前に病死しました。

現代語訳

さて、人は誰だか忘れましたが、ある日その書を私の家に持参して、何の書だか分からないがこのオランダ語を翻訳してほしいと言うので、これを見ると、かねて噂に聞いた榎本の講義筆記に違いありません。これは面白いと思い、オランダ語の翻訳は易しいことなのですが、私は先方に気を揉ませるつもりで、わざと手を着けませんでした。初めの四、五枚だけ丁寧に分かるように翻訳して、原本に添えて返してやり、これは確かに航海にはなくてはならない有益な書に違いない、巻頭の四、五枚を見ても分かる、ところが版本の原書なら翻訳もできるが、講義筆記なので、その講義を聴いた本人でなければどうにも分かりかねる、実に惜しい宝の書でございますと言って、私は榎本の筆記と知りながら知らぬふりをして、ただ翻訳のあれこれで気を揉ませ、自然に榎本の命が助かるように、いわば伏線の計略を運んだつもりでした。またその時代には、黒田も私の家に来れば、私も黒田の家に行ったこともあります。いつかどこか、時も場所も忘れましたが、私が黒田に写真を贈ったことがあります。その写真は、アメリカの南北戦争で南部が敗北したとき、南部の大統領か大将か、何でも有名な人が婦人の着物を着て逃げかかっているものでした。私がその前年アメリカから持って帰った中の一枚があったので黒田に贈り、これはアメリカの南部の何という人で、逃げるときにこういう姿で逃げたのです、あえて命を惜しむというのでもないでしょうけれども、また一方から言えば命は大切なもので、何としても助かろうと思えば、こんな見苦しい姿をしても逃げるのが当然の道です。人間というものは、一度命を取れば後でいくら後悔しても取り返しがつきません。どうも榎本は大変な騒ぎをした男ですが、命だけは取らないようにしたほうが得ではありませんか、何しろこの写真を進呈しますからご覧なさい、と、細かく話したこともあります。そうこうするうちに、どうにかこうにか、いよいよ助かることになりました。けれども、その助かったのはもとより私の周旋だけで助かったというわけではありません。そのときの本当の内情の噂を聞けば、長州勢はどうも榎本らを殺すような勢いがあった。そこで薩州の藩士がそれを助けようという意味があったというので、長州勢に任せたらあるいは殺されたかもしれません。おそらく大西郷などが力んで、ついに助かるようになったのでしょう。これは私にとっては、大童信太夫の件よりよほど骨の折れた仕事でした。あれこれするうちに、私が病みついて、その事は病後まで引っ張っていて、病気全快に及ぶというときだから、明治三年にいよいよ放免になりましたが、ただ残念で気の毒なのは、母上は愛息の出獄前に病死したことです。

解説

榎本の講義筆記を材料に、福沢はあえて翻訳を中途で止め、黒田清隆に気を揉ませる策を打ちます。さらに南北戦争の写真を贈り、命の大切さを婉曲に説く。直接の嘆願だけでなく、相手の関心を動かす伏線を何本も張る点に、交渉家としての巧みさが出ています。しかし福沢は、自分の周旋だけで助かったのではないと謙虚で、薩摩側の動きや西郷の力を認めています。結果としては明治三年に放免されたものの、母は出獄前に亡くなりました。努力が報われても、すべては叶わない現実を静かに伝えます。

この章句が説くこと

榎本武揚航海術講義黒田清隆伏線写真薩長

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『人生の方程式』の表紙

人生を、一行の式にしてみた。

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