導師導古典を学びたいすべての人に 法人向けワークシート法人向けワークシート

福翁自伝 / 雑記・独立敢て新事例を開く(6)

夫れから榎本(当年の釜次郎、今の武揚)の話をしましょう。前に申す通りに古川節蔵は私の家から脱走したようなもので、後で聞て見れば榎本よりか先きに脱走したそうで、房州鋸山とか何処とかに居た佐幕党の人を長崎丸に乗せて、ソレを箱根山に上げて、ソレで箱根の騒動が起たので、あれは古川節蔵が遣たのだと申します。節蔵が脱走した後で以て、脱走艦は追々函館に行て、夫れから古川の長崎丸と一処に又此方へ侵しに来た、と云うのは官軍方の東艦、即ち私などが亜米利加から持て来た東艦が官軍の船になって居る、ソレを分捕りしようと云うことを企てゝ、そうして奥州宮古と云う港で散々戦た所が、負けて仕舞て到頭降参して、夫れから東京へ護送せられて、その時は法律も裁判所も何もないときで、糺問所と云う牢屋のようなものがあって、その糺問所の手に掛って古川節蔵と、前年、私が米国に同行した小笠原賢蔵と云う海軍士官と、二人連れで霞ヶ関の芸州の屋敷に監禁されて居る。ソコで私は前には馬鹿をするなと云て止めたのであるけれども、監禁されて居ると云えば可哀想だ。幸い芸州の屋敷に懇意な医者が居るから、その医者の処に行て、ドウかして古川に遇いたいものだが遇わして呉れぬかと云たらば、番人も何も居ないようであったが、その医者の取計いで、遇わして呉れました。夫れから長屋の暗いような処に行て見ると二人がチャンと這入て居るから、私が先ず言葉を掛けて、「ザマア見ろ、何だ、仕様がないじゃないか。止めまいことか、あれ程乃公が止めたじゃないか。今更ら云たって仕方はないが、何しろ喰物が不自由だろう、着物が足りなかろうと云て、夫れから宅に帰て毛布を持て行て遣たり、牛肉の煮たのを持て行て遣たり、戦争中の様子や監禁の苦しさ加減を聞たりした事があるので、私は〔能く〕糺問所の有様を知て居ます。

書き下し

夫れから榎本(当年の釜次郎、今の武揚)の話をしましょう。前に申す通りに古川節蔵は私の家から脱走したようなもので、後で聞て見れば榎本よりか先きに脱走したそうで、房州鋸山とか何処とかに居た佐幕党の人を長崎丸に乗せて、ソレを箱根山に上げて、ソレで箱根の騒動が起たので、あれは古川節蔵が遣たのだと申します。節蔵が脱走した後で以て、脱走艦は追々函館に行て、夫れから古川の長崎丸と一処に又此方へ侵しに来た、と云うのは官軍方の東艦、即ち私などが亜米利加から持て来た東艦が官軍の船になって居る、ソレを分捕りしようと云うことを企てゝ、そうして奥州宮古と云う港で散々戦た所が、負けて仕舞て到頭降参して、夫れから東京へ護送せられて、その時は法律も裁判所も何もないときで、糺問所と云う牢屋のようなものがあって、その糺問所の手に掛って古川節蔵と、前年、私が米国に同行した小笠原賢蔵と云う海軍士官と、二人連れで霞ヶ関の芸州の屋敷に監禁されて居る。ソコで私は前には馬鹿をするなと云て止めたのであるけれども、監禁されて居ると云えば可哀想だ。幸い芸州の屋敷に懇意な医者が居るから、その医者の処に行て、ドウかして古川に遇いたいものだが遇わして呉れぬかと云たらば、番人も何も居ないようであったが、その医者の取計いで、遇わして呉れました。夫れから長屋の暗いような処に行て見ると二人がチャンと這入て居るから、私が先ず言葉を掛けて、「ザマア見ろ、何だ、仕様がないじゃないか。止めまいことか、あれ程乃公が止めたじゃないか。今更ら云たって仕方はないが、何しろ喰物が不自由だろう、着物が足りなかろうと云て、夫れから宅に帰て毛布を持て行て遣たり、牛肉の煮たのを持て行て遣たり、戦争中の様子や監禁の苦しさ加減を聞たりした事があるので、私は〔能く〕糺問所の有様を知て居ます。

現代語訳

それから榎本(当年の釜次郎、今の武揚)の話をしましょう。前に申したとおり、古川節蔵は私の家から脱走したようなもので、後で聞けば榎本よりも先に脱走したそうです。房州鋸山とかどこかにいた佐幕党の人を長崎丸に乗せ、それを箱根山に上げて、それで箱根の騒動が起こったので、あれは古川節蔵がやったのだと申します。節蔵が脱走した後、脱走艦は次第に函館に行き、それから古川の長崎丸と一緒にまたこちらへ侵しに来ました。というのは、官軍方の東艦、つまり私などがアメリカから持って来た東艦が官軍の船になっていて、それを分捕りしようと企て、奥州の宮古という港で散々に戦ったところ、負けてしまってとうとう降参し、それから東京へ護送されました。その時は法律も裁判所も何もないときで、糺問所という牢屋のようなものがあって、その糺問所の手にかかって、古川節蔵と、前年私が米国に同行した小笠原賢蔵という海軍士官と、二人連れで霞ヶ関の芸州の屋敷に監禁されていました。そこで私は、前には馬鹿をするなと言って止めたのですが、監禁されているといえば可哀想です。幸い芸州の屋敷に懇意な医者がいるので、その医者のところに行って、どうにかして古川に会いたいのだが会わせてくれないかと言ったところ、番人もいないようでしたが、その医者の取り計らいで、会わせてくれました。それから長屋の暗いようなところに行ってみると、二人がちゃんと入っているので、私がまず言葉をかけました。「ざまあ見ろ、何だ、仕様がないじゃないか。止めまいことか、あれほど俺が止めたじゃないか。今さら言っても仕方はないが、何しろ食べ物が不自由だろう、着物が足りなかろう。」と言って、それから家に帰って毛布を持って行ってやったり、牛肉の煮たのを持って行ってやったり、戦争中の様子や監禁の苦しさ加減を聞いたりしたことがあるので、私はよく糺問所の様子を知っています。

解説

榎本武揚の話に入る前置きとして、脱走した古川節蔵と小笠原賢蔵への見舞いが描かれます。『ざまあ見ろ』と叱りつけながら、毛布や牛肉の煮物を差し入れる福沢の人柄が出ています。ここでいう箱館戦争は、旧幕臣の榎本らが蝦夷地に拠った戦いで、敗れて東京に護送され糺問所に収監されました。叱ることと助けることは矛盾せず、止めた人間が見捨てずに支える。その厳しさと温かさの同居が、後の榎本救済への助走になっています。

この章句が説くこと

古川節蔵小笠原賢蔵糺問所脱走差し入れ箱館戦争

関連する章句

『人生の方程式』の表紙

人生を、一行の式にしてみた。

志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。

本の中身を見る
本2冊(人生の方程式・人生の教科書)+師導1か月=700円 本を見る