福翁自伝 / 雑記・独立敢て新事例を開く(2)
又私は知る人の為めに尽力したことがあります。是れは唯私の物数寄ばかり、決して政治上の意味を含んで居るのでも何でもない。真実一身の道楽と云おうか、慈悲と云おうか、癇癪と云おうか、マアそんな所から大に働いたことがあります。仙台藩の留守居役を勤めて居た大童信太夫と云う人があって、旧幕府時代から私はその人と極、懇意にして居ました、と云てその人が蘭学者でもなければ英学者でもない、けれども兎に角に西洋文明の風を好み洋学書生を愛して楽しみにして居る所は、気品の高い名士と申して宜しい。当事諸藩の留守居役でも勤めて居れば、芸者を上げて騒ぐとか、茶屋に集まるとか、相撲を贔屓にするとか云うのが江戸普通の風俗で、大童も大藩の留守居だから随分金廻わりも宜かったろうと思われるに、絶えてそんな馬鹿な遊びをせず、唯何でも書生を養て遣ると云うことが面白くて、書生の世話ばかりして、凡そ当時仙台の書生で大童の家の飯を喰わない者はなかろう。今の富田鉄之助を始め一人として世話にならない者はない。所が幕末の時勢段々切迫して、王政維新の際に仙台は佐幕論に加担して忽ち失敗して、その謀主は但木土佐と云う家老であると定まって、その人は腹を切て仕舞ったその後で、但木土佐が謀主だと云うけれども、その実は謀主の謀主がある、ソレは誰だと云うに大童信太夫、松倉良助の両人だと斯う云う訳けで、維新後その両人は仙台に帰て居た所が、サアその仙台の同藩中の者から妙な事を饒舌り出した、既に政府は朝敵の処分をして事済になっては居るが、内からそんなことを云出して、マダ罪人が幾人もあると訴えたからには、マサか捨てゝも置かれぬと云う所から、久我大納言を勅使として下向を命じた、と云う政府の趣意は甚だ旨い、この時に政府は既に処分済の後だから、成る丈け平穏を主として事を好まぬ。ソコで久我と仙台家とは親類であるから、久我が行けば定めて大目に見るであろう、左すれば怪我人も少ないだろうと云う為めに、態と久我を択んだと云うことは、その時私も窃に聞きました。
書き下し
又私は知る人の為めに尽力したことがあります。是れは唯私の物数寄ばかり、決して政治上の意味を含んで居るのでも何でもない。真実一身の道楽と云おうか、慈悲と云おうか、癇癪と云おうか、マアそんな所から大に働いたことがあります。仙台藩の留守居役を勤めて居た大童信太夫と云う人があって、旧幕府時代から私はその人と極、懇意にして居ました、と云てその人が蘭学者でもなければ英学者でもない、けれども兎に角に西洋文明の風を好み洋学書生を愛して楽しみにして居る所は、気品の高い名士と申して宜しい。当事諸藩の留守居役でも勤めて居れば、芸者を上げて騒ぐとか、茶屋に集まるとか、相撲を贔屓にするとか云うのが江戸普通の風俗で、大童も大藩の留守居だから随分金廻わりも宜かったろうと思われるに、絶えてそんな馬鹿な遊びをせず、唯何でも書生を養て遣ると云うことが面白くて、書生の世話ばかりして、凡そ当時仙台の書生で大童の家の飯を喰わない者はなかろう。今の富田鉄之助を始め一人として世話にならない者はない。所が幕末の時勢段々切迫して、王政維新の際に仙台は佐幕論に加担して忽ち失敗して、その謀主は但木土佐と云う家老であると定まって、その人は腹を切て仕舞ったその後で、但木土佐が謀主だと云うけれども、その実は謀主の謀主がある、ソレは誰だと云うに大童信太夫、松倉良助の両人だと斯う云う訳けで、維新後その両人は仙台に帰て居た所が、サアその仙台の同藩中の者から妙な事を饒舌り出した、既に政府は朝敵の処分をして事済になっては居るが、内からそんなことを云出して、マダ罪人が幾人もあると訴えたからには、マサか捨てゝも置かれぬと云う所から、久我大納言を勅使として下向を命じた、と云う政府の趣意は甚だ旨い、この時に政府は既に処分済の後だから、成る丈け平穏を主として事を好まぬ。ソコで久我と仙台家とは親類であるから、久我が行けば定めて大目に見るであろう、左すれば怪我人も少ないだろうと云う為めに、態と久我を択んだと云うことは、その時私も窃に聞きました。
現代語訳
また私は、知り合いのために尽力したことがあります。これはただ私の物好きばかりで、決して政治上の意味を含んでいるのでも何でもない。真実、一身の道楽というか、慈悲というか、癇癪というか、まあそんなところから大いに働いたことがあります。仙台藩の留守居役を勤めていた大童信太夫という人があって、旧幕府時代から私はその人ときわめて懇意にしていました。といってその人が蘭学者でも英学者でもありませんが、ともかくも西洋文明の風を好み、洋学書生を愛して楽しみにしているところは、気品の高い名士と言ってよいでしょう。当時、諸藩の留守居役は、芸者を呼んで騒ぐとか、茶屋に集まるとか、相撲をひいきにするとかいうのが江戸の普通の風俗で、大童も大藩の留守居ですからずいぶん金回りもよかったろうと思われるのに、絶えてそんな馬鹿な遊びをせず、ただ何でも書生を養ってやるということが面白くて、書生の世話ばかりしていました。およそ当時の仙台の書生で、大童の家の飯を食わない者はなかったでしょう。今の富田鉄之助をはじめ、一人として世話にならない者はありません。 ところが幕末の時勢がだんだん切迫し、王政維新の際に、仙台は佐幕論に加担してたちまち失敗し、その謀主は但木土佐という家老だと定まって、その人は腹を切ってしまいました。その後で、但木土佐が謀主だというが、実は謀主の謀主がある、それは誰かというと、大童信太夫と松倉良助の二人だということになり、維新後その二人は仙台に帰っていたところ、さあ、同じ仙台藩の者のなかから妙なことをしゃべり出しました。すでに政府は朝敵の処分をして事が済んでいるのに、内からそんなことを言い出して、まだ罪人が何人もいると訴えたからには、まさか捨てておくわけにもいかないというので、久我大納言を勅使として下向させることになりました。政府の趣意はまことにうまい。この時、政府はすでに処分済みの後ですから、なるべく平穏を主とし、事を好みません。そこで久我と仙台家とは親類なので、久我が行けばきっと大目に見るだろう、そうすれば怪我人も少ないだろうということで、わざと久我を選んだということは、そのとき私もひそかに聞きました。
解説
この章句が説くこと
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福翁自伝・雑記・独立敢て新事例を開く(3)政府の略は中々行届いて居る、所が仙台の藩士が有ろうことか有るまいことか、御上使の御下向と聞て景気を催し、生首を七ツとやら持て出たので久我も驚いたと云う、そんな事まで仙台藩士が遣た。その時に松倉も大童も、居れば危ないから脊戸口から駈出して、東京まで逃げて来た、と云うのは両人ともモウちゃんと首を斬られる中に数えられて居たその次第を、誰か告げて呉れる者があって、その儘家を飛出して東京へ来て潜んで居るその中にも、仙台藩の人が在京の同藩人に対して様々残酷な事をして、既に熱海貞爾と云う男は或夜今其処で同藩士に追駈けられたと申して、私方に飛込んで助かった事さえありましたが、この物騒な危ない中にも、大童と松倉はどうやら斯うやら久しく免かれて居て、私は素より懇意だからその居処も知て居れば私の家にも来る。政府の人から見られるのは苦しくない、政府はそんな野暮はしない、そんな者を見ようともしないが、何分にも同藩の者が遣るので誠に危ない。引捕えて、是れが罪人でございと云えば、如何に優しい大目な政府でも唯見ては居られない。実に困た身の有様だと、毎度両人と話す中に、私は両人の為めに同情を表すると云うよりも、寧ろこの仙台藩士の無情残酷と云うことに酷く腹が立ちました。弱武者の意気地のない癖に酷い事をする奴だ、ドウかして呉れたいものだと斯う考えた所で、夫れから私が大童に面会して、ドウか青天白日の身になる工夫がありそうなものだ、私が一つ試みて見よう、何でも是れは一番、藩主を引捕えて談ずるが上策だろうと相談して、私は大きに御苦労な訳けだけれども、日比谷内にある仙台の屋敷に行て、藩主に御目に懸りたいと触込んで、藩主に面会した。
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福翁自伝・雑記・独立敢て新事例を開く(5)サア今藩主に話をして来たがドウだ。藩主は大参事次第だと確かに申された。然らば則ち生殺はお前さんの手中にある、殺す気か、殺さぬ気か。仮しや殺す積りで捜し出そうと云ても決して出る気遣いはない。私はちゃんと居処を知て居る、捜せるなら試みに捜して見るが宜い、捕縛すると云うなら私の力の有らん限り隠蔽して見せよう、出来るだけ摘発して見なさい、何時まで経ても無益だ。そんな事をして人を苦しめないでも宜いだろうと、裏表から色々話すと、大参事にも言葉がない。いよ/\助ける、助けるけれども薩州辺りから何とか口を添えて呉れると都合が宜いなんて又弱い事を云うから、宜しいと云い棄てゝ、夫れから私は薩州の屋敷に行て、斯う/\云う次第柄だから助けて遣て呉れぬかと云うと、大藩とか強藩とか云うので口を出すのは実は迷惑な話だが、何も六かしい事はない、宮内省に弁事と云うものがあるから、その者に就て政府の内意を聞て上げるからと云て、薩摩の公用人が政府の内意を聞て、私の処に報知して呉れたには、兎も角も自訴させるが宜しい、自訴すれば八十日の禁錮ですっかり罪は滅びて仕舞うと云うことが分た。夫れから念の為め私は又仙台の屋敷に行て大参事に面会して、政府の方は自訴すれば八十日と極て居るが、之にお負けが付きはしないか、自訴と云えばこの屋敷に自訴するのであるが、この屋敷で本藩の私を以て八十日を八年にして遣ろうなんと云うお負けを遣りはしないか、ソレを確かに約束しなければ玉は出されないと、念に念を入れて問答を重ね、最後には若し違約すれば復讐するとまで脅迫して、いよ/\大丈夫と安心して、ソレからその翌日両人を連れて日比谷の屋敷に行た、所が屋敷の役所見たような処には罪人、大童、松倉の旧時の属官ばかりが列んで居るだろう、罪人の方が余程エライ、オイ貴様はドウして居るのだと云うような調子で、私は側から見て可笑しかった。夫れから宇田川町の仙台屋敷の長屋の二階に八十日居て、ソレで事が済んで、ソレから二人は晴天白日、外を歩くようになって、その後は今日に至るまでも旧の通りに交際して互に文通して居ます。生涯変らぬ事でしょう。只この事たるや仙台藩の無気力残酷を憤ると同時に、藩中稀有の名士が不幸に陥りたるを気の毒に感じたからのことで、随分彼方此方と歩き廻りましたが、口で云えば何でもないけれども、人力車のある時節ではなし、一切歩いて行かなければならぬから中々骨が折れました。
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福翁自伝・雑記・独立敢て新事例を開く(4)ソコで私がこの藩主に向て大に談じられる由縁のあると云うのは、その藩主と云う者は伊達家の分家宇和島藩から養子に来た人で、前年養子になると云うその時に、私が与て大に力がある、と云うのは当時大童が江戸屋敷の留守居で世間の交際が広いと云うので、養子選択の事を一人で担任して居て、或時私に談じて、「お前さんの処(奥平家)の殿様は宇和島から来て居る、その兄さんが国(宇和島)に居る、その人の強弱智愚如何を聞て貰いたいと云うから、早速取調べて返事をして、先ず大童の胸に落ちて、今度は宇和島家の方に相談をして貰いたいと云うので、夫れから又私は麻布竜土の宇和島の屋敷に行て、家老の桜田大炊と云う人に面会してその話をすると、一も二もなく、本家の養子になろうと云うのだから唯難有いとの即答、一切大童と私と二人で周旋して、夫れから表向きになって貰たその人が、その時の藩主になって居るので、ソコで私がその藩主に遇うて、時に尊藩の大童、松倉の両人が、この間仙台から逃げて参たのは、彼方に居れば殺されるから此方に飛出して来たのであるが、彼の両人は今でも見付け出せば藩主に於て本当に殺す気があるのか、但し殺したくないのか、ソレを承りたい。「イヤ決して殺したいなどゝ云う意味はない。「然らばモウ一歩進めて、お前さんはソレを助けると云う工夫をして、ドウかして、命の繋がるようにして遣ては如何で御座る。実はお前さんは大童に向て大に報いなければならぬことがある。知るや知らずや、お前さんが仙台の御家に養子に来たのは斯う云う由来、是れ/\の次第であったが、夫れを思うても殺すことは出来まい。屹度御決答を伺いたいと、顔色を正しくして談じた処が、「決して殺す気はないが、是れは大参事に任かしてあるから、大参事さえ助けると云う気になれば、私には勿論異論はないと云う。マダ若い小供でしたから何事も大参事に任かしてあったのでしょう。「然らばお前さんは確かだな。「確かだ。「ソレならば宜しい、大参事に遇おうと云て、直ぐ側の長屋に居たから其処へ捻込んだ。
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福翁自伝・雑記・独立敢て新事例を開く(10)所が前申す通り榎本釜次郎と私とは刎頸の交と云う訳けではなし、何もそんなに力を入れる程の親切のあろう訳けもない、只仙台藩士の腰抜けを憤ったと同じ事で、幕府の奴の如何にも無気力不人情と云うことが癪に障たので、ソコでどうでも斯うでも助けて遣ろうと思て駈廻わりましたが、その節、毎度妻と話をして今でも覚えて居ます、私の申すに、扨榎本の為めに今日はこの通りに骨を折て居るが、是れは唯人間一人の命を助けるばかりの志で外になんにも趣意はない、元来榎本と云う男は深く知らないが随分何かの役に立つ人物に違いはない、少し気色の変た男ではあるが、何分にも出身が幕府の御家人だから殿様好きだ、今こそ牢に這入て居るけれども、是れが助かって出るようになれば、後日或は役人になるかも知れぬ、その時は例の通りの殿様風でぴん/\するような事があるかも知れない、その時になって殿様のぴん/\を見たり聞たりして、ヤレ昔を忘れて厚かましいだの可笑しいだのと云う念が兎の毛ほども腹の底にあっては、是れは榎本の悪いのでなく此方の卑劣と云うものだから、そんな事なら私は今日唯今から一切の周旋を止めるがドウだと妻に語れば、妻も私と同説で、左様な浅ましい卑しい了簡は決してないと申して、夫妻固く約束したことがあるが、後日に至て私の云た通りになったのが面白い。榎本が段々立身して公使になったり大臣になったりして立派な殿様になったのは、私が占八卦の名人のようだけれども、私の処にはチャント説が極まって居て、一切の事情を知る者は私と妻と両人より外にないから、榎本がドウなろうと私の家で噂をする者もない、子供などは今度のこの速記録を見て始めて合点するでしょう。
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福翁自伝・王政維新・発狂病人一条米国より帰来もう一ヶ条。この時に仙台の書生で、以前この塾に居て夫れから亜米利加に留学して居た一条某と云うものがあって、ソレが亜米利加から帰て来た。所がこの男が発狂して居ると云う。ソレを船中で親切に看病して呉れたと云うのは、矢張り一条と同時に塾に居た柳本直太郎、是れはこの間まで愛知県の書記官をして居たが、今では市長か何かになって居るそうだ。この柳本直太郎が親切に看病して、横浜に着船した。その時は丁度仙台藩がいよ/\朝敵になったときで、江戸中で仙台人と見れば見付次第捕縛と云うことになって居る。ソコで横浜に来た所が、正しく仙台人だ、捕縛しようかと云うに、紛う方なき発狂人だ、ドウにも手の着けようがない。その時に寺島(宗則)が横浜の奉行をして居て、発狂人は仕方がないから打遣て置けと云うような事でその儘にしてあるその中に、病人は人を疑う病症を発して、飲食物に毒があると云て一切受付けず、凡そ一週間余り何も飲食しない。飲食しないからその儘棄てゝ置けば餓死する。ソコでいろ/\と和めて勧めたけれども何としても喰わない。爾うすると、不意としたことで、その病人が福澤先生に遇いたいと云うことを云出した。福澤は江戸に居ましょう、ソコで横浜に置くなら宜いが江戸に連れて行くのはドウかと思て、御奉行(寺島)に伺た所が、御奉行様も福澤に行くと云うなら颯々と連れて行けと云うので、ソレから新銭座に連れて来た。ソレが面白い、来た所で先ず取敢えず久振りと云て茶を出して、茶も飲め、序に飯も喰えと勧めて、夫れから握飯を出して、私も喫べるから君も一つ喫べなさい、ソレが喫べられなければ私の喫べ掛けを半分喫べなさい、毒はないじゃないかと云うようなことで試みた所が、ソコで喰出した。喰て見れば気狂いの事だから、今まで思て居たことは忘れて仕舞い、新銭座に来て安心したと見え、食気は回復して、ソレは宜いが、マダ/″\病人が何を遣り出すか知れない、昼夜番が要る。所が可笑しい。その時に薩州の者も居れば土州の者も居る、その官軍一味の者が居て、朝敵だから捕縛しようと云う位な病人を扶けて看柄して居る。爾うすると仙台の者が忍んで来る。大槻の倅なども内々見舞に来て、官軍と賊軍と塾の中で混り合て、朝敵藩の病人を看病して居ながら、何も風波もなければ苦味もない。ソンナ事が塾の安全であった訳けでしょう。真実平等区別なし、疑わんとするも疑うべき種がない。一方には脱走して賊軍に投ずるがあるかと思えば、一方にはチャンと塾に這入て居る官軍もあると云うような不思議な次第柄で、斯う云う事は造たのじゃ出来ぬ、装うても出来ぬ、私は腹の底から偏頗な考がない、少しも幕府の事を感服しなければ、官軍の事をも感服しない、戦争するなら銘々勝手にしろと、裏も表もなくその趣意で貫いて居たから、私の身も塾も危い所を無難に過したことゝ思う。
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福翁自伝・老余の半生・忠臣義士の浮薄を厭う(1)第三、幕末に勤王佐幕の二派が東西に立分れて居るその時に、私は唯古来の門閥制度が嫌い、鎖国攘夷が嫌いばかりで、固より幕府に感服せぬのみか、コンな政府は潰して仕舞うが宜いと不断気焔を吐て居たが、左ればとて勤王連の様を見れば、鎖攘論は幕府に較べて一段も二段も劇しいから、固よりコンな連中に心を寄せる筈はない。唯黙って傍観して居る中に維新の騒動になって、徳川将軍は逃げて帰て来た。スルと幕府の人は勿論、諸方の佐幕連が中々喧しくなって議論百出、東照神君三百年の遺業は一朝にして棄つべからず、三百年の君恩は臣子の身として忘るべからず、薩長何者ぞ、唯是れ関ヶ原の降参武士のみ、常々たる三河譜代の八万騎、何の面目あれば彼の降参武士に膝を届すべきやなんて、大造な剣幕で、薩長の賊軍を東海道に邀え撃んとする者もあれば、軍艦を以て脱走する者もあり、策士論客は将軍に謁して一戦の奮発を促がし、諫争の極、声を放て号泣するなんぞは、如何にもエライ有様で、忠臣義士の共進会であったが、その忠義論もトウ/\行われずに幕府がいよ/\解散になると、忠臣義士は軍艦に乗て箱館に居る者もあれば、陸兵を指揮して東北地方に戦う者もあり、又はプリ/\立腹して静岡の方に行く者もあるその中で、忠義心の堅い者は東京を賊地と云て、東京で出来た物は菓子も喰わぬ、夜分寝る時にも東京の方は頭にせぬ、東京の話をすれば口が汚れる、話を聞けば耳が汚れると云う塩梅式は、丸で今世の伯夷、叔斉、静岡は恰も明治初年の首陽山であったのは凄まじい。所が一年立ち二年立つ中に、その伯夷、叔斉殿が首陽山に蕨の乏しいのを感じたか、ソロ/\山の麓に下りて、賊地の方にノッソリ首を出すのみか、身体を丸出にして新政府に出身、海陸の脱走人も静岡行の伯夷、叔斉も、猫も杓子も政府の辺に群れ集て、以前の賊徒今の官員衆に謁見、是れは初めて御目に掛るとも云われまい、兼て御存じの日本臣民で御座ると云うような調子で、君子は既往を語らず、前言前行は唯戯れのみと、双方打解けて波風なく治まりの付たのは誠に目出度い、何も咎立てするにも及ばぬようだが、私には少し説がある。
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