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福翁自伝 / 王政維新・始めて文部省

維新の騒乱も程なく治まって天下太平に向て来たが、新政府はマダマダ跡の片付が容易な事でなくして、明治五、六年までは教育に手を着けることが出来ないで、専ら洋学を教えるは矢張り慶應義塾ばかりであった。何でも廃藩置県の後に至るまでは、慶應義塾ばかりが洋学を専らにして、ソレから文部省と云うものが出来て、政府も大層教育に力を用うることになって来た。義塾は相変らず元の通りに生徒を教えて居て、生徒の数も段々殖えて、塾生の数は常に二百から三百ばかり、教うる所の事は一切英学と定め、英書を読み英語を解するようにとばかり教導して、古来日本に行われる漢学には重きを置かぬと云う風にしたから、その時の生徒の中には漢書を読むことの出来ぬ者が随分あります。漢書を読まずに英語ばかりを勉強するから、英書は何でも読めるが日本の手紙が読めないと云うような少年が出来て来た。物事がアベコベになって、世間では漢書を読でから英書を学ぶと云うのを、此方には英書を学んでから漢書を学ぶと云う者もあった。波多野承五郎などは小供の時から英書ばかり勉強して居たので、日本の手紙が読めなかったが、生れ付き文才があり気力のある少年だから、英学の跡で漢書を学べば造作もなく漢学が出来て、今では彼の通り何でも不自由なく立派な学者に成て居ます。

新字:維新の騒乱も程なく治まって天下太平に向て来たが、新政府はマダマダ跡の片付が容易な事でなくして、明治五、六年までは教育に手を着けることが出来ないで、専ら洋学を教えるは矢張り慶応義塾ばかりであった。何でも廃藩置県の後に至るまでは、慶応義塾ばかりが洋学を専らにして、ソレから文部省と云うものが出来て、政府も大層教育に力を用うることになって来た。義塾は相変らず元の通りに生徒を教えて居て、生徒の数も段々殖えて、塾生の数は常に二百から三百ばかり、教うる所の事は一切英学と定め、英書を読み英語を解するようにとばかり教導して、古来日本に行われる漢学には重きを置かぬと云う風にしたから、その時の生徒の中には漢書を読むことの出来ぬ者が随分あります。漢書を読まずに英語ばかりを勉強するから、英書は何でも読めるが日本の手紙が読めないと云うような少年が出来て来た。物事がアベコベになって、世間では漢書を読でから英書を学ぶと云うのを、此方には英書を学んでから漢書を学ぶと云う者もあった。波多野承五郎などは小供の時から英書ばかり勉強して居たので、日本の手紙が読めなかったが、生れ付き文才があり気力のある少年だから、英学の跡で漢書を学べば造作もなく漢学が出来て、今では彼の通り何でも不自由なく立派な学者に成て居ます。

書き下し

維新の騒乱も程なく治まって天下太平に向て来たが、新政府はマダマダ跡の片付が容易な事でなくして、明治五、六年までは教育に手を着けることが出来ないで、専ら洋学を教えるは矢張り慶應義塾ばかりであった。何でも廃藩置県の後に至るまでは、慶應義塾ばかりが洋学を専らにして、ソレから文部省と云うものが出来て、政府も大層教育に力を用うることになって来た。義塾は相変らず元の通りに生徒を教えて居て、生徒の数も段々殖えて、塾生の数は常に二百から三百ばかり、教うる所の事は一切英学と定め、英書を読み英語を解するようにとばかり教導して、古来日本に行われる漢学には重きを置かぬと云う風にしたから、その時の生徒の中には漢書を読むことの出来ぬ者が随分あります。漢書を読まずに英語ばかりを勉強するから、英書は何でも読めるが日本の手紙が読めないと云うような少年が出来て来た。物事がアベコベになって、世間では漢書を読でから英書を学ぶと云うのを、此方には英書を学んでから漢書を学ぶと云う者もあった。波多野承五郎などは小供の時から英書ばかり勉強して居たので、日本の手紙が読めなかったが、生れ付き文才があり気力のある少年だから、英学の跡で漢書を学べば造作もなく漢学が出来て、今では彼の通り何でも不自由なく立派な学者に成て居ます。

現代語訳

維新の騒乱もほどなく治まって、天下が太平に向かってきましたが、新政府はまだまだ後片付けが容易でなく、明治五、六年までは教育に手をつけることができず、洋学を専ら教えるのはやはり慶應義塾ばかりでした。何でも廃藩置県の後に至るまでは、慶應義塾だけが洋学を専らにしていて、それから文部省というものができ、政府も大いに教育に力を注ぐようになってきました。義塾は相変わらず元の通りに生徒を教えていて、生徒数もだんだん増え、塾生の数は常に二百から三百ほど、教えることは一切英学と定め、英書を読み英語を解することだけを教え導き、古来日本に行われた漢学には重きを置かないという方針にしたので、その時の生徒の中には漢書を読めない者がずいぶんいました。漢書を読まずに英語ばかり勉強するので、英書は何でも読めるが日本の手紙が読めないという少年ができました。物事がアベコベになって、世間では漢書を読んでから英書を学ぶというのを、こちらには英書を学んでから漢書を学ぶ者もあったのです。 波多野承五郎などは、子供のときから英書ばかり勉強していたので、日本の手紙が読めませんでしたが、生まれつき文才があり気力のある少年だったので、英学のあとで漢書を学べば、造作もなく漢学ができ、今ではあの通り、何でも不自由なく立派な学者になっています。

解説

明治五、六年ごろまで、日本で洋学をほぼ独占的に教えていたのは慶應義塾だった、と福沢は語ります。教えるのは英学と決め、漢学を後回しにした結果、英書は読めても日本の手紙は読めない生徒まで現れました。漢学の素養から入るという当時の常識を逆にした、大胆な方針です。波多野承五郎のように、あとから漢学を身につけて立派な学者になった例も引いています。順序を入れ替えても本人の力は伸びる。学び方の常識を疑う余地を、今の人材育成にも示してくれます。

この章句が説くこと

英学漢学学びの順序廃藩置県文部省波多野承五郎

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