福翁自伝 / 王政維新・新政府の御用召
夫れからいよ/\王政維新と定まって、大阪に明治政府の仮政府が出来て、その仮政府から命令が下た。御用があるから出て来いと一番始めに沙汰のあったのが、神田孝平と柳川春三と私と三人。所が柳川春三はドウも大阪に行くのは嫌だ、だから命は奉ずるけれども御用があればドウゾ江戸に居て勤めたいと云う注文。神田孝平は命に応じて行くと云う。私は一も二もなく病気で出られませぬと断り。その後大阪の仮政府は江戸に遷て来て、江戸の新政府から又御用召で度々呼びに来ましたけれども、始終断る計り。或時神田孝平が私の処へ是非出ろと云て勧めに来たから、私は之に答えて、「一体君は何う思うか、男子の出処進退は銘々の好む通りにするが宜いではないか、世間一般そうありたいものではないか、之に異論はなかろう。ソコデ僕の目から見ると、君が新政府に出たのは君の平生好む所を実行して居るのだから僕は甚だ賛成するけれども、僕の身には夫れが嫌いだ、嫌いであるから出ないと云うものも是亦自分の好む所を実行するのだから、君の出て居るのと同じ趣意ではないか。左れば今僕は君の進退を賛成して居るから、君も亦僕の進退を賛成して、福澤は能く引込んで居る、旨いと云て誉めてこそ呉れそうなものだ。夫れを誉めもせずに呼出しに来るとは友達甲斐がないじゃないかと大に論じて、親友の間であるから遠慮会釈もなく刎付けたことがある。
新字:夫れからいよ/\王政維新と定まって、大阪に明治政府の仮政府が出来て、その仮政府から命令が下た。御用があるから出て来いと一番始めに沙汰のあったのが、神田孝平と柳川春三と私と三人。所が柳川春三はドウも大阪に行くのは嫌だ、だから命は奉ずるけれども御用があればドウゾ江戸に居て勤めたいと云う注文。神田孝平は命に応じて行くと云う。私は一も二もなく病気で出られませぬと断り。その後大阪の仮政府は江戸に遷て来て、江戸の新政府から又御用召で度々呼びに来ましたけれども、始終断る計り。或時神田孝平が私の処へ是非出ろと云て勧めに来たから、私は之に答えて、「一体君は何う思うか、男子の出処進退は銘々の好む通りにするが宜いではないか、世間一般そうありたいものではないか、之に異論はなかろう。ソコデ僕の目から見ると、君が新政府に出たのは君の平生好む所を実行して居るのだから僕は甚だ賛成するけれども、僕の身には夫れが嫌いだ、嫌いであるから出ないと云うものも是亦自分の好む所を実行するのだから、君の出て居るのと同じ趣意ではないか。左れば今僕は君の進退を賛成して居るから、君も亦僕の進退を賛成して、福沢は能く引込んで居る、旨いと云て誉めてこそ呉れそうなものだ。夫れを誉めもせずに呼出しに来るとは友達甲斐がないじゃないかと大に論じて、親友の間であるから遠慮会釈もなく刎付けたことがある。
書き下し
夫れからいよ/\王政維新と定まって、大阪に明治政府の仮政府が出来て、その仮政府から命令が下た。御用があるから出て来いと一番始めに沙汰のあったのが、神田孝平と柳川春三と私と三人。所が柳川春三はドウも大阪に行くのは嫌だ、だから命は奉ずるけれども御用があればドウゾ江戸に居て勤めたいと云う注文。神田孝平は命に応じて行くと云う。私は一も二もなく病気で出られませぬと断り。その後大阪の仮政府は江戸に遷て来て、江戸の新政府から又御用召で度々呼びに来ましたけれども、始終断る計り。或時神田孝平が私の処へ是非出ろと云て勧めに来たから、私は之に答えて、「一体君は何う思うか、男子の出処進退は銘々の好む通りにするが宜いではないか、世間一般そうありたいものではないか、之に異論はなかろう。ソコデ僕の目から見ると、君が新政府に出たのは君の平生好む所を実行して居るのだから僕は甚だ賛成するけれども、僕の身には夫れが嫌いだ、嫌いであるから出ないと云うものも是亦自分の好む所を実行するのだから、君の出て居るのと同じ趣意ではないか。左れば今僕は君の進退を賛成して居るから、君も亦僕の進退を賛成して、福澤は能く引込んで居る、旨いと云て誉めてこそ呉れそうなものだ。夫れを誉めもせずに呼出しに来るとは友達甲斐がないじゃないかと大に論じて、親友の間であるから遠慮会釈もなく刎付けたことがある。
現代語訳
それからいよいよ王政維新と決まって、大阪に明治政府の仮政府ができ、その仮政府から命令が下りました。御用があるから出て来いと一番最初に沙汰があったのが、神田孝平と柳川春三と私の三人です。ところが柳川春三はどうも大阪に行くのは嫌だ、命令には従うけれども、御用があるなら江戸にいて勤めたい、という注文でした。神田孝平は命に応じて行くと言います。私は一も二もなく、病気で出られませんと断りました。その後、大阪の仮政府は江戸に移ってきて、江戸の新政府からまた御用召しで何度も呼びに来ましたが、私はずっと断るばかりでした。 あるとき神田孝平が私のところへ、ぜひ出ろと勧めに来たので、私はこう答えました。「そもそも君はどう思うか。男子の出処進退はそれぞれの好む通りにするのがよいではないか。世間一般そうありたいものだ。これに異論はないだろう。そこで僕の目から見ると、君が新政府に出たのは君が普段好むところを実行しているのだから、僕は大いに賛成する。しかし僕の身にはそれが嫌いだ。嫌いだから出ないというのも、これまた自分の好むところを実行することで、君が出ているのと同じ趣旨ではないか。だから今僕は君の進退に賛成しているのだから、君も僕の進退に賛成して、福沢はよく引っ込んでいる、うまいぞ、とほめてくれそうなものだ。それをほめもせずに呼び出しに来るとは、友達甲斐がないじゃないか」と大いに論じて、親友の間柄なので遠慮会釈もなく言い放ったことがあります。
解説
この章句が説くこと
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福翁自伝・老余の半生・仕官を嫌う由縁私の生涯は終始替ることなく、少年時代の辛苦、老後の安楽、何も珍らしいことはない。今の世界に人間普通の苦楽を嘗めて、今日に至るまで大に愧ることもなく大に後悔することもなく、心静に月日を送りしは、先ず以て身の仕合せと云わねばならぬ。所で世間は広し、私の苦楽を遠方から見て色々に評論し色々に疑う者もありましょう。就中私がマンザラの馬鹿でもなく政治の事も随分知て居ながら、遂に政府の役人にならぬと云うは可笑しい、日本社会の十人は十人、百人は百人、皆立身出世を求めて役人にこそなりたがるその処に、福澤が一人これをいやがるのは不審だと、蔭で窃に評論する計りでない、現に直接に私に向て質問する者もある。啻に日本人ばかりでない、知己の外国人も私の進退を疑い、何故政府に出て仕事をせぬか、政府の好地位に立て思う事を行えば、名誉にも為り金にも為り、面白いではないかと、米国人などは毎度勧めに来たことがあるけれども、私は唯笑て取合わぬ。ソコで維新の当分は政府の連中が私を評して佐幕家の一人と認め、彼れは旧幕府に操を立てゝ新政府に仕官せぬ者である、将軍政治を悦んで王政を嫌う者である、古来、革命の歴史に前朝の遺臣と云う者があるが、福澤もその遺臣を気取て、物外に瓢然として居ながら心中無限の不平を抱いて居るに違いない、心に不平があれば新政府の為めに宜いことは考えない、油断のならぬ奴だなんて、種々様々な想像を運らして居る者の多いのは、私も大抵知て居る。所が斯く評せらるゝ前朝の遺臣殿は、久しい以前から前朝の門閥制度、鎖国主義に愛想をつかして、維新の際に幕府の忠臣義士が盛んに忠義論を論じて佐幕の気焔を吐て脱走までする時に、私は強て議論もせず、脱走連中に知て居る者があれば、余計な事をするな、負けるから罷にしろと云て止めて居た位だから、福澤を評するに前朝の遺臣論も勘定が合わぬ。前朝の遺臣と云えば維新の時に幕府の忠臣義士こそ丁度適当の嵌役なれども、この忠臣義士は前朝に忠義の一役を勤めて何時の間にか早替り、第二の忠義役を勤めて第二の忠臣義士となって居るから、是れも遺臣と云われぬ。その遺臣論は姑く擱き、私の身の進退は、前に申す通り、維新の際に幕府の門閥制度、鎖国主義が腹の底から嫌だから佐幕の気がない。左ればとて勤王家の挙動を見れば、幕府に較べてお釣りの出る程の鎖国攘夷、固よりコンな連中に加勢しようと思いも寄らず、唯ジッと中立独立と説を極めて居ると、今度の新政府は開国に豹変した様子で立派な命令は出たけれども、開国の名義中、鎖攘タップリ、何が何やら少しも信ずるに足らず、東西南北何れを見ても共に語るべき人は一人もなし、唯独りで身に叶う丈けの事を勤めて開国一偏、西洋文明の一天張りでリキンで居る内に、政府の開国論が次第々々に真成のものになって来て、一切万事改進ならざるはなし、所謂文明駸々乎として進歩するの世の中になったこそ実に有り難い仕合せで、実に不思議な事で、云わば私の大願も成就したようなものだから、最早や一点の不平は云われない。
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福翁自伝・老余の半生・問題更らに起るソコで私の身の進退に就ても更らに問題が起る。是れまで新政府に出身しなかったのは、政府が鎖国攘夷の主義であるから之を嫌うたのだ、仮令い開国と触出してもその内実は鎖攘の根性、信ずるに足らずと見縊たのである、然るに政府の方針がいよ/\開国文明と決して着々事実に顕わるゝに於ては、官界に力を尽して政府人と共に文明の国事を経営するこそ本意ではないかと世間の人の思うのは、一寸と尤ものように見えるが、この一段になってもマダ私に動く気がない。
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福翁自伝・王政維新・学者を誉めるなら豆腐屋も誉めろ夫れから幾ら呼びに来ても政府へはモウ一切出ないと説を極めて居た所が、或日細川潤次郎が私の処へ来たことがある。その時はマダ文部省と云うものゝない時で、何でもこの政府の学校の世話をしろと云う。イヤそれは往けない、自分は何もそんな事はしないと答え、夫れからいろ/\の話もあったが、細川の云うに、ドウしても政府に於て只棄てゝ置くと云う理屈はないのだから、政府から君が国家に尽した功労を誉めるようにしなければならぬと云うから、私は自分の説を主張して、誉めるの誉められぬのと全体ソリャ何の事だ、人間が人間当前の仕事をして居るに何も不思議はない、車屋は車を挽き豆腐屋は豆腐を拵えて書生は書を読むと云うのは人間当前の仕事として居るのだ、その仕事をして居るのを政府が誉めると云うなら、先ず隣の豆腐屋から誉めて貰わなければならぬ、ソンな事は一切止しなさいと云て断たことがある。是れも随分暴論である。 マア斯う云うような調子で、私は酷く政府を嫌うようにあるけれども、その真実の大本を云えば、前に申した通りドウしても今度の明治政府は古風一天張りの攘夷政府と思込んで仕舞たからである。攘夷は私の何より嫌いな事で、コンな始末では仮令い政府は替ても迚も国は持てない、大切な日本国を滅茶苦茶にして仕舞うだろう本当に爾う思た所が、後に至てその政府が段々文明開化の道に進んで今日に及んだと云うのは、実に難有い目出たい次第であるが、その目出たかろうと云うことが私には始めから測量が出来ずに、唯その時に現れた実の有様に値を付けて、コンな古臭い攘夷政府を造て馬鹿な事を働いて居る諸藩の分らず屋は、国を亡ぼし兼ねぬ奴等じゃと思て、身は政府に近づかずに、唯日本に居て何か勉めて見ようと安心決定したことである。
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福翁自伝・王政維新・幕府の攘夷主義(5)夫からモウ一つ私の身に就て云えば、少年の時から中津の藩を出て仕舞たので、所謂藩の役人らしい公用を勤めたことがない。夫れから前にも云う通り、江戸に来て徳川の政府に雇われたからと云た所が、是れは云わば筆執る飜訳の職人で、政治に与かろう訳けもない。只職人の積りで居るのだから、政治の考と云うものは少しもない。自分でも仕ようとも思わなければ、又私は出来ようとも思わない。仮令い又私が奮発して、幕府なり上方なり何でも都合の宜い方に飛出すとした処が、人の下流に就て仕事をすることは固より出来ず、中津藩の小士族で他人に侮辱軽蔑されたその不平不愉快は骨に徹して忘れられないから、今更ら他人に屈してお辞儀をするのは禁物である。左れば大に立身して所謂政治界の大人とならんか、是れも甚だ面白くない。前にも申した通り私は儀式の箱に入れられて小さくなるのを嫌う通りに、その通りに儀式張て横風な顔をして人を目下に見下だすことも亦甚だ嫌いである。例えば私は少年の時から人を呼棄にしたことがない。車夫、馬丁、人足、小商人の如き下等社会の者は別にして、苟も話の出来る人間らしい人に対して無礼な言葉を用いたことはない。青年書生は勿論、家内の子供を取扱うにもその名を呼棄にすることは出来ない。左る代りに政治社会の歴々とか何とか云う人を見ても何ともない。夫れも白髪の老人とでも云えば老人相応に待遇はすれども、その人の官爵が高いなんて高慢な風をすれば唯可笑しいばかりで、話をするのも面白くない。是れは私が持て生れた性質か、又は書生流儀の習慣か、老年の今日に至るまでも同じ事で、之を要するに如何しても青雲の雲の上には向きの悪い男であるから、維新前後にも独り別物になって居たことゝ、自分で自分の事を推察して居ます。ソレはソレとして、
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福翁自伝・王政維新・本藩に対して功名心なし既に心に決定して居れば、藩に居て功名心と云うものは更らにない、立身出世して高い身分になって錦を故郷に着て人を驚かすと云うような野心は少しもないのみか、私にはその錦が却て恥かしくて着ることが出来ない。グヅ/″\云えば唯この藩を出て仕舞う丈けの事だと云うのが若い時からの考えで、人にこそ云わね、私の心では眼中藩なしと斯う安心を極めて居ましたので、夫れから長崎に行き大阪に出て修業して居るその中に、藩の御用で江戸に呼ばれて藩中の子弟を教うると云うことをして居ながらも、藩の政庁に対しては誠に淡泊で、長い歳月の間只の一度も建白なんと云うことをしたことはない。能く世間にある事で、イヤどうも藩政を改革して洋学を盛にするが宜いとか、兵制を改革するが宜いとか云うことは書生の能く遣ることだ、けれども私に限り只の一度も云出したことがない。ソレと同時に自分の立身出世を藩に向て求めたことがない。ドウ云うように身分を取立てゝ貰いたい、ドウ云うようにして禄を増して貰いたいと云うような事は、陰にも陽にもどんな事があっても藩の長老に内願などしたことがない。ソコで江戸に参てからも、本藩の様子を見れば種々な事を試みて居る。兵制で申せば西洋流の操練を採用したことがある。けれども私はソレを宜いと云て誉めもしなければ悪いと云て止めたこともなし、又或は大に漢学を盛にすると云て頻りに学校の改革などを企てたこともある。或は兵制は甲州流が宜いと云て法螺の貝を吹て藩中で調練をしたこともある。ソレも私は只目前に見て居るばかりで、善いとも悪いとも一寸とも云たことがない。或時に家老の隠居があって、大層政治論の好きな人で、私が家老の家に行たらば、その隠居が、ドウも公武の間が甚だ穏かでない、全体どうも近衛様が爾うも有りそうもない事だとか、或は江戸の御老中が詰らないとか云うような慷慨談を頻りに云て居る。爾う云われると私も何か云いそうな事だ、所が私は決して云わない。如何にも爾うでしょう、ソリャ成程近衛様も爾うだろう、御老中も爾うだろうが、扨ソレが実地になると傍観者の思うようにはならぬもので、近くはこの奥平様の屋敷でも、マダして宜いこともあるだろう、為なくて宜いこともあるだろう、傍観者から之を見たらば嘸堪え難いことに思うでありましょうけれども、当局の御家老の身になって見れば又爾う思う通りに行かないもので、矢張り今の通りより外に仕様がない。余り人の事を批評しても詰らぬ事です。私は一体そんな事に就ては何を議論しようとも思わぬと云て、少しも相手にならなかった。
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福翁自伝・老余の半生・殻威張の群に入るべからず従前曾て人に語らず、又語る必要もないから黙て居て、内の妻子も本当に知りますまいが、私の本心に於て何としても仕官が出来られないその真面目を丸出しに申せば、第一、政府がその方針を開国文明と決定して大に国事を改革すると同時に、役人達が国民に対して無暗に威張る、その威張るのも行政上の威厳と云えば自から理由もあるが、実際は爾うでない、唯殻威張をして喜んで居る。例えば位記などは王政維新、文明の政治と共に罷めそうなことを罷めずに、人間の身に妙な金箔を着けるような事をして、日本国中いらざる処に上下貴賤の区別を立てゝ、役人と人民と人種の違うような細工をして居る。既に政府が貴いと云えば政府に入る人も自然に貴くなる、貴くなれば自然に威張るようになる、その威張りは即ち殻威張で、誠に宜しくないと知りながら、何も蚊も自然の勢で、役人の仲間になれば何時の間にか共に殻威張を遣るように成り行く。然かのみならず、自分より下に向て威張れば上に向ては威張られる。鼬こっこ鼠こっこ、実に馬鹿らしくて面白くない。政府に這入りさえせねば馬鹿者の威張るのを唯見物して唯笑て居る計りなれども、今の日本の風潮で、役人の仲間になれば、仮令い最上の好地位に居ても兎に角に殻威張と名づくる醜体を犯さねばならぬ。是れが私の性質に於て出来ない。
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