福翁自伝 / 王政維新・学者を誉めるなら豆腐屋も誉めろ
夫れから幾ら呼びに来ても政府へはモウ一切出ないと説を極めて居た所が、或日細川潤次郎が私の処へ来たことがある。その時はマダ文部省と云うものゝない時で、何でもこの政府の学校の世話をしろと云う。イヤそれは往けない、自分は何もそんな事はしないと答え、夫れからいろ/\の話もあったが、細川の云うに、ドウしても政府に於て只棄てゝ置くと云う理屈はないのだから、政府から君が国家に尽した功労を誉めるようにしなければならぬと云うから、私は自分の説を主張して、誉めるの誉められぬのと全体ソリャ何の事だ、人間が人間当前の仕事をして居るに何も不思議はない、車屋は車を挽き豆腐屋は豆腐を拵えて書生は書を読むと云うのは人間当前の仕事として居るのだ、その仕事をして居るのを政府が誉めると云うなら、先ず隣の豆腐屋から誉めて貰わなければならぬ、ソンな事は一切止しなさいと云て断たことがある。是れも随分暴論である。 マア斯う云うような調子で、私は酷く政府を嫌うようにあるけれども、その真実の大本を云えば、前に申した通りドウしても今度の明治政府は古風一天張りの攘夷政府と思込んで仕舞たからである。攘夷は私の何より嫌いな事で、コンな始末では仮令い政府は替ても迚も国は持てない、大切な日本国を滅茶苦茶にして仕舞うだろう本当に爾う思た所が、後に至てその政府が段々文明開化の道に進んで今日に及んだと云うのは、実に難有い目出たい次第であるが、その目出たかろうと云うことが私には始めから測量が出来ずに、唯その時に現れた実の有様に値を付けて、コンな古臭い攘夷政府を造て馬鹿な事を働いて居る諸藩の分らず屋は、国を亡ぼし兼ねぬ奴等じゃと思て、身は政府に近づかずに、唯日本に居て何か勉めて見ようと安心決定したことである。
書き下し
夫れから幾ら呼びに来ても政府へはモウ一切出ないと説を極めて居た所が、或日細川潤次郎が私の処へ来たことがある。その時はマダ文部省と云うものゝない時で、何でもこの政府の学校の世話をしろと云う。イヤそれは往けない、自分は何もそんな事はしないと答え、夫れからいろ/\の話もあったが、細川の云うに、ドウしても政府に於て只棄てゝ置くと云う理屈はないのだから、政府から君が国家に尽した功労を誉めるようにしなければならぬと云うから、私は自分の説を主張して、誉めるの誉められぬのと全体ソリャ何の事だ、人間が人間当前の仕事をして居るに何も不思議はない、車屋は車を挽き豆腐屋は豆腐を拵えて書生は書を読むと云うのは人間当前の仕事として居るのだ、その仕事をして居るのを政府が誉めると云うなら、先ず隣の豆腐屋から誉めて貰わなければならぬ、ソンな事は一切止しなさいと云て断たことがある。是れも随分暴論である。 マア斯う云うような調子で、私は酷く政府を嫌うようにあるけれども、その真実の大本を云えば、前に申した通りドウしても今度の明治政府は古風一天張りの攘夷政府と思込んで仕舞たからである。攘夷は私の何より嫌いな事で、コンな始末では仮令い政府は替ても迚も国は持てない、大切な日本国を滅茶苦茶にして仕舞うだろう本当に爾う思た所が、後に至てその政府が段々文明開化の道に進んで今日に及んだと云うのは、実に難有い目出たい次第であるが、その目出たかろうと云うことが私には始めから測量が出来ずに、唯その時に現れた実の有様に値を付けて、コンな古臭い攘夷政府を造て馬鹿な事を働いて居る諸藩の分らず屋は、国を亡ぼし兼ねぬ奴等じゃと思て、身は政府に近づかずに、唯日本に居て何か勉めて見ようと安心決定したことである。
現代語訳
それからいくら呼びに来ても、政府へはもう一切出ないと方針を決めていたところ、ある日、細川潤次郎が私のところへ来ました。その時はまだ文部省というものがなく、政府の学校の世話をしろというのです。いや、それはできない、自分はそんなことはしないと答え、それからいろいろ話もありましたが、細川の言うには、どうしても政府がただ放っておくという理屈はないのだから、君が国家に尽くした功労を、政府からほめるようにしなければならないというのです。 私は自分の説を主張しました。「ほめるとかほめられぬとか、そもそもそれは何のことだ。人間が人間として当たり前の仕事をしているのに、何も不思議はない。車屋は車を引き、豆腐屋は豆腐を作り、書生は書を読む。これは人間当たり前の仕事としてやっているのだ。その仕事をしているのを政府がほめるというなら、まず隣の豆腐屋からほめてもらわなければならない。そんなことは一切やめなさい」と言って断ったことがあります。これもずいぶん乱暴な議論です。 まあこういう調子で、私はひどく政府を嫌うようですが、その本当の大本を言えば、前に申した通り、今度の明治政府はどうしても古風一点張りの攘夷政府だと思い込んでしまったからです。攘夷は私が何より嫌いなことで、こんな始末では、たとえ政府は替わっても到底国は持てない、大切な日本国をめちゃくちゃにしてしまうだろう、本当にそう思いました。ところが後になって、その政府がだんだん文明開化の道に進んで今日に及んだのは、実にありがたくめでたいことですが、そのめでたかろうということが私には最初から見通せませんでした。ただその時に現れた実際の様子に値段をつけて、こんな古臭い攘夷政府をつくって馬鹿なことをしている諸藩の分からず屋は、国を滅ぼしかねない連中だと思い、身は政府に近づかず、ただ日本にいて何か努めてみようと、覚悟を決めたのです。
解説
この章句が説くこと
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福翁自伝・老余の半生・殻威張の群に入るべからず従前曾て人に語らず、又語る必要もないから黙て居て、内の妻子も本当に知りますまいが、私の本心に於て何としても仕官が出来られないその真面目を丸出しに申せば、第一、政府がその方針を開国文明と決定して大に国事を改革すると同時に、役人達が国民に対して無暗に威張る、その威張るのも行政上の威厳と云えば自から理由もあるが、実際は爾うでない、唯殻威張をして喜んで居る。例えば位記などは王政維新、文明の政治と共に罷めそうなことを罷めずに、人間の身に妙な金箔を着けるような事をして、日本国中いらざる処に上下貴賤の区別を立てゝ、役人と人民と人種の違うような細工をして居る。既に政府が貴いと云えば政府に入る人も自然に貴くなる、貴くなれば自然に威張るようになる、その威張りは即ち殻威張で、誠に宜しくないと知りながら、何も蚊も自然の勢で、役人の仲間になれば何時の間にか共に殻威張を遣るように成り行く。然かのみならず、自分より下に向て威張れば上に向ては威張られる。鼬こっこ鼠こっこ、実に馬鹿らしくて面白くない。政府に這入りさえせねば馬鹿者の威張るのを唯見物して唯笑て居る計りなれども、今の日本の風潮で、役人の仲間になれば、仮令い最上の好地位に居ても兎に角に殻威張と名づくる醜体を犯さねばならぬ。是れが私の性質に於て出来ない。
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福翁自伝・王政維新・幕府の攘夷主義(5)夫からモウ一つ私の身に就て云えば、少年の時から中津の藩を出て仕舞たので、所謂藩の役人らしい公用を勤めたことがない。夫れから前にも云う通り、江戸に来て徳川の政府に雇われたからと云た所が、是れは云わば筆執る飜訳の職人で、政治に与かろう訳けもない。只職人の積りで居るのだから、政治の考と云うものは少しもない。自分でも仕ようとも思わなければ、又私は出来ようとも思わない。仮令い又私が奮発して、幕府なり上方なり何でも都合の宜い方に飛出すとした処が、人の下流に就て仕事をすることは固より出来ず、中津藩の小士族で他人に侮辱軽蔑されたその不平不愉快は骨に徹して忘れられないから、今更ら他人に屈してお辞儀をするのは禁物である。左れば大に立身して所謂政治界の大人とならんか、是れも甚だ面白くない。前にも申した通り私は儀式の箱に入れられて小さくなるのを嫌う通りに、その通りに儀式張て横風な顔をして人を目下に見下だすことも亦甚だ嫌いである。例えば私は少年の時から人を呼棄にしたことがない。車夫、馬丁、人足、小商人の如き下等社会の者は別にして、苟も話の出来る人間らしい人に対して無礼な言葉を用いたことはない。青年書生は勿論、家内の子供を取扱うにもその名を呼棄にすることは出来ない。左る代りに政治社会の歴々とか何とか云う人を見ても何ともない。夫れも白髪の老人とでも云えば老人相応に待遇はすれども、その人の官爵が高いなんて高慢な風をすれば唯可笑しいばかりで、話をするのも面白くない。是れは私が持て生れた性質か、又は書生流儀の習慣か、老年の今日に至るまでも同じ事で、之を要するに如何しても青雲の雲の上には向きの悪い男であるから、維新前後にも独り別物になって居たことゝ、自分で自分の事を推察して居ます。ソレはソレとして、
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福翁自伝・老余の半生・仕官を嫌う由縁私の生涯は終始替ることなく、少年時代の辛苦、老後の安楽、何も珍らしいことはない。今の世界に人間普通の苦楽を嘗めて、今日に至るまで大に愧ることもなく大に後悔することもなく、心静に月日を送りしは、先ず以て身の仕合せと云わねばならぬ。所で世間は広し、私の苦楽を遠方から見て色々に評論し色々に疑う者もありましょう。就中私がマンザラの馬鹿でもなく政治の事も随分知て居ながら、遂に政府の役人にならぬと云うは可笑しい、日本社会の十人は十人、百人は百人、皆立身出世を求めて役人にこそなりたがるその処に、福澤が一人これをいやがるのは不審だと、蔭で窃に評論する計りでない、現に直接に私に向て質問する者もある。啻に日本人ばかりでない、知己の外国人も私の進退を疑い、何故政府に出て仕事をせぬか、政府の好地位に立て思う事を行えば、名誉にも為り金にも為り、面白いではないかと、米国人などは毎度勧めに来たことがあるけれども、私は唯笑て取合わぬ。ソコで維新の当分は政府の連中が私を評して佐幕家の一人と認め、彼れは旧幕府に操を立てゝ新政府に仕官せぬ者である、将軍政治を悦んで王政を嫌う者である、古来、革命の歴史に前朝の遺臣と云う者があるが、福澤もその遺臣を気取て、物外に瓢然として居ながら心中無限の不平を抱いて居るに違いない、心に不平があれば新政府の為めに宜いことは考えない、油断のならぬ奴だなんて、種々様々な想像を運らして居る者の多いのは、私も大抵知て居る。所が斯く評せらるゝ前朝の遺臣殿は、久しい以前から前朝の門閥制度、鎖国主義に愛想をつかして、維新の際に幕府の忠臣義士が盛んに忠義論を論じて佐幕の気焔を吐て脱走までする時に、私は強て議論もせず、脱走連中に知て居る者があれば、余計な事をするな、負けるから罷にしろと云て止めて居た位だから、福澤を評するに前朝の遺臣論も勘定が合わぬ。前朝の遺臣と云えば維新の時に幕府の忠臣義士こそ丁度適当の嵌役なれども、この忠臣義士は前朝に忠義の一役を勤めて何時の間にか早替り、第二の忠義役を勤めて第二の忠臣義士となって居るから、是れも遺臣と云われぬ。その遺臣論は姑く擱き、私の身の進退は、前に申す通り、維新の際に幕府の門閥制度、鎖国主義が腹の底から嫌だから佐幕の気がない。左ればとて勤王家の挙動を見れば、幕府に較べてお釣りの出る程の鎖国攘夷、固よりコンな連中に加勢しようと思いも寄らず、唯ジッと中立独立と説を極めて居ると、今度の新政府は開国に豹変した様子で立派な命令は出たけれども、開国の名義中、鎖攘タップリ、何が何やら少しも信ずるに足らず、東西南北何れを見ても共に語るべき人は一人もなし、唯独りで身に叶う丈けの事を勤めて開国一偏、西洋文明の一天張りでリキンで居る内に、政府の開国論が次第々々に真成のものになって来て、一切万事改進ならざるはなし、所謂文明駸々乎として進歩するの世の中になったこそ実に有り難い仕合せで、実に不思議な事で、云わば私の大願も成就したようなものだから、最早や一点の不平は云われない。
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福翁自伝・老余の半生・独立の手本を示さんとす(1)第四には、勤王佐幕など云う喧しい議論は差置き、維新政府の基礎が定まると、日本国中の士族は無論、百姓の子も町人の弟も、少しばかり文字でも分る奴は皆役人になりたいと云う。仮令い役人にならぬでも、兎に角に政府に近づいて何か金儲でもしようと云う熱心で、その有様は臭い物に蠅のたかるようだ。全国の人民、政府に依らねば身を立てる処のないように思うて、一身独立と云う考は少しもない。偶ま外国修業の書生などが帰て来て、僕は畢生独立の覚悟で政府仕官は思いも寄らぬ、なんかんと鹿爪らしく私方へ来て満腹の気焔を吐く者は幾らもある。私は最初から当てにせずに宜い加減に聞流して居ると、その独立先生が久しく見えぬ。スルと後に聞けばその男はチャンと何省の書記官に為り、運の好い奴は地方官になって居ると云うような風で、何も之を咎めるではない、人々の進退はその人の自由自在なれども、全国の人が唯政府の一方を目的にして外に立身の道なしと思込んで居るのは、畢竟漢学教育の余弊で、所謂宿昔青雲の志と云うことが先祖以来の遺伝に存して居る一種の迷である。今この迷を醒まして文明独立の本義を知らせようとするには、天下一人でもその真実の手本を見せたい、亦自からその方針に向う者もあるだろう、一国の独立は国民の独立心から湧て出てることだ、国中を挙げて古風の奴隷根性では迚も国が持てない、出来ることか出来ないことかソンな事に躊躇せず、自分がその手本になって見ようと思付き、人間万事無頓着と覚悟を定めて、唯独立独歩と安心決定したから、政府に依りすがる気もない、役人達に頼む気もない。貧乏すれば金を使わない、金が出来れば自分の勝手に使う。人に交わるには出来る丈けの誠を尽して交わる、ソレでも忌と云えば交わって呉れなくても宜しい。客を招待すれば此方の家風の通りに心を用いて饗応する、その風が嫌いなら来て呉れなくても苦しうない。此方の身に叶う丈けを尽して、ソレから上は先方の領分だ。誉めるなり譏るなり喜ぶなり怒るなり勝手次第にしろ、誉められて左まで歓びもせず、譏られて左まで腹も立てず、いよ/\気が合わねば遠くに離れて附合わぬ計りだ。一切万事、人にも物にもぶら下らずに、云わば捨身になって世の中を渡るとチャンと説を定めて居るから、何としても政府へ仕官などは出来ない。この流儀が果して世の中の手本になって宜い事か、悪い事か、ソレも無頓着だ、宜ければ甚だ宜しい、悪るければソレまでの事だ、その先きまで責任を脊負い込もうとは思いません。
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福翁自伝・老余の半生・問題更らに起るソコで私の身の進退に就ても更らに問題が起る。是れまで新政府に出身しなかったのは、政府が鎖国攘夷の主義であるから之を嫌うたのだ、仮令い開国と触出してもその内実は鎖攘の根性、信ずるに足らずと見縊たのである、然るに政府の方針がいよ/\開国文明と決して着々事実に顕わるゝに於ては、官界に力を尽して政府人と共に文明の国事を経営するこそ本意ではないかと世間の人の思うのは、一寸と尤ものように見えるが、この一段になってもマダ私に動く気がない。
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福翁自伝・王政維新・新政府の御用召夫れからいよ/\王政維新と定まって、大阪に明治政府の仮政府が出来て、その仮政府から命令が下た。御用があるから出て来いと一番始めに沙汰のあったのが、神田孝平と柳川春三と私と三人。所が柳川春三はドウも大阪に行くのは嫌だ、だから命は奉ずるけれども御用があればドウゾ江戸に居て勤めたいと云う注文。神田孝平は命に応じて行くと云う。私は一も二もなく病気で出られませぬと断り。その後大阪の仮政府は江戸に遷て来て、江戸の新政府から又御用召で度々呼びに来ましたけれども、始終断る計り。或時神田孝平が私の処へ是非出ろと云て勧めに来たから、私は之に答えて、「一体君は何う思うか、男子の出処進退は銘々の好む通りにするが宜いではないか、世間一般そうありたいものではないか、之に異論はなかろう。ソコデ僕の目から見ると、君が新政府に出たのは君の平生好む所を実行して居るのだから僕は甚だ賛成するけれども、僕の身には夫れが嫌いだ、嫌いであるから出ないと云うものも是亦自分の好む所を実行するのだから、君の出て居るのと同じ趣意ではないか。左れば今僕は君の進退を賛成して居るから、君も亦僕の進退を賛成して、福澤は能く引込んで居る、旨いと云て誉めてこそ呉れそうなものだ。夫れを誉めもせずに呼出しに来るとは友達甲斐がないじゃないかと大に論じて、親友の間であるから遠慮会釈もなく刎付けたことがある。
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