福翁自伝 / 王政維新・幕府の攘夷主義(7)
夫れから又或日に外国方の小役人が出て来て、時に福澤さんは家来は何人お召連れになるかと問うから、「家来とは何だと云うと、「イヤ事急なれば皆この城中に詰める方々にお賄を下さるので人数を調べて居る処です。「爾うかソレは誠に難有い、難有いが私は勿論家来もなければ主人もない。ドウぞ福澤のお賄だけはお止めにして下さい。弥々戦争が始まると云うのに、この城の中に来て悠々と弁当など喰て居られるものか、始まろうと云う気振りが見えれば何処かへ直ぐに逃出して行きます。先ず私のお賄は要らないものとして下さいと、笑て茶を呑んで居た。全体を云うと真実徳川の人に戦う気があれば、私がそんな放語漫言したのを許す訳けはない、直ぐ一刀の下に首が夫くなる筈だけれども、是れが所謂幕末の形勢で、迚も本式に戦争などの出来る人気でなかった。
新字:夫れから又或日に外国方の小役人が出て来て、時に福沢さんは家来は何人お召連れになるかと問うから、「家来とは何だと云うと、「イヤ事急なれば皆この城中に詰める方々にお賄を下さるので人数を調べて居る処です。「爾うかソレは誠に難有い、難有いが私は勿論家来もなければ主人もない。ドウぞ福沢のお賄だけはお止めにして下さい。弥々戦争が始まると云うのに、この城の中に来て悠々と弁当など喰て居られるものか、始まろうと云う気振りが見えれば何処かへ直ぐに逃出して行きます。先ず私のお賄は要らないものとして下さいと、笑て茶を呑んで居た。全体を云うと真実徳川の人に戦う気があれば、私がそんな放語漫言したのを許す訳けはない、直ぐ一刀の下に首が夫くなる筈だけれども、是れが所謂幕末の形勢で、迚も本式に戦争などの出来る人気でなかった。
書き下し
夫れから又或日に外国方の小役人が出て来て、時に福澤さんは家来は何人お召連れになるかと問うから、「家来とは何だと云うと、「イヤ事急なれば皆この城中に詰める方々にお賄を下さるので人数を調べて居る処です。「爾うかソレは誠に難有い、難有いが私は勿論家来もなければ主人もない。ドウぞ福澤のお賄だけはお止めにして下さい。弥々戦争が始まると云うのに、この城の中に来て悠々と弁当など喰て居られるものか、始まろうと云う気振りが見えれば何処かへ直ぐに逃出して行きます。先ず私のお賄は要らないものとして下さいと、笑て茶を呑んで居た。全体を云うと真実徳川の人に戦う気があれば、私がそんな放語漫言したのを許す訳けはない、直ぐ一刀の下に首が夫くなる筈だけれども、是れが所謂幕末の形勢で、迚も本式に戦争などの出来る人気でなかった。
現代語訳
それからまた、ある日に外国方の小役人が出てきて、「ときに福沢さんは家来は何人お召し連れになりますか」と問うので、「家来とは何だ」と言うと、「いや、事が急なれば、皆この城中に詰める方々にお賄を下さるので、人数を調べているところです」と言います。「そうかそれは誠にありがたい。ありがたいが、私はもちろん家来もなければ主人もない。どうか福沢のお賄だけはお止めにして下さい。いよいよ戦争が始まるというのに、この城の中に来て悠々と弁当など食べていられるものか。始まろうという気振りが見えれば、どこかへ直ぐに逃げ出して行きます。まず私のお賄は要らないものとして下さい」と、笑ってお茶を飲んでいました。全体を言うと、真実、徳川の人に戦う気があれば、私がそんな放言漫言を言ったのを許すはずはなく、すぐ一刀の下に首がなくなるはずですが、これがいわゆる幕末の形勢で、とても本式に戦争などのできる人気ではありませんでした。
解説
この章句が説くこと
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