福翁自伝 / 攘夷論・緒方先生の急病村田蔵六の変態(2)
あんな奴原に我儘をされて堪るものか。殊に和蘭の奴が何だ、小さい癖に横風な面して居る。之を打攘うのは当然だ。モウ防長の士民は悉く死尽しても許しはせぬ、何処までも遣るのだと云うその剣幕は以前の村田ではない。実に思掛けもない事で、是れは変なことだ、妙なことだと思うたから、私は宜加減に話を結んで、夫れから箕作の処に来て、大変だ/\、村田の剣幕は是れ/\の話だ、実に驚いた、と云うのはその前から村田が長州に行たと云うことを聞て、朋友は皆心配して、あの攘夷の真盛りに村田がその中に呼込まれては身が危い、どうか径我のないようにしたいものだと、寄ると触ると噂をして居る其処に、本人の村田の話を聞て見れば今の次第、実に訳けが分らぬ。一体村田は長州に行て如何にも怖いと云うことを知て、そうして攘夷の仮面を冠て態とりきんで居るのだろうか、本心からあんな馬鹿を云う気遣はあるまい、どうも彼の気が知れない。「そうだ、実に分らない事だ。兎にも角にも一切彼の男の相手になるな。下手な事を云うとどんな間違いになるか知れぬから、暫く別ものにして置くが宜いと、箕作と私と二人云合して、夫れから外の朋友にも、村田は変だ、滅多な事を云うな、何をするか知れないからと気を付けた。是れがその時の実事談で、今でも不審が晴れぬ。当時村田は自身防禦の為めに攘夷の仮面を冠て居たのか、又は長州に行て、どうせ毒を舐めれば皿までと云うような訳けで、本当に攘夷主義になったのか分りませぬが、何しろ私を始め箕作秋坪その外の者は、一時彼に驚かされてその儘ソーッと棄置たことがあります。
書き下し
あんな奴原に我儘をされて堪るものか。殊に和蘭の奴が何だ、小さい癖に横風な面して居る。之を打攘うのは当然だ。モウ防長の士民は悉く死尽しても許しはせぬ、何処までも遣るのだと云うその剣幕は以前の村田ではない。実に思掛けもない事で、是れは変なことだ、妙なことだと思うたから、私は宜加減に話を結んで、夫れから箕作の処に来て、大変だ/\、村田の剣幕は是れ/\の話だ、実に驚いた、と云うのはその前から村田が長州に行たと云うことを聞て、朋友は皆心配して、あの攘夷の真盛りに村田がその中に呼込まれては身が危い、どうか径我のないようにしたいものだと、寄ると触ると噂をして居る其処に、本人の村田の話を聞て見れば今の次第、実に訳けが分らぬ。一体村田は長州に行て如何にも怖いと云うことを知て、そうして攘夷の仮面を冠て態とりきんで居るのだろうか、本心からあんな馬鹿を云う気遣はあるまい、どうも彼の気が知れない。「そうだ、実に分らない事だ。兎にも角にも一切彼の男の相手になるな。下手な事を云うとどんな間違いになるか知れぬから、暫く別ものにして置くが宜いと、箕作と私と二人云合して、夫れから外の朋友にも、村田は変だ、滅多な事を云うな、何をするか知れないからと気を付けた。是れがその時の実事談で、今でも不審が晴れぬ。当時村田は自身防禦の為めに攘夷の仮面を冠て居たのか、又は長州に行て、どうせ毒を舐めれば皿までと云うような訳けで、本当に攘夷主義になったのか分りませぬが、何しろ私を始め箕作秋坪その外の者は、一時彼に驚かされてその儘ソーッと棄置たことがあります。
現代語訳
あんな奴らに我儘をされてたまるものか。ことにオランダの奴が何だ、小さいくせに横柄な顔をしている。これを打ち払うのは当然だ。もう防長の士民は残らず死に尽くしても許しはしない、どこまでもやるのだ」と言うその剣幕は、以前の村田ではありません。実に思いがけないことで、これは変だ、妙だと思ったので、私はいい加減に話を終えて、それから箕作のところに来て、大変だ大変だ、村田の剣幕はこれこれの話だ、実に驚いた、と言いました。というのは、その前から村田が長州に行ったと聞いて、友人たちは皆心配して、あの攘夷の真っ盛りに村田がその中に呼び込まれては身が危ない、どうか怪我のないようにしたいものだと、寄るとさわると噂をしていたところ、本人の村田の話を聞いてみると今のとおり、実にわけがわかりません。いったい村田は長州に行って、どうにも怖いということを知って、攘夷の仮面をかぶってわざと力んでいるのだろうか、本心からあんな馬鹿を言うはずはあるまい、どうも彼の気が知れない。「そうだ、実にわからないことだ。ともかく一切あの男の相手になるな。下手なことを言うとどんな間違いになるかわからないから、しばらく別物にしておくがよい」と、箕作と私と二人で申し合わせて、それから外の友人にも、村田は変だ、めったなことを言うな、何をするかわからないからと気をつけました。これがそのときの実話で、今でも不審が晴れません。当時村田は自分の防御のために攘夷の仮面をかぶっていたのか、または長州に行って、どうせ毒を食らわば皿までというわけで、本当に攘夷主義になったのかわかりませんが、とにかく私をはじめ箕作秋坪その他の者は、一時彼に驚かされて、そのままそっと放っておいたことがあります。
解説
この章句が説くこと
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福翁自伝・攘夷論・緒方先生の急病村田蔵六の変態(1)所で京都の方では愈よ五月十日(文久三年)が攘夷の期限だと云う。ソレで和蘭の商船が下ノ関を通ると、下ノ関から鉄砲を打掛けた。けれども幸に和蘭船は沈みもせずに通たが、ソレがなか/\大騒ぎになって、世の中は益々恐ろしい事になって来た。所でその歳の六月十日に緒方洪庵先生の不幸。その前から江戸に出て来て下谷に居た緒方先生が、急病で大層吐血したと云う急使に、私は実に胆を潰した。その二、三日前に先生の処へ行てチャント様子を知て居るのに、急病とは何事であろうと、取るものも取敢えず即刻宅を駈出して、その時分には人力車も何もありはしないから、新銭座から下谷まで駈詰で緒方の内に飛込んだ所が、もう縡切れて仕舞た跡。是れはマア如何したら宜かろうかと丸で夢を見たような訳け。道の近い門人共は疾く先に来て、後から来る者も多い。三十人も五十人も詰掛けて、外に用事もなし、今夜は先ずお通夜として皆起きて居る。所が狭い家だから大勢坐る処もないような次第で、その時は恐ろしい暑い時節で、坐敷から玄関から台所まで一杯人が詰て、私は夜半玄関の敷台の処に腰を掛けて居たら、その時に村田蔵六(後に大村益次郎)が私の隣に来て居たから、「オイ村田君――君は何時長州から帰て来たか。「この間帰た。「ドウダエ馬関では大変な事を遣たじゃないか。何をするのか気狂共が、呆返た話じゃないかと云うと、村田が眼に角を立て、「何だと、遣たら如何だ。「如何だッて、この世の中に攘夷なんて丸で気狂いの沙汰じゃないか。「気狂いとは何だ、怪しからん事を云うな。長州ではチャント国是が極まってある。
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福翁自伝・王政維新・幕府の攘夷主義(4)然らば則ち之に取て代ろうと云う上方の勤王家はドウだと云うに、彼等が代たら却てお釣の出るような攘夷家だ。コリャ又幕府よりか一層悪い。勤王攘夷と佐幕攘夷と名こそ変れ、その実は双方共に純粋無雑な攘夷家でその攘夷に深浅厚薄の別はあるも、詰る所は双方共に尊攘の仕振りが善いとか悪いとか云うのが争論の点で、その争論喧嘩が遂に上方の攘夷家と関東の攘夷家と鉄砲を打合うような事になるであろう。ドチラも頼むに足らず、その中にも上方の勤王家は、事実に於て人殺しもすれば放火もして居る、その目的を尋ねて見ると、仮令いこの国を焦土にしても飽くまで攘夷をしなければならぬと云う触込みで、一切万事一挙一動悉く攘夷ならざるはなし。然るに日本国中の人がワッとソレに応じて騒ぎ立て居るのであるから、何としても之に同情を表して仲間になるような事は出来られない。是れこそ実に国を滅す奴等だ、こんな不文不明な分らぬ乱暴人に国を渡せば亡国は限前に見える、情けない事だと云う考が始終胸に染込んで居たから、何としても上方の者に左袒する気にならぬ。その前後に緒方の隠居は江戸に居る。是れは故緒方洪庵先生の夫人で、私は阿母さんのようにして居る恩人である。或時に隠居が私と箕作を呼んで、ドウじゃい、お前さん方は幕府に雇われて勤めて居るけれども、馬鹿々々しい止しなさい、ソレよりか上方に行て御覧。ソリャどうもいろ/\な面白いことかあるぜ、と云う。段々聞て見ると村田造六即ち大村益次郎とか佐野栄寿(常民)とか云うような有志者が、皆緒方の家に出入をして居る。ソレを隠居さんが知て居て、私と箕作の事は自分の子のようにして居たものだから、江戸に居るな、上方に行けと勧めたのも無理はない。その時に私は、誠に難有うございます、大阪に行けば必ず面白い仕事がありましょうけれども、私はドウも首をもがれたッて攘夷のお供は出来ません、爾うじゃないかと、箕作と云て断わったことがありましたが、その位の訳けで、ドウしてもその上方勢に与みすることは出来なかった。
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福翁自伝・攘夷論・攘夷論の鋒先洋学者に向う(1)井伊掃部頭はこの前殺されて、今度は老中の安藤対馬守が浪人に疵を付けられた。その乱暴者の一人が長州の屋敷に駈込んだとか何とか云う話を聞て、私はその時始めて心付いた、成るほど長州藩も矢張り攘夷の仲間に這入て居るのかと斯う思たことがある。兎にも角にも日本国中攘夷の真盛りでどうにも手の着けようがない。所で私の身にして見ると、是れまでは世間に攘夷論があると云う丈けの事で、自分の身に就て危いことは覚えなかった。大阪の塾に居る中に勿論暗殺などゝ云うことのあろう筈はない。又江戸に出て来たからとて怖い敵もなければ何でもないと計り思て居た所が、サア今度欧羅巴から帰て来たその上はなか/\爾うでない。段々喧しくなって、外国貿易をする商人が俄に店を片付けて仕舞うなどゝ云うような事で、浪人と名くる者が盛に出て来て、何処に居て何をして居るのか分らない。丁度今の壮士と云うようなもので、ヒョコ/\妙な処から出て来る。外国の貿易をする商人さえ店を仕舞うと云うのであるから、況して外国の書を読で欧羅巴の制度文物を夫れ是れと論ずるような者は、どうも彼輩は不埒な奴じゃ、畢竟彼奴等は虚言を吐て世の中を瞞着する売国奴だと云うような評判がソロ/\行れて来て、ソレから浪士の鋒先が洋学者の方に向いて来た。是れは誠に恐入た話で、何も私共は罪を犯した覚えはない。是れはマア何処まで小さくなれば免るゝかと云うと、幾ら小さくなっても免れない。到頭仕舞には洋書を読むことを罷めて仕舞うて攘夷論でも唱えたらば、ソレはお詫が済むだろうが、マサカそんな事も出来ない。此方が無頓着に思う事を遣ろうとすれば、浪人共は段々きつくなって来る。既に私共と同様幕府に雇われて居る飜訳方の中に手塚律蔵と云う人があって、その男が長州の屋敷に行て何か外国の話をしたら、屋敷の若者等が斬て仕舞うと云うので、手塚はドン/″\駈出す、若者等は刀を抜て追蒐る、手塚は一生懸命に逃げたけれども逃切れずに、寒い時だが日比谷外の濠の中へ飛込んで漸く助かった事もある。
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福翁自伝・再度米国行・穢多に革細工之を喩えば革細工だから穢多にさせると云うと同じ事で、マア御同前は雪駄直しを見たような者だ。幕府の殿様方は汚い事が出来ない、幸い此処に革細工をする奴が居るからソレにさせろと云うので、デイ/\が大きな屋敷の御出入になったのと少しも変ったことはない。ソレに遠慮会釈も糸瓜も要るものか、颯々と打毀して遣れ。只此処で困るのは、誰が之を打毀すか、ソレに当惑して居る。乃公等は自分でその先棒になろうとは思わぬ。誰が之を打毀すか、之が大問題である。今の世間を見るに、之を毀そうと云て騒いで居るのは所謂浮浪の徒、即ち長州とか薩州とか云う攘夷藩の浪人共であるが、若しも彼の浪人共が天下を自由にするようになったら、ソレこそ徳川政府の攘夷に上塗りをする奴じゃないか。ソレよりもマダ今の幕府の方が勝しだ。けれども如何したって幕府は早晩倒さなければならぬ、唯差当り倒す人間がないから仕方なしに見て居るのだ。困た話ではないかなどゝ、且つ飲み且つ語り、部屋の中とは云いながら、人の出入りを止めるでもなし、傍若無人、大きな声でドシ/\論じて居たのだから、爾う云うような話もチラホラ重役の耳に聞えたことがあるに違いない。
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福翁自伝・暗殺の心配・増田宗太郎に窺わる以上は維新前の事で、直に私の身に害を及ぼしたでもなし、唯無暗に私が怖く思たばかり、所謂世間の風声鶴唳に臆病心を起したのかも知れないが、維新後になっても忌な風聞は絶えず行われて、何分にも不安心のみか、歳月を経て後に聞けば、実際恐るべき事も毎度のことでした。頃は明治三年、私が豊前中津へ老母の迎いに参て、母と姪と両人を守護して東京に帰たことがあります。その時は中津滞留も左まで怖いとも思わず、先ず安心して居ましたが、数年の後に至て実際の話を聞けば、恐ろしいとも何とも、実に命拾いをしたような事です。私の再従弟に増田宗太部と云う男があります。この男は後に九州西南の役に賊軍に投じて城山で死に就た一種の人物で、世間にも名を知られて居ますが、私が中津に行たときはマダ年も若く、私より十三、四歳も下ですから、私は之を子供のように思い、且つ住居の家も近処で朝夕往来して交際は前年の通り、宗さん/\と云て親しくして居ましたが、元来この宗太郎の母は神官の家の妹で、その神官の倅即ち宗太郎の従兄に水戸学風の学者があって、宗太郎はその従兄を先生にして勉強したから中々エライ、その上に増田の家は年来堅固なる家風で、封建の武家としては一点も愧る所はない。宗太郎の実父は私の母の従兄ですから、私もその風采を知て居ますが、ソレハソレハ立派な侍と申して宜しい。この父母に養育せられた宗太郎が水戸学国学を勉強したとあれば、所謂尊攘家に違いはあるまい。ソコで私は今度中津に帰ても宗太郎をば乳臭の小児と思い、相替らず宗さん/\で待遇して居た処が、何ぞ料らん、この宗さんが胸に一物、恐ろしい事をたくらんで居て、そのニコ/\優しい顔をして私方に出入したのは全く探偵の為めであったと云う。扨探偵も届いたか、いよ/\今夜は福澤を片付けると云うので、忍び/\に動静を窺いに来た、田舎の事で外廻りの囲いもなければ戸締りもない、所が丁度その夜は私の処に客があって、その客は服部五郎兵衛と云う私の先進先生、至極磊落な人で、主客相対して酒を飲みながら談論は尽きぬ。その間宗太郎は外に立て居たが、十二時になっても寝そうにもしない、一時になっても寝そうにもしない、何時までも二人差向いで飲んで話をして居るので、余儀なくお罷めになったと云う。是れは私が大酒夜更しの功名ではない僥倖である。
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