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福翁自伝 / 大阪を去て江戸に行く・英学の友を求む(1)

そこで自分の一身は爾う定めた所で、是れは如何しても朋友がなくてはならぬ。私が自分で不便利を感ずる通りに、今の蘭学者は悉く不便を感じて居るに違いない。迚も今まで学だのは役に立たない。何でも朋友に相談をして見ようと斯う思うたが、この事も中々易くないと云うのは、その時の蘭学者全体の考は、私を始として皆、数年の間刻苦勉強した蘭学が役に立たないから、丸で之を棄てゝ仕舞て英学に移ろうとすれば、新に元の通りの苦みをもう一度しなければならぬ、誠に情ない、つらい話である、譬えば五年も三年も水練を勉強して漸く泳ぐことが出来るようになった所で、その水練を罷めて今度は木登りを始めようと云うのと同じ事で、以前の勉強が丸で空になると、斯う考えたものだから如何にも決断が六かしい。ソコデ学友の神田孝平に面会して、如何しても英語を遣ろうじゃないかと相談を掛けると、神田の云うに、イヤもう僕も疾うから考えて居て実は少し試みた。試みたが如何にも取付端がない。何処から取付て宜いか実に訳けが分らない。併し年月を経れば何か英書を読むと云う小口が立つに違いないが、今の処では何とも仕方がない。マア君達は元気が宜いから遣て呉れ、大抵方角が付くと僕も屹と遣るから、ダガ今の処では何分自分で遣ろうと思わないと云う。夫れから番町の村田造六(後に大村益次郎)の処へ行て、その通りに勧めた所が、是れは如何しても遣らぬと云う考で、神田とは丸で説が違う。「無益な事をするな。僕はそんな物は読まぬ。要らざる事だ。何もそんな困難な英書を辛苦して読むがものはないじゃないか。必要な書は皆和蘭人が飜訳するから、その飜訳書を読めばソレで沢山じゃないかと云う。「成程それも一説だが、けれども和蘭人が何も角も一々飜訳するものじゃない。僕は先頃横浜に行て呆れて仕舞た。この塩梅では迚も蘭学は役に立たぬ。

新字:そこで自分の一身は爾う定めた所で、是れは如何しても朋友がなくてはならぬ。私が自分で不便利を感ずる通りに、今の蘭学者は悉く不便を感じて居るに違いない。迚も今まで学だのは役に立たない。何でも朋友に相談をして見ようと斯う思うたが、この事も中々易くないと云うのは、その時の蘭学者全体の考は、私を始として皆、数年の間刻苦勉強した蘭学が役に立たないから、丸で之を棄てゝ仕舞て英学に移ろうとすれば、新に元の通りの苦みをもう一度しなければならぬ、誠に情ない、つらい話である、譬えば五年も三年も水練を勉強して漸く泳ぐことが出来るようになった所で、その水練を罷めて今度は木登りを始めようと云うのと同じ事で、以前の勉強が丸で空になると、斯う考えたものだから如何にも決断が六かしい。ソコデ学友の神田孝平に面会して、如何しても英語を遣ろうじゃないかと相談を掛けると、神田の云うに、イヤもう僕も疾うから考えて居て実は少し試みた。試みたが如何にも取付端がない。何処から取付て宜いか実に訳けが分らない。併し年月を経れば何か英書を読むと云う小口が立つに違いないが、今の処では何とも仕方がない。マア君達は元気が宜いから遣て呉れ、大抵方角が付くと僕も屹と遣るから、ダガ今の処では何分自分で遣ろうと思わないと云う。夫れから番町の村田造六(後に大村益次郎)の処へ行て、その通りに勧めた所が、是れは如何しても遣らぬと云う考で、神田とは丸で説が違う。「無益な事をするな。僕はそんな物は読まぬ。要らざる事だ。何もそんな困難な英書を辛苦して読むがものはないじゃないか。必要な書は皆和蘭人が翻訳するから、その翻訳書を読めばソレで沢山じゃないかと云う。「成程それも一説だが、けれども和蘭人が何も角も一々翻訳するものじゃない。僕は先頃横浜に行て呆れて仕舞た。この塩梅では迚も蘭学は役に立たぬ。

書き下し

そこで自分の一身は爾う定めた所で、是れは如何しても朋友がなくてはならぬ。私が自分で不便利を感ずる通りに、今の蘭学者は悉く不便を感じて居るに違いない。迚も今まで学だのは役に立たない。何でも朋友に相談をして見ようと斯う思うたが、この事も中々易くないと云うのは、その時の蘭学者全体の考は、私を始として皆、数年の間刻苦勉強した蘭学が役に立たないから、丸で之を棄てゝ仕舞て英学に移ろうとすれば、新に元の通りの苦みをもう一度しなければならぬ、誠に情ない、つらい話である、譬えば五年も三年も水練を勉強して漸く泳ぐことが出来るようになった所で、その水練を罷めて今度は木登りを始めようと云うのと同じ事で、以前の勉強が丸で空になると、斯う考えたものだから如何にも決断が六かしい。ソコデ学友の神田孝平に面会して、如何しても英語を遣ろうじゃないかと相談を掛けると、神田の云うに、イヤもう僕も疾うから考えて居て実は少し試みた。試みたが如何にも取付端がない。何処から取付て宜いか実に訳けが分らない。併し年月を経れば何か英書を読むと云う小口が立つに違いないが、今の処では何とも仕方がない。マア君達は元気が宜いから遣て呉れ、大抵方角が付くと僕も屹と遣るから、ダガ今の処では何分自分で遣ろうと思わないと云う。夫れから番町の村田造六(後に大村益次郎)の処へ行て、その通りに勧めた所が、是れは如何しても遣らぬと云う考で、神田とは丸で説が違う。「無益な事をするな。僕はそんな物は読まぬ。要らざる事だ。何もそんな困難な英書を辛苦して読むがものはないじゃないか。必要な書は皆和蘭人が飜訳するから、その飜訳書を読めばソレで沢山じゃないかと云う。「成程それも一説だが、けれども和蘭人が何も角も一々飜訳するものじゃない。僕は先頃横浜に行て呆れて仕舞た。この塩梅では迚も蘭学は役に立たぬ。

現代語訳

そこで、自分の身の振り方はそのように決めたものの、これはどうしても仲間がいなければなりません。私が自分で不便を感じているのと同じように、今の蘭学者はみな不便を感じているに違いありません。これまで学んだものはとても役に立たない。何としても友人に相談してみようと思いましたが、これもなかなか簡単ではありません。というのは、そのときの蘭学者全体の考えは、私を含めて皆、数年のあいだ苦労して勉強した蘭学が役に立たないからといって、すっかり捨てて英学に移ろうとすれば、新たに元と同じ苦労をもう一度しなければならず、まことに情けなく、つらい話だ、というものでした。たとえば、五年も三年も水泳を習ってやっと泳げるようになったところで、その水泳をやめて今度は木登りを始めようというのと同じことで、以前の勉強がまるで無になる、そう考えたものですから、決断がなんとも難しいのです。 そこで学友の神田孝平に会い、どうしても英語をやろうではないかと相談をもちかけると、神田が言うには、「いやもう、僕もとうから考えていて、実は少し試みてみた。試みたが、どうにも取りつく端がない。どこから取りついてよいのか、まったく見当がつかない。しかし年月がたてば、何か英書を読むきっかけはきっとできるに違いない。だが今のところは何とも仕方がない。まあ君たちは元気がいいからやってくれ。だいたいの方角がついたら、僕もきっとやる。ただ今のところは、とても自分でやろうとは思わない」というのでした。 それから番町の村田造六(のちの大村益次郎)のところへ行って、同じように勧めたところ、これはどうしてもやらぬという考えで、神田とはまるで説が違います。「無益なことをするな。僕はそんなものは読まぬ。要らないことだ。そんな困難な英書を苦労して読むことはないじゃないか。必要な書はみなオランダ人が翻訳するから、その翻訳書を読めばそれで十分じゃないか」と言います。「なるほどそれも一つの説だが、しかしオランダ人が何もかも一つ一つ翻訳するわけではない。僕は先ごろ横浜に行ってあきれてしまった。この様子ではとても蘭学は役に立たない。

解説

蘭学から英学へ。福沢がまず直面したのは語学そのものより、仲間の説得という壁でした。水泳を捨てて木登りを始めるようなものという比喩は、積み上げた経験を手放す痛みをよく表しています。神田孝平は様子見、村田造六(のちの大村益次郎)は翻訳で足りると反対と、同じ蘭学者でも反応は割れました。時は幕末、横浜開港で英語が通商の言葉になった時期です。現代の仕事でも、既存の技能が通用しなくなったとき、慣れた道を守る人と動く人に分かれます。反対の理由は合理的に聞こえるので、なおさら難しい場面です。

この章句が説くこと

蘭学英学水練と木登り神田孝平村田造六サンクコスト

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