福翁自伝 / 大阪を去て江戸に行く・英学の友を求む(2)
是非英書を読まなくてはならぬではないかと勧むれども、村田は中々同意せず、「イヤ読まぬ。僕は一切読まぬ。遣るなら君達は遣り給え。僕は必要があれば蘭人の飜訳したのを読むから構わぬと威張て居る。是れは迚も仕方がないと云うので今度は小石川に居る原田敬策にその話をすると、原田は極熱心で、何でも遣ろう。誰がどう云うても構わぬ。是非遣ろうと云うから、「爾うか、ソレは面白い。そんなら二人で遣ろう。どんな事があっても遣遂げようではないかと云うので、原田とは極説が合うて、愈よ英書を読むと云う時に、長崎から来て居た小供があって、その小供が英語を知て居ると云うので、そんな小供を呼で来て発音を習うたり、又或は漂流人で折節帰るものがある、長く彼方へ漂流して居た者が、開国になって船の便があるものだから、折節帰る者があるから、そんな漂流人が着くとその宿屋に訪ねて行て聞たこともある。その時に英学で一番六かしいと云うのは発音で、私共は何もその意味を学ぼうと云うのではない、只スペルリングを学ぶのであるから、小供でも宜ければ漂流人でも構わぬ、爾う云う者を捜し廻ては学んで居ました。始めは先ず英文を蘭文に飜訳することを試み、一字々々字を引てソレを蘭文に書直せば、ちゃんと蘭文になって文章の意味を取ることに苦労はない。唯その英文の語音を正しくするのに苦んだが、是れも次第に緒が開けて来れば夫れはどの難渋でもなし、詰る処は最初私共が蘭学を棄てゝ英学に移ろうとするときに、真実に蘭学を棄てゝ仕舞い、数年勉強の結果を空うして生涯二度の艱難辛苦と思いしは大間違の話で、実際を見れば蘭と云い英と云うも等しく横文にして、その文法も略相同じければ、蘭書読む力は自から英書にも適用して決して無益でない。水を泳ぐと木に登ると全く別のように考えたのは一時の迷であったと云うことを発明しました。
新字:是非英書を読まなくてはならぬではないかと勧むれども、村田は中々同意せず、「イヤ読まぬ。僕は一切読まぬ。遣るなら君達は遣り給え。僕は必要があれば蘭人の翻訳したのを読むから構わぬと威張て居る。是れは迚も仕方がないと云うので今度は小石川に居る原田敬策にその話をすると、原田は極熱心で、何でも遣ろう。誰がどう云うても構わぬ。是非遣ろうと云うから、「爾うか、ソレは面白い。そんなら二人で遣ろう。どんな事があっても遣遂げようではないかと云うので、原田とは極説が合うて、愈よ英書を読むと云う時に、長崎から来て居た小供があって、その小供が英語を知て居ると云うので、そんな小供を呼で来て発音を習うたり、又或は漂流人で折節帰るものがある、長く彼方へ漂流して居た者が、開国になって船の便があるものだから、折節帰る者があるから、そんな漂流人が着くとその宿屋に訪ねて行て聞たこともある。その時に英学で一番六かしいと云うのは発音で、私共は何もその意味を学ぼうと云うのではない、只スペルリングを学ぶのであるから、小供でも宜ければ漂流人でも構わぬ、爾う云う者を捜し廻ては学んで居ました。始めは先ず英文を蘭文に翻訳することを試み、一字々々字を引てソレを蘭文に書直せば、ちゃんと蘭文になって文章の意味を取ることに苦労はない。唯その英文の語音を正しくするのに苦んだが、是れも次第に緒が開けて来れば夫れはどの難渋でもなし、詰る処は最初私共が蘭学を棄てゝ英学に移ろうとするときに、真実に蘭学を棄てゝ仕舞い、数年勉強の結果を空うして生涯二度の艱難辛苦と思いしは大間違の話で、実際を見れば蘭と云い英と云うも等しく横文にして、その文法も略相同じければ、蘭書読む力は自から英書にも適用して決して無益でない。水を泳ぐと木に登ると全く別のように考えたのは一時の迷であったと云うことを発明しました。
書き下し
是非英書を読まなくてはならぬではないかと勧むれども、村田は中々同意せず、「イヤ読まぬ。僕は一切読まぬ。遣るなら君達は遣り給え。僕は必要があれば蘭人の飜訳したのを読むから構わぬと威張て居る。是れは迚も仕方がないと云うので今度は小石川に居る原田敬策にその話をすると、原田は極熱心で、何でも遣ろう。誰がどう云うても構わぬ。是非遣ろうと云うから、「爾うか、ソレは面白い。そんなら二人で遣ろう。どんな事があっても遣遂げようではないかと云うので、原田とは極説が合うて、愈よ英書を読むと云う時に、長崎から来て居た小供があって、その小供が英語を知て居ると云うので、そんな小供を呼で来て発音を習うたり、又或は漂流人で折節帰るものがある、長く彼方へ漂流して居た者が、開国になって船の便があるものだから、折節帰る者があるから、そんな漂流人が着くとその宿屋に訪ねて行て聞たこともある。その時に英学で一番六かしいと云うのは発音で、私共は何もその意味を学ぼうと云うのではない、只スペルリングを学ぶのであるから、小供でも宜ければ漂流人でも構わぬ、爾う云う者を捜し廻ては学んで居ました。始めは先ず英文を蘭文に飜訳することを試み、一字々々字を引てソレを蘭文に書直せば、ちゃんと蘭文になって文章の意味を取ることに苦労はない。唯その英文の語音を正しくするのに苦んだが、是れも次第に緒が開けて来れば夫れはどの難渋でもなし、詰る処は最初私共が蘭学を棄てゝ英学に移ろうとするときに、真実に蘭学を棄てゝ仕舞い、数年勉強の結果を空うして生涯二度の艱難辛苦と思いしは大間違の話で、実際を見れば蘭と云い英と云うも等しく横文にして、その文法も略相同じければ、蘭書読む力は自から英書にも適用して決して無益でない。水を泳ぐと木に登ると全く別のように考えたのは一時の迷であったと云うことを発明しました。
現代語訳
ぜひ英書を読まなくてはならないではないかと勧めても、村田はなかなか同意せず、「いや読まぬ。僕は一切読まぬ。やるなら君たちはやりたまえ。僕は必要があればオランダ人の翻訳したものを読むから構わぬ」と威張っています。これはとても仕方がないというので、今度は小石川にいる原田敬策にその話をすると、原田はたいへん熱心で、「何でもやろう。誰がどう言おうと構わぬ。ぜひやろう」と言います。「そうか、それは面白い。それなら二人でやろう。どんなことがあってもやり遂げようではないか」ということになり、原田とはよく意見が合いました。いよいよ英書を読むというときに、長崎から来ていた子供が英語を知っているというので、そんな子供を呼んできて発音を習いました。また、漂流人がときどき帰ってくることがありました。長く向こうに漂流していた者が、開国になって船の便ができたので、ときどき帰ってくるのです。そういう漂流人が着くと、その宿屋を訪ねて行って話を聞いたこともあります。そのとき、英学でいちばん難しいのは発音で、私たちは意味を学ぼうというのではなく、ただスペリングを学ぶのでしたから、子供でも漂流人でも構わないと、そういう人を探し回って学んでいました。 始めはまず英文を蘭文に翻訳することを試みました。一字一字辞書を引いてそれを蘭文に書き直せば、ちゃんと蘭文になり、文章の意味をとるのに苦労はありません。ただ英文の発音を正しくするのに苦しみましたが、これも次第に糸口が開けてくると、それほどの難しさでもなくなりました。つまるところ、最初に私たちが蘭学を捨てて英学に移ろうとするとき、本当に蘭学をすっかり捨ててしまい、数年勉強した成果を無にして、生涯に二度の艱難辛苦をするのだと思ったのは、大間違いでした。実際を見れば、蘭といい英といってもどちらも同じ横文字で、その文法もほぼ同じですから、蘭書を読む力は自然と英書にも適用でき、決して無益ではありません。水泳と木登りがまったく別のもののように考えたのは、一時の迷いだったということを発見しました。
解説
この章句が説くこと
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福翁自伝・大阪を去て江戸に行く・英学の友を求む(1)そこで自分の一身は爾う定めた所で、是れは如何しても朋友がなくてはならぬ。私が自分で不便利を感ずる通りに、今の蘭学者は悉く不便を感じて居るに違いない。迚も今まで学だのは役に立たない。何でも朋友に相談をして見ようと斯う思うたが、この事も中々易くないと云うのは、その時の蘭学者全体の考は、私を始として皆、数年の間刻苦勉強した蘭学が役に立たないから、丸で之を棄てゝ仕舞て英学に移ろうとすれば、新に元の通りの苦みをもう一度しなければならぬ、誠に情ない、つらい話である、譬えば五年も三年も水練を勉強して漸く泳ぐことが出来るようになった所で、その水練を罷めて今度は木登りを始めようと云うのと同じ事で、以前の勉強が丸で空になると、斯う考えたものだから如何にも決断が六かしい。ソコデ学友の神田孝平に面会して、如何しても英語を遣ろうじゃないかと相談を掛けると、神田の云うに、イヤもう僕も疾うから考えて居て実は少し試みた。試みたが如何にも取付端がない。何処から取付て宜いか実に訳けが分らない。併し年月を経れば何か英書を読むと云う小口が立つに違いないが、今の処では何とも仕方がない。マア君達は元気が宜いから遣て呉れ、大抵方角が付くと僕も屹と遣るから、ダガ今の処では何分自分で遣ろうと思わないと云う。夫れから番町の村田造六(後に大村益次郎)の処へ行て、その通りに勧めた所が、是れは如何しても遣らぬと云う考で、神田とは丸で説が違う。「無益な事をするな。僕はそんな物は読まぬ。要らざる事だ。何もそんな困難な英書を辛苦して読むがものはないじゃないか。必要な書は皆和蘭人が飜訳するから、その飜訳書を読めばソレで沢山じゃないかと云う。「成程それも一説だが、けれども和蘭人が何も角も一々飜訳するものじゃない。僕は先頃横浜に行て呆れて仕舞た。この塩梅では迚も蘭学は役に立たぬ。
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福翁自伝・大阪を去て江戸に行く・小石川に通う横浜から帰て、私は足の疲れではない、実に落胆して仕舞た。是れは/\どうも仕方がない、今まで数年の間、死物狂いになって和蘭の書を読むことを勉強した、その勉強したものが、今は何にもならない、商売人の看板を見ても読むことが出来ない、左りとは誠に詰らぬ事をしたわいと、実に落胆して仕舞た。けれども決して落胆して居られる場合でない。彼処に行れて居る言葉、書いてある文字は、英語か仏語に相違ない。所で今世界に英語の普通に行れて居ると云うことは予て知て居る。何でもあれは英語に違いない、今我国は条約を結んで開けかゝって居る、左すればこの後は英語が必要になるに違いない、洋学者として英語を知らなければ迚も何にも通ずることが出来ない、この後は英語を読むより外に仕方がないと、横浜から帰た翌日だ、一度は落胆したが同時に又新に志を発して、夫れから以来は一切万事英語と覚悟を極めて、扨その英語を学ぶと云うことに就て如何して宜か取付端がない。江戸中に何処で英語を教えて居ると云う所のあろう訳けもない。けれども段々聞て見ると、その時に条約を結ぶと云うが為めに、長崎の通詞の森山多吉郎と云う人が、江戸に来て幕府の御用を勤めて居る。その人が英語を知て居ると云う噂を聞出したから、ソコで森山の家に行て習いましょうと斯う思うて、その森山と云う人は小石川の水道町に住居して居たから、早速その家に行て英語教授の事を頼入ると、森山の云うに、昨今御用が多くて大変に忙しい、けれども折角習おうと云うならば教えて進ぜよう、就ては毎日出勤前、朝早く来いと云うことになって、その時私は鉄砲洲に住て居て、鉄砲洲から小石川まで頓て二里余もありましょう、毎朝早く起きて行く。所が今日はもう出勤前だから又明朝来て呉れ、明くる朝早く行くと、人が来て居て行かないと云う。如何しても教えて呉れる暇がない。ソレは森山の不親切と云う訳けではない、条約を結ぼうと云う時だから中々忙くて実際に教える暇がありはしない。そうすると、こんなに毎朝来て何も教えることが出来んでは気の毒だ、晩に来て呉れぬかと云う。ソレじゃ晩に参りましょうと云て、今度は日暮から出掛けて行く。あの往来は丁度今の神田橋一橋外の高等商業学校のある辺で、素と護持院ヶ原と云う大きな松の樹などが生繁って居る恐ろしい淋しい処で、追剥でも出そうな処だ。其処を小石川から帰途に夜の十一時十二時ごろ通る時の怖さと云うものは今でも能く覚えて居る。所がこの夜稽古も矢張り同じ事で、今晩は客がある、イヤ急に外国方(外務省)から呼びに来たから出て行かなければならぬと云うような訳けで、頓と仕方がない。凡そ其処に二月か三月通うたけれども、どうにも暇がない。迚もこんな事では何も覚えることも出来ない。加うるに森山と云う先生も何も英語を大層知て居る人ではない、漸く少し発音を心得て居ると云う位。迚も是れは仕方ないと、余儀なく断念。
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福翁自伝・大阪を去て江戸に行く・蕃書調所に入門その前に私が横浜に行た時にキニツフルの店で薄い蘭英会話書を二冊買て来た。ソレを独で読とした所で字書がない。英蘭対訳の字書があれば先生なしで自分一人で解することが出来るから、どうか字書を欲いものだと云た所で横浜に字書などを売る処はない。何とも仕方がない。所がその時に九段下に蕃書調所と云う幕府の洋学校がある。其処には色々な字書があると云うことを聞出したから、如何かしてその字書を借りたいものだ、借りるには入門しなければならぬ、けれども藩士が出抜けに公儀(幕府)の調所に入門したいと云ても許すものでない、藩士の入門願にはその藩の留守居と云うものが願書に奥印をして然る後に入門を許すと云う。夫れから藩の留守居の処に行て奥印の事を頼み、私はを着て蕃書調所に行て入門を願うた。その時には箕作麟祥のお祖父さんの箕作阮甫と云う人が調所の頭取で、早速入門を許して呉れて、入門すれば字書を借ることが出来る。直に拝借を願うて、英蘭対訳の字書を手に請取て、通学生の居る部屋があるから其処で暫く見て、夫れから懐中の風呂敷を出してその字書を包で帰ろうとすると、ソレはならぬ、此処で見るならば許して苦しくないが、家に持帰ることは出来ませぬと、その係の者が云う。こりゃ仕方がない、鉄砲洲から九段阪下まで毎日字引を引きに行くと云うことは迚も間に合ぬ話だ。ソレも漸く入門してたった一日行た切で断念。 扨如何したら宜かろうかと考えた。所で段々横浜に行く商人がある。何か英蘭対訳の字書はないかと頼んで置た所が、ホルトロツプと云う英蘭対訳発音付の辞書一部二冊物がある。誠に小さな字引だけれども価五両と云う。夫れから私は奥平の藩に歎願して買取て貰て、サアもう是れで宜しい、この字引さえあればもう先生は要らないと、自力研究の念を固くして、唯その字引と首引で、毎日毎夜独り勉強、又或は英文の書を蘭語に飜訳して見て、英文に慣れる事ばかり心掛けて居ました。
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福翁自伝・始めて亜米利加に渡る・幕府に雇わる亜米利加から帰てから塾生も次第に増して相替らず教授して居る中に、私は亜米利加渡航を幸に彼の国人に直接して英語ばかり研究して、帰てからも出来るだけ英書を読むようにして、生徒の教授にも蘭書は教えないで悉く英書を教える。所がマダなか/\英書が六かしくて自由自在に読めない。読めないから便る所は英蘭対訳の字書のみ。教授とは云いながら、実は教うるが如く学ぶが如く、共に勉強して居る中に、私は幕府の外国方(今で云えば外務省)に雇われた。その次第は外国の公使領事から政府の閣老又は外国奉行へ差出す書翰を飜訳する為めである。当時の日本に英仏等の文を読む者もなければ書く者もないから、諸外国の公使領事より来る公文には必ず和蘭の飜訳文を添うるの慣例にてありしが、幕府人に横文字読む者とては一人もなく、止むを得ず吾々如き陪臣(大名の家来)の蘭書読む者を雇うて用を弁じたことであるが、雇われたに就ては自から利益のあると云うのは、例えば英公使、米公使と云うような者から来る書翰の原文が英文で、ソレに和蘭の訳文が添うてある。如何かしてこの飜訳文を見ずに直接に英文を飜訳してやりたいものだと思て試みる、試みて居る間に分らぬ処がある、分らぬと蘭訳文を見る、見ると分ると云うような訳けで、なか/\英文研究の為めになりました。ソレからもう一つには幕府の外務省には自から書物がある、種々様々な英文の原書がある。役所に出て居て読むのは勿論、借りて自家へ持て来ることも出来るから、ソンな事で幕府に雇われたのは身の為めに大に便利になりました。
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福翁自伝・大阪修業兄の申すことには私も逆らうことが出来ず、大阪に足を止めまして、緒方先生の塾に入門したのは安政二年卯歳の三月でした。その前長崎に居る時には勿論蘭学の稽古をしたので、その稽古をした所は楢林と云う和蘭通詞の家、同じく楢林と云う医者の家、それから石川桜所と云う蘭法医師、この人は長崎に開業して居て立派な門戸を張て居る大家であるから、中々入門することは出来ない。ソコで其処の玄関に行て調合所の人などに習って居たので、爾う云うように彼方此方にちょい/\と教えて呉れるような人があれば其処へ行く。何処の何某に便り誰の門人になってミッチリ蘭書を読だと云うことはないので、ソコで大阪に来て緒方に入門したのは是れが本当に蘭学修業の始まり、始めて規則正しく書物を教えて貰いました。その時にも私は学業の進歩が随分速くて、塾中には大勢書生があるけれども、その中ではマア出来の宜い方であったと思う。
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福翁自伝・緒方の塾風・原本写本会読の法それから塾で修行するその時の仕方は如何云う塩梅であったかと申すと、先ず始めて塾に入門した者は何も知らぬ。何も知らぬ者に如何して教えるかと云うと、その時江戸で飜刻になって居る和蘭の文典が二冊ある。一をガランマチカと云い、一をセインタキスと云う。初学の者には先ずそのガランマチカを教え、素読を授る傍に講釈をもして聞かせる。之を一冊読了るとセインタキスを又その通にして教える。如何やら斯うやら二冊の文典が解せるようになった所で会読をさせる。会読と云うことは生徒が十人なら十人、十五人なら十五人に会頭が一人あって、その会読するのを聞て居て、出来不出来に依て白玉を附けたり黒玉を付けたりすると云う趣向で、ソコで文典二冊の素読も済めば講釈も済み会読も出来るようになると、夫れから以上は専ら自身自力の研究に任せることにして、会読本の不審は一字半句も他人に質問するを許さず、又質問を試みるような卑劣な者もない。緒方の塾の蔵書と云うものは物理書と医書とこの二種類の外に何もない。ソレモ取集めて僅か十部に足らず、固より和蘭から舶来の原書であるが、一種類唯一部に限ってあるから、文典以上の生徒になれば如何してもその原書を写さなくてはならぬ。銘々に写して、その写本を以て毎月六才位会読をするのであるが、之を写すに十人なら十人一緒に写す訳けに行かないから、誰が先に写すかと云うことは籤で定めるので、扨その写しようは如何すると云うに、その時には勿論洋紙と云うものはない、皆日本紙で、紙を能く磨て真書で写す。それはどうも埓が明かないから、その紙に礬水をして、夫れから筆は鵞筆で以て写すのが先ず一般の風であった。その鵞筆と云うのは如何云うものであるかと云うと、その時大阪の薬種屋か何かに、鶴か雁かは知らぬが、三寸ばかりに切た鳥の羽の軸を売る所が幾らもある。是れは鰹の釣道具にするものとやら聞て居た。価は至極安い物で、それを買て、磨澄ました小刀で以てその軸をペンのように削って使えば役に立つ。夫れから墨も西洋インキのあられよう訳けはない。日本の墨壺と云うのは、磨た墨汁を綿か毛氈の切布に浸して使うのであるが、私などが原書の写本に用うるのは、只墨を磨たまゝ墨壺の中に入れて今日のインキのようにして貯えて置きます。斯う云う次第で、塾中誰でも是非写さなければならぬから写本は中々上達して上手である。一例を挙ぐれば、一人の人が原書を読むその傍で、その読む声がちゃんと耳に這入て、颯々と写してスペルを誤ることがない。斯う云う塩梅に読むと写すと二人掛りで写したり、又一人で原書を見て写したりして、出来上れば原書を次の人に廻す。その人が写丁ると又その次の人が写すと云うように順番にして、一日の会読分は半紙にして三枚か或は四、五枚より多くはない。
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