福翁自伝 / 緒方の塾風・漢家を敵視す
若しも真実その苦学の目的如何なんて問う者あるも、返答は唯漠然たる議論ばかり。医師の塾であるから政治談は余り流行せず、国の開鎖論を云えば固より開国なれども、甚だしく之を争う者もなく、唯当の敵は漢法医で、医者が憎ければ儒者までも憎くなって、何でも蚊でも支那流は一切打払いと云うことは何処となく定まって居たようだ。儒者が経史の講釈しても聴聞しようと云う者もなく、漢学書生を見れば唯可笑しく思うのみ。殊に漢医書生は之を笑うばかりでなく之を罵詈して少しも許さず、緒方塾の近傍、中ノ島に花岡と云う漢医の大家があって、その塾の書生は孰れも福生と見え服装も立派で、中々以て吾々蘭学生の類でない。毎度往来に出逢うて、固より言葉も交えず互に睨合うて行違うその跡で、「彼の様ァ如何だい。着物ばかり奇麗で何をして居るんだ。空々寂々チンプンカンの講釈を聞て、その中で古く手垢の附てる奴が塾長だ。こんな奴等が二千年来垢染みた傷寒論を土産にして、国に帰て人を殺すとは恐ろしいじゃないか。今に見ろ、彼奴等を根絶やしにして呼吸の音を止めて遣るからなんてワイ/\云たのは毎度の事であるが、是れとても此方に如斯と云う成算も何もない。唯漢法医流の無学無術を罵倒して蘭学生の気焔を吐くばかりの事である。
書き下し
若しも真実その苦学の目的如何なんて問う者あるも、返答は唯漠然たる議論ばかり。医師の塾であるから政治談は余り流行せず、国の開鎖論を云えば固より開国なれども、甚だしく之を争う者もなく、唯当の敵は漢法医で、医者が憎ければ儒者までも憎くなって、何でも蚊でも支那流は一切打払いと云うことは何処となく定まって居たようだ。儒者が経史の講釈しても聴聞しようと云う者もなく、漢学書生を見れば唯可笑しく思うのみ。殊に漢医書生は之を笑うばかりでなく之を罵詈して少しも許さず、緒方塾の近傍、中ノ島に花岡と云う漢医の大家があって、その塾の書生は孰れも福生と見え服装も立派で、中々以て吾々蘭学生の類でない。毎度往来に出逢うて、固より言葉も交えず互に睨合うて行違うその跡で、「彼の様ァ如何だい。着物ばかり奇麗で何をして居るんだ。空々寂々チンプンカンの講釈を聞て、その中で古く手垢の附てる奴が塾長だ。こんな奴等が二千年来垢染みた傷寒論を土産にして、国に帰て人を殺すとは恐ろしいじゃないか。今に見ろ、彼奴等を根絶やしにして呼吸の音を止めて遣るからなんてワイ/\云たのは毎度の事であるが、是れとても此方に如斯と云う成算も何もない。唯漢法医流の無学無術を罵倒して蘭学生の気焔を吐くばかりの事である。
現代語訳
もし本当にその苦学の目的はどうなのかと問う者があっても、返答はただ漠然とした議論ばかりです。医師の塾ですから政治談はあまり流行せず、国の開国鎖国論を言えば、もとより開国ですが、甚だしくこれを争う者もなく、ただ当の敵は漢方医で、医者が憎ければ儒者までも憎くなって、何でも彼でも支那流は一切打ち払いということが、どことなく決まっていたようです。儒者が経書や史書の講釈をしても聴聞しようという者もなく、漢学書生を見ればただ可笑しく思うのみ。ことに漢方医の書生は、これを笑うばかりでなく罵って、少しも許さず、緒方塾の近所、中之島に花岡という漢方医の大家があって、その塾の書生はいずれも裕福な家の子と見え、服装も立派で、なかなか我々蘭学生の類ではありません。たびたび往来で出会い、もとより言葉も交わさず、互いに睨み合って行き違うその後で、「あの様はどうだい。着物ばかりきれいで何をしているんだ。空々寂々のちんぷんかんぷんの講釈を聞いて、その中で古く手垢のついた奴が塾長だ。こんな奴らが二千年来垢染みた傷寒論を土産にして、国に帰って人を殺すとは恐ろしいじゃないか。今に見ろ、あいつらを根絶やしにして息の根を止めてやるから」などとワイワイ言ったのはたびたびのことですが、これとても、こちらにそうするという成算も何もない。ただ漢方医流の無学無術を罵倒して、蘭学生の気焔を吐くばかりのことです。
解説
この章句が説くこと
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『呻吟語』内篇・應務・五に主有れば則ち事成らざる無し意見の同じからざればなり。今仁者・義者・禮者・智者・信者の五人有りて一事を共にせば、五相濟せば則ち事成らざる無く、五に主有れば則ち事敗れざる無し。仁者は寬を欲し、義者は嚴を欲し、智者は巧を欲し、信者は實を欲し、禮者は文を欲す。事胡ぞ以て成らんや。此れ他無し、自ら是とするの心勝ちて、相持するの勢均しければなり。往事を歷觀するに、每に意見を以て相爭ひ、人の國家を亡ぼすに至り、禍變を釀成して顧みざる有り。君子の罪大なるかな。
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『墨子』尚同下然らば下の情を得るを計るに將に奈何せば可ならんとするか。故に子墨子曰く、「唯だ能く尚同一義を以て政を為して、然る後に可なり。何を以て尚同一義の可にして天下に政を為すを知るや。然らば胡ぞ古の治めて政を為すの説を審らかに稽えざるや。古者、天の始めて民を生ずるや、未だ正長有らざるなり。百姓、政を為す。若し茍くも百姓、政を為さば、是れ一人一義、十人十義、百人百義、千人千義なり。人の衆きこと勝げて計う可からざるに逮び至れば、則ち其の義と謂う所の者も、亦た勝げて計う可からず。此れ皆な其の義を是として、人の義を非とす。是を以て厚き者は鬬有り、而して薄き者は争有り。是の故に天下の一天下の義を同じくせんと欲するなり。是の故に賢者を選擇し、立てて天子と為す。
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『呻吟語』外篇・品藻・人の相ひ病むこと終已無し中庸の道明らかならざるより、人の相ひ病むこと終已無し。狷介の人は和易なる者を病みて熟軟と為し、和易の人は狷介なる者を病みて乖戾と為す。率真の人は慎密なる者を病みて深險と為し、慎密の人は率真なる者を病みて粗疏と為す。精明の人は渾厚なる者を病みて含糊と為し、渾厚の人は精明なる者を病みて苛刻と為す。之を孔子に質さしめば、吾其の必ず公案有るを知る。孔子なる者は、千聖を一身に合し、萬善を一心に萃め、事に隨ひて時に之を出だし、人に因りて之を通變す。
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易経・彖伝睽(けい)は、火動きて上り、沢動きて下る。二女同居して、其の志行を同じくせず。説(よろこ)びて明に麗(つ)き、柔進みて上行し、中を得て剛に応ず。是を以て小事に吉なり。天地睽(そむ)きて其の事同じきなり。男女睽きて其の志通ずるなり。万物睽きて其の事類するなり。睽の時用大なるかな。
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『春秋左氏伝』襄公三十年 伯有侈りて愎る三十年春王正月、楚子、薳罷をして來聘せしむ。嗣君を通ずるなり。穆叔、王子の政を為すこと何如と問ふ。對へて曰く、「吾儕(わがともがら)小人は、食みて事を聽く。猶ほ命に給せずして戾を免れざるを懼る。焉んぞ政を知るに與らん」と。固く問ふ。告げず。穆叔、大夫に告げて曰く、「楚の令尹、將に大事有らんとす。子蕩將に焉に與らんとす。之が情を匿すを助く」と。子產、鄭伯を相けて以て晉に如く。叔向、鄭國の政を問ふ。對へて曰く、「吾見るを得るや否やは、此の歲に在り。駟・良方に爭ふ。未だ成る所を知らず。若し成る所有らば、吾見るを得て、乃ち知るべきなり」と。叔向曰く、「既に和せずや」と。對へて曰く、「伯有は侈にして愎(もと)り、子皙は好んで人の上に在り。能く相下る莫し。其の和すと雖も、猶ほ相惡を積むなり。惡の至ること日無からん」と。
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『墨子』節葬下今、昔者の三代の聖王の既に沒せしに逮び至りて、天下、義を失う。後世の君子、或いは厚葬久喪を以て仁と為し、義と為し、孝子の事と為す。或いは厚葬久喪を以て仁義に非ず、孝子の事に非ずと為す。曰く、二子なる者は、言は則ち相い非とし、行いは即ち相い反す。皆な曰く、「吾れ上は堯舜禹湯文武の道を祖述する者なり」と。而も言は即ち相い非とし、行いは即ち相い反す。此に於て後世の君子、皆な二子なる者の言に疑惑す。
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