福翁自伝 / 緒方の塾風・工芸伎術に熱心(3)
製薬の事に就ても奇談がある。或るとき硫酸を造ろうと云うので、様々大骨折て不完全ながら色の黒い硫酸が出来たから、之を精製して透明にしなければならぬと云うので、その日は先ず茶碗に入れて棚の上に上げて置た処が、鶴田仙庵が自分で之を忘れて、何かの機にその茶椀を棚から落して硫酸を頭から冠り、身体に左までの径我はなかったが、丁度旧暦四月の頃で一枚の袷をヅタ/″\にした事がある。
書き下し
製薬の事に就ても奇談がある。或るとき硫酸を造ろうと云うので、様々大骨折て不完全ながら色の黒い硫酸が出来たから、之を精製して透明にしなければならぬと云うので、その日は先ず茶碗に入れて棚の上に上げて置た処が、鶴田仙庵が自分で之を忘れて、何かの機にその茶椀を棚から落して硫酸を頭から冠り、身体に左までの径我はなかったが、丁度旧暦四月の頃で一枚の袷をヅタ/″\にした事がある。
現代語訳
製薬のことについても奇談があります。あるとき、硫酸を造ろうというので、さまざまに大骨を折って、不完全ながら色の黒い硫酸ができたので、これを精製して透明にしなければならないというので、その日はとりあえず茶碗に入れて棚の上に上げておいたところ、鶴田仙庵が自分でこれを忘れ、何かの拍子にその茶碗を棚から落として、硫酸を頭からかぶりました。体に大した怪我はありませんでしたが、ちょうど旧暦四月のころで、着ていた一枚の袷をずたずたにしたことがあります。
解説
自作の硫酸を茶碗に入れて棚に置いたまま忘れ、落として頭からかぶった鶴田仙庵の失敗です。幸い体の怪我は軽く、袷がぼろぼろになっただけで済みましたが、一歩間違えば大事故でした。危険物を適切に保管せず、容器も表示もなく放置するという、初歩的な管理の欠如が事故を招いています。研究や製造の現場で、熱意が先行して安全が後回しになる例は現代でもあります。福沢は笑い話として語りますが、結果の軽さは偶然であったという事実を見逃さない必要があります。
この章句が説くこと
硫酸鶴田仙庵事故安全管理製薬失敗
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