福翁自伝 / 緒方の塾風・塾生の勉強(2)
それから緒方の塾に這入てからも私は自分の身に覚えがある。夕方食事の時分に若し酒があれば酒を飲で初更に寝る。一寝して目が覚ると云うのが今で云えば十時か十時過、それからヒョイと起きて書を読む。夜明まで書を読んで居て、台所の方で塾の飯炊がコト/\飯を焚く仕度をする音が聞えると、それを相図に又寝る。寝て丁度飯の出来上った頃起きて、その儘湯屋に行て朝湯に這入て、それから塾に帰て朝飯を給べて又書を読むと云うのが、大抵緒方の塾に居る間殆んど常極りであった。勿論衛生などゝ云うことは頓と構わない。全体は医者の塾であるから衛生論も喧しく言いそうなものであるけれども、誰も気が付かなかったのか或は思出さなかったのか、一寸でも喧しく云たことはない。それで平気で居られたと云うのは、考えて見れば身体が丈夫であったのか、或は又衛生々々と云うようなことを無闇に喧しく云えば却て身体が弱くなると思て居たのではないかと思われる。
書き下し
それから緒方の塾に這入てからも私は自分の身に覚えがある。夕方食事の時分に若し酒があれば酒を飲で初更に寝る。一寝して目が覚ると云うのが今で云えば十時か十時過、それからヒョイと起きて書を読む。夜明まで書を読んで居て、台所の方で塾の飯炊がコト/\飯を焚く仕度をする音が聞えると、それを相図に又寝る。寝て丁度飯の出来上った頃起きて、その儘湯屋に行て朝湯に這入て、それから塾に帰て朝飯を給べて又書を読むと云うのが、大抵緒方の塾に居る間殆んど常極りであった。勿論衛生などゝ云うことは頓と構わない。全体は医者の塾であるから衛生論も喧しく言いそうなものであるけれども、誰も気が付かなかったのか或は思出さなかったのか、一寸でも喧しく云たことはない。それで平気で居られたと云うのは、考えて見れば身体が丈夫であったのか、或は又衛生々々と云うようなことを無闇に喧しく云えば却て身体が弱くなると思て居たのではないかと思われる。
現代語訳
それから、緒方の塾に入ってからも、私は自分で身に覚えがあります。夕方の食事のとき、もし酒があれば酒を飲んで、初更に寝る。ひと眠りして目が覚めるのが、今でいえば十時か十時過ぎ、それからひょいと起きて書を読む。夜明けまで書を読んでいて、台所の方で塾の飯炊きがコトコトと飯を炊く支度をする音が聞こえると、それを合図にまた寝る。寝て、ちょうど飯のできあがったころに起き、そのまま湯屋に行って朝湯に入り、それから塾に帰って朝飯を食べ、また書を読むというのが、おおかた緒方の塾にいる間、ほとんど決まりきった暮らしでした。もちろん衛生などということは少しも構いません。そもそも医者の塾ですから、衛生論もやかましく言いそうなものですが、誰も気がつかなかったのか、あるいは思い出さなかったのか、ちょっとでもやかましく言ったことはありません。それで平気でいられたというのは、考えてみれば、体が丈夫だったのか、あるいはまた、衛生衛生とむやみにやかましく言えば、かえって体が弱くなると思っていたのではないかと思われます。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
福翁自伝・緒方の塾風・塾生の勉強(1)凡そ斯う云う風で、外に出ても亦内に居ても、乱暴もすれば議論もする。ソレ故一寸と一目見た所では――今までの話だけを開た所では、如何にも学問どころの事ではなく唯ワイ/\して居たのかと人が思うでありましょうが、其処の一段に至ては決して爾うでない。学問勉強と云うことになっては、当時世の中に緒方塾生の右に出る者はなかろうと思われるその一例を申せば、私が安政三年の三月、熱病を煩うて幸に全快に及んだが、病中は括枕で坐蒲団か何かを括って枕にして居たが、追々元の体に恢復して来た所で、只の枕をして見たいと思い、その時に私は中津の倉屋敷に兄と同居して居たので、兄の家来が一人あるその家来に、只の枕をして見たいから持て来いと云たが、枕がない、どんなに捜してもないと云うので、不図思付いた。是れまで倉屋敷に一年ばかり居たが遂ぞ枕をしたことがない、と云うのは時は何時でも構わぬ、殆んど昼夜の区別はない、日が暮れたからと云て寝ようとも思わず頻りに書を読んで居る。読書に草臥れ眠くなって来れば、机の上に突臥して眠るか、或は床の間の床側を枕にして眠るか、遂ぞ本当に蒲団を敷いて夜具を掛けて枕をして寝るなどゝ云うことは只の一度もしたことがない。その時に始めて自分で気が付て、「成程枕はない筈だ、是れまで枕をして寝たことがなかったからと始めて気が付きました。是れでも大抵趣が分りましょう。是れは私一人が別段に勉強生でも何でもない、同窓生は大抵皆そんなもので、凡そ勉強と云うことに就ては実にこの上に為ようはないと云う程に勉強して居ました。
-
福翁自伝・緒方の塾風・不潔に頓着せず塾員は不規則と云わんか不整頓と云わんか乱暴狼藉、丸で物事に無頓着。その無頓着の極は世間で云うように潔不潔、汚ないと云うことを気に止めない。例えば、塾の事であるから勿論桶だの丼だの皿などの、あろう筈はないけれども、緒方の塾生は学塾の中に居ながら七輪もあれば鍋もあって、物を煮て喰うと云うような事を不断遣て居る、その趣は恰も手鍋世帯の台所見たような事を机の周囲で遣て居た。けれども道具の足ると云うことのあろう筈はない。ソコで洗手盥も金盥も一切食物調理の道具になって、暑中など何処からか素麺を貰うと、その素麺を奥の台所で湯煮て貰うて、その素麺を冷すには、毎朝、顔を洗う洗手盥を持て来て、その中で冷素麺にして、汁を拵えるに調合所の砂糖でも盗み出せば上出来、その外、肴を拵えるにも野菜を洗うにも洗手盥は唯一のお道具で、ソンナ事は少しも汚ないと思わなかった。 夫れ所ではない。虱は塾中永住の動物で、誰れ一人も之を免かれることは出来ない。一寸と裸体になれば五疋も十疋も捕るに造作はない。春先き少し暖気になると羽織の襟に匍出すことがある。或る書生の説に、ドウダ、吾々の虱は大阪の焼芋に似て居る。冬中が真盛りで、春になり夏になると次第に衰えて、暑中二、三箇月蚤と交代して引込み、九月頃新芋が町に出ると吾々の虱も復た出て来るのは可笑しいと云た事がある。私は一案を工風し、抑も虱を殺すに熱湯を用うるは洗濯婆の旧筆法で面白くない、乃公が一発で殺して見せようと云て、厳冬の霜夜に襦袢を物干に洒して虱の親も玉子も一時に枯らしたことがある。この工風は私の新発明ではない、曾て誰れかに聞たことがあるから遣て見たのです。
-
福翁自伝・緒方の塾風・自身自力の研究(2)市中に出て大に酒を飲むとか暴れるとか云うのは、大抵会読を仕舞たその晩か翌日あたりで、次の会読までにはマダ四日も五日も暇があると云う時に勝手次第に出て行たので、会読の日に近くなると所謂月に六回の試験だから非常に勉強して居ました。書物を能く読むと否とは人々の才不才にも依りますけれども、兎も角も外面を胡魔化して何年居るから登級するの卒業するのと云うことは絶えてなく、正味の実力を養うと云うのが事実に行われて居たから、大概の塾生は能く原書を読むことに達して居ました。
-
福翁自伝・大阪修業・書生の生活酒の悪癖(1)私は是れまで緒方の塾に這入らずに屋敷から通って居たのであるが、安政三年の十一月頃から塾に這入て内塾生となり、是れが抑も私の書生生活、活動の始まりだ。元来緒方の塾と云うものは真実日進々歩主義の塾で、その中に這入て居る書生は皆活溌有為の人物であるが、一方から見れば血気の壮年、乱暴書生ばかりで、中々一筋縄でも二筋縄でも始末に行かぬ人物の巣窟、その中に私が飛込で共に活溌に乱暴を働いた、けれども又自から外の者と少々違って居ると云うこともお話しなければならぬ。先ず第一に私の悪い事を申せば、生来酒を嗜むと云うのが一大欠点、成長した後には自からその悪い事を知ても、悪習既に性を成して自から禁ずることの出来なかったと云うことも、敢て包み隠さず明白に自首します。自分の悪い事を公けにするは余り面白くもないが、正味を言わねば事実談にならぬから、先ず一ト通り幼少以来の飲酒の歴史を語りましょう。抑も私の酒癖は、年齢の次第に成長するに従て飲覚え、飲慣れたと云うでなくして、生れたまゝ物心の出来た時から自然に数寄でした。今に記憶して居る事を申せば、幼少の頃、月代を剃るとき、頭の盆の窪を剃ると痛いから嫌がる。スルト剃て呉れる母が、「酒を給べさせるから此処を剃らせろと云うその酒が飲みたさ計りに、痛いのを我慢して泣かずに剃らして居た事は幽に覚えて居ます。天性の悪癖、誠に愧ずべき事です。その後、次第に年を重ねて弱冠に至るまで、外に何も法外な事は働かず行状は先ず正しい積りでしたが、俗に云う酒に目のない少年で、酒を見ては殆んど廉恥を忘れるほどの意気地なしと申して宜しい。
-
福翁自伝・緒方の塾風左様云えば何か私が緒方塾の塾長で頻りに威張て自然に塾の風を矯正したように聞ゆるけれども、又一方から見れば酒を飲むことでは随分塾風を荒らした事もあろうと思う。塾長になっても相替らず元の貧書生なれども、その時の私の身の上は、故郷に在る母と姪と二人は藩から貰う少々ばかりの家禄で暮して居る、私は塾長になってから表向に先生家の賄を受けて、その上に新書生が入門するとき先生家に束脩を納めて同時に塾長へも金貳朱を朱を」]呈すと規則があるから、一箇月に入門生が三人あれば塾長には一分二朱の収入、五人あれば二分二朱にもなるから小遣銭には沢山で、是れが大抵酒の代になる。衣服は国の母が手織木綿の品を送て呉れて夫れには心配がないから、少しでも手許に金があれば直に飲むことを考える。是れが為めには同窓生の中で私に誘われてツイ/\飲だ者も多かろう。扨その飲みようも至極お租末、殺風景で、銭の乏しいときは酒屋で三合か五合買て来て塾中で独り飲む。夫れから少し都合の宜い時には一朱か二朱以て一寸と料理茶屋に行く、是れは最上の奢で容易に出来兼ねるから、先ず度々行くのは鶏肉屋、夫れよりモット便利なのは牛肉屋だ。その時大阪中で牛鍋を喰わせる処は唯二軒ある。一軒は難波橋の南詰、一軒は新町の廓の側にあって、最下等の店だから、凡そ人間らしい人で出入する者は決してない。文身だらけの町の破落戸と緒方の書生ばかりが得意の定客だ。何処から取寄せた肉だか、殺した牛やら、病死した牛やら、そんな事には頓着なし、一人前百五十文ばかりで牛肉と酒と飯と十分の飲食であったが、牛は随分硬くて臭かった。
-
福翁自伝・緒方の塾風・目的なしの勉強兎に角に当時緒方の書生は十中の七、八、目的なしに苦学した者であるが、その目的のなかったのが却て仕合で、江戸の書生よりも能く勉強が出来たのであろう。ソレカラ考えて見ると、今日の書生にしても余り学問を勉強すると同時に始終我身の行先ばかり考えて居るようでは、修業は出来なかろうと思う。左ればと云て只迂闊に本ばかり見て居るのは最も宜しくない。宜しくないとは云いながら、又始終今も云う通り自分の身の行末のみ考えて、如何したらば立身が出来るだろうか、如何したらば金が手に這入るだろうか、立派な家に往むことが出来るだろうか、如何すれば旨い物を喰い好い着物を着られるだろうかと云うような事にばかり心を引かれて、齷齪勉強すると云うことでは決して真の勉強は出来ないだろうと思う。就学勉強中は自から静にして居らなければならぬと云う理屈が茲に出て来ようと思う。
人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る