福翁自伝 / 緒方の塾風・塾生裸体
当時は士族の世の中だから皆大小は挟して居る、けれども内塾生五、六十人の中で、私は元来物を質入れしたことがないから、双刀はチャント持て居るその外、塾中に二腰か三腰もあったが、跡は皆質に置て仕舞て、塾生の誰か所持して居るその刀が恰も共有物で、是れでも差支のないと云うは、銘々倉屋敷にでも行くときに二本挟すばかりで、不断は脇差一本、たゞ丸腰にならぬ丈けの事であったから。夫れから大阪は暖い処だから冬は難渋な事はないが、夏は真実の裸体、褌も襦袢も何もない真裸体。勿論飯を喫う時と会読をする時には自から遠慮するから何か一枚ちょいと引掛ける、中にも絽の羽織を真裸体の上に着てる者が多い。是れは余程おかしな風で、今の人が見たら、さぞ笑うだろう。食事の時には迚も座って喰うなんと云うことは出来た話でない。足も踏立てられぬ板敷だから、皆上草履を穿て立て喰う。一度は銘々に別けてやったこともあるけれども、爾うは続かぬ。お鉢が其処に出してあるから、銘々に茶碗に盛て百鬼立食。ソンナ訳けだから食物の価も勿論安い。お菜は一六が葱と薩摩芋の難波煮、五十が豆腐汁、三八が蜆汁と云うようになって居て、今日は何か出ると云うことは極って居る。
書き下し
当時は士族の世の中だから皆大小は挟して居る、けれども内塾生五、六十人の中で、私は元来物を質入れしたことがないから、双刀はチャント持て居るその外、塾中に二腰か三腰もあったが、跡は皆質に置て仕舞て、塾生の誰か所持して居るその刀が恰も共有物で、是れでも差支のないと云うは、銘々倉屋敷にでも行くときに二本挟すばかりで、不断は脇差一本、たゞ丸腰にならぬ丈けの事であったから。夫れから大阪は暖い処だから冬は難渋な事はないが、夏は真実の裸体、褌も襦袢も何もない真裸体。勿論飯を喫う時と会読をする時には自から遠慮するから何か一枚ちょいと引掛ける、中にも絽の羽織を真裸体の上に着てる者が多い。是れは余程おかしな風で、今の人が見たら、さぞ笑うだろう。食事の時には迚も座って喰うなんと云うことは出来た話でない。足も踏立てられぬ板敷だから、皆上草履を穿て立て喰う。一度は銘々に別けてやったこともあるけれども、爾うは続かぬ。お鉢が其処に出してあるから、銘々に茶碗に盛て百鬼立食。ソンナ訳けだから食物の価も勿論安い。お菜は一六が葱と薩摩芋の難波煮、五十が豆腐汁、三八が蜆汁と云うようになって居て、今日は何か出ると云うことは極って居る。
現代語訳
当時は士族の世の中ですから、みな大小を差しています。けれども内塾生五、六十人の中で、私はもともと物を質入れしたことがないので、二本差しをちゃんと持っていました。そのほか、塾中に二腰か三腰もありましたが、あとはみな質に入れてしまって、塾生の誰かが所持しているその刀が、あたかも共有物のようでした。これでも差し支えないというのは、各自が倉屋敷にでも行く時に二本差すだけで、普段は脇差一本、ただ丸腰にならない程度のことでしたから。 それから大阪は暖かい所ですから、冬は難渋なことはありませんが、夏は本当の裸で、褌も襦袢も何もない真っ裸です。もちろん飯を食う時と会読をする時には自然と遠慮するので、何か一枚ちょっと引っ掛けます。中でも絽の羽織を真っ裸の上に着ている者が多い。これはよほどおかしな風で、今の人が見たら、さぞ笑うでしょう。食事の時にはとても座って食べるということはできた話ではありません。足も踏み立てられぬ板敷だから、みな上草履を履いて立ち食いをします。一度は銘々に分けてやったこともありますが、そうは続きません。お鉢がそこに出してあるから、銘々が茶碗に盛って、百鬼立食です。そんな訳だから食物の値ももちろん安い。おかずは、一と六の付く日が葱と薩摩芋の難波煮、五と十の付く日が豆腐汁、三と八の付く日が蜆汁となっていて、今日は何が出るかということは決まっていました。
解説
この章句が説くこと
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福翁自伝・緒方の塾風・不潔に頓着せず塾員は不規則と云わんか不整頓と云わんか乱暴狼藉、丸で物事に無頓着。その無頓着の極は世間で云うように潔不潔、汚ないと云うことを気に止めない。例えば、塾の事であるから勿論桶だの丼だの皿などの、あろう筈はないけれども、緒方の塾生は学塾の中に居ながら七輪もあれば鍋もあって、物を煮て喰うと云うような事を不断遣て居る、その趣は恰も手鍋世帯の台所見たような事を机の周囲で遣て居た。けれども道具の足ると云うことのあろう筈はない。ソコで洗手盥も金盥も一切食物調理の道具になって、暑中など何処からか素麺を貰うと、その素麺を奥の台所で湯煮て貰うて、その素麺を冷すには、毎朝、顔を洗う洗手盥を持て来て、その中で冷素麺にして、汁を拵えるに調合所の砂糖でも盗み出せば上出来、その外、肴を拵えるにも野菜を洗うにも洗手盥は唯一のお道具で、ソンナ事は少しも汚ないと思わなかった。 夫れ所ではない。虱は塾中永住の動物で、誰れ一人も之を免かれることは出来ない。一寸と裸体になれば五疋も十疋も捕るに造作はない。春先き少し暖気になると羽織の襟に匍出すことがある。或る書生の説に、ドウダ、吾々の虱は大阪の焼芋に似て居る。冬中が真盛りで、春になり夏になると次第に衰えて、暑中二、三箇月蚤と交代して引込み、九月頃新芋が町に出ると吾々の虱も復た出て来るのは可笑しいと云た事がある。私は一案を工風し、抑も虱を殺すに熱湯を用うるは洗濯婆の旧筆法で面白くない、乃公が一発で殺して見せようと云て、厳冬の霜夜に襦袢を物干に洒して虱の親も玉子も一時に枯らしたことがある。この工風は私の新発明ではない、曾て誰れかに聞たことがあるから遣て見たのです。
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福翁自伝・緒方の塾風左様云えば何か私が緒方塾の塾長で頻りに威張て自然に塾の風を矯正したように聞ゆるけれども、又一方から見れば酒を飲むことでは随分塾風を荒らした事もあろうと思う。塾長になっても相替らず元の貧書生なれども、その時の私の身の上は、故郷に在る母と姪と二人は藩から貰う少々ばかりの家禄で暮して居る、私は塾長になってから表向に先生家の賄を受けて、その上に新書生が入門するとき先生家に束脩を納めて同時に塾長へも金貳朱を朱を」]呈すと規則があるから、一箇月に入門生が三人あれば塾長には一分二朱の収入、五人あれば二分二朱にもなるから小遣銭には沢山で、是れが大抵酒の代になる。衣服は国の母が手織木綿の品を送て呉れて夫れには心配がないから、少しでも手許に金があれば直に飲むことを考える。是れが為めには同窓生の中で私に誘われてツイ/\飲だ者も多かろう。扨その飲みようも至極お租末、殺風景で、銭の乏しいときは酒屋で三合か五合買て来て塾中で独り飲む。夫れから少し都合の宜い時には一朱か二朱以て一寸と料理茶屋に行く、是れは最上の奢で容易に出来兼ねるから、先ず度々行くのは鶏肉屋、夫れよりモット便利なのは牛肉屋だ。その時大阪中で牛鍋を喰わせる処は唯二軒ある。一軒は難波橋の南詰、一軒は新町の廓の側にあって、最下等の店だから、凡そ人間らしい人で出入する者は決してない。文身だらけの町の破落戸と緒方の書生ばかりが得意の定客だ。何処から取寄せた肉だか、殺した牛やら、病死した牛やら、そんな事には頓着なし、一人前百五十文ばかりで牛肉と酒と飯と十分の飲食であったが、牛は随分硬くて臭かった。
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福翁自伝・緒方の塾風・裸体の奇談失策裸体の事に就て奇談がある。或る夏の夕方、私共五、六名の中に飲む酒が出来た。すると一人の思付に、この酒を彼の高い物干の上で飲みたいと云うに、全会一致で、サア屋根づたいに持出そうとした処が、物干の上に下婢が三、四人涼んで居る。是れは困た、今彼処で飲むと彼奴等が奥に行て何か饒舌るに違いない、邪魔な奴じゃと云う中に、長州生に松岡勇記と云う男がある。至極元気の宜い活溌な男で、この松岡の云うに、僕が見事に彼の女共を物干から逐払て見せようと云いながら、真裸体で一人ツカ/\と物干に出て行き、お松どんお竹どん、暑いじゃないかと言葉を掛けて、そのまゝ傾向きに大の字なりに成て倒れた。この風体を見ては流石の下婢も其処に居ることが出来ぬ。気の毒そうな顔をして皆下りて仕舞た。すると松岡が物干の上から蘭語で上首尾早く来いと云う合図に、塾部屋の酒を持出して涼しく愉快に飲だことがある。 又或るとき是れは私の大失策、或る夜私が二階に寝て居たら、下から女の声で福澤さん/\と呼ぶ。私は夕方酒を飲で今寝たばかり。うるさい下女だ、今ごろ何の用があるかと思うけれども、呼べば起きねばならぬ。夫れから真裸体で飛起て、階子段を飛下りて、何の用だとふんばたかった所が、案に相違、下女ではあらで奥さんだ。何うにも斯うにも逃げようにも逃げられず、真裸体で座ってお辞儀も出来ず、進退窮して実に身の置処がない。奥さんも気の毒だと思われたのか、物をも云わず奥の方に引込で仕舞た。翌朝御託に出て昨夜は誠に失礼仕りましたと陳べる訳けにも行かず、到頭末代御挨拶なしに済で仕舞た事がある。是ればかりは生涯忘れることが出来ぬ。先年も大阪に行て緒方の家を尋ねて、この階子段の下だったと四十年前の事を思出して、独り心の中で赤面しました。
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福翁自伝・緒方の塾風・塾生の勉強(2)それから緒方の塾に這入てからも私は自分の身に覚えがある。夕方食事の時分に若し酒があれば酒を飲で初更に寝る。一寝して目が覚ると云うのが今で云えば十時か十時過、それからヒョイと起きて書を読む。夜明まで書を読んで居て、台所の方で塾の飯炊がコト/\飯を焚く仕度をする音が聞えると、それを相図に又寝る。寝て丁度飯の出来上った頃起きて、その儘湯屋に行て朝湯に這入て、それから塾に帰て朝飯を給べて又書を読むと云うのが、大抵緒方の塾に居る間殆んど常極りであった。勿論衛生などゝ云うことは頓と構わない。全体は医者の塾であるから衛生論も喧しく言いそうなものであるけれども、誰も気が付かなかったのか或は思出さなかったのか、一寸でも喧しく云たことはない。それで平気で居られたと云うのは、考えて見れば身体が丈夫であったのか、或は又衛生々々と云うようなことを無闇に喧しく云えば却て身体が弱くなると思て居たのではないかと思われる。
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福翁自伝・緒方の塾風・豚を殺すそんな訳けだから塾中の書生に身なりの立派な者は先ず少ない。そのくせ市中の縁日など云えば夜分屹度出て行く。行くと往来の群集、就中娘の子などは、アレ書生が来たと云て脇の方に避けるその様子は、何か穢多でも出て来て夫れを穢ながるようだ。如何も仕方がない。往来の人から見て穢多のように思う筈だ。或るとき難波橋の吾々得意の牛鍋屋の親爺が豚を買出して来て、牛屋商売であるが気の弱い奴で、自分に殺すことが出来ぬからと云て、緒方の書生が目指された。夫れから親爺に逢て、「殺して遣るが、殺す代りに何を呉れるか」――「左様ですな」――「頭を呉れるか」――「頭なら上げましょう。」夫れから殺しに行た。此方は流石に生理学者で、動物を殺すに窒塞させれば訳けはないと云うことを知て居る。幸いその牛屋は河岸端であるから、其処へ連て行て四足を縛て水に突込で直ぐ殺した。そこでお礼として豚の頭を貰って来て、奥から鉈を借りて来て、先ず解剖的に脳だの眼だの能く/\調べて、散々いじくった跡を煮て喰たことがある。是れは牛屋の主人から穢多のように見込れたのでしょう。
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福翁自伝・王政維新・塾の始末に困る、楽書無用夫れはそれとして又一方から見れば、塾生の始末には誠に骨が折れました。戦争後意外に人の数は増したが、その人はどんな種類の者かと云うに、去年から出陣してさん/″\奥州地方で戦て漸く除隊になって、国には帰らずに鉄砲を棄てゝその儘塾に来たと云うような少年生が中々多い。中にも土佐の若武者などは長い朱鞘の大小を挟して、鉄砲こそ持たないが今にも斬て掛ろうと云うような恐ろしい顔色をして居る。爾うかと思うとその若武者が紅い女の着物を着て居る。是れはドウしたのかと云うと、会津で分捕りした着物だと云て威張て居る。実に血腥い怖い人物で、一見先ず手の着けようがない。ソコデ私は前申す通り新銭座の塾を立てると同時に極めて簡単な塾則を拵えて、塾中金の貸借は一切相成らぬ、寝るときは寝て、起るときは起き、喰うときには定めの時間に食堂に出る、夫れから楽書一切相成らぬ、壁や障子に楽書を禁ずるは勿論、自分所有の行灯にも机にも一切の品物に楽書は相成らぬと云うくらいの箇条で、既に規則を極めた以上はソレを実行しなくてはならぬ。ソコで障子に楽書してあれば私は小刀を以て其処だけ切破て、この部屋に居る者が元の通りに張れと申付ける。夫れから行灯に書てあれば、誰の行灯でも構わぬ、その持主を咎めると、時としてはその者が、「是れは自分でない、人の書たのですと云ても私は許さぬ。人が書たと云うのは云訳けにならぬ、自分の行灯に楽書されてソレを見て居ると云うのは馬鹿だ、馬鹿の罰に早々張替えるが宜しい、楽書した行灯は塾に置かぬ、破るからアトを張て置きなさいと云うようにして、寸毫も仮さない。如何に血腥い若武者が何と云おうとも、そんな事を恐れて居られない。ミシ/\遣付けて遣る。名は忘れたが、不図見た所が桐の枕に如何な楽書がしてある。「コリャ何だ。銘々の私有品でも楽書は一切相成らぬと云たではないか、ドウ云う訳けだ、一句の返答も出来なかろう。この枕は私は削りたいけれども削ることが出来ない、打毀わすから代りを取て来なさいと云て、その枕を取上げて足で踏潰して、サアどうでもしろ、攫み掛て来るなら相手になろうと云わぬばかりの思惑を示した所で、決して掛らぬ。全体私は骨格は少し大きいが、本当は柔術も何も知らない、生れてから人を打たこともない男だけれども、その権幕はドウも撃ちそうな攫み掛りそうな気色で、口の法螺でなくして身体の法螺で吹倒した。所が皆小さくなって言うことを聞くようになって来て、ソレでマア戦争帰りの血腥い奴も自から静になって塾の治まりが付き、その中には真成な大人しい学者風の少年も多く、至極勉強してます/\塾風を高尚にして、明治四年まで新銭座に居ました。
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