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福翁自伝 / 長崎遊学・明石より上陸(2)

そこで明石から大阪まで十五里の間と云うものは、私は泊ることが出来ぬ。財布の中はモウ六、七十文、百に足らぬ銭で迚も一晩泊ることは出来ぬから、何でも歩かなければならぬ。途中何と云う処か知らぬが、左側の茶店で、一合十四文の酒を二合飲んで、大きな筍の煮たのを一皿と、飯を四、五杯喰て、夫れからグン/″\歩いて、今の神戸辺は先だか後だか、どう通たか少しも分らぬ。爾うして大阪近くなると、今の鉄道の道らしい川を幾川も渡て、有難い事にお侍だから船賃は只で宜かったが、日は暮れて暗夜で真暗、人に逢わなければ道を聞くことが出来ず、夜中淋しい処で変な奴に逢えば却て気味が悪い。その時私の指してる大小は、脇差は祐定の丈夫な身であったが、刀は太刀作りの細身でどうも役に立ちそうでなくて心細かった。実を云えば大阪近在に人殺しの無暗に出る訳けもない、ソンナに怖がる事はない筈だが、独旅の夜道、真暗ではあるし臆病神が付いてるから、ツイ腰の物を便りにするような気になる。後で考えれば却て危ない事だと思う。ソレカラ始終道を聞くには、幼少の時から中津の倉屋敷は大阪堂島玉江橋と云うことを知てるから、唯大阪の玉江橋へはどう行くかとばかり尋ねて、ヤット夜十時過ぎでもあろう、中津屋敷に着て兄に逢たが、大変に足が痛かった。

書き下し

そこで明石から大阪まで十五里の間と云うものは、私は泊ることが出来ぬ。財布の中はモウ六、七十文、百に足らぬ銭で迚も一晩泊ることは出来ぬから、何でも歩かなければならぬ。途中何と云う処か知らぬが、左側の茶店で、一合十四文の酒を二合飲んで、大きな筍の煮たのを一皿と、飯を四、五杯喰て、夫れからグン/″\歩いて、今の神戸辺は先だか後だか、どう通たか少しも分らぬ。爾うして大阪近くなると、今の鉄道の道らしい川を幾川も渡て、有難い事にお侍だから船賃は只で宜かったが、日は暮れて暗夜で真暗、人に逢わなければ道を聞くことが出来ず、夜中淋しい処で変な奴に逢えば却て気味が悪い。その時私の指してる大小は、脇差は祐定の丈夫な身であったが、刀は太刀作りの細身でどうも役に立ちそうでなくて心細かった。実を云えば大阪近在に人殺しの無暗に出る訳けもない、ソンナに怖がる事はない筈だが、独旅の夜道、真暗ではあるし臆病神が付いてるから、ツイ腰の物を便りにするような気になる。後で考えれば却て危ない事だと思う。ソレカラ始終道を聞くには、幼少の時から中津の倉屋敷は大阪堂島玉江橋と云うことを知てるから、唯大阪の玉江橋へはどう行くかとばかり尋ねて、ヤット夜十時過ぎでもあろう、中津屋敷に着て兄に逢たが、大変に足が痛かった。

現代語訳

そこで明石から大阪までの十五里の間というもの、私は泊まることができません。財布の中はもう六、七十文、百に足りない銭で、とても一晩泊まることはできないので、何でも歩かなければなりません。途中、何というところか知りませんが、左側の茶店で、一合十四文の酒を二合飲んで、大きな筍の煮たのを一皿と、飯を四、五杯食べて、それからぐんぐん歩いて、今の神戸あたりは先だったか後だったか、どう通ったか少しもわかりません。そして大阪近くなると、今の鉄道の道らしい川を幾つも渡って、ありがたいことにお侍だから船賃はただでよかったのですが、日は暮れて暗夜で真っ暗、人に逢わなければ道を聞くことができず、夜中の淋しいところで変な奴に逢えば、かえって気味が悪い。そのとき私が差している大小は、脇差は祐定の丈夫な身でしたが、刀は太刀作りの細身で、どうも役に立ちそうになくて心細かった。実をいえば、大阪近在に人殺しがむやみに出るわけもなく、そんなに怖がることはないはずですが、独り旅の夜道、真っ暗ではあるし、臆病神が付いているから、ついつい腰の物を頼りにするような気になる。後で考えれば、かえって危ないことだと思います。それからいつも道を聞くには、幼少の時から中津の倉屋敷は大阪堂島の玉江橋ということを知っていたので、ただ大阪の玉江橋へはどう行くかとばかり尋ねて、やっと夜十時過ぎでもあったでしょう、中津屋敷に着いて兄に会いましたが、たいへん足が痛かった。

解説

所持金はわずか六、七十文で、明石から大阪まで十五里を歩き通す。一合十四文の酒を二合飲み、筍の煮物と飯を四、五杯食べて、あとは歩く。暗い夜道で変な奴に遭ったらどうしようという不安から、脇差を頼りにする気持ちも正直に書きます。目的地の聞き方も具体的です。幼いころ知った玉江橋の名だけを繰り返し尋ねて、夜十時過ぎに中津屋敷に着きました。何を目標にするかが明確なら、道を聞く先も絞られます。最後に足が痛かったと添える飾らなさに、長崎から江戸へ向かう冒険の疲労が滲みます。

この章句が説くこと

明石から大阪十五里徒歩無一文玉江橋夜道

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