福翁自伝 / 長崎遊学・馬関の渡海
小倉から下ノ関に船で来る時は怖い事がありました。途中に出た所が少し荒く風が吹て浪が立て来た。スルトその纜を引張て呉れ、其方の処を如何して呉れと、船頭が何か騒ぎ立て乗組の私に頼むから、ヨシ来たと云うので纜を引張たり柱を起したり、面白半分に様々加勢をして先ず滞りなく下ノ関の宿に着て、「今日の船は如何したのか、斯う/\云う浪風で、斯う云う目に遇た、潮を冠って着物が濡れたと云うと、宿の内儀さんが「それはお危ない事じゃ、彼れが船頭なら宜いが実は百姓です。この節暇なものですから内職にそんな事をします。百姓が農業の間に慣れぬ事をするから、少し浪風があると毎度大きな間違いを仕出来しますと云うのを聞て、実に怖かった。成程奴等が一生懸命になって私に加勢を頼んだのも道理だと思いました。
書き下し
小倉から下ノ関に船で来る時は怖い事がありました。途中に出た所が少し荒く風が吹て浪が立て来た。スルトその纜を引張て呉れ、其方の処を如何して呉れと、船頭が何か騒ぎ立て乗組の私に頼むから、ヨシ来たと云うので纜を引張たり柱を起したり、面白半分に様々加勢をして先ず滞りなく下ノ関の宿に着て、「今日の船は如何したのか、斯う/\云う浪風で、斯う云う目に遇た、潮を冠って着物が濡れたと云うと、宿の内儀さんが「それはお危ない事じゃ、彼れが船頭なら宜いが実は百姓です。この節暇なものですから内職にそんな事をします。百姓が農業の間に慣れぬ事をするから、少し浪風があると毎度大きな間違いを仕出来しますと云うのを聞て、実に怖かった。成程奴等が一生懸命になって私に加勢を頼んだのも道理だと思いました。
現代語訳
小倉から下ノ関に船で来るときは怖いことがありました。途中に出たところが、少し荒く風が吹いて波が立ってきました。するとその綱を引っ張ってくれ、そちらのところをどうにかしてくれと、船頭が何か騒ぎ立てて、乗り組みの私に頼むので、「よし来た」というので、綱を引っ張ったり柱を起こしたり、面白半分にさまざま加勢をして、まず滞りなく下ノ関の宿に着き、「今日の船はどうしたのか、これこれこういう波風で、こういう目に遭った、潮をかぶって着物が濡れた」というと、宿のおかみさんが、「それはお危ないことでした、あれが船頭ならいいが、実は百姓です。この節は暇なものですから、内職にそんなことをします。百姓が農業の間に慣れないことをするから、少し波風があると毎度大きな間違いを仕出かしますよ」というのを聞いて、実に怖かった。なるほど、あいつらが一生懸命になって私に加勢を頼んだのも道理だと思いました。
解説
この章句が説くこと
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福翁自伝・暗殺の心配・警戒却て無益なり前の鵜ノ島の話に引替えて、誠に馬鹿々々しい事もあります。明治五年かと思う。私が中津の学校を視察に行き、その時旧藩主に勧めて一家挙って東京に引越し、私が供をして参ると云うことになった。処で藩主が藩地を去るは固より士族の悦ぶことでない。私も能くその情実は知て居るけれども、昔の大名風で藩地に居れば奥平家の維持が出来ない、思切て断行せよと云うので、疾雷耳を掩うに暇あらず、僅か六、七日間の支度で、御隠居様も御姫様も中津の浜から船に乗て馬関に行き、馬関で蒸気船に乗替えて神戸と、都ての用意調い、いよ/\中津の船に乗て夕刻沖の方に出掛けた処が生憎風がない、夜中水尾木の処にボチャ/\して少しも前に進まない。ソコで私は考えた。「コリャ大変だ、爰にグヅ/\して居ると例の若武者が屹と遣て来るに違いない、来ればその目指す敵は自分一人だ、幸い夜の明けぬ中に船を上て陸行するに若くはなしと決断して、極暑の時であったが、払暁マダ暗い中に中津の城下に引返して、その足で小倉まで駈けて行きました。所が大きに御苦労、後に聞けばこの時には藩士も至極穏かで何の議論もなかったと云う。此方が邪推を運らして用心する時は何でもなく、ポカンとして居る時は一番危い、実に困たものです。
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福翁自伝・暗殺の心配・長州室津の心配是れも私が姓名を隠して豊前中津から江戸に帰て来た時の事です。元治元年、私が中津に行て、小幡篤次郎兄弟を始め同藩子弟七、八名に洋学修業を勧めて共に出府するときに、中津から先ず船に乗て出帆すると、二、三日天気が悪くて、風次第で何処の港に入るか知れない、スルと南無三宝、攘夷最中の長州室津と云う港に船が着た。そのとき私は同行少年の名を借りて三輪光五郎(今日は府下目黒のビール会社に居る)と名乗て居たが、一寸上陸して髪結床に行た所が、床の親仁が喋々述べて居る、「幕府を打潰す――毛唐人を追巻くると云い、女子供の唄の文句は忘れたが、「やがて長門は江戸になるとか何とか云うことを面白そうに唄うて居る、そのあたりを見れば兵隊が色々な服装をして鉄砲を担いで威張て居るから、若しも福澤と云う正体が現われては、たった一発と、安い気はしないが、爰が大事と思い態と平気な顔をして、唯順風を祈て船の出られるのを待て居るその間の怖さと云うものは、何の事はない、躄者が病犬に囲まれたようなものでした。
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福翁自伝・長崎遊学・贋手紙を作るその間の道中と云うものは随分困りました。一人旅、殊に何処の者とも知れぬ貧乏そうな若侍、若し行倒になるか暴れでもすれば宿屋が迷惑するから容易に泊めない。もう宿の善悪は択ぶに暇なく、只泊めて呉れさえすれば宜しいと云うので無暗に歩行いて、何か斯か二晩泊って三日目に小倉に着きました。その道中で私は手紙を書いて即ち鉄屋惣兵衛の贋手紙を拵えて、「この御方は中津の御家中、中村何様の若旦那で、自分は始終そのお屋敷に出入して決して間違なき御方だから厚く頼むと鹿爪らしき手紙の文句で、下ノ関船場屋寿久右衛門へ宛て鉄屋惣兵衛の名前を書いてちゃんと封をして、明日下ノ関に渡てこの手紙を用に立てんと思い、小倉までたどり付て泊った時はおかしかった。彼方此方マゴマゴして、小倉中、宿を捜したが、何処でも泊めない。ヤット一軒泊めて呉れた所が薄汚ない宿屋で、相宿の同間に人が寝て居る。スルト夜半に枕辺で小便する音がする。何だと思うと中風病の老爺が、しびんに遣てる。実は客ではない、その家の病人でしょう。その病人と並べて寝かされたので、汚くて堪らなかったのは能く覚えて居ます。 それから下ノ関の渡場を渡て、船場屋を捜し出して、兼て用意の贋手紙を持て行た所が、成程鉄屋とは懇意な家と見える、手紙を一見して早速泊めて呉れて、万事能く世話をして呉れて、大阪まで船賃が一分二朱、賄の代は一日若干、ソコデ船賃を払うた外に二百文か三百文しか残らぬ。併し大阪に行けば中津の倉屋敷で賄の代を払う事にして、是れも船宿で心能く承知して呉れる。悪い事だが全く贋手紙の功徳でしょう。
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福翁自伝・長崎遊学・明石より上陸(1)爾う云う不愉快な船中で、如何やら斯うやら十五日目に播州明石に着た。朝五ツ時、今の八時頃、明旦順風になれば船が出ると云う、けれどもコンナ連中のお供をしては際限がない。是れから大阪までは何里と聞けば、十五里と云う。「ヨシ、それじゃ乃公は是れから大阪まで歩いて行く。就ては是迄の勘定は、大阪に着たら中津の倉屋敷まで取りに来い、この荷物だけは預けて行くからと云うと、船頭が中々聞かない。「爾う旨くは行かぬ、一切勘定を払て行けと云う。云われても払う金は懐中にない。その時に私は更紗の着物と絹紬の着物と二枚あって、それを風呂敷に包んで持て居るから、「茲に着物が二枚ある、是れで賄の代位はあるだろう、外に書籍もあるが、是れは何にもならぬ。この着物を売ればその位の金にはなるではないか。大小を預ければ宜いが、是れは挟して行かねばならぬ。何時でも宜しい、船が大阪に着次第に中津屋敷で払て遣るから取りに来いと云うも、船頭は頑張て承知しない。「中津屋敷は知てるが、お前さんは知らぬ人じゃ。何でも船に乗て行きなさい。賄の代金は大阪で請取ると云う約束がしてあるからそれは宜しい。何日掛ても構わぬ、途中から上ることは出来ぬと云う。此方は只管頼むと小さくなって訳けを云えば、船頭は何でも聞かぬと剛情を張て段々声が大きくなる。喧嘩にもならず実に当惑して居た処に、同船中、下ノ関の商人風の男が出て来て、乃公が請合うと先ず発言して船頭に向い、「コレお前も爾う、いんごうな事を云うものじゃない。賄代の抵当に着物があるじゃないか。このお方はお侍じゃ、貴様達を騙す所存ではないように見受ける。若し騙したら乃公が払う、サアお上りなさいと云て、船頭も是れに安心して無理も云わず、ソレカラ私はその下ノ関の男に厚く礼を述て船を飛出し、地獄に仏と心の中にこの男を拝みました。
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福翁自伝・暗殺の心配・一夜の危険(1)ソレから家の始末も大抵出来て、いよ/\中津の廻米船に乗て神戸まで行き、神戸から東京までの間は外国の郵船に乗る積りで、サア乗船と云う所が、中津の海は浅くて都合が悪い。中津の西一里ばかりの処に鵜ノ島と云う港があって、其処に船が掛って居ると云うから、私はそのとき大病後ではあるし、老人、子供の連れであるから、前日から鵜ノ島に行て一泊して翌朝ゆるりと乗船する趣向にして、その晩鵜ノ島の船宿のような家に泊りましたが、知らぬが仏とは申しながら、後に聞けばこの夜が私の万死一生、恐ろしい時であったと云うは、その船宿の若い主人が例の有志者の仲間であるとは恐ろしい、私の一行は老母と姪とその外に近親今泉の後室と小児(小児は秀太郎六歳)役に立ちそうな男は私一人、是れも病後のヒョロ/\と云うその人数を留めて置いて、宿の奴が中津の同志者に使を走らして、「今夜は上都合云々と内通したから堪らない。ソコデ以て中津の有志者即ち暗殺者は、金谷と云う処に集会を催して、今夜いよ/\鵜ノ島に押掛けて福澤を殺すことに議決した、その理由は、福澤が近来奥平の若殿様を誘引して亜米利加に遣ろうなんと云う大反れた計画をして居るのは怪しからぬ、不臣な奴だと云う罪状であるから、満座同音、国賊の誅罰に異論はない。
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福翁自伝・長崎遊学・馬関より乗船夫れから船場屋寿久右衛門の処から乗た船には、三月の事で皆上方見物、夫れは/\種々様々な奴が乗て居る。間抜けな若旦那も乗て居れば、頭の禿た老爺も乗て居る、上方辺の茶屋女も居れば、下ノ関の安女郎も居る。坊主も、百姓も、有らん限りの動物が揃うて、其奴等が狭い船の中で、酒を飲み、博奕をする。下らぬ事に大きな声をして、聞かれぬ話をして、面白そうにしてる中に、私一人は真実無言、丸で取付端がない。船は安芸の宮島へ着た。私は宮島に用はない。唯来たから唯島を見に上る。外の連中はお互に朋友だから宜いだろう。皆酒を飲む。私も飲みたくて堪らぬけれども、金がないから只宮島を見たばかりで、船に帰て来てむしゃ/\船の飯を喰てるから、船頭もこんな客は忌やだろう、妙な顔をして私を睨んで居たのは今でも覚えて居る。その前に岩国の錦帯橋も余儀なく見物して、夫れから宮島を出て讃岐の金比羅様だ。多度津に船が着て金比羅まで三里と云う。行きたくないことはないが、金がないから行かれない。外の奴は皆船から出て行て、私一人で船の番をして居る。爾うすると一晩泊て、どいつもこいつもグデン/\に酔て陽気になって帰て来る。癪に障るけれども何としても仕様がない。
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