福翁自伝 / 幼少の時・鋸鑢に驚く
金物細工をするに鑢は第一の道具で、是れも手製に作って、その製作には随分苦心して居た所が、その後、年経て私が江戸に来て先ず大に驚いたことがある、と申すは只の鑢は鋼鉄を斯うして斯う遣れば私の手にもヲシ/\出来るが、鋸鑢ばかりは六かしい。ソコデ江戸に這入たとき、今思えば芝の田町、処も覚えて居る、江戸に這入て往来の右側の家で、小僧が鋸の鑢の目を叩て居る。皮を鑢の下に敷いて鏨で刻んで颯々と出来る様子だから、私は立留て之を見て、心の中で扨々大都会なる哉、途方もない事が出来るもの哉、自分等は夢にも思わぬ、鋸の鑢を拵えようと云うことは全く考えたこともない、然るに小供がアノ通り遣て居るとは、途方もない工芸の進んだ場所だと思て、江戸に這入たその日に感心したことがあると云うような訳けで、少年の時から読書の外は俗な事ばかりして俗な事ばかり考えて居て、年を取ても兎角手先きの細工事が面白くて、動もすれば鉋だの鑿だの買集めて、何か作って見よう、繕うて見ようと思うその物は皆な俗な物ばかり、所謂美術と云う思想は少しもない。平生万事至極殺風景で、衣服住居などに一切頓着せず、如何いう家に居てもドンナ着物を着ても何とも思わぬ。着物の上着か下着かソレモ構わぬ。況して流行の縞模様など考えて見たこともない程の不風流なれども、何か私に得意があるかと云えば、刀剣の拵えとなれば、是れは善く出来たとか、小道具の作柄釣合が如何とか云う考はある。是れは田舎ながら手に少し覚えのある芸から自然に養うた意匠でしょう。
書き下し
金物細工をするに鑢は第一の道具で、是れも手製に作って、その製作には随分苦心して居た所が、その後、年経て私が江戸に来て先ず大に驚いたことがある、と申すは只の鑢は鋼鉄を斯うして斯う遣れば私の手にもヲシ/\出来るが、鋸鑢ばかりは六かしい。ソコデ江戸に這入たとき、今思えば芝の田町、処も覚えて居る、江戸に這入て往来の右側の家で、小僧が鋸の鑢の目を叩て居る。皮を鑢の下に敷いて鏨で刻んで颯々と出来る様子だから、私は立留て之を見て、心の中で扨々大都会なる哉、途方もない事が出来るもの哉、自分等は夢にも思わぬ、鋸の鑢を拵えようと云うことは全く考えたこともない、然るに小供がアノ通り遣て居るとは、途方もない工芸の進んだ場所だと思て、江戸に這入たその日に感心したことがあると云うような訳けで、少年の時から読書の外は俗な事ばかりして俗な事ばかり考えて居て、年を取ても兎角手先きの細工事が面白くて、動もすれば鉋だの鑿だの買集めて、何か作って見よう、繕うて見ようと思うその物は皆な俗な物ばかり、所謂美術と云う思想は少しもない。平生万事至極殺風景で、衣服住居などに一切頓着せず、如何いう家に居てもドンナ着物を着ても何とも思わぬ。着物の上着か下着かソレモ構わぬ。況して流行の縞模様など考えて見たこともない程の不風流なれども、何か私に得意があるかと云えば、刀剣の拵えとなれば、是れは善く出来たとか、小道具の作柄釣合が如何とか云う考はある。是れは田舎ながら手に少し覚えのある芸から自然に養うた意匠でしょう。
現代語訳
金物細工をするのに鑢は第一の道具で、これも手製で作り、その製作にはずいぶん苦心していたところ、のち年を経て私が江戸に来て、まず大いに驚いたことがあります。というのは、ただの鑢なら鋼鉄をこうしてこうやれば私の手でもどうにか出来ますが、鋸の鑢ばかりは難しい。そこで江戸に入ったとき、今思えば芝の田町、場所も覚えていますが、江戸に入って往来の右側の家で、小僧が鋸の鑢の目を叩いている。皮を鑢の下に敷いて、鏨で刻んでさっさと出来る様子なので、私は立ち止まってこれを見て、心の中で、さてさて大都会だなあ、途方もないことが出来るものだ、自分などは夢にも思わない、鋸の鑢を作ろうということは全く考えたこともない、それなのに子供があのようにやっているとは、途方もなく工芸の進んだ場所だと思って、江戸に入ったその日に感心したことがあります。そういうわけで、少年のときから読書のほかは俗なことばかりして、俗なことばかり考えていて、年をとってもとかく手先の細工事が面白く、ともすれば鉋や鑿を買い集めて、何か作ってみよう、繕ってみようと思う、その物はみな俗な物ばかりで、いわゆる美術という思想は少しもありません。普段は万事まことに殺風景で、衣服や住居などにはいっさい頓着せず、どういう家にいても、どんな着物を着ても何とも思わない。着物が上着か下着か、それも構わない。ましてや流行の縞模様など考えてみたこともないほどの無風流ですが、何か私に得意があるかといえば、刀剣の拵えとなれば、これはよく出来ているとか、小道具の作りや釣り合いがどうとかいう考えはあります。これは田舎ながら手に少し覚えのある芸から、自然に養った意匠でしょう。
解説
この章句が説くこと
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福翁自伝・幼少の時・手端器用なり以上は学問の話しですが、尚お此の外に申せば、私は旧藩士族の小供に較べて見ると手の先きの器用な奴で、物の工夫をするような事が得意でした。例えば井戸に物が墜ちたと云えば、如何云う塩梅にして之を揚げるとか、箪笥の錠が明かぬと云えば、釘の尖などを色々に抂げて遂に見事に之を明けるとか云う工風をして面白がって居る。又た障子を張ることも器用で、自家の障子は勿論、親類へ雇われて張りに行くこともある。兎に角に何をするにも手先が器用でマメだから、自分にも面白かったのでしょう。ソレカラ段々年を取るに従て仕事も多くなって、固より貧士族のことであるから、自分で色々工風して、下駄の鼻緒もたてれば雪駄の剥れたのも縫うと云うことは私の引受けで、自分のばかりでない、母のものも兄弟のものも繕うて遣る。或は畳針を買て来て畳の表を附け替え、又或は竹を割って桶の箍を入れるような事から、その外、戸の破れ屋根の漏りを繕うまで当前の仕事で、皆私が一人でして居ました。ソレカラ進んで本当の内職を始めて、下駄を拵えたこともあれば、刀剣の細工をしたこともある。刀の身を磨ぐことは知らぬが、鞘を塗り柄を巻き、その外、金物の細工は田舎ながらドウヤラコウヤラ形だけは出来る。今でも私の塗た虫喰塗りの脇差の鞘が宅に一本あるが、随分不器用なものです。都てコンナ事は近処に内職をする士族があってその人に習いました。
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福翁自伝・品行家風・不風流の由来元来私は生れ付き殺風景でもあるまい、人間の天性に必ず無芸殺風景と約束があるでもなかろうと思うが、何分私の性質と云うよりも少年の時から様々の事情がコンな男にして仕舞たのでしょう。先ず第一に私は幼少の時から教育の世話をして呉れる者がないので、ロクに手習をせずに成長したから、今でも書が出来ない。成長の後でも自分で手本を習たら宜さそうなものだが、その時は既に洋学の門に入て天下の儒者流を目の敵にして、儒者のすることなら一から十まで皆気に入らぬ、就中その行状が好かない。口に仁義忠孝など饒舌りながら、サアと云うときには夫れ程に意気地はない。殊に不品行で酒を飲で詩を作て書が旨いと云えば評判が宜い。都て気に喰わぬ。よし/\洋学流の吾々は反対に出掛けて遣ろうと云う気になって、恰も江戸の剣術全盛の時代に刀剣を売払て仕舞い、兼て嗜きな居合も罷めて知らぬ風をして居たような塩梅式に、儒者の奴等が詩を作ると云えば此方は態と作らずに見せよう、奴等が書を善くすると云えば此方は殊更らに等閑にして善く書かずに見せようと、飛だ処に力身込で手習をしなかったのが生涯の失策。私の家の遺伝を云えば、父も兄も文人で、殊に兄は書も善くし、画も出来、篆刻も出来る程の多芸な人に、その弟はこの通りな無芸無能、書画は扨置き骨董も美術品も一切無頓着、住居の家も大工任せ、庭園の木石も植木屋次第、衣服の流行など何が何やら少しも知らず又知ろうとも思わず、唯人の着せて呉れるものを着て居る。或時家内の留守に急用が出来て外出のとき、着物を着替えようと思い、箪笥の引出しを明けて一番上にある着物を着て出て、帰宅の上、家内の者が私の着て居るのを見て、ソレは下着だと云て大に笑われたことがある。殺風景も些と念入の殺風景で、決して誉めた話でない。畢竟少年の時から種々様々の事情に逐われてコンな事に成行き、生涯これで終るのでしょう。兎角世間の人の悦んで居るような事は、私には楽みにならぬ、誠に損な性分です。ダカラ近来は芝居を見物したり、又は宅に芸人など呼ぶこともあるが、是れとて無上の快楽事とも思われず、マア/\児孫を集めて共に戯れ、色々な芸をさせたり嗜きな物を馳走したりして、一家内の長少睦しく互に打解けて談り笑うその談笑の声を一種の音楽として、老余の楽みにして居ます。
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福翁自伝・品行家風・始めて東京の芝居を観る前に申す通り、私は江戸に来て六年目に始めて上野と云う処を見て、十四年自に始めて向島を見たと云うくらいの野暮だから、勿論芝居などを見物したことはない。少年のとき旧藩中津で、藩主が城内の能舞台で田舎の役者共を呼出して芝居を催し、藩士ばかりに陪観させる例があって、その時に一度見物して、その後大阪修業中、今の市川団十郎の実父海老蔵が道頓堀の興行中、或る夜同窓生が今から道頓堀の芝居に行くから一緒に行こう、酒もあると云うから、私は酒と聞て応と答え、ソレから行く道で酒を一升買て、徳利を携えて二、三人連れで芝居に這入り、夜分二幕か三幕見たのが生来二度自の見物。ソレから江戸に来て、江戸が東京となっても、芝居見物の事は思出しもせず、又その機会もなくして居る中に、今を去ること凡そ十五、六年前、不図した事で始めて東京の芝居を見て、その時戯れに、 誰道名優伎絶倫 先生遊戯事尤新 春風五十独醒客 却作梨園一酔人 と云う詩が出来ました。之を見ると私が変人のようにあるが、実は鳴物は甚だ好きで、女の子には娘にも孫にも琴、三味線を初め、又運動半分に踊の稽古もさせて老余唯一の楽みにして居ます。
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福翁自伝・緒方の塾風・工芸伎術に熱心(1)夫れから又一方では今日のように都て工芸技術の種子と云うものがなかった。蒸気機関などは日本国中で見ようと云てもありはせぬ。化学の道具にせよ、何処にも揃ったものはありそうにもしない。揃うた物どころではない、不完全な物もありはせぬ。けれども爾う云う中に居ながら、器械の事にせよ化学の事にせよ大体の道理は知て居るから、如何かして実地を試みたいものだと云うので、原書を見てその図を写して似寄の物を拵えると云うことに就ては中々骨を折りました。私が長崎に居るとき塩酸亜鉛があれば鉄にも錫を附けることが出来ると云うことを聞て知て居る。夫れまで日本では松脂ばかりを用いて居たが、松脂では銅の類に錫を流して鍍金することは出来る。唐金の鍋に白みを掛けるようなもので、鋳掛屋の仕事であるが、塩酸亜鉛があれば鉄にも錫が着くと云うので、同塾生と相談してその塩酸亜鉛を作ろうとした所が、薬店に行ても塩酸のある気遣はない。自分で拵えなければならぬ。塩酸を拵える法は書物で分る。その方法に依て何うやら斯うやら塩酸を拵えて、之に亜鉛を溶かして鉄に錫を試みて、鋳掛屋の夢にも知らぬ事が立派に出来たと云うようなことが面白くて堪らぬ。或は又ヨジユムを作って見ようではないかと、色々書籍を取調べ、天満の八百屋市に行て昆布荒布のような海草類を買て来て、夫れを炮烙で煎て如何云う風にすれば出来ると云うので、真黒になって遣たけれども是れは到頭出来ない。それから今度は砂製造の野心を起して、先ず第一の必要は塩酸暗謨尼亜であるが、是れも勿論薬店にある品物でない。その暗謨尼亜を造るには如何するかと云えば、骨……骨よりもっと世話なしに出来るのは鼈甲屋などに馬爪の削屑がいくらもあって只呉れる。肥料にするかせぬか分らぬが行きさえすれば呉れるから、それをドッサリ貰て来て徳利に入れて、徳利の外面に土を塗り、又素焼の大きな瓶を買て七輪にして沢山火を起し、その瓶の中に三本も四本も徳利を入れて、徳利の口には瀬戸物の管を附けて瓶の外に出すなど色々趣向して、ドシ/″\火を扇ぎ立てると管の先きからタラ/\液が出て来る。
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福翁自伝・大阪を去て江戸に行く・三人同行大阪から江戸に来るに就ては、何は扨置き中津に帰て一度母に逢うて別を告げて来ましょうと云うので、中津に帰たその時は虎列拉の真盛りで、私の家の近処まで病人だらけ、バタ/″\死にました。その流行病最中、船に乗て大阪に着て暫時逗留、ソレカラ江戸に向て出立と云うことにした所が、凡そ藩の公用で勤番するに、私などの身分なれば道中並に在勤中家来を一人呉れるのが定例で、今度も私の江戸勤番に付て家来一人振の金を渡して呉れた。けれども家来なんぞと云うことは思いも寄らぬ事で何も要らぬ。けれども茲に旅費がある。待て/\、塾中に誰か江戸に行きたいと云う者はないか、江戸に行きたければ連れて行くが如何だ、実は斯う云う訳けで金はあるぞと云うと、即席にどうぞ連れて行て呉れと云たが岡本周吉、即ち古川節蔵である(広島の人)。よし連れて行て遣ろう。連れて行くが、君は飯を炊かなければならぬが宜しいか。江戸へ行けば米もあれば長屋もある。鍋釜も貸して呉れるが、本当の家来を止めにすれば飯炊がない。その代に連れて行くのだが如何だ。「飯を炊く位の事は何でもない、飯を炊こう。「それじゃ一緒に来いと云て、夫れから私の荷物は同藩の人に頼んで、道連は私と岡本、もう一人備中の者で原田磊蔵と云う矢張り緒方の塾生、都合三人の道中で、勿論歩く。その時は丁度十月下旬で少々寒かったが小春の時節、一日も川止など云う災難に遇わず滞おりなく江戸に着て、先ず木挽町汐留の奥平屋敷に行た所が、鉄砲洲に中屋敷がある、其処の長屋を貸すと云うので、早速岡本と私とその長屋に住込で、両人自炊の世帯持になった、夫れから同行の原田は下谷練塀小路の大医大槻俊斎先生の処へ入込だ。江戸へ参れば知己朋友は幾人も居て、段々面白くなって来た。
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福翁自伝・始めて亜米利加に渡る・事物の説明に隔靴の歎あり夫れから又、亜米利加人が案内して諸方の製作所などを見せて呉れた。その時は桑港地方にマダ鉄道が出来ない時代である。工業は様々の製作所があって、ソレを見せて呉れた。其処がどうも不思議な訳けで、電気利用の電灯はないけれども、電信はある。夫れからガルヴァニの鍍金法と云うものも実際に行れて居た。亜米利加人の考に、そう云うものは日本人の夢にも知らない事だろうと思て見せて呉た所が、此方はチャント知て居る。是れはテレグラフだ。是れはガルヴァニの力で斯う云うことをして居るのだ。又砂糖の製造所があって、大きな釜を真空にして沸騰を早くすると云うことを遣て居る。ソレを懇々と説くけれども、此方は知て居る、真空にすれば沸騰が早くなると云うことは。且つその砂糖を清浄にするには骨炭で漉せば清浄になると云うこともチャント知て居る。先方では爾う云う事は思いも寄らぬ事だと斯う察して、懇ろに数えて呉れるのであろうが、此方は日本に居る中に数年の間そんな事ばかり穿鑿して居たのであるから、ソレは少しも驚くに足らない。只驚いたのは、掃溜に行て見ても浜辺に行て見ても、鉄の多いには驚いた。申さば石油の箱見たような物とか、色々な缶詰の空などが沢山棄てゝある。是れは不思議だ。江戸に火事があると焼跡に釘拾いがウヤ/\出て居る。所で亜米利加に行て見ると、鉄は丸で塵埃同様に棄てゝあるので、どうも不思議だと思うたことがある。 夫れから物価の高いにも驚いた。牡蠣を一罎買うと、半弗、幾つあるかと思うと二十粒か三十粒位しかない。日本では二十四文か三十文と云うその牡蠣が、亜米利加では一分二朱もする勘定で、恐ろしい物の高い所だ、呆れた話だと思たような次第で、社会上、政治上、経済上の事は一向分らなかった。
人生を、一行の式にしてみた。
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